ホテルの一室から田鶴子さんは函館の実家に電話します。昔は電話1つとっても大変だったんでした。今ならしよっちゅう電話できたりしますが、これは進歩なんでしょうね。でも、その分常に電話に縛られるので、便利なようで逆に自由ではないかもしれません。
たとえば軍隊が簡単に本部と、すぐそこにあるかのように連絡が取れたら、つねに本部の指示をあおいで、自分たちでは判断せず、だれかまかせで戦わなくてはいけなくなります。別に軍隊でなくても、会社でも、個人でも、指示待ちでやってたら、現場はうまく回転しないことって、きっとあるような気がします。それで現場は何となくストレスがたまって、ギスギスしていく。そういうことがあるかもしれない。
ようやく気持ちが落ち着いてきた。田鶴子は受話器の横に置いてある説明書を読み、0を押してから家の電話番号を押した。店のカウンターの端に置いてある電話が鳴るのが、目に見えるようだ。父親も母親も、電話が鳴るのを今か今かと待っているにちがいない。しかし、それにしては、受話器を取るのが遅い。もう六回も呼び出し音が鳴っている。やっと向こうも受話器を取った。
「はい。〈かにや食堂〉です。」
「あ、お母ちゃん! 田鶴子です。」
「田鶴子ですって、ずいぶん改まった言い方じゃないの。無事着いたの?」
あっけらかんとした母親の声に、田鶴子はムッとした。
「一人娘の受験だっていうのに、ずいぶんじゃないの。呼び出し音一回で電話に飛びつくかと思ったのに。」
「そりゃあ悪かったねえ。」
母親は笑っている。
「もういい。お父ちゃんと代わって。」
「ごめんごめん。あのね、お父ちゃんたら、電話のそばにいたのにさ、自分では取らないで、『おい、電話だぞ!』って二階にいる私を呼ぶのよ。そして私が店に下りてきたら、『きっと田鶴子からだ。』って。なら自分で取ればいいじゃないねえ。あんたのことが気になって、心配でしようがないのよ。」
母親は半分は娘に、半分は夫に言っているようだ。田鶴子はジンとした。
「どう、体調は?」
「うん、元気印。」
「でも、慣れない旅で疲れたでしょう。今日はもう何も考えないで、早く寝なさい。どうせ今から参考書を読んだって。」と母親が言いかける途中で、「バカ!」と言う父親の声が聞こえた。
「とにかく、やるだけはやったんだから、後は運を天に任すのね。」
「うん。」
「じゃ、お父ちゃんと代わるから。」
電話の向こうで「ほら。」と言う声が聞こえ、父親の低い声が耳に入った。
「ああ、田鶴子か?」
「うん。」
父親と遠くから電話で話すなんて、なんとなく照れくさい。
「雪、まだ降ってる?」
「小降りになったようだな。」
「そう、こっちは晴れだよ。着膨れてて恥ずかしかった。」
「そうか……。」
「何も心配しなくていいよ。とにかく、やるっきゃない。」
「そうだな……。」
「じゃあね。」
「ああ……頑張れよ……。」
田鶴子は電話が切れるのを待ったが、向こうもこっちが先に切るのを待っているようだ。
一瞬、海鳴りの音が聞こえたような気がした。田鶴子は電話を切った。それから、コートとカーディガンを脱いだ。
「元気印」って、すごい会話ですね。なかなかおもしろい。「やるっきゃない」もバブル末期の世相を反映しています。けれども、こういう会話は、2015年の現在も、単語や言い回しは変わっても、主旨としてはあるような気がします。
六時半ごろ二階の食堂に下りると、四人掛けのテーブルが四つと、奥に大きなテーブルがあった。別の壁際のテーブルに電気ポットが三つ置いてあり、それぞれのポットの横の盆に、コーヒーカップと紅茶カップと湯飲み茶碗が伏せてあった。
小さいほうのテーブルには、それぞれ、一人、二人、と座っている。奥のテーブルにも何人かが、少しずつ離れて座っていた。小さなテーブルで知らない人と同席するよりも、大きなテーブルのほうが気詰まりではなさそうなので、田鶴子は奥へ進んだ。
小さなテーブルの一つのわきを通るとき、マスク‐ママが座っているのに気が付いた。そうすると向かいに座っているのはマスク君ということになるが、マスクをはずした彼を見るのは初めてだ。思ったより老成した顔をしていた。
「失礼します。」だれにともなく言って、田鶴子は大きなテーブルに着いた。
「どうぞ。」
向かいの女子が小さな声で答えた。
田鶴子の前にウエイトレスが盆に載った定食を置き、田鶴子ははしを取った。大きなテーブルに着いている者たちは、お互いを気にしながら、緊張して黙々と食べているようだ。だれかがだれかに話し掛ければ、みんなが何かを話しだしそうだが、だれも口を切らない。田鶴子も黙って食べた。味など分からなかった。
食べ終わった者は黙って立ち、別のテーブルから紅茶かコーヒーを持って戻ると、目線を落として黙々と飲み、飲み終わると席を立っていった。
田鶴子が食堂から廊下へ出ると、前を男子が一人歩いていた。後から田鶴子を追い越して母親が並んだので、それがマスク君だと分かった。二人がエレベーターに乗り、向きを変えてこっちを見た。食事を終えたマスク君は、もうマスクをしていた。田鶴子は一緒に乗るのを避けて、廊下の途中の階段を上がった。
階段は寒かった。田鶴子は一段一段踏みしめながら、心の中で唱えた。あんな、過保護の、男子に、負けるな。函館、出身、木村、田鶴子。あんな、過保護の、あんな、過保護の。
翌朝ホテルを出ると、マスク君と母親がタクシーに乗るところだった。朝の空気が冷たい。田鶴子は首に巻いたマフラーを、鼻の所まで引っ張り上げてマスクにした。マフラーには、かすかに海のにおいや店のにおいが染み付いているようだった。田鶴子は函館のにおいを深く吸ってから、S大行きのバス停留所に向かって歩きだした。
一年後の受験日に、田鶴子はS大の構内で、首に同じマフラーを巻き、合格通知電報受付のアルバイトをしていた。去年は田鶴子も通知電報を依頼した。結果はサクラサクだった。
今では雪の少ない冬の、歩道を吹き抜ける風の冷たさにも少し慣れた。
入学当初、田鶴子は構内でそれとなくマスク君を捜したが、出会わなかった。もしかしたら、何度か、擦れ違ったりしたのかもしれない。本当のところ、マスクをはずしたマスク君の顔を、田鶴子はよく覚えていないのだった。
田鶴子さんは合格しました。マスク君はどうなったのかわかりません。あんなに印象的だったのに、いざ春になってみたら、見あたらなかった。実は不合格だったのかもしれないし、同じ大学の学生になっているのかもしれない。
こうしたすれちがい、いきちがいを何度も何度も経験しながら、私たちは人生を重ねていくのです。当たり前だけれど、もう二度とマスク君には会えないかもしれないし、会えなくてもどうでもいい。とにかく、受験直前の不安な気持ちを燃え立たせてくれた永遠の存在としてマスク君とその母がいた。
その燃える気持ちと不安さを上手に書いているなと思います。小説の中の会話体は少し古いけど、確かにこんな時代もあったのです。だから、バブル全盛から末期に至るまでの十年あまりにものすごく頑張っていた干刈あがたさんとは、どんな作品を書いていたのか、読みたいと思いました。
個人的にはバブルの時代はものすごく不遇で、不安定で、しかもチャランポランで、自分の未来が見えていなかったので、何をしていたのか、とりあえず現在の奥さんとは遠距離恋愛でつながっていて、なんとか彼女としあわせになるため、自分ががんばるしかないのに、力が出ないし、どうしたら力が出るのか、考えようともしないボンヤリした時期でした。
この小説が出る前に結婚して、子どもが生まれて、少しだけ現状を変えなくてはと、少しずつ変わって行けた(はずの)時期でした。
それを今さら回顧するのも変なんだけど、懐かしいやら、いとおしいやらで、干刈さんを読んでいます。
干刈さんの「ひかり」って、文字通り「光り」の当て字なのだそうです。そして、「あがた」は地方・田舎という意味合いらしい。東京出身の彼女がどうして「地方に光りを」というペンネームなのかというと、ご先祖は沖永良部島だそうで、私と同じ鹿児島方面にルーツがあって、その研究もされていたそうです。
もっと彼女の研究したものとか、エッセイとか世に出てきてもいいはずなのに、全く目にするチャンスがありません。ひょっとしたら、私がそれをする役回りなのかもしれません。もしだれもしていなかったら、やろうと思います。
でも、たぶん誰かがやっていると思うのですが、いつかチャンスがあれば、沖永良部島を訪ね、そういうことを調べることができたら、うれしいですね。老後の夢の1つにしておきましょうか。いや、いますぐでもいいですけど……。
たとえば軍隊が簡単に本部と、すぐそこにあるかのように連絡が取れたら、つねに本部の指示をあおいで、自分たちでは判断せず、だれかまかせで戦わなくてはいけなくなります。別に軍隊でなくても、会社でも、個人でも、指示待ちでやってたら、現場はうまく回転しないことって、きっとあるような気がします。それで現場は何となくストレスがたまって、ギスギスしていく。そういうことがあるかもしれない。
ようやく気持ちが落ち着いてきた。田鶴子は受話器の横に置いてある説明書を読み、0を押してから家の電話番号を押した。店のカウンターの端に置いてある電話が鳴るのが、目に見えるようだ。父親も母親も、電話が鳴るのを今か今かと待っているにちがいない。しかし、それにしては、受話器を取るのが遅い。もう六回も呼び出し音が鳴っている。やっと向こうも受話器を取った。
「はい。〈かにや食堂〉です。」
「あ、お母ちゃん! 田鶴子です。」
「田鶴子ですって、ずいぶん改まった言い方じゃないの。無事着いたの?」
あっけらかんとした母親の声に、田鶴子はムッとした。
「一人娘の受験だっていうのに、ずいぶんじゃないの。呼び出し音一回で電話に飛びつくかと思ったのに。」
「そりゃあ悪かったねえ。」
母親は笑っている。
「もういい。お父ちゃんと代わって。」
「ごめんごめん。あのね、お父ちゃんたら、電話のそばにいたのにさ、自分では取らないで、『おい、電話だぞ!』って二階にいる私を呼ぶのよ。そして私が店に下りてきたら、『きっと田鶴子からだ。』って。なら自分で取ればいいじゃないねえ。あんたのことが気になって、心配でしようがないのよ。」
母親は半分は娘に、半分は夫に言っているようだ。田鶴子はジンとした。
「どう、体調は?」
「うん、元気印。」
「でも、慣れない旅で疲れたでしょう。今日はもう何も考えないで、早く寝なさい。どうせ今から参考書を読んだって。」と母親が言いかける途中で、「バカ!」と言う父親の声が聞こえた。
「とにかく、やるだけはやったんだから、後は運を天に任すのね。」
「うん。」
「じゃ、お父ちゃんと代わるから。」
電話の向こうで「ほら。」と言う声が聞こえ、父親の低い声が耳に入った。
「ああ、田鶴子か?」
「うん。」
父親と遠くから電話で話すなんて、なんとなく照れくさい。
「雪、まだ降ってる?」
「小降りになったようだな。」
「そう、こっちは晴れだよ。着膨れてて恥ずかしかった。」
「そうか……。」
「何も心配しなくていいよ。とにかく、やるっきゃない。」
「そうだな……。」
「じゃあね。」
「ああ……頑張れよ……。」
田鶴子は電話が切れるのを待ったが、向こうもこっちが先に切るのを待っているようだ。
一瞬、海鳴りの音が聞こえたような気がした。田鶴子は電話を切った。それから、コートとカーディガンを脱いだ。
「元気印」って、すごい会話ですね。なかなかおもしろい。「やるっきゃない」もバブル末期の世相を反映しています。けれども、こういう会話は、2015年の現在も、単語や言い回しは変わっても、主旨としてはあるような気がします。
六時半ごろ二階の食堂に下りると、四人掛けのテーブルが四つと、奥に大きなテーブルがあった。別の壁際のテーブルに電気ポットが三つ置いてあり、それぞれのポットの横の盆に、コーヒーカップと紅茶カップと湯飲み茶碗が伏せてあった。
小さいほうのテーブルには、それぞれ、一人、二人、と座っている。奥のテーブルにも何人かが、少しずつ離れて座っていた。小さなテーブルで知らない人と同席するよりも、大きなテーブルのほうが気詰まりではなさそうなので、田鶴子は奥へ進んだ。
小さなテーブルの一つのわきを通るとき、マスク‐ママが座っているのに気が付いた。そうすると向かいに座っているのはマスク君ということになるが、マスクをはずした彼を見るのは初めてだ。思ったより老成した顔をしていた。
「失礼します。」だれにともなく言って、田鶴子は大きなテーブルに着いた。
「どうぞ。」
向かいの女子が小さな声で答えた。
田鶴子の前にウエイトレスが盆に載った定食を置き、田鶴子ははしを取った。大きなテーブルに着いている者たちは、お互いを気にしながら、緊張して黙々と食べているようだ。だれかがだれかに話し掛ければ、みんなが何かを話しだしそうだが、だれも口を切らない。田鶴子も黙って食べた。味など分からなかった。
食べ終わった者は黙って立ち、別のテーブルから紅茶かコーヒーを持って戻ると、目線を落として黙々と飲み、飲み終わると席を立っていった。
田鶴子が食堂から廊下へ出ると、前を男子が一人歩いていた。後から田鶴子を追い越して母親が並んだので、それがマスク君だと分かった。二人がエレベーターに乗り、向きを変えてこっちを見た。食事を終えたマスク君は、もうマスクをしていた。田鶴子は一緒に乗るのを避けて、廊下の途中の階段を上がった。
階段は寒かった。田鶴子は一段一段踏みしめながら、心の中で唱えた。あんな、過保護の、男子に、負けるな。函館、出身、木村、田鶴子。あんな、過保護の、あんな、過保護の。
翌朝ホテルを出ると、マスク君と母親がタクシーに乗るところだった。朝の空気が冷たい。田鶴子は首に巻いたマフラーを、鼻の所まで引っ張り上げてマスクにした。マフラーには、かすかに海のにおいや店のにおいが染み付いているようだった。田鶴子は函館のにおいを深く吸ってから、S大行きのバス停留所に向かって歩きだした。
一年後の受験日に、田鶴子はS大の構内で、首に同じマフラーを巻き、合格通知電報受付のアルバイトをしていた。去年は田鶴子も通知電報を依頼した。結果はサクラサクだった。
今では雪の少ない冬の、歩道を吹き抜ける風の冷たさにも少し慣れた。
入学当初、田鶴子は構内でそれとなくマスク君を捜したが、出会わなかった。もしかしたら、何度か、擦れ違ったりしたのかもしれない。本当のところ、マスクをはずしたマスク君の顔を、田鶴子はよく覚えていないのだった。
田鶴子さんは合格しました。マスク君はどうなったのかわかりません。あんなに印象的だったのに、いざ春になってみたら、見あたらなかった。実は不合格だったのかもしれないし、同じ大学の学生になっているのかもしれない。
こうしたすれちがい、いきちがいを何度も何度も経験しながら、私たちは人生を重ねていくのです。当たり前だけれど、もう二度とマスク君には会えないかもしれないし、会えなくてもどうでもいい。とにかく、受験直前の不安な気持ちを燃え立たせてくれた永遠の存在としてマスク君とその母がいた。
その燃える気持ちと不安さを上手に書いているなと思います。小説の中の会話体は少し古いけど、確かにこんな時代もあったのです。だから、バブル全盛から末期に至るまでの十年あまりにものすごく頑張っていた干刈あがたさんとは、どんな作品を書いていたのか、読みたいと思いました。
個人的にはバブルの時代はものすごく不遇で、不安定で、しかもチャランポランで、自分の未来が見えていなかったので、何をしていたのか、とりあえず現在の奥さんとは遠距離恋愛でつながっていて、なんとか彼女としあわせになるため、自分ががんばるしかないのに、力が出ないし、どうしたら力が出るのか、考えようともしないボンヤリした時期でした。
この小説が出る前に結婚して、子どもが生まれて、少しだけ現状を変えなくてはと、少しずつ変わって行けた(はずの)時期でした。
それを今さら回顧するのも変なんだけど、懐かしいやら、いとおしいやらで、干刈さんを読んでいます。
干刈さんの「ひかり」って、文字通り「光り」の当て字なのだそうです。そして、「あがた」は地方・田舎という意味合いらしい。東京出身の彼女がどうして「地方に光りを」というペンネームなのかというと、ご先祖は沖永良部島だそうで、私と同じ鹿児島方面にルーツがあって、その研究もされていたそうです。
もっと彼女の研究したものとか、エッセイとか世に出てきてもいいはずなのに、全く目にするチャンスがありません。ひょっとしたら、私がそれをする役回りなのかもしれません。もしだれもしていなかったら、やろうと思います。
でも、たぶん誰かがやっていると思うのですが、いつかチャンスがあれば、沖永良部島を訪ね、そういうことを調べることができたら、うれしいですね。老後の夢の1つにしておきましょうか。いや、いますぐでもいいですけど……。