旧七月八日。明日は上弦の月。
東京湾大華火祭がありますが、空模様がよろしくないようです。
月も花火も湿りがちかな。
今日も佃住吉神社例大祭のレポートです。
月島・二之部の組織「若睦」に参加した私は、裏方の仕事に追われ、住吉神社で行われている儀式や行事などはほとんど観ることはできませんでした。それがちょっと残念でしたが、氏子地域全体のほぼ中心に位置する二之部にいれば、なんとなく全体が見えてくるようです。なんとなく町内を行ったり来たりしている御神輿の動きにも一つ一つに意味があるのですね。
8月6日(土)朝、大祭式という祭り本番スタートを告げるのろしのような儀式です。各町の御神輿は隊列を組んで清澄通りを北進し、佃島に集結します。
(↓清澄通りに大中小の御神輿が勢揃い。水をたっぷりかけてスタートを待ちます)
その後、住吉神社を宮出しした獅子頭を先頭に各部の御神輿が御旅所へと向かい渡御してゆきます。そして日が沈むまで町内を巡行します。住吉神社の神様を宿した御神輿が、氏子である町内の隅々を練り歩いてゆくのが御神輿や山車の巡行なのですね。巡行の途中で休憩するときには笛・鉦・太鼓による軽快なお囃子が囃され、気分がポーっと高揚してゆきます。
8月7日(日)にはいよいよ宮神輿が登場します。珍しい八角形をしていることから通称“八角神輿”と呼ばれる住吉神社の御神輿は天保九年(1838年)に製作されたのだそうです。(↓西仲通り商店街を渡御する八角神輿)
早朝に宮出しした八角神輿は午前中船に乗せられ船渡御に出て、東京湾晴海沖で海上祭を行います。午前中に行われるこの一連の儀式は観ることができませんでした。午後は八角神輿が西仲通りを通って御旅所への渡御を行います。八角神輿で燃え尽きたかに見えた担ぎ手の体力も「三年後まで担げない」という現実からか最後の力を振り絞ります。
三年に一度、神様が舞い降り町中を練り歩く、暑い熱い三日間がこれで幕を閉じるのです。
祭りに一歩踏み込んでみると、いろいろなものが見えてきます。見えてくると地元に対する意識が大きく変わってきます。地元の人たちのと距離がぐっと縮まります。
伝統、歴史、文化、継承、協調、情熱・・・大きなものを得た大祭でした。
佃・住吉神社の沿革はこちらをご覧下さい。