森の空想ブログ

森の空想ミュージアムと九州民俗仮面美術館のお知らせブログ

小鹿田焼復興事業支援金 の募集が始まりました。

2017年07月20日 | Weblog


下記は小鹿田焼復興事業 【小鹿田焼協同組合公式ページ】 からの転載です。

1,支援金募集の趣旨
平成29年7月5日に発生した北部九州豪雨により、国指定重要無形文化財「小鹿田焼」は、その原材料となる土を粉砕する唐臼(からうす)の損壊、水路の破損、登り窯の周辺部や原土を採取する山の崩落など、大きな被害を受けました。小鹿田焼は、宝永2年(1705)の開窯以来、明治時代末期まで甕・鉢・壺などの農家の日常雑器を製造し、昭和6年には民芸運動の指導者柳宗悦の来山により、その伝統的な技法と質朴・雄勁な作調が賞揚され、昭和45年には国の記録作成等の措置を講ずべき無形文化財に選択されました。

以降、今日まで主な原料の確保から、製造や加工、伝統的用具による製品製作に至る製作工程には、伝統的かつ地域的な技法が純粋に継承されています。

私たちは小鹿田焼協同組合では、本格的修理事業に向けて現在準備を進めていますが、窯元は家族単位で構成され、男子一人が窯を伝承する習慣が今なお続いており、それぞれの力だけでは完全な復興までには相当な時間を有すると危惧しております。

つきましては、今回の水害に伴う復旧事業に留まらず、これからも小鹿田焼を守り、将来へ伝えていくために、皆様のご支援を募るため「小鹿田焼復興事業支援金」を下記のとおり開設致します。皆様の温かいご支援・ご指導を宜しくお願い申し上げます。

2.支援金の使途について
以下の事項に係る費用として使用します。
・唐臼の修理に係る事業
・唐臼を稼働するための水路の修復事業
・登り窯とその関連施設の修復事業
・原土を採取する山の修復及び保全事業
・新たな原土山の採取整備事業
・小鹿田焼を将来へ継承するために必要な維持管理または普及啓発事業

3.受付期間
平成29年7月21日(金曜日)から
4.受付方法について
(1)金融機関への振込み
お近くの金融機関から、指定の下記口座にお振込みください。

[金融機関名]   大分銀行
[支店名]     日田支店
[口座種類]     普通
[口座番号]     7654798
[口座名義]     小鹿田焼復興事業支援金 代表 坂本工
(オンタヤキフッコウジギョウシエンキン ダイヒョウ サカモトタクミ)

振込み手数料について:振込については、手数料がかかります。

(2)現金書留・直接持参
現金書留や直接のご持参は誠に勝手でありますが、事務手続きの都合上受け付けておりません。
ご理解の程よろしくお願いします。

5.税制上の優遇措置について
小鹿田焼復興事業支援金は、特に税制上の優遇措置はありません。法人からのお振込の場合は、一般寄付金の取り扱いとなります。その場合は、振込票の控え、このホームページの写しが一般寄付の証明書にかえることができます。

6.小鹿田焼復興事業支援金について
小鹿田焼復興事業支援金(http://ontayaki.support)は小鹿田焼協同組合が設置し管理している公式ページです。
名称:小鹿田焼協同組合
所在:大分県日田市源栄町
代表:坂本工

     ☆☆☆
私(高見乾司)は来週、小鹿田焼の里と小鹿田ミュージアム溪聲館に行きます。19日にやっと一般車輌も通れる取り付け道路が開通するからです。その模様は随時報告します。皆さんのご支援、情報の拡散など、ご協力をお願いします。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

渓谷を遡行する 心身が再生される一日

2017年07月19日 | Weblog
東京から帰ってすぐに、東京の「不快な夏」のことを書いた。「不健康な夏」と言い換えてもいいだろう。だが、私は東京という街を憎んでいるわけではない。そこには大切な友人や仲間たちが暮らしており、私の絵を評価してくれる最高の「見者<けんじゃ>」たる鑑賞者がいる。古今東西の優品を収蔵した美術館があり、各種の美術展が日常的に開催されており、古書街がある。今度滞在した人形町のホテルの界隈には大正時代から続く喫茶店があり、ひと口喫したらため息が出るほど美味しいコーヒーを淹れており、間口一間ほどの蕎麦屋、天丼やオムライスなど、昭和の香り漂う洋食を提供し続けている小店も点在している。浅草では、鳥打帽を被った渋い男が、文庫本を読みながら、一人でビールを飲んでいる。こんな東京は、私は好きなのだが、反面、コンクリートで固められた街区、テレビに出番の多い候補者(都知事など)を選んでしまう軽薄な傾向、平気で嘘をつき続ける国の指導者などを選び、そのことに抗議の声も上げない「多数」の市民、道を行く無表情な群集などは嫌いである。画廊に来て、講釈を垂れるだけの美術マニア、断捨離とか終活とか言っている世捨て人のような老人たちも嫌いである。活力がなくて不健康である。それが現代の東京ではないか。



一日、米良の谷に入り、渓谷を遡り、ヤマメを追った。
――夏のヤマメは一里一匹(一里=4キロ)を歩いて釣果一匹
という格言のとおり、魚影は少なく、餌に飛びついてくるのは15センチ以下のちびヤマメばかりで、朝11時に入渓し、3時に釣り終えるまで、やっと2匹を得ただけだったが、満足できる釣行となった。梅雨期の雨で増水した渓谷は、所々、滝のような水が流れ落ち、飛沫が全身を濡らす。樹間を縫って、真夏の太陽が照りつける。その谷をまるで苦行を続ける修験者のように登りつめ、源流へと向かう。
釣り終えて、素っ裸になり、浅い流れに身を浸す。上流へ頭を向けて、流れの中に仰向けに寝転ぶと、水流が全身を洗いながら流れ下り、爽快である。
帰りに薬草を採取する。釣果はなくとも、この土産がある。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

東京の夏・宮崎の夏

2017年07月17日 | Weblog


東京・京橋、アートスペース繭での企画展を終えて、宮崎へと帰って来た。宮崎の暑さは激烈だが、東京の夏の暑さとは質が違って、むしろ心地よい。灼熱の暑熱が、身体中の余分な成分を、汗とともに蒸発させてくれるようだ。
今回の企画展でも、私は会期中の9日間、画廊にいて来客の相手をしたから、ぶっ通しで椅子に座り続けてクーラーの風に当り続けたわけである。それで、一週間目頃から、左後頭部に軽いしびれを感じるようになった。無数の虫が髪に止まって羽根を震わせているような不快な感触が、間歇的に現れるのである。最終日の朝は、それが首筋に広がっていた。それで、やっと、エコノミークラス症候群と類似の血流障害と神経症状だということに気づいたのである。
対策として、最終日の一日は、何度も室外に出て、銀座・京橋・日本橋界隈を散歩した。地下鉄の駅の100段もあろうかという階段を、駆け上がったり、神楽の神様たちの降臨の足取りを真似て降ったりした。その対応によって症状は改善したが、気分は最悪であった。
コンクリートの照り返しや空調の室外機の温風に蒸された風が、どっと吹きつけ、ビルの谷間から覗く太陽が、ぎらぎらと不気味に輝いて容赦なく照りつける。きわめて不健康な暑さ。それが、初めて東京の夏を体験した私の感想である。



東京から帰り、思いっきりビールを飲んで、裸んぼうで寝て、今朝は、留守中の片付けを兼ねて中庭の楠の大樹の下で焚き火をしている。焚き火の煙が、樹間を漂い、空へと昇ってゆく。これから、市場へ行き、明け方まで太平洋で泳いでいた魚を買って来て、ビールを片手に塩焼きで食べよう。これが、一日働いたあとの、夕刻の楽しみだ。明日は、九州脊梁山地の渓谷を遡り、一日中ヤマメを釣り、温泉に入って帰ろう。これにより、私の体調は完全に身回復する。宮崎の夏は、健康的で生命力に満ちている。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

本日、最終日です [高見乾司の神楽絵巻/アートスペース繭<7>]

2017年07月15日 | Weblog
「神楽絵巻展」の展示が終わった日、九州北部豪雨の第一報が入り、郷里日田・小野谷と「小鹿田焼ミュージアム渓声館」も被災地となっていることが分かり、以後、連絡を取り続けた。そして一昨日、やっと渓声館と小鹿田焼古陶コレクションの無事を確認でき、ほっと安堵の息を吐いたところで、展覧会の会期は終わりに近づいていた。

遅ればせながら、会場風景をアップしておきます。お近くの方、ご来場下さい。



狛犬や小鹿田焼などの背景に神楽の大作。



手前は「諸塚神楽荒神問答」20メートルの一部。向こうも「荒神問答」7メートルの一部。今回、多くの人がこの大作の全貌を見たい、と言って下さった。広い会場を探してみる、と申し出てくれた人も数人。作者としては手ごたえ十分、という展覧会となった。




仮面たちも静かに会場を見守ってくれている。いずれも室町~江戸初期頃の作。




会場内部。



会場夕景。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「小鹿田焼ミュージアム渓声館」は無事 被害の詳報が出始めた [高見乾司の神楽絵巻/アートスペース繭<6>]

2017年07月14日 | Weblog
北部九州豪雨・日田市小野地区山崩れの上流部にある「小鹿田焼ミュージアム渓声館は無事」という現地からの報告がありました。ご心配、ご配慮をいただいた皆さん、ありがとうございました。


・玄関前(外部)に約20センチの土砂が堆積。建物の損壊はなし。


・一階玄関付近の建物内部。浸水し、約2センチの土砂が堆積。


・二階への上がり口付近。1センチの土砂。企画ギャラリー部分への浸水はなし。展示中のテキスタイル・草木染め資料等にも影響なし。


・一階ショップ&喫茶部門への浸水はなし。

以上、被害は最小レベルといっていい状況です。撮影は一昨日現地入りした梅原館長。私は明日までの東京での企画展が終わり次第帰郷し、現地入りします。仲間たちも待機してくれています。

     ☆☆☆

孤立状態となっていた小野谷上流部・小鹿田地区への仮設道路が開通し、被害の状況が明らかになりつつあります。小鹿田の里では、唐臼が流失し、採土場の一部が崩壊するなど、深刻な被害が出ている模様。現地の人たちが元気に復旧作業に取り組んでいる様子も伝えられています。以下に記事を添付します。

◎毎日新聞2017年7月13日 東京朝刊
九州豪雨
孤立解消した地区 生活再建、いつに 散乱する流木・濁流跡 大分・日田

 九州北部豪雨で被災した大分県日田市では12日、大規模な土砂崩れが川をせき止め「土砂ダム」ができた小野地区と、鶴河内地区の孤立状態が解消した。

 午前10時過ぎ、帰宅する避難者らとともに開通した仮復旧道路を通って孤立化していた地区に入った。地区内には窯元10軒が集まる陶郷、小鹿田(おんた)焼の里がある。久しぶりに通る車を見て、窯元の小袋定雄さん(68)は「これで生活が保障された」と喜んだ。
 集落内には流木が散乱し濁流の跡が残る。孤立化した間、住民は道の泥をかき出したり、炊き出しをしたりと、協力して苦難に立ち向かった。
 窯元の坂本浩二さん(42)は「陶土を砕く作陶の生命線である唐臼4基のうち1基が濁流で流出した」と嘆く。小鹿田焼協同組合の坂本工理事長(53)は「問題は今後だ。陶土採掘場も崩れた。復旧に何カ月もかかる」と表情は険しい。

 鶴河内地区の梶原信雄さん(62)はスーパーで食料を買い込み車で帰宅した。これまでは徒歩で避難所と自宅を往復しており「これからは生ものも買って帰れる」と喜んだ。
 「土砂ダム」上流に住む井上博愛さん(66)は、6日に自衛隊ヘリで救出されてから初めて自宅を一目見ようと車を走らせた。至る所に転がる岩。屋根だけ残して潰れた家。自宅に近付くと異様な臭いが鼻をつく。その先には池でコイが折り重なって死んでいた。次の瞬間、見慣れた2階建ての自宅が目に入った。「無事だった……」。裏山から流木が押し寄せていたが、自宅の直前で止まっていた。
 だが、2階の窓から見る景色は一変していた。崩れた山肌。土砂ダムに沈んだ家。軒下に干されたままの洗濯物が風に揺れる。涙をこらえ、つぶやいた。「この集落に人が戻れる日は、いつやろうか」
 集落への道はつながったが、土砂ダムを迂回(うかい)する仮設道路の完成は早くて19日までかかる見込みで、地域内のインフラなどの復旧はこれからだ。市内の複合文化施設「アオーゼ」では仮復旧道路の開通の知らせに避難住民から歓声が上がった。だが「(帰宅には)軽自動車で車高が高い車で行くように」との市職員の説明に、ため息が漏れた。道路状況などから大きな車が通れないためだが、井下忠芳さん(66)は「軽自動車は自宅に置いたまま避難した。今日はいけないね……」と肩を落とした。

◎7月13日大分合同新聞朝刊
唐臼が身代わりに 小鹿田焼の里、数基流失

多くの唐臼が壊れた。陶工らは「5年前の豪雨災害よりひどい」と語る
唐臼が身代わりに 小鹿田焼の里、数基流失

 福岡・大分豪雨で、国指定重要無形文化財「小鹿田(おんた)焼」で知られる日田市小野地区の窯元が深刻な被害を受けていたことが12日、分かった。川の流れを利用し陶土をたたく木製の唐臼は濁流にのまれ、壊れていた。集落からは独特の音が消え、秋恒例の民陶祭は今年の開催が困難という。300年以上の伝統がある「小鹿田焼の里」は大きな試練に直面している。
 川沿いに10軒の窯元が連なる同地区の源栄(もとえ)町皿山集落は、大規模な土砂崩れでダム化した小野川の上流部にある。豪雨後は孤立状態が続いていたが、応急工事で1週間ぶりに道路が通じた。
 「ギー…ゴットン」という聞き慣れた、のどかな唐臼の音は聞こえない。救援活動などで上空を飛び交う自衛隊ヘリの音だけが山里に響く。
 集落には計約40基の唐臼がある。小鹿田焼協同組合理事長の坂本工さん(53)方は3基ある唐臼のうち1基が流された。「唐臼が身代わりになってくれたのかもしれない」
 他の窯元も濁流で唐臼は壊れ、少なくとも5、6基は押し流されていた。修理は地元の大工1人が担っているため、復旧には数カ月以上要する見通しという。
 被害は唐臼にとどまらず、材料となる原土の採土場にも及んでいる。昨年4月の熊本・大分地震で土砂崩れが発生。今年の梅雨明けに復旧工事に入る予定だったが、その採土場が再び崩れた。
 坂本さんは「こんな経験は初めてだ。5年前の豪雨災害よりもひどい」。観光客でにぎわう元の姿を取り戻すにはどれぐらいの時間が必要か分からない。
 「ここでは誰一人命を落とさなかった。今は(復旧・復興に向けて)地道にやっていくしかない」と話した。

<メモ>
 小鹿田焼は機械を使わずに、川の流れを動力にした唐臼、まきで焼く登り窯など、自然の力を生かした素朴な味わいが特徴。「はけ目」「飛びかんな」など、独特の文様を施した作品が人気を集めている。伝統的技法による独自の作風を守り続け、1995年に国の重要無形文化財に指定された。10軒の窯元が家族労働で作陶をしている。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

小鹿田の唐臼(からうす)が流されたという報 [高見乾司の神楽絵巻/アートスペース繭<5>]

2017年07月12日 | Weblog


九州北部豪雨日田・小野地区では、まだ孤立状態が続いているが、徐々にライフラインが復旧してきているようだ。「小鹿田焼ミュージアム渓声館」の収蔵品200点は無事のようだという報告があり、少し安心しているところ。今日、梅原館長が現地入りする予定だが、まだ断続的に雨が降っており、警戒が必要だという。
小鹿田焼の里を象徴する唐臼(上掲写真)6基が流されたという報も。唐臼の舟が流れていくのを見たという目撃情報もあるから、かなりの打撃を蒙っていると思われる。
小鹿田焼の生産は、まず地区の裏山から陶土を採掘し、唐臼(からうす)と呼ばれる陶土粉砕システムで砕くことから始まる。
唐臼とは木製の丸木舟のような構造の舟が、茶庭の「ししおどし」の原理で、上流から樋で引かれた水を受け、その水が一杯に溜まるとその重みでざあっと流れ落ちる。その反動で、反対側に設置されている杵が臼の中の土を砕くのである。水の音と杵が土を搗き続ける音が村里に響く。この土づくりに20日から1ヶ月を要する。それから、土捏ね、轆轤での成形と作陶作業が続いてゆくのである。そのもっとも基本となる土づくりの機能が失なわれれば、その後の生産は止まることとなる。
まだ小鹿田の情報は断片的にしか出てこないので状況は把握できない。以後の報告を待つことにしよう。


・西日本新聞記事です。



これは今回の企画に出品されている「ピッチャー」。同じような様式の「水差し」は古くからあり、台所の水注ぎや畑の肥料やりなどに使われていたが、バーナードリーチ氏の訪問により、洋の東西のデザインが融合して定番商品となった。このピッチャーはそのなかでも秀逸といえる作。



この小鉢は、昭和中期頃の作と思われる。斬新かつ瀟洒なデザインである。径は8センチほどの可愛らしいサイズで、底部にふっくらとしたふくらみがあり、鮎のうるかなどを載せる小皿としては最上のものである。小鹿田焼を代表するトビカンナや刷毛目技法は用いられず、白の化粧土の上に薄い茶色と緑の釉薬を一見無造作に刷毛で置いただけの作調だが、その闊達な筆さばきが文人好みの愛すべき意匠となった。

上記二点も今回の出品作。このような健全な器たちを生み出す小鹿田の里の一日も早い復旧を祈りつつ、東京のギャラリーで過ごす日々である。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

天土悠遠/「小鹿田焼ミュージアム渓声館」は無事という報[高見乾司の神楽絵巻/アートスペース繭<4>]

2017年07月11日 | Weblog


昨日、日田市の防災ヘリで担当者が被災地に入り、「小鹿田焼ミュージアム渓声館」の無事を確認したという報が入った。まずはほっと一安心。報告によれば、建物の外側(上流部)まで土砂が押し寄せ、館内は床上まで浸水、土砂が一部流れ込んでいるが、建物に損傷はなく、土砂を除去すれば大丈夫、という判断である。二階展示室は影響を受けていないだろうという見込みで、確認もしていないということ。ちょっと杜撰な視察という感じを受けるが、大切な小鹿田焼の古作コレクション約200点は、この大災害を耐え抜いたということを喜ぶべきだろう。

同日、私の弟・高見剛が現地入りした。契約しているインターネットメディアの取材を兼ねた訪問だが、彼は、由布院空想の森美術館閉館後、その息子の俊之とともに散逸しかけていた古小鹿田コレクションを守り通し、渓声館の開設に結びつけたという経緯を持つだけに、居ても立ってもいられない心境なのだろう。現場は、予想より、山崩れの規模は大きく、道路は寸断されて近づくこともできない。立ち入り禁止区域の外側で取材していたら、現地の人が軽トラックに乗せて迂回路を通り、上流部まで運んでくれた。が、渓声館のある「ことといの里」エリアまで近づくことは不可能だったという。
この未曾有の災害に直面した小野谷の男たちは、「避難所に居っても身体がなまるだけじゃ」と言い、村へ帰って土石や流木の片付け、迂回路の整備などを精力的に行っていた。細い谷には木の仮橋を架け、棚田には段々や梯子で上り下りできる道を作り、藪を切り開いて生活道路を切り開いてゆくのである。ここにも力強い山人たちがいた。

小野谷の男どもが再整備に取り組む道は、かつて小鹿田の里から日田へと通じた旧道に沿っているはずだ。天の恵みに感謝し、天の土をいただき、生活の器を作り続ける村へと続く道は、天空へと続くひとすじの道でもあった。
小鹿田焼の器を運び、天領日田の町の文物を山の村へと伝え、山伏や狩人が往来した道が、災害時の緊急道路となる。この深い山を巡り、小鹿田の里へと上ってゆく山道を造形した徳利を「山道徳利」(掲示の写真)という。地味な器肌に白土を筒描きで一気に往復させ、曲がりくねった山道を描きあげる。一升徳利を脇に置き、盃を傾ける山の男たちの風雅な一面を示す逸品である。
この意匠の器は現代も作られているが、この作は昭和中期頃のもの。



これは「雲助徳利」という。「うんすけ」と親しみを込めて呼ばれる愛称が、酒屋で一杯ひっかける駕籠かきからきたものかどうかは不明だが、他の語源を誰も思いつかないというから、当たらずも遠からずということだろう。明治期の優品。



「口付き徳利」という呼称がふさわしい。江戸から明治初期のもの。遠州高取の系譜をひく小石原焼の分窯である小鹿田焼は現在地に伝わり、およそ300年の時を経て、なおその様式、制作手法、一子相伝の伝承形態、のどなか村の風景などを伝えているが、この小さな徳利には、その遠州高取の様式に通じる「綺麗寂び」の美しさが残されている。野の花を一輪、投げ入れると、にわかに精彩を放つ器である。

*いずれも今回の企画に出品されている作品。「小鹿田焼ミュージアム渓声館」のコレクションから。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

小鹿田の里は無事という報が入った[高見乾司の神楽絵巻/アートスペース繭<3>]

2017年07月10日 | Weblog


「神楽絵巻」と名付けた大作群とともに小鹿田焼の逸品も展示されている。古い木彫の狛犬や神楽の絵と調和した居心地の良い空間に仲間たちが訪ねてきてくれて会話が弾む。
小鹿田焼の里は、日田市小野地区の大規模な山崩れ現場の上流部にあり、私と仲間たちが昨年開設し、運営する「小鹿田焼ミュージアム渓声館」(今回の出品も渓声館の協力による)もその中間地点にあるが、まだ詳細な情報が伝わって来ない。ニュースや仲間との連絡から入る情報も断片的なものだ。
けれども、私は同席していた九州出身の友人に、
「なあに、彼らは孤立した状況を受け入れ、今頃は一杯やりながら救援を待っているだろうよ」
と言った。友人も同感。九州の山の男どもは、極限状態になれば、思わぬ底力を発揮することを私は知っている。



昨日、ほぼ予想通りの小鹿田情報が入った。小野地区出身の日田市林業振興課の職員二人が自衛隊のヘリコプターで現地入りしたところ、
小鹿田の里では建物の被害はほとんどなくて、住民たちは、高齢者と子供たち、健康不安のある人などを救援へりで送り出した後、自力で隣接する池ノ鶴集落から下流部の和田集落までの約5キロの道を修復していたという。土砂を片付け、倒木を排出する作業は困難と危険を伴う重労働だが、彼らは、視察者二人に「ご飯を食べていきな」と声をかけるほど元気だったという。
山の男ここにあり。
小鹿田の里は大丈夫だ。
この逞しい山人(やまびと)たちから、「小鹿田焼」という健やかな「器」が生み出されることを、私は誇りに思う。

*小鹿田情報は毎日新聞の記事を参照しました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

[高見乾司の神楽絵巻/アートスペース繭<2>] アートスペース繭 夕景 神楽囃子が聞こえる

2017年07月09日 | Weblog
-->
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

災害見舞申し上げます 九州北部豪雨日田市小野地区の山崩れは故郷の村

2017年07月08日 | Weblog

・インターネットより転載

日田の皆さん、災害お見舞い申し上げます。大変なことになっていますね。僕は現在、東京での個展期間中です。一昨夜のホテルでのテレビニュースで一報。昨日、大規模山崩れの情報。昨夜からやっと持参のノートパソコンの使用ができるようになり、情報が少しずつ集まってきていますが、まだ現地の事情が分かりません。僕が通っている「小鹿田焼ミュージアム渓声館」の下手の道路が流失して、渓声館の確認へ行けない状況のようです。小鹿田の里も被害が出ている模様ですが、詳細は不明。東京では日田のニュースは数秒しか流れず、把握できません。山崩れ現場で負傷した一人に同級生がいるようですが、その他の仲間や友人、親族たちはいまのところ全員無事のようです。
中学・高校時代を過ごした地域、そして渓声館開館後はいつも通っている地区の被災に心が痛みます。まだ雨が降り続くという予報も。どうぞ、ご無事で、元気にお過ごしください。 (高見乾司)

・上記は昨日のフェイスブックに載せた記事。このブログへの転送ができていなかった。下記は今日のニュースと最新情報。



・記事は昨日(7月7日)の東京新聞より




・写真4点はNHKニュースから

この上流3キロほどのところに「小鹿田焼ミュージアム渓声館」があり、さらにその上流5キロのところに小鹿田焼の里がある。この山崩れのボリュームは空前の質量。山一つが落ちてきたといえるほどの凄まじさ。ダム化し、水没しつつある地点にある家は、同級生や知人の家など、手に取るようにわかる。右手の報にあるは家は川とはかなり遠い高台にある。ここまで土砂と水が押し寄せて来ているなどとは想像もできなかったことだ。小鹿田の「唐臼」の舟が流れていたという目撃情報もある。まだ、上流の村の様子は把握できていないようだ。
ここまでの情報は渓声館館長・梅原君との交信から。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加