水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

熊野本宮大社-1 <和歌山県田辺市本宮町本宮>

2016-07-18 | ├ 和歌山(ひとり旅)

 

熊野速玉大社熊野那智大社への参拝から約1カ月。

曇りがちの日々が続く中、ようやく青空が拝めそうな天気となったので、
熊野本宮大社を参詣するため再び和歌山県へ。

 

 

 

 

 

 

前回と同じく、名古屋からワイドビュー南紀で新宮市へ向かい、
本宮大社へは新宮駅からバスで移動します。

 

 

本当はその10日ほど前に行く予定だったんですが、
天気がイマイチだったので止めたんですよね。

そしたらちょうど予定してた日に和歌山で三重県南東沖を震源とする地震があってびっくり。
延期して正解でした。

 

 

新宮から大社まで行くバス会社は4社ありますが
13:34に新宮市へ到着した場合は、12:15発の熊野交通バス一択となります。

12:15発 → 13:34着 ということで、片道1時間20分ほど。

戸隠神社(長野県)や椿大神社(三重県)でも、駅からバスで1時間ほどだったから、
1時間半近くってのは結構長いよね

 

 

熊野交通バスは、駅を出てすぐの所にあるバスターミナルから発車します。

ちょうど左の銅像の足元あたりに、
これから乗車する黄色いバスが見えてます。

 

 

こんなところにも八咫烏

かわいーわ。

 

 

 

道中、神倉神社らしきものを見掛け、すかさずシャッターを押す。

タイミングよくバスの停車中だったので、じっくりと目を凝らして山腹を見てみましたが、
よくわからなかったので後ほどカメラの画像を拡大チェック。

 

 

あぁ映ってたー

ゴトビキ岩と拝殿だーー。

時間の都合で諦めたけど、ほんとはここも行きたかったんだよな。

 

 

パンフ画像で我慢して、脳内参拝。

 

 

(この御朱印は、前回の熊野速玉大社でいただいたものです。)

 

 

新宮川沿いの上り坂を走っていきます。

 

 

川の光景を楽しむため、右側の座席に座りました。

きれいねー

 

 

 

移り変わる車窓の景色に夢中になっていたので、
1時間半近くの道程もまったく苦にならない。

たぶん何時間でも楽しんでいられる。

 

 

終盤は、バス一台がギリギリ通れる程度の道幅となり、
対向車が来るとバスがバックして道を譲ったりしていました。

左は山肌、右は崖。そして現場は急カーブ・・。

そんな環境で、ほそーい道をバックで下ること数回。

ちょとでも道を踏みははずしたら終わりだよな・・と内心ドキドキ。

 

 

 

長い道のりで後半からうつらうつらしていた乗客も、たぶん同じ気持ちだったのでしょう。

みなさんおもむろに起きて前方を見据え、行く末を見守っているかのようでした。

 

 

でもそこは、さすが運転手さん。慣れたもの。

何事もなく無事に本宮大社前に到着しました。

 

 

熊野本宮大社

バス停の目の前が社頭です。

 

 

 

 

氏子さんたちが、二日後から始まる例大祭(本宮祭)の用意をしています。

 

 

大鳥居の扁額。

 

 

 

境内から外をのぞむ。

 

 

石段が続く参道をすすみます。

 

 

参道を歩いていてまず目に入ったのがこの小さなお社。

字が消えていて何の祠なのか分からなかったけど、
いい空気だったので一枚写真におさめました。

あとで伺ったら、こちらは戦没者慰霊のためのお社でした。

 

 

基本的に、祖霊社とか慰霊碑の類は、普段カメラで撮らないんですよね。

護国神社も同様に。

やっぱり、
一般的な御祭神と、氏子先祖や戦没者の御魂とでは、意味合いが違うと思うし、
なんかねー、お墓にカメラ向けるような気がするのよ。

寺院の境内にある墓地を写さないのと同じ感覚かな

 

なので、靖国神社へ行っても写真を撮ることは無いでしょう。

(今年も終戦記念日の靖国参拝は叶わない気がするわ・・。いつ行けるのかしら。)

 

 

境内社 祓戸大神

 

 

足を止める人は少なかったですが、
どの神社でも、順序としてはまずここで穢れを落としてから、聖域へ入ります。

 

 

手水舎

手水で身を清める行為は、禊の儀式を簡略化したものなので、
お参りの前にこちらも忘れずに。

 

 

 

 

神門の手前に旧社号標がありました。

現在、熊野本宮という名称で通っていますが、
本来は、古くからの社名でもあった
「熊野坐神社(くまのにいますじんじゃ)」が正式名称です。

 

 

「官幣大社 熊野坐神社」と書かれた旧社号標。

 

熊野本宮大社は式内社(延喜式神名帳に記載の「熊野坐神」の論社)であり、
名神大社でもあります。

明治時代の近代社格制度で国弊中社、さらに大正時代には官幣大社へと昇格し、
現在は神社本庁の別表神社となっています。

(よって、8世紀に誕生した「官幣大社」とはまた別のものになります。)

 

 

社名のそばに、「式内社」「郷社」などと書いてあったりする神社が、
たまにありますよね。

今でこそすべての神社には序列が無い(伊勢神宮を除く)ってことになってますが、
もともと神社には様々な社格(格付け)がありました。

主な社格を成立順(※諸説あり)にざっと並べると、

・8世紀
  
官社」 (祈年祭において、朝廷から班幣を受ける社。
        のちに「官幣社」と「国弊社」に二分され、それぞれが大社と小社に分かれる。)

・9~10世紀
  「二十二社」 (国家の一大事に朝廷が奉幣した有力神社)

・10世紀
  「式内社」 (平安時代成立の「延喜式神名帳」に記載された社)
  
名神大社」 (式内社のうち、霊験が著しいとされる「名神」を祀る社)

・11~12世紀
  「一宮」 (律令制下の「国」における最有力神社で、国司神拝が最初に行われる。)
  
総社」 (国司による巡拝の労を軽減するため、国府近くにまとめて合祀された社。)

・19世紀
  「勅祭社」 (「勅祭」(祭礼に際して天皇の勅使が遣わされる)を行う社)
  
官社官幣社国弊社)」・「諸社府社県社郷社)」・「無格社
         (延喜式による社格にならって新設された、近代社格制度によるもの)

・20世紀
  「別表神社」 (神社本庁が包括する、旧官国弊社など一部の有力社。
           戦後に廃止された近代社格制度に代わるもの。)

 

こんな感じになります。

この中でどれが一番ランクが上なの?って話になるとまた長くなるので割愛しますが、
いずれにせよ、神社で「官幣大社」・「国弊大社」・「名神大社」・「二十二社」・「勅祭社」
・・・などといった表記を見かけたら、
と~っても由緒ある神社・格式の高い神社(だった/である)・・と思って下さい。

あ、その他に「正一位」や「従一位」となどの神階がついてる社も同様に。

 

 

神門

 

 

「神を父 仏を母にいただきて・・」。

神仏習合を表現する言葉の中では、いちばん好きなフレーズかも。

 

 

なにやら素敵な注連縄が。

 

 

これ八咫烏さんよねー。

芸術だわ。

 

 

 

ここでも祭りの準備。

例大祭かあ。見たかったな。

でも普段の静かな境内が好きなので、またの機会にね。

 

 

神門の扁額。

この渋さがたまらない

 

 

では、いざ中へ。

その2へつづく・・。

 

 

 

 

 

 

 


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