水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

豊橋市 3 湊築島弁天社 <愛知県豊橋市湊町>

2015-03-29 | ├ 愛知(ひとり旅)

 

ということで、湊築島弁天社です。

 

 

 

 

 

 

湊神明社の東側に隣接する湊町公園内の、池の中の島に鎮座します。

 

 

 

公園側の鳥居。

豊川の堤防沿いに歩いたので、実際はこっちから入りました。

 

 

この鳥居、シンプルですてき。良いなあ・・。

朱塗りの堂々たる鳥居も美しいけれど、こういった素朴なのも好きです。

豪華な本殿より山の中の磐座に惹かれるってのと一緒。

 

 

 

あっち側が公園です。

 

 

神橋を渡りまーす。

 

 

うわ。

もうチラっと見ただけで鳥肌が立ってしまったよ。

なんかビームでも出てるかのごとく、神々しさがハンパないのですが。

 

 

御祭神:天照皇大神

相殿神:豊受姫大神

 

国の登録有形文化財です。

 

 

 

現地にいるときは気付かなかった。

あんなところに「辧」の文字があったのね。

 

 

かわいい。

 

 

弁天社は、戦国時代に琵琶湖の竹生島から弁財天を勧請し、
後の1683年(天和3)に神明社の境内に建立されたことに始まります。

1795年(寛政7)には現在地に遷座し、現在の社殿はその当時のものだそう。

 

明治初期、廃仏毀釈によって市杵島姫命が祀られ、市杵島社と改名。

のち、第二次世界大戦のあとに旧名に戻し、築島弁天社と呼ばれています。

 

琵琶湖の竹生島から弁財天を勧請・・というのはよくあるお話ですが、
ここは地域的にも竹生島と深い由縁のあるところ。

神社のすぐ西、現在の船町という地域に、
浅井与次右衛門という人が一族郎党83名とともに移り住んでいました。

1590年池田輝政の入城後は庄屋役に任命され、親類縁者、町内の者ら全てが水主を務めます。

そして東軍の将兵を鳥羽まで運漕した功績により、舟役を命ぜられたとのこと。

 

 

 

滋賀県の竹生島に面する湖北東部は古くから浅井郡といわれ
住人はみな竹生島の氏子であるとされ、その祭祀を担ってきたとされます。

竹生島の浅井姫命は、浅井氏の氏神ともされ
戦国浅井家も地方の一豪族だった頃から竹生島を代々厚く信仰していました。

浅井三姉妹の江なども、徳川家に嫁いだ後も竹生島に仏具などを寄進して、
竹生島を信仰し守り続けています。

 

そんなわけで、近江の竹生島からこの地に弁財天を勧請したのは、
そういった事情も大いにあったのかなーとも思ったりしました。

 

 

 

 

外陣の格天井

吉田藩の御用絵師であった稲田文笠と、
その一門による四季折々の草木が描かれた絵が、
天井にはめ込まれています。

 

 

光の加減によっては暗くてよく見えませんが、豪華絢爛。

とても美しいですね。

 

 

 

 

 

弁天社の両側には、少彦名命と大国主命。

 

 

 

湊神明社と湊築島弁天社。

いづれも温かく穏やかな場所でした。いいなぁここ。

弁天社の前でじっとしていると、心身のモヤっとしたものが和らぐかもしれません。

 

他の参拝客が社殿にヘやたら゛タベタさわってたけど・・。

どこの神社もそうだけど、さわったり撫でたりしたら何かもらえるとかって、
気のせいだからね。(´-ω-`)

人だって神さまだって、勝手にズカズカ家の中に入られてあちこち触られんのイヤだと思うのよ。

毎回言うけど、神社は何かもらいに行くとこじゃなくて感謝しに行くところだから。

 

では次の神社へ・・。

 

 

 


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