よき故郷を次代へ

どこで生まれようが、そこが故郷。日本にうまれてよかった!と思える幸せ。幾多の先人の素晴らしい遺産を・・・

黄金松茸?

2016-09-30 22:14:01 | 日記
9月30日

 昼前、近くの歯科医院へ行く途中、雑木林の土手に見つけました。その大きさと金色の傘にびっくり。初めてみます。歯科医院から帰りデジカメをもって現場へ。近くのFさんが出てきて「大きいねえ。食べれるかなあ」「さあ、毒キノコは少ないから食べられるかも。よう食べんけど」と私。そばのマッチ箱と比べてください。写真ではもう一つですがすべすべの金色でした。
 昔(5.60年前)このあたり一帯赤松林で松茸がよく取れたと聞きました。その山は住宅団地・工場団地・ゴルフ場・レジャー施設・防災公園等になってしまい、わずかに残された赤松は、松枯れでなくなり、アベマキやコナラの雑木林です。
 私が家を建てた30年前は砂利の侵入路の両側にアカマツ林が残り、「この先に家があるとは思えなかった」と訪問してくれた友達が言っていたことを思い出します。

「ばん」をまじかに

2016-09-28 22:06:37 | 日記
<9月28日

 自宅から車で5分。「三木山森林公園」の上池です。「ばん」の姿を見るのが楽しみです。春は、親子ずれをよく見ました。今は、写真の通り、どれが親か子かわかりません。この頃は、池の近くの丘に上がって餌を探しています。1m近くによると、池にはいってしまいます。
 私は、野鳥を見るのが大好きです。退職して念願の双眼鏡を買い、バードウオッチングに出かけていました。しかし、これがむつかしい。声はすれども姿は見えず。たまに見つけて、そちらに双眼鏡を向けてもそこには影も形もなし。水鳥は比較的みやすいけど。まあ「ばん」もそのうちの一つですね。週に2,3回は妻の散歩についてこの公園にきます。「ばん」がいないときはさみしい。今年はいつまで姿を見せてくれるでしょうか。

診察待ち時間に耐えられん

2016-09-26 21:26:53 | 日記
9月26日

 今日は、妻の3か月に1回の眼科の診察日です。家から30km余りの通院距離と2時間の待ち時間を覚悟しなくてはなりません。妻はここ数日気分悪く、食欲なしで到底それに耐えられないので、今日の予約の診察を断りました。「根本的治療法はないし、治らない難病(サルコイドーシス)だし、目薬をもらうだけだから、家の近くの病院にしたら?」と私は言いました。妻は、紹介状を書いていただく電話をしていました。紹介状をいただくまで日数がかかるとのことでした。「それまで、薬はどうするの?」と聞いても妻の返事はなし。

 私は、歩いて10分足らずの病院で骨粗鬆症の予防薬をもらうために三か月に一回通院しています。それでも待ち時間は1時間ぐらいです。事前検査やその日の患者さんの様態で待ち時間が長くなるのは、しかたがないんでしょうね。
 私は、元気で暇つぶしの本は必ず持参しますが。病気でしんどい人は大変ですね。「具合の悪い方は申し出てください」の案内放送はありますが、よっぽどのことでなっくては、申しだせないですね。病人のための病院。しんどい時は、遠慮なく申し出ましょう。

やっと、入院

2016-09-22 21:19:10 | 老々介護
9月22日(木)

 私の母は94歳。寝たきりで、自宅で弟の24時間介護を受けていました。それも3年が過ぎ、この頃は、口に持って行った水や食べ物を口を結んで食べなくなり、点滴を打つ回数が増えていました。おなかがぽことふくれ、タール便が出て、38℃近くの熱が続いていました。診断を受けるためには検査のための入院が必要となりました。ところが母本人が「入院したくない!」と泣いて懇願するので延び延びになっていました。母に氷枕をしなくてはならなくなり、弟の介護も限界でした。
 「無理やりでも、入院させなくては、」とその準備にかかり、21日意識がはっきりしないのもさいわい?入院させました。
 まだ、検査はできていませんが、「栄養失調」ということで、今まで家族と同じものを食べさせていたのを栄養バランスやスムージー的にしたものを食べさせることになりました。
 看護師さんがおむつを直そうとして引っ張ると「痛いちゃあ!」と大きい声。相変わらずの我儘のようです。
 介護をほとんど一人で3年間も頑張ってきた下の弟が「もっと早く入院させればよかった」と泣いて悔いていました。私は「おっかさんが、入院したくない、と言っていたので、しょうがない。一生懸命頑張った。ありがとう」と電話で伝えました。
 介護している弟から夜の10時過ぎによく電話がありました。「首を絞めそうになった」「たたいてしまった」と。その都度、弟の愚痴を聞き、介護の手抜きをし、何かストレスの解消を・・・・・。母は十分生きた。まだ先のあるお前が先に倒れたら・・・と。母の入院により弟を介護の負担から解放できたことがよかったです。
 私は3人兄弟の長男。しかし、実家から400km離れたところに住んでいます。1円の負担もせず、口だけですませています。母が、体調を回復したら出会いに帰りましょう。

パソコン落ちこぼれ世代

2016-09-19 21:09:04 | 高齢化社会
2016.9.19.

 やっとこせ、わがパソコンが使えるようになりました。発端は、ウィンドーズ10のインストールから。それが7月28日。アカウントが取れず、四苦八苦。初期化をしたところ、アプリケーションソフトの一部(アウトルック)が消えてしまい、再インストールしなくてはならなくなり、その代金がなかったので、女房からの9月の月給2万円を待ちました。電気屋さんでoffice365を購入。そのカードの指示通りにしてもインターネット調べてしても、アカウントを受け付けてくれないので進めない。とうとう、サポートへ電話を入れました。なかなかでてこない電話を2,3回してやっとのこと出来たのが今日です。
 
 私のパソコンとの出会いは、30年ぐらい前のことです。突然、職場(小学校)へ2台のノートパソコンがきました。時はバブル期。アメリカから内需拡大(輸出を抑えて、国内で)を強く言われた時代でした。やっとワープロがどうにか使いこなせるようになった頃でした。もちろんパソコン時代が来ることはわかっていましたが、それが現実となったわけです。教育委員会主催の使用講習会に出かけましたが、すぐに落ちこぼれ。用語が英語、それもパソコンの仕組が全くのブラックボックス。隣の若い同僚に聞きながらついていくのがやっとでした。
 「習うより慣れろ」と安い給料から2,30万円の最新式の機械を購入し、ワード、エクセルから始めました。打ち込んだ文章が完成まじかでストップ(氷)にっちもさっちもいかなくなり、ぱー!となったことが何回かありました。操作が行き詰まったときは、若い同僚に聞いてきました。退職して10数年、聞くものはおらず、マニヤル本が頼りですが、それもなかなか理解できずに今日を迎えています。(加齢による物忘れのせいにしようと)
 女房は「パソコン落ちこぼれ世代。お金と時間の無駄!はよ、やめ!」と。確かに買い替えた機械代だけでも100万円は使っているでしょう。