「日本との戦争をつくったルーズベルト大統領ー罠にはめられた日本」の続き
ヒルダー
大佐、もう一度繰り返して頂けませんか。
ドール
宜しい。ルーズベルト大統領は言いました
「私は決して宣戦はしない。私は戦争を作るのだ」とね。
(これが、アメリカの軍事戦略の中枢の戦略である。決して防衛の為の戦争ではなく、囮(おとり)捜査と司法取引をする国であり、それと同じ意味する犯罪教唆の罪を犯している悪質な犯罪国家の軍事戦略をする国である事を忘れないで欲しい。共産主義戦略も基本的にアメリカと英国の中枢(ユダヤ)から出て来た軍事戦略の一つである。アメリカの戦略は、基本的にユダヤ戦略の一つ「必要とあれば我々の工作員(Agentur)を処刑して、我々が秩序回復の救い主として登場する(偽善行為)。」「経済的好況と恐慌を演出し、暴民をして我々の邪魔者を一掃させる。」「偽瞞の外交技術の必要。」「組織的な偽瞞の技術を発展させよ。」「各国法と国際法は、非ユダヤ人の文明を破壊する為に利用されねばならない。(今のアメリカ軍在留がそうでしょう)」の二つの戦略を用いて英国の清教徒革命以降の共産主義革命である。全てが国際金融財閥の戦略の一つである。本当の反共・自由主義戦士とは、これらのユダヤの偽善を使っての軍事戦略を反対し、「自由」と「放縦」の違いを区別する「愛のある10善戒」を守り、正直に生きる人達である事を忘れないで欲しい!愛)
ユダヤ戦略
●日本を挑発せよドール
このようにして真珠湾攻撃は、戦争に向かって微妙な政治的罠を、ルーズベルトに成功させたのです。この破局の一ヶ月後チャーチルは議会でこう語っています。
「アメリカは自身が攻撃されなくてさえも、極東の戦争に加わり、かくて最後の勝利が保証される、と云う可能性は、私がルーズベルト大統領とこれらの問題を語り合った大西洋会談(1941年8月14日)以来のものである」
チャーチルのこの驚くべき暴露に対して、ミシガン選出のヴァンデンバーグ上院議員は次のような驚愕したコメントで応じました。
「言葉を換えて言えば、チャーチルは初めてルーズベルトに会い大西洋憲章を書いた時、アメリカは日本が我々を攻撃しようとしまいと対日開戦すると云う、明らかに彼にとって満足のいくある種の保証を得たのだと。更に言葉を換えれば、我々はパールハーバー以前に、大統領によってこの戦争に立候補していたのだ」
ルーズベルト大統領と彼の搾取者の仲間は、「攻撃された場合を除いて」アメリカは参戦しないと云う、アメリカ国民に対する厳粛な制約を技術的に破る事無く、ウィシストン・チャーチルと他の同じ考えの勢力を満足させるべく、真珠湾攻撃を強く待望していたのです。このようにして武器貸与法ののち、アメリカはイギリス船の護送、イギリスに対する50隻の駆逐艦の贈与、更にはドイツ潜水艦の深度攻撃さえも行った――全て極端な非中立挑発――が、ヒトラーの報復を誘い出す事は出来ませんでした。このようにして、ルーズベルト大統領は焦り――そして彼の仕掛人達――は絶望的になったのです。外交問題評議会(CFR)のメンバーの一人、ルーズベルトの補佐官ハリー・ホプキンズは次の様に告白しています。
「スチムソンもマーシャルも、アメリカを参戦させないでは勝つ事は出来ないが、どうして参戦させるかについては知恵が出なかった。ルーズベルトは、彼に可能なギリギリの対ドイツ戦争挑発を行った。だがヒトラーは乗らなかった。彼にはもうトリックの
種(此れを行えば、基本的に宣戦布告をした同じ意味している!愛)は残されていない。彼が多くの兎を取り出した帽子は空になっていた」
最後に残されたトリックは日本を挑発し容赦なく侮辱する事だけだった。セオボールド提督は、
「1940年の三国協定(日独伊同盟)は……ルーズベルト大統領に一つの解答を与えた。其の条約の下では、日本との戦争は即ちドイツとイタリアとの戦争を意味する」
其処でルーズベルト大統領は腰を下ろした家鴨のような戦艦(如何に日本をびくびって、侮辱している言葉)で日本の攻撃を誘惑する為に、航空母艦を除いた太平洋艦隊を真珠湾に碇泊させていたのです(ここで主要な艦隊は碇泊していない事を告白している!愛)。疑いも無く、これがスターク提督が当に来りつつあるパールハーバー攻撃の警告をするのを、マーシャル将軍に止めさせた大統領の意図だったのです。
イギリス海軍のグレンフェル大佐は次のように書いています。
「普通の情報を与えられている人は誰でも、日本が卑劣な奇襲攻撃を仕掛けたと信じない者は無かった。だが政府中枢部では攻撃は十分に予期されていただけではなく、実際上欲せられていた。
ルーズベルト大統領が戦争を欲していた事は疑う余地は無いが、政治的理由から、最初の攻撃が相手方から加えられる事を望んでいた。其の為自尊心を持つ国なら、いかなる国でも武力に訴える他ない地点にまで日本に圧力を加えたのである。日本はアメリカ大統領によってアメリカを攻撃する事になっていた」
更にイギリスの生産相であったオリヴァー・リトルトンは1944年に、適切に纏め上げて次の様に言っています。
「日本は真珠湾を攻撃するように挑発された。アメリカが戦争に押し込まれたと云うのは、歴史の滑稽な言い換えである」
ルーズベルト大統領が真珠湾攻撃の舞台回しをし、(日本軍の)来襲がある事を知っていた事の最も反発出来ない証拠は、おそらくH・モンゴメリー・ハイドの『3603号室、イギリス諜報機関の話』に出ているものでしょう。この本はロックフェラーセンターの36階3603号室で執務していた、イギリス秘密機関長ウィリアム・ステフェンソンが、日本をアメリカとの戦争に引き込み、従って枢軸国との戦争へアメリカを引き込む事を、ルーズベルト大統領や他のアメリカ高官と謀議したその詳細を記述している。モンゴメリー・ハイドは更に詳細に述べています(以下、同書より引用)。
「ステフェンソンはイギリス籍で日本で50年過ごしたエージェントを、栗栖使節団に潜入させる事にある程度成功した。このエージェントは栗栖使節団のユキと云う人物に接触し、あらかじめ会話を盗聴する仕掛の設備をしたワシントンのアパートで幾回か
会った。
この記録から得られた情報は文書化され、そのコピーはステフェンソンによって毎日ルーズベルト大統領に届けられた。これは当時、暫く前から傍受解読されていた東京とワシントン間の外交電報を補強するものであった。
1941年11月27日、大統領は彼の息子ジェームズ・ルーズベルトに特別のメッセージを持たせてステフェンソンの所へ送ったが、其の意図はイギリス外務省もワシントンのイギリス大使館も未だ分かっていなかった。其の同じ日に、ステフェンソンは
其れをロンドンに送った。彼の電報は次のようなものだった。
『日本トノ交渉ハ打チ切ラレタ。軍ハ2週間以内ノ戦闘ヲ予期ス』
私は繰り返します。電報は『日本トノ交渉ハ打チ切ラレタ。軍ハ2週間以内ノ戦闘ヲ予期ス』 想像されるように、この電報はロンドンに巨大な激動を与えた。
其処でワシントンにいたハリファックス卿(訳注・駐米イギリス大使)に直ちに電報してその確認を求めた。ハリファックスは電報が届いた時にはヴァージニアに狩猟に出ていたが、彼は余儀なく馬から下りて大使館に帰り、自分はこのような事は何も知らな
いと返電した。他の至急報がロンドンから、今度はステフェンソン宛てに出されたが、其れは首相と閣僚が彼の情報源を知りたいというものであった。ステフェンソンは簡単に返電した。
『(情報源は)アメリカ大統領』
2日後11月29日に、コーデル・ハルはハリファックス大使に会い、其のニュースを公式に伝えた。其の際コーデル・ハルはこう言った。『日本との外交関係は事実上終わった。仕事は既に陸海軍の手に渡った。日本は今や突然に動き、其れも完全な奇襲の要素を持つであろう』」
(此れは全くの嘘である。戦争を仕掛けた人の言葉であるか。アメリカ国民に騙し続けただけの話でしょう。この言葉「仕事は既に陸海軍の手に渡った。」が出る事自体、奇襲の意味がないでしょう。今も報道関係にアメリカの悪魔の共産主義戦略の報道が行っている!愛)。
この素直なインタビューの一週間と少し後、驚きがどのように来たかは、歴史の問題です。
ヒルダー
12月7日の実際の攻撃のニュースに、ルーズベルト大統領と彼の閣僚達はどの様に対応しましたか。
ドール
ルーズベルト大統領の演説「汚辱の日」の驚愕と悲嘆の偽善的なイメージを破壊したのは、再び陸軍長官スチムソンでした。スチムソンは次の様に本当の事を述べました。
「日本が我々を襲ったとの最初のニュースが届いた時、私は何よりも先ず、ほっとした。この危機到来によって不決断の時は去り、アメリカ国民全体を結合出来るとの安堵の気持ちであった。急速に大きくなってゆく損害のニュースにも関わらず、この感情はず
っと支配的だった」
真珠湾の日に、上下両院の議員グループに対して、「攻撃された時以外には我が国が戦争に突入する事はない」と云う彼の(偽善的!愛)誓約を最も強く打ち出して、ルーズベルトは声を大にして主張した。
「さて我々は攻撃された。其の事に付いては何の疑問も無い」(***)
チャーチルは彼の『大連合』(著書)の中で、こう語っています。其の晩彼はウィナント大使、アベレル・ハリマン及び悪名高い外交問題評議会(CFR)のメンバー達と一緒にいました。ルーズベルトの言葉を引いて、ウィナントは最初に叫んだ。「それで良い。上手くいった」。チャーチルは言いました。
「私の二人のアメリカ人の友人はこのショックを称賛すべき不屈さで耐えた……実際、長い苦痛から解放されたとさえ思うだろう」
記録されたこの反応は、アベレル・ハリマンにとってほぼ計画通りであったのだろう。チャーチルはこの日の自分の事を、次の様に告白しています。
「其の晩(私は)救済され感謝に満ちた眠りを貪るべくベッドに入った。アメリカを我々の側に付ける事は私の最大の喜びであったと宣言しても、如何なるアメリカ人も私を非難する事はあるまい。其れは私が夢見、目指し、望んできた所であり、其れが今や
現実化したのだ」
ヒルダー
大佐、もう一度繰り返して頂けませんか。
ドール
宜しい。ルーズベルト大統領は言いました
「私は決して宣戦はしない。私は戦争を作るのだ」とね。
(これが、アメリカの軍事戦略の中枢の戦略である。決して防衛の為の戦争ではなく、囮(おとり)捜査と司法取引をする国であり、それと同じ意味する犯罪教唆の罪を犯している悪質な犯罪国家の軍事戦略をする国である事を忘れないで欲しい。共産主義戦略も基本的にアメリカと英国の中枢(ユダヤ)から出て来た軍事戦略の一つである。アメリカの戦略は、基本的にユダヤ戦略の一つ「必要とあれば我々の工作員(Agentur)を処刑して、我々が秩序回復の救い主として登場する(偽善行為)。」「経済的好況と恐慌を演出し、暴民をして我々の邪魔者を一掃させる。」「偽瞞の外交技術の必要。」「組織的な偽瞞の技術を発展させよ。」「各国法と国際法は、非ユダヤ人の文明を破壊する為に利用されねばならない。(今のアメリカ軍在留がそうでしょう)」の二つの戦略を用いて英国の清教徒革命以降の共産主義革命である。全てが国際金融財閥の戦略の一つである。本当の反共・自由主義戦士とは、これらのユダヤの偽善を使っての軍事戦略を反対し、「自由」と「放縦」の違いを区別する「愛のある10善戒」を守り、正直に生きる人達である事を忘れないで欲しい!愛)
ユダヤ戦略
●日本を挑発せよドール
このようにして真珠湾攻撃は、戦争に向かって微妙な政治的罠を、ルーズベルトに成功させたのです。この破局の一ヶ月後チャーチルは議会でこう語っています。
「アメリカは自身が攻撃されなくてさえも、極東の戦争に加わり、かくて最後の勝利が保証される、と云う可能性は、私がルーズベルト大統領とこれらの問題を語り合った大西洋会談(1941年8月14日)以来のものである」
チャーチルのこの驚くべき暴露に対して、ミシガン選出のヴァンデンバーグ上院議員は次のような驚愕したコメントで応じました。
「言葉を換えて言えば、チャーチルは初めてルーズベルトに会い大西洋憲章を書いた時、アメリカは日本が我々を攻撃しようとしまいと対日開戦すると云う、明らかに彼にとって満足のいくある種の保証を得たのだと。更に言葉を換えれば、我々はパールハーバー以前に、大統領によってこの戦争に立候補していたのだ」
ルーズベルト大統領と彼の搾取者の仲間は、「攻撃された場合を除いて」アメリカは参戦しないと云う、アメリカ国民に対する厳粛な制約を技術的に破る事無く、ウィシストン・チャーチルと他の同じ考えの勢力を満足させるべく、真珠湾攻撃を強く待望していたのです。このようにして武器貸与法ののち、アメリカはイギリス船の護送、イギリスに対する50隻の駆逐艦の贈与、更にはドイツ潜水艦の深度攻撃さえも行った――全て極端な非中立挑発――が、ヒトラーの報復を誘い出す事は出来ませんでした。このようにして、ルーズベルト大統領は焦り――そして彼の仕掛人達――は絶望的になったのです。外交問題評議会(CFR)のメンバーの一人、ルーズベルトの補佐官ハリー・ホプキンズは次の様に告白しています。
「スチムソンもマーシャルも、アメリカを参戦させないでは勝つ事は出来ないが、どうして参戦させるかについては知恵が出なかった。ルーズベルトは、彼に可能なギリギリの対ドイツ戦争挑発を行った。だがヒトラーは乗らなかった。彼にはもうトリックの
種(此れを行えば、基本的に宣戦布告をした同じ意味している!愛)は残されていない。彼が多くの兎を取り出した帽子は空になっていた」
最後に残されたトリックは日本を挑発し容赦なく侮辱する事だけだった。セオボールド提督は、
「1940年の三国協定(日独伊同盟)は……ルーズベルト大統領に一つの解答を与えた。其の条約の下では、日本との戦争は即ちドイツとイタリアとの戦争を意味する」
其処でルーズベルト大統領は腰を下ろした家鴨のような戦艦(如何に日本をびくびって、侮辱している言葉)で日本の攻撃を誘惑する為に、航空母艦を除いた太平洋艦隊を真珠湾に碇泊させていたのです(ここで主要な艦隊は碇泊していない事を告白している!愛)。疑いも無く、これがスターク提督が当に来りつつあるパールハーバー攻撃の警告をするのを、マーシャル将軍に止めさせた大統領の意図だったのです。
イギリス海軍のグレンフェル大佐は次のように書いています。
「普通の情報を与えられている人は誰でも、日本が卑劣な奇襲攻撃を仕掛けたと信じない者は無かった。だが政府中枢部では攻撃は十分に予期されていただけではなく、実際上欲せられていた。
ルーズベルト大統領が戦争を欲していた事は疑う余地は無いが、政治的理由から、最初の攻撃が相手方から加えられる事を望んでいた。其の為自尊心を持つ国なら、いかなる国でも武力に訴える他ない地点にまで日本に圧力を加えたのである。日本はアメリカ大統領によってアメリカを攻撃する事になっていた」
更にイギリスの生産相であったオリヴァー・リトルトンは1944年に、適切に纏め上げて次の様に言っています。
「日本は真珠湾を攻撃するように挑発された。アメリカが戦争に押し込まれたと云うのは、歴史の滑稽な言い換えである」
ルーズベルト大統領が真珠湾攻撃の舞台回しをし、(日本軍の)来襲がある事を知っていた事の最も反発出来ない証拠は、おそらくH・モンゴメリー・ハイドの『3603号室、イギリス諜報機関の話』に出ているものでしょう。この本はロックフェラーセンターの36階3603号室で執務していた、イギリス秘密機関長ウィリアム・ステフェンソンが、日本をアメリカとの戦争に引き込み、従って枢軸国との戦争へアメリカを引き込む事を、ルーズベルト大統領や他のアメリカ高官と謀議したその詳細を記述している。モンゴメリー・ハイドは更に詳細に述べています(以下、同書より引用)。
「ステフェンソンはイギリス籍で日本で50年過ごしたエージェントを、栗栖使節団に潜入させる事にある程度成功した。このエージェントは栗栖使節団のユキと云う人物に接触し、あらかじめ会話を盗聴する仕掛の設備をしたワシントンのアパートで幾回か
会った。
この記録から得られた情報は文書化され、そのコピーはステフェンソンによって毎日ルーズベルト大統領に届けられた。これは当時、暫く前から傍受解読されていた東京とワシントン間の外交電報を補強するものであった。
1941年11月27日、大統領は彼の息子ジェームズ・ルーズベルトに特別のメッセージを持たせてステフェンソンの所へ送ったが、其の意図はイギリス外務省もワシントンのイギリス大使館も未だ分かっていなかった。其の同じ日に、ステフェンソンは
其れをロンドンに送った。彼の電報は次のようなものだった。
『日本トノ交渉ハ打チ切ラレタ。軍ハ2週間以内ノ戦闘ヲ予期ス』
私は繰り返します。電報は『日本トノ交渉ハ打チ切ラレタ。軍ハ2週間以内ノ戦闘ヲ予期ス』 想像されるように、この電報はロンドンに巨大な激動を与えた。
其処でワシントンにいたハリファックス卿(訳注・駐米イギリス大使)に直ちに電報してその確認を求めた。ハリファックスは電報が届いた時にはヴァージニアに狩猟に出ていたが、彼は余儀なく馬から下りて大使館に帰り、自分はこのような事は何も知らな
いと返電した。他の至急報がロンドンから、今度はステフェンソン宛てに出されたが、其れは首相と閣僚が彼の情報源を知りたいというものであった。ステフェンソンは簡単に返電した。
『(情報源は)アメリカ大統領』
2日後11月29日に、コーデル・ハルはハリファックス大使に会い、其のニュースを公式に伝えた。其の際コーデル・ハルはこう言った。『日本との外交関係は事実上終わった。仕事は既に陸海軍の手に渡った。日本は今や突然に動き、其れも完全な奇襲の要素を持つであろう』」
(此れは全くの嘘である。戦争を仕掛けた人の言葉であるか。アメリカ国民に騙し続けただけの話でしょう。この言葉「仕事は既に陸海軍の手に渡った。」が出る事自体、奇襲の意味がないでしょう。今も報道関係にアメリカの悪魔の共産主義戦略の報道が行っている!愛)。
この素直なインタビューの一週間と少し後、驚きがどのように来たかは、歴史の問題です。
ヒルダー
12月7日の実際の攻撃のニュースに、ルーズベルト大統領と彼の閣僚達はどの様に対応しましたか。
ドール
ルーズベルト大統領の演説「汚辱の日」の驚愕と悲嘆の偽善的なイメージを破壊したのは、再び陸軍長官スチムソンでした。スチムソンは次の様に本当の事を述べました。
「日本が我々を襲ったとの最初のニュースが届いた時、私は何よりも先ず、ほっとした。この危機到来によって不決断の時は去り、アメリカ国民全体を結合出来るとの安堵の気持ちであった。急速に大きくなってゆく損害のニュースにも関わらず、この感情はず
っと支配的だった」
真珠湾の日に、上下両院の議員グループに対して、「攻撃された時以外には我が国が戦争に突入する事はない」と云う彼の(偽善的!愛)誓約を最も強く打ち出して、ルーズベルトは声を大にして主張した。
「さて我々は攻撃された。其の事に付いては何の疑問も無い」(***)
チャーチルは彼の『大連合』(著書)の中で、こう語っています。其の晩彼はウィナント大使、アベレル・ハリマン及び悪名高い外交問題評議会(CFR)のメンバー達と一緒にいました。ルーズベルトの言葉を引いて、ウィナントは最初に叫んだ。「それで良い。上手くいった」。チャーチルは言いました。
「私の二人のアメリカ人の友人はこのショックを称賛すべき不屈さで耐えた……実際、長い苦痛から解放されたとさえ思うだろう」
記録されたこの反応は、アベレル・ハリマンにとってほぼ計画通りであったのだろう。チャーチルはこの日の自分の事を、次の様に告白しています。
「其の晩(私は)救済され感謝に満ちた眠りを貪るべくベッドに入った。アメリカを我々の側に付ける事は私の最大の喜びであったと宣言しても、如何なるアメリカ人も私を非難する事はあるまい。其れは私が夢見、目指し、望んできた所であり、其れが今や
現実化したのだ」
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