ユッキーの釣り日記

『九州タイラバの会』の仲間と一年を通じて様々な釣りを楽しんでいます。

三ツ瀬の昔話(1)

2007年12月06日 | 三ツ瀬の昔話

私が三ツ瀬を訪れたのは 24年前の春
釣友の米倉氏と何も知らずに船着場に行くと1番船は出港した様子。
しばらくすると第7照三丸が帰ってきて、浜口省三船長(省チャン)が
『三ツ瀬に行くとか~』 と優しく声を掛けてきた。
荷物を積み込み出港するが、霧がかかっていて前がよく見えない。
30分ぐらい走っただろうか? 霧の中に三ツ瀬が見えた
何とも言えない神秘的な情景に心が震えたのを今でもハッキリと覚えている。

乗せて頂いた所は キリ瀬 (初回にキリ瀬に乗れたのはラッキーだった) 
道具を置いて準備しようとしたら先客の二人が何やら格闘しているではないか!
(私の記憶だと、パイプ氏&峰氏だった)
何だろうと見にいくと、上がってきたのは5kgオーバーの真鯛だった(;゜0゜)
我々はただ驚くばかり
『なんじゃこりゃー、あんなの無理~』┐(´ー`)┌
と話ながら 1.5号竿で仕掛を用意した。(そんな大きな仕掛持ってない

キリの沈み瀬との間を釣っていると、クロ、チヌがいい感じで釣れたが
何も出来ないまま『プッチ~ンと切られるアタリもあった。

それから三ツ瀬のファンになり毎週のように足を運んだ。
当時は 光隆丸 照三丸 は共同経営で、朝からどの船に乗るかなどの
『もめ事』 が発生していた ((((;゜Д゜)))

土日となれば船着場に40~50人の釣人が目をギラギラさせて ギラギラ
押し寄せていたので収集がつかない

客A :  
『俺がコブに行くぞ~( ̄ー ̄)』 

客B :  『なんやと~』 

客C :  『お前は2番船やろが~

((((;゜Д゜))) 

って感じで恐ろしい オッサン達の怒号 が飛び交う。
(考えてみると当時の磯釣はオッサン達の遊びで、20代の客は珍しかった。)

そこで当時大活躍していたのが饅頭(万重?)さんだ。
暗闇の中に大きな声が響き渡る。

『お前達はキリか~照チャンの船に乗れ~』 

『コブに行く奴はミッチャン(光隆丸 浜口三男船長)の船に乗れ~』

って感じでうまくまとめてた。

新人の我々はと言うと…『お前達は平やな、照チャンの船や』って感じで選択権は無かった。
それでも当時はどこに行っても釣れていたし、新人なので仕方ないと思っていた。

当時はミッチャン&奥様とまともに話した記憶が無い。
『また来たとや~』って感じで相手にしてくれなかった。
最近三ツ瀬に通いだした方は想像もつかないだろうが、ものすごく無愛想だった。(^_^)
瀬に降りる時も、モタモタしてると 『早う降りんか~ヽ(`Д´)ノ』 と怒鳴られていた。
(メッチャ怖かった

平と長手に通うこと3年、ある朝船に乗って出港を待っているとミッチャンが近づいてきて
『今日は凪ぎやけん、船の前に座っとけ。最初に龍神に着けるけん。』
と小声でつぶやき操舵席に歩いていった。
我々は耳を疑った
みんなで 『今なんて言った?龍神に行くって?降りてよかと?』
半信半疑のまま出港。

もちろん我々は船の前で座っている。
船が龍神へと近づいた
その時
『ほら~前の人~(名前は覚えてないらしい┐(´ー`)┌) 龍神に降りんね~』
とミッチャンの声 このチャンスを逃してなるものかと我々は慌てて降りた
4年目にして始めての龍神 ウヒョー
足しげく通った我々に対するミッチャンからのご褒美だったのだろう

『これで俺達も三ツ瀬の一員として認めてもらった(^~^)』
と変な自己満足ではあるが、とにかく感無量であった。

続く…

PS. 現在では若船長が各釣り師の要望を聞いて調整するので、釣り場の奪い合いなどでの
   揉め事は発生していません。安心して来て下さいね

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