水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

広島4 宮島 大願寺(厳島弁財天)・多宝塔 <広島県廿日市市宮島町>

2015-12-25 | ├ 広島(ひとり旅)

 

宮島つづき。

 

 

 

 

 

つづいては、厳島神社の西側にある大願寺へ。 <地図の1>

※地図は、下が北西の方角です。

 

 

護摩堂

撮影禁止なので写真はありませんが、
中におられた不動明王像に吸い込まれそうでした。

この像すごい。

香木である白檀を使って作られた、高さ約4メートルの大きな像なのですが、
「なんか望みがあったら言ってみ。」てなかんじで、気さくにグイグイくる。(゜ロ゜)

見た目に相反してとても優しい。

 

 

なので、今回の「無事に帰れますように」 のお願いは、この方に・・。

 

 

大願寺の正式名称は、亀居山方光院大願寺。

建仁年間(1201~1203年)の僧、了海が再興したと伝わる真言宗の古刹です。

明治の神仏分離令までは、
千畳閣(豊国神社)五重塔、多宝塔などにより形成される厳島伽藍の中心でもありました。

 

 

本堂には、
厳島神社から遷された弁才天像をはじめとして、重要文化財の仏像が数多く安置されています。

(本堂は昔の僧坊で、本来なら千畳閣が本堂になる予定だったそうです。)

この弁才天は、江の島(神奈川県)、竹生島(滋賀県)とともに、「日本三弁財天」と称されているもので、
弘法大師空海の作と伝わっています。

 

 

しばしば「弁天さん」などと称される、馴染みの深い弁才天(弁財天)さん。

神社の境内でも弁天社(厳島社)などをよく見掛けますが、
このお方、もちろん日本(神道)の神さまではありません。

仏教守護の天部神であり、元をたどればインドの河神さま(ヒンドゥー教の女神)です。

 

 

それがのちに仏教に取り込まれ、
日本では神仏習合により神道と混ざり合って独特の形へと変化。

神道の神と、仏教の尊格は、「同列の神」として認識され、
本地垂迹」という考えのもとに一体化されていきます。

 

 

本地垂迹とは、
神々の正体は 「権現(仏の化身)」 である とする考えで、
これは江戸時代まで続きました。

 

「神」というのは、仮の姿(垂迹)。

本来の姿(本地)は、「仏」・・。

 

要は、

つは仏さまが、人々を救うため神さまに変身してたんだよー。
変身中の名前は、「○○権現」だよー。(*・ω・*)

ってお話です。

 

 

 

しかしあくまで、神の正体=仏。

仏の正体が神という訳ではありません。

 

例えるなら、

)コナンくんの正体は、新一
×)新一の正体は、コナンくん

みたいな。

(え?)

 


(厳島弁才天 御朱印)

 

 

垂迹神』とされた日本古来の神々に対して、
本地仏』という言葉があります。

これは「本来の姿(本地)の仏」 という意味合い。

 

例として、

天照大神の本地仏=大日如来、大国主命の本地仏=大黒天、
事代主神や蛭子命の本地仏=恵比寿 などなど・・。

 

大国主さんの正体は、大黒さん(仏)。

事代主さんの正体は、恵比寿()さん。

って具合になってるから、
神社では2つのキーワードを同時に見かける事が多いんですね。

(神仏習合とかに興味なかった頃は、わけ分かんなかったなー。(-_-;)

 

 ※宗教的な解釈は様々なので、捉え方は諸説あります。

 

 

そして、弁才天は河神という性質ゆえに、
海上神の市杵嶋姫命や、国内各地の水神と習合し、同一視されます。
(のちには福神の性格から、宇賀神とも習合。)

もちろん、「市杵嶋姫=弁才天」なのではなくて、
「市杵嶋姫の正体は、弁才天である」 という解釈です。

 

市杵嶋姫命は、「仮の姿(垂迹)」 。
弁才天が、「本来の姿(本地)」。

だからメインは弁才天。

 

しかし明治の神仏分離令によって、神は本来の祭神に戻ります。

習合色の強い寺社は、神社か寺かの二者択一を迫られ、
神と仏の区別が明確となり、現在のような形が出来上がりました。

 

日本古来の神さんは、
くっついたり離れたりの紆余曲折を経て今がある。

よく考えたら、けっこう大変だわね。

そして、従来のものと新しいものを、習合という形で無理なく組み合わせて、
上手に神仏を信仰してきた日本人の寛容さもまた、特異なものだと思います。

 

 

 

九本松 (市の天然記念物

樹高30メートル、幹周3.6メートルの黒松で、伊藤博文公のお手植えとされています。

根元から9本に幹が分かれている珍しいもの。

 

 

厳島龍神

 

 

本尊の御使いである龍神を分祀しています。

 

 

 

ここも素敵なところだなぁ。

一帯の空気の流れがゆったりしてて、とても気持ちいい。

 

 

 

小さいながらも、繊細な細工が施されています。

龍さんも美形。

 

 

 

そうゆっくりもしていられないので、先へすすみます。

予想以上に見どころいっぱいなので、
できればじっくり2日ぐらいかけて周りたかったわー。

 

 

 

写真とってたら、急に視界に鹿さんが入ってきた。Σ(・ω・ノ)ノ

悠然と歩く鹿さん。かわいい。

 

 

 

大願寺を出たあとは、
お向かいにある多宝塔を目指して石段をのぼります。

 

 

 

石段あがったら、途中で素敵な木を発見してテンションUP。(樹木マニア)

 

 

 

こんな不意打ちで現れるもんだから、うれしくて長々と居座ってしまったよ。

誰も登って来ないので心おきなく撮影できます。

 

 

 

めっちゃ自分好みの樹で、なかなか先へ進めない(笑)。

変形してる巨木とか穴あいてるのとか好きだわー。

 

 

 

また後でねと思いつつ、先へ。

 

 

そのまま石段を上がれば多宝塔の正面へと行けるのですが、
この木に引っ張られるように、左へ曲がります。 <地図の2>

 

 

その先に道はなく、階段状になっている木の根をまたいで坂をのぼる。

 

 

すると、多宝塔の裏側に出ました。

正確には、塔の右側背面になるのかな。

 

 

横を向くと、厳島神社の全景が。

 

 

さきほど訪れた五重塔と、その左に豊国神社

手前左には大願寺の山門が写っています。

 

潮が満ちて地面が見えているので分りにくいですが、写真の左側が海。

厳島神社は、正面を海(左)に向けているので、
いちばん手前が西回廊になります。

 

 

多宝塔 (国の重文)

高さ15.6メートル。

1523年に僧の周歓が建立したとされ、神仏分離令までは薬師如来像を祀っていました。
(像は大願寺に移され、建物は嚴島神社に帰属しています。)

屋根は上層・下層とも方形ですが、
柱は上層が円形、下層が方形という、ちょっと変わった構造です。

 

 

厳島合戦においては、陶軍が最初に陣を敷いた場所であり、
勝山城跡でもあります。

 

 

通常この塔の正面へは、向かって左側から登ってくる形となります。

私はショートカットで背面から上がってきたんで、右側から。

 

さきほどの素晴らしい光景は、ここからは見られません。

ぜひ塔の右側裏手に回って景色を堪能してみて下さい。(゜▽゜)

 

 

 

帰路、石段から見えた景色もまた素敵でした。

このあたりは桜の名所だそうなので、
春になるとまた素晴らしい光景が広がっているのでしょうね。

 

では、ようやくメインの厳島神社へ・・。

 

 

その5へつづく。

 

 

 

 


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