昔の中国の戦乱期の人々の出合い系宿縁

中国戦乱時代。秦楚漢魏呉蜀でのさまざまな出会い、数奇な出合い系宿縁を。

中国史偉人ランキング3位・袁崇煥(英語訳 Yuan Chonghuan )

2021-05-22 09:21:13 | まゆみの英語学習法
昔の中国の戦乱期の人々の出会い系宿縁

3位・袁崇煥(英語訳 Yuan Chonghuan )



三位は、意外と知られていませんが諸葛亮(英語訳 Zhuge Liang)に擬えられる程の名将で、明王朝最後の皇帝である崇禎帝に仕えた袁崇煥(えんすうかん)です。

彼は、中国史上初めて砲撃戦をメインとした戦いで大勝を収めた人物です。

彼は清との国境付近の防衛の薄さに危機感を覚え、国境付近の警備を強めるよう上策します。

そして彼は清との国境付近の防衛に当たるようになります。

彼はまず群臣の反対を押し切って西洋の大砲を輸入、そして堅牢な要塞を築き防衛の拠点とします。

その後1626年に清のヌルハチが13万の大軍で攻めてきます。

が、なんと袁崇煥は1万程度の軍でこれを退けこれが原因とも言われますが清の初代皇帝ヌルハチが死去します。

そして清はこの袁崇煥という男が一筋縄ではいかない事を知ります。

ここで清がとった作戦は離間の計と呼ばれる計略で、王に将軍に対する猜疑心を植え付けるものです。

清は崇禎帝(英語表記 Chongzhen Emperor)の近辺に袁崇煥が謀反を企てているという噂をたてた為、猜疑心の強い崇禎帝はなんと袁崇煥を凌遅刑(英語訳 ingchi)(清の時代まで中国で行われた処刑の方法のひとつ。生身の人間の肉を少しずつ切り落とし、長時間にわたって激しい苦痛を与えたうえで死に至らす刑。)にしてしまいます。

これにより明の滅亡が決定したとも言われます。

袁崇煥は新しい兵器を積極的に取り入れる適応力、兵に対しても思いやりの深い性格、そして自ら戦線に出て戦い傷を受けても戦い続け軍全体の士気を上げる勇気が有りまさに明代の諸葛亮と言うに相応しい人物でしょう。
よって三位に選びました。


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