森の空想ブログ

あわび型銘々皿に載せるもの ー西日本新聞6月10日記事ですー[小鹿田焼ミュージアム溪聲館から<77>]



*記事原文です。

[あわび型銘々皿に載せるもの]

 江戸時代、日田は「天領」として栄えたため、さまざまな余禄があった。
 天領とは幕府が決める直轄地のことであるから、日田の一般大衆の手柄とは言い難いが、当時、幕府の威光を背景とした「掛屋」(金融業者)が隆盛を誇り、活発な商業活動が行われたこと、幕末期に門弟数千人が集った私塾「咸宜園」が、文化的・教育的風土を形成し、日田人の気風に影響を与え続けていることなどはその遺産であろう。
 日田の中央部を流れる三隈川には今も遊船が浮かび、鵜飼舟の篝火が川面を照らす。往時、大名や代官、豪商などを迎える席には、都ぶりの茶菓や小料理が並んだ。鮑型銘々皿は、そのような上方文化の流入と日田文化の融合を思わせる逸品である。山深い小鹿田の里で、このような粋を極めた「上手」の焼き物が焼かれたことも、余慶の一つと数えることができよう。
 さて、この精妙な鮑のかたちを形象した小皿には、どのような料理が載せられたものか。簗で獲れた鮎の刺身か、その鮎の真子(卵)を丹念に摺りつぶし、塩漬けにして発酵させた「うるか」、または鮠の甘露煮か。海の幸と縁遠い地では、川魚料理が技を競った。茶席ならば、日田のお菓子類だろう。さまざまに趣向を凝らした甘味にはこと欠かない。
 私ならば、一日、小野川の源流に入り、エノハ(ヤマメのこと)を釣ってきて、さらりと背ごしにして客を迎えることにしよう。窓から見える景色は一幅の山水画だ。かくして地酒を一献、という刻限となる。これは山郷のもてなし。
 

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