宮島つづき。
つづいては、厳島神社の西側にある大願寺へ。 <地図の1>
※地図は、下が北西の方角です。
護摩堂
撮影禁止なので写真はありませんが、
中におられた不動明王像に吸い込まれそうでした。
この像すごい。
香木である白檀を使って作られた、高さ約4メートルの大きな像なのですが、
「なんか望みがあったら言ってみ。」てなかんじで、気さくにグイグイくる。(゜ロ゜)
見た目に相反してとても優しい。
なので、今回の「無事に帰れますように」 のお願いは、この方に・・。
大願寺の正式名称は、亀居山方光院大願寺。
建仁年間(1201~1203年)の僧、了海が再興したと伝わる真言宗の古刹です。
明治の神仏分離令までは、
千畳閣(豊国神社)、五重塔、多宝塔などにより形成される厳島伽藍の中心でもありました。
本堂には、
厳島神社から遷された弁才天像をはじめとして、重要文化財の仏像が数多く安置されています。
(本堂は昔の僧坊で、本来なら千畳閣が本堂になる予定だったそうです。)
この弁才天は、江の島(神奈川県)、竹生島(滋賀県)とともに、「日本三弁財天」と称されているもので、
弘法大師空海の作と伝わっています。
しばしば「弁天さん」などと称される、馴染みの深い弁才天(弁財天)さん。
神社の境内でも弁天社(厳島社)などをよく見掛けますが、
このお方、もちろん日本(神道)の神さまではありません。
仏教守護の天部神であり、元をたどればインドの河神さま(ヒンドゥー教の女神)です。
それがのちに仏教に取り込まれ、
日本では神仏習合により神道と混ざり合って独特の形へと変化。
神道の神と、仏教の尊格は、「同列の神」として認識され、
「本地垂迹」という考えのもとに一体化されていきます。
本地垂迹とは、
神々の正体は 「権現(仏の化身)」 である とする考えで、
これは江戸時代まで続きました。
「神」というのは、仮の姿(垂迹)。
本来の姿(本地)は、「仏」・・。
要は、
じつは仏さまが、人々を救うため神さまに変身してたんだよー。
変身中の名前は、「○○権現」だよー。(*・ω・*)
ってお話です。
しかしあくまで、神の正体=仏。
仏の正体が神という訳ではありません。
例えるなら、
○)コナンくんの正体は、新一
×)新一の正体は、コナンくん
みたいな。
(え?)
(厳島弁才天 御朱印)
『垂迹神』とされた日本古来の神々に対して、
『本地仏』という言葉があります。
これは「本来の姿(本地)の仏」 という意味合い。
例として、
天照大神の本地仏=大日如来、大国主命の本地仏=大黒天、
事代主神や蛭子命の本地仏=恵比寿 などなど・・。
大国主さんの正体は、大黒さん(仏)。
事代主さんの正体は、恵比寿(仏)さん。
って具合になってるから、
神社では2つのキーワードを同時に見かける事が多いんですね。
(神仏習合とかに興味なかった頃は、わけ分かんなかったなー。(-_-;)
※宗教的な解釈は様々なので、捉え方は諸説あります。
そして、弁才天は河神という性質ゆえに、
海上神の市杵嶋姫命や、国内各地の水神と習合し、同一視されます。
(のちには福神の性格から、宇賀神とも習合。)
もちろん、「市杵嶋姫=弁才天」なのではなくて、
「市杵嶋姫の正体は、弁才天である」 という解釈です。
市杵嶋姫命は、「仮の姿(垂迹)」 。
弁才天が、「本来の姿(本地)」。
だからメインは弁才天。
しかし明治の神仏分離令によって、神は本来の祭神に戻ります。
習合色の強い寺社は、神社か寺かの二者択一を迫られ、
神と仏の区別が明確となり、現在のような形が出来上がりました。
日本古来の神さんは、
くっついたり離れたりの紆余曲折を経て今がある。
よく考えたら、けっこう大変だわね。
そして、従来のものと新しいものを、習合という形で無理なく組み合わせて、
上手に神仏を信仰してきた日本人の寛容さもまた、特異なものだと思います。
九本松 (市の天然記念物)
樹高30メートル、幹周3.6メートルの黒松で、伊藤博文公のお手植えとされています。
根元から9本に幹が分かれている珍しいもの。
厳島龍神
本尊の御使いである龍神を分祀しています。
ここも素敵なところだなぁ。
一帯の空気の流れがゆったりしてて、とても気持ちいい。
小さいながらも、繊細な細工が施されています。
龍さんも美形。
そうゆっくりもしていられないので、先へすすみます。
予想以上に見どころいっぱいなので、
できればじっくり2日ぐらいかけて周りたかったわー。
写真とってたら、急に視界に鹿さんが入ってきた。Σ(・ω・ノ)ノ
悠然と歩く鹿さん。かわいい。
大願寺を出たあとは、
お向かいにある多宝塔を目指して石段をのぼります。
石段あがったら、途中で素敵な木を発見してテンションUP。(←樹木マニア)
こんな不意打ちで現れるもんだから、うれしくて長々と居座ってしまったよ。
誰も登って来ないので心おきなく撮影できます。
めっちゃ自分好みの樹で、なかなか先へ進めない(笑)。
変形してる巨木とか穴あいてるのとか好きだわー。
また後でねと思いつつ、先へ。
そのまま石段を上がれば多宝塔の正面へと行けるのですが、
この木に引っ張られるように、左へ曲がります。 <地図の2>
その先に道はなく、階段状になっている木の根をまたいで坂をのぼる。
すると、多宝塔の裏側に出ました。
正確には、塔の右側背面になるのかな。
横を向くと、厳島神社の全景が。
手前左には大願寺の山門が写っています。
潮が満ちて地面が見えているので分りにくいですが、写真の左側が海。
厳島神社は、正面を海(左)に向けているので、
いちばん手前が西回廊になります。
多宝塔 (国の重文)
高さ15.6メートル。
1523年に僧の周歓が建立したとされ、神仏分離令までは薬師如来像を祀っていました。
(像は大願寺に移され、建物は嚴島神社に帰属しています。)
屋根は上層・下層とも方形ですが、
柱は上層が円形、下層が方形という、ちょっと変わった構造です。
厳島合戦においては、陶軍が最初に陣を敷いた場所であり、
勝山城跡でもあります。
通常この塔の正面へは、向かって左側から登ってくる形となります。
私はショートカットで背面から上がってきたんで、右側から。
さきほどの素晴らしい光景は、ここからは見られません。
ぜひ塔の右側裏手に回って景色を堪能してみて下さい。(゜▽゜)
帰路、石段から見えた景色もまた素敵でした。
このあたりは桜の名所だそうなので、
春になるとまた素晴らしい光景が広がっているのでしょうね。
では、ようやくメインの厳島神社へ・・。
その5へつづく。