ときおり頂戴するメッセージの中で相変わらず多いのが、
神社との相性の有無です。
・・と前にも書いたような覚えがありますが、
やはり今でもたまに聞かれます。
合う合わない以前に、
こういう場合は行ったらどうなると思いますか?とか、
やっぱりやめたほうが良いんでしょうか?とか。
相性云々についての基本的な考えは前記事の通り、
大事なのは直感です。
本能や直感は、自分を幸せに導こうとしてくれる味方なので、
まずそれを一番に考えます。
それでも判断材料がほしい、指標となるものがほしいという場合は、
今の気持ちを生じさせているものが、「迷い」なのか「悩み」なのかを
見極めてみると良いのかもしれません。
私の場合ですが、
神社めぐりをする際はいつも計画段階からものすごく楽しくて、
行くぞーって思っただけでワクワクして、
予定通り無事帰宅できるという、確固たる自信のようなものが
自分を突き動かしてくれます。
行こうと思った瞬間から、そこで参拝してる自分の姿しか浮かんでこない。
だから、どの順序で参拝しようかなーとか考える事はあっても、
行こうかな、やめようかな・・なんて迷う事はいっさい無いです。
そもそも、迷った時はやりません。
(これは参拝に限らず。)
迷うのは、
物事に対してネガティブな印象や考えを抱いた時だから、
不安を抱えたまま、それを打ち消す理由を探しながら敢行しても、
まぁたいていはロクな結果にならない。
迷いは不安を増長させ、不安は心身を弱くして判断力を鈍らせる。
悩むのは、
物事をいかにプラスに持っていけるか努力しようとする、
前向きな葛藤。
結果がどうであれ、スッキリするし満足する。
一生懸命悩み、冷静に考え、納得して出した答えは、
その過程も含めて自分の糧となってくれる。
やってみたいけど難しいかな、どうしようかな・・。(=不安からくる迷い)
ってのと、
難しそうだけど、やってみようか・・。(=成長のための悩み)
とでは、
全然ちがうと思うのです。
なので、
参拝したいけどちゃんと行けるだろうか。神様は受け入れてくれるだろうか。
などといった不安が生じているのなら、
それが完全に消えるまでは参拝を見送ったほうが良いかもしれません。
不安を打ち消しつつ参拝して、その最中や前後に何かあったら、
きっと何でも悪いほうへ考えてしまう。
心がついて行かないのだから、今は“その時”ではないのでしょう。
もし、
その神社へ行くことが既に自分の中では前提となっていて、
天気悪そうだけど行ってみようか。願いごと聞いてもらえるかな。
という期待や高揚感を感じるなら、きっと素敵な参拝旅になると思います。
そんな時は憂鬱な雨天さえ清めの雨と思えるし、
アクシデントや苦労も、旅の良き思い出として心に刻まれて、
不思議な結びつきや御縁の存在すら感じられるかもしれません。
後ろ向きな時や、潜在意識が危険を察知した時に、迷う。
前向きな時や、潜在意識が成功を求めている時に、悩む。
どちらに進めばいいのか分からなくなったら、
迷っているのか悩んでいるのか
まずは己に問うてみるのが早道かなと思います。
相変わらずスピ的なお答えじゃなくてすみません(笑)。