実存はそのものとしてはけっして普遍的ではなく、それゆえ特殊なものとして普遍的なもののもとに包摂されうるような事例ではない。しかし実存は現象として客観的となることによって同時に歴史学的特殊性をもった個体である。かかる特殊性はさらに普遍的な諸範疇のもとで概念化される。ただし、個体そのものはそれの事実性が無限であるがために汲み尽くされず、それゆえに陳述もされがたいことが概念化の限界である。しかしそのような個体はそのようなものとしてはけっして実存ではなく、さしあたっては世界現存在のきらびやかな豊かさにほかならず、この豊かさは問う者の知識からではないが、しかし彼の自己存在から、それの実存的根源性が要求されることもありうる。
実存と世界が一つとなることは見渡しがたい過程であるが、これはみずからそのうちに自覚して立つ者にのみ確実となりうる過程である。
実存と世界が一つとなることは見渡しがたい過程であるが、これはみずからそのうちに自覚して立つ者にのみ確実となりうる過程である。