長らくご無沙汰してしまいました。学部3年生、なかなかハードです。特にこの後期。
実験レポートが生活の全てを支配しています。問題なのがそのスケジュール、毎週火・木に実験があり、各1週間後にレポート提出。
火曜日にだすレポートを何とか間に合わせても、一息つく暇もないまま木曜日のレポートが迫っているという状態。
毎週、月~水あたりにピークを迎えます。最低でも6時間は寝ないといけない身体だと思っていたのですが、叶うはずもなく、2時寝・3時寝もざら。
それでも意外と身体を壊すこともないです。そして、日中の眠気もなし。これには驚きました。たぶん、睡眠サイクルの関係などで気持ち良く目覚めることのできる睡眠時間が、この2時~3時就寝あたりにもあるんでしょうね。
まぁ、いつか必ずツケが回ってくるでしょうので、なるべく早く寝られるようにうまいことやってみます。
ちなみに、今週は実験テーマの入れ替え週にあたっていて、レポート提出がありません。たった1週間ですが、貴重なインターバルです。
さて、理系学生がこんな日々を送っている中。
文系学生においては就職活動が始まっています。
もちろん、理工でも学部卒で就職しようとしている人はいるはずですが、私の周りでは見事に一人もいません。
学部全体の院進学率は7割ですがとても信じられず。
私の学科の就職率が低いのか、はたまた、私の交友関係が狭いのか…
割合としては文系の友人も非常に多いので、ふだんの会話からも就職活動関連のワードがだんだんと聞こえてくるようになります。
私のひとつ下の代、2015年度卒からは就職活動のスタートが4月?になるそうですが、私の代は12月スタートになります。
外資系などはもう始まっている(って結局前倒しでやってるじゃん、って感じですが)みたいですが、一般的にはいまは準備の期間。
様々なセミナーに出席したり、SPIと呼ばれる一般常識の勉強をしたりと、皆忙しそうにしています。
理系キャンパスにいるだけではこうした動きを感じられることはなく、来年度以降のための活動といえば、今ちょうど4年の配属研究室決めをしているタイミングです。
就職活動の動きを"感じることなく生活することが出来ている"といった感じでしょうか。
目を背けている訳ではないが、目を向けようとしていることもない。今やるべきことではないが、確実に近い将来、順番のまわってくるタスクである。
何か不思議な感じがしますね。
ちなみに、「院に行くから就職活動のことはまだ考えなくていいや」という空気は確かにあります。が、修士卒就職勢であればM1(修士1年)から就職活動をすることになるので、
実際は1年先送りになっただけなんです。
しかも、院の生活は主に修士論文を書くための研究になりますので、全て自分の責任においてやらなければならない。そして、必ず完成させないといけない訳で。
理系は一般的には就職は良いと言われますが、就職活動自体の難易度は実は文系のそれを上回るかもしれません。
就職活動に関するさまざまなお話はよく耳にします。けっこう残酷なやつも。
ほとんどの人にとって、「勉強」「スポーツ」という自分の得意分野だけではない、人間としての総合評価を下されるはじめての審判になる訳です。(それも、きわめて恣意的な方法で)
それはストレスフルなものになるはずです。
私が思うのは、みんな、「やりたい仕事」をおっかけ過ぎなのかなと思います。
「やりたいこと」を仕事に出来る人なんていうのはほんの一握り。
やりたくないけど一生懸命仕事をして、それで生きているひとが大多数です。
それなのに、「やりたいことを仕事にすることのみに価値がある」「人生を楽しくより良く生きるためには、好きなことを仕事にすることが必要である」
といった風潮がありすぎる。そう思います。
もちろん、夢を追うこと、理想の人生設計に向けて努力をすることは必要です。
でもいつかは折り合いをつけなければならない。
この折り合いをつけられない人が、就職活動のプレッシャーに負けて、自滅してしまうのかなと思います。
若者らしくない考えですが、現実的な話だと思います。
もう1点思うことは、大学3年にもなって、方向性を全く定めてない人が多すぎる。
あれこれと模索することも必要ですが、それは大学1・2年まで。3・4年は、そうして得たさまざまな可能性と選択肢を削っていく時期ではないでしょうか。
(こんなことを大学3年生が偉そうに言うのも変な話ですが)
「まだ何も成し得てない自分」=「何にでもなれる自分」=「何にもなれない自分」
将来の選択肢を切っていくことは、ある程度自分の能力に見切りをつけることです。
自分の能力に見合った人生設計を考えていくことです。
その見極めをせずに、いつまでも可能性を模索し、選択肢を増やし続けている。
その状態は確かに心地よいでしょう。でもいつまでもその状態を継続することは絶対出来ない。
もう20歳にもなれば、自分が凡人であるか、天才であるか判断できるはずです。
そして、その多くは前者です。
いわゆる「意識の高い」学生が胡散臭くみえ、馬鹿にされるのは、この「選択肢を削っていく」ことをしていないからではないか。
文系のみんながどんな就職活動をし、どんな会社に決まっていくのか。
とっても気になるところであり、かつ焦る部分でもありますが、この焦りには全く意味がない。
でも、「自分には遠く関係のない話だ」としてアンテナをしまってしまうのもいけないことでしょう。
難しい。距離感が難しいですが、みんなからはいろんな話を聞きつつ、理系学生としてのやるべきことを全うしていきたいと思います。
まずは、研究室決めないと…
実験レポートが生活の全てを支配しています。問題なのがそのスケジュール、毎週火・木に実験があり、各1週間後にレポート提出。
火曜日にだすレポートを何とか間に合わせても、一息つく暇もないまま木曜日のレポートが迫っているという状態。
毎週、月~水あたりにピークを迎えます。最低でも6時間は寝ないといけない身体だと思っていたのですが、叶うはずもなく、2時寝・3時寝もざら。
それでも意外と身体を壊すこともないです。そして、日中の眠気もなし。これには驚きました。たぶん、睡眠サイクルの関係などで気持ち良く目覚めることのできる睡眠時間が、この2時~3時就寝あたりにもあるんでしょうね。
まぁ、いつか必ずツケが回ってくるでしょうので、なるべく早く寝られるようにうまいことやってみます。
ちなみに、今週は実験テーマの入れ替え週にあたっていて、レポート提出がありません。たった1週間ですが、貴重なインターバルです。
さて、理系学生がこんな日々を送っている中。
文系学生においては就職活動が始まっています。
もちろん、理工でも学部卒で就職しようとしている人はいるはずですが、私の周りでは見事に一人もいません。
学部全体の院進学率は7割ですがとても信じられず。
私の学科の就職率が低いのか、はたまた、私の交友関係が狭いのか…
割合としては文系の友人も非常に多いので、ふだんの会話からも就職活動関連のワードがだんだんと聞こえてくるようになります。
私のひとつ下の代、2015年度卒からは就職活動のスタートが4月?になるそうですが、私の代は12月スタートになります。
外資系などはもう始まっている(って結局前倒しでやってるじゃん、って感じですが)みたいですが、一般的にはいまは準備の期間。
様々なセミナーに出席したり、SPIと呼ばれる一般常識の勉強をしたりと、皆忙しそうにしています。
理系キャンパスにいるだけではこうした動きを感じられることはなく、来年度以降のための活動といえば、今ちょうど4年の配属研究室決めをしているタイミングです。
就職活動の動きを"感じることなく生活することが出来ている"といった感じでしょうか。
目を背けている訳ではないが、目を向けようとしていることもない。今やるべきことではないが、確実に近い将来、順番のまわってくるタスクである。
何か不思議な感じがしますね。
ちなみに、「院に行くから就職活動のことはまだ考えなくていいや」という空気は確かにあります。が、修士卒就職勢であればM1(修士1年)から就職活動をすることになるので、
実際は1年先送りになっただけなんです。
しかも、院の生活は主に修士論文を書くための研究になりますので、全て自分の責任においてやらなければならない。そして、必ず完成させないといけない訳で。
理系は一般的には就職は良いと言われますが、就職活動自体の難易度は実は文系のそれを上回るかもしれません。
就職活動に関するさまざまなお話はよく耳にします。けっこう残酷なやつも。
ほとんどの人にとって、「勉強」「スポーツ」という自分の得意分野だけではない、人間としての総合評価を下されるはじめての審判になる訳です。(それも、きわめて恣意的な方法で)
それはストレスフルなものになるはずです。
私が思うのは、みんな、「やりたい仕事」をおっかけ過ぎなのかなと思います。
「やりたいこと」を仕事に出来る人なんていうのはほんの一握り。
やりたくないけど一生懸命仕事をして、それで生きているひとが大多数です。
それなのに、「やりたいことを仕事にすることのみに価値がある」「人生を楽しくより良く生きるためには、好きなことを仕事にすることが必要である」
といった風潮がありすぎる。そう思います。
もちろん、夢を追うこと、理想の人生設計に向けて努力をすることは必要です。
でもいつかは折り合いをつけなければならない。
この折り合いをつけられない人が、就職活動のプレッシャーに負けて、自滅してしまうのかなと思います。
若者らしくない考えですが、現実的な話だと思います。
もう1点思うことは、大学3年にもなって、方向性を全く定めてない人が多すぎる。
あれこれと模索することも必要ですが、それは大学1・2年まで。3・4年は、そうして得たさまざまな可能性と選択肢を削っていく時期ではないでしょうか。
(こんなことを大学3年生が偉そうに言うのも変な話ですが)
「まだ何も成し得てない自分」=「何にでもなれる自分」=「何にもなれない自分」
将来の選択肢を切っていくことは、ある程度自分の能力に見切りをつけることです。
自分の能力に見合った人生設計を考えていくことです。
その見極めをせずに、いつまでも可能性を模索し、選択肢を増やし続けている。
その状態は確かに心地よいでしょう。でもいつまでもその状態を継続することは絶対出来ない。
もう20歳にもなれば、自分が凡人であるか、天才であるか判断できるはずです。
そして、その多くは前者です。
いわゆる「意識の高い」学生が胡散臭くみえ、馬鹿にされるのは、この「選択肢を削っていく」ことをしていないからではないか。
文系のみんながどんな就職活動をし、どんな会社に決まっていくのか。
とっても気になるところであり、かつ焦る部分でもありますが、この焦りには全く意味がない。
でも、「自分には遠く関係のない話だ」としてアンテナをしまってしまうのもいけないことでしょう。
難しい。距離感が難しいですが、みんなからはいろんな話を聞きつつ、理系学生としてのやるべきことを全うしていきたいと思います。
まずは、研究室決めないと…