2016.1.15 紫天の独唱によせて詠める歌一首。

エルサレム
鷹舞いあがる大空の群青の果て
我も行くなり。

h.28.12.22

2016-12-22 20:06:40 | メモ
実存はそのものとしてはけっして普遍的ではなく、それゆえ特殊なものとして普遍的なもののもとに包摂されうるような事例ではない。しかし実存は現象として客観的となることによって同時に歴史学的特殊性をもった個体である。かかる特殊性はさらに普遍的な諸範疇のもとで概念化される。ただし、個体そのものはそれの事実性が無限であるがために汲み尽くされず、それゆえに陳述もされがたいことが概念化の限界である。しかしそのような個体はそのようなものとしてはけっして実存ではなく、さしあたっては世界現存在のきらびやかな豊かさにほかならず、この豊かさは問う者の知識からではないが、しかし彼の自己存在から、それの実存的根源性が要求されることもありうる。
実存と世界が一つとなることは見渡しがたい過程であるが、これはみずからそのうちに自覚して立つ者にのみ確実となりうる過程である。

h28.12.13

2016-12-13 20:09:17 | メモ
このような緊張は可能的実存から哲学することのうちに前提されている。知られうるものとしての世界と開明されうるものとしての実存は、弁証法的に区別されるとともに再び一つのものとして把握される。
知られた存在として世界存在は各人に普遍妥当的であるがゆえに普遍的である。その世界存在はすべての理性者にとって共通的なものであり、理性者はそのなかで同じ事物への志向をもつことによって共同体を形成する。かかる世界存在のうちにおいては、無限の現実的なもののうちで個物として或る種の規定を受けているものが妥当する。

h.28.6.30

2016-06-30 20:15:22 | メモ
私が出迎えようとしないならば、私がそれに向かって超越しうるであろうものは遠ざかって行ってしまう。なぜなら、そのものは自由にとってのみ、自由を通してのみありうるのであって、強制的なものはこれを全然もっていないからである。それゆえ、可能的実存はみずからを世界から区別し、この区別によって本来的に世界のうちに踏み入ることができる。実存はみずからの補足によって世界がありうるより以上のものを獲得するために、みずからを世界から解放する。実存は自己を実現すべき媒体としては世界に引きつけられ、単なる現存在へ没落する可能性としての世界には反発する。世界と実存は緊張のうちにある。両者は一つにもなれないし、相互に切り離れることもできない。

h.28.5.20

2016-05-20 20:46:45 | メモ
私が世界を見たり考えたり、世界のうちで生産したり形成したりしようとも、私はこれらすべてのことにおいて同時に、私に語りかける超越者の現象としてのもう一つ別のものを掴んでいる。世界はそのような現象としては知られておらず、むしろ世界は固定した存立としてはまるで失われてしまったかのようである。このような世界は時と人物におうじて、それどころか私の内的態度に応じてさえ交代する。その世界は各人に同じく、いずれの時にも同じくは語りかけない。私がその語りかけを聞こうと思うならば、世界に対して準備していなければならぬ。

h.28.4.20

2016-04-20 20:10:38 | メモ
そのような世界はもはや、単に認識する定位において私が知っている世界ではない。しかし世界を把握することにおいて私を満足させるものは両義的である。すなわち、一方では世界は私の現存在の快楽を満たすものとして欲求されるものであり、生命への盲目の意志は私を誘惑して世界へ導き、世界について幻滅を感じさせる。もとより私が現存しているかぎり世界を欲求することは私には避けられないが、しかしこの欲求は絶対的衝動としては私自身に対して破壊的となる。私はそのような衝動に対抗して私の可能的実現から発する、私がそこへ頽落する危険がある世界から我が身を解放せよ、という要求の声を聞くことになる。一一ー他方では私は私に身近なるものとしてきわめて身近かである世界のうちで超越することを遂行する。