よき故郷を次代へ

どこで生まれようが、そこが故郷。日本にうまれてよかった!と思える幸せ。幾多の先人の素晴らしい遺産を・・・

ああ~、ぼけたくない

2016-10-03 21:42:01 | 高齢化社会
10月3日(月)

 夕方(6:30)、といっても真っ暗でしたが、家に帰ると、「ソファが濡れてる。もう拭いたけど。また、2階の窓あけたままでしょう!」と妻の甲高い声。1階の居間の天井を見ると雨漏りのしみの跡が見えました。すぐに2階に上がると、窓はしまっています。午後2時に家を出るときは、確認しました。午前10:30分に家を出るときも確認しました。しかし、結果から考えると午前10:30の確認があやしい!
 2階の廊下で降り込んでいるのは、網戸のないほうです。もしも開けて行ったのなら、網戸がある方。どうも、閉めるつもりで2階に上がり、「しまっている戸を開けて、閉めたつもりになっていた」と、推理するしかありません。こわ~あい!戸ぐらいの勘違いでよかったと。しかし、今でも自分のしたことに納得ができません。もうすぐ74歳。しっかりせえよ。くにひこ。

パソコン落ちこぼれ世代

2016-09-19 21:09:04 | 高齢化社会
2016.9.19.

 やっとこせ、わがパソコンが使えるようになりました。発端は、ウィンドーズ10のインストールから。それが7月28日。アカウントが取れず、四苦八苦。初期化をしたところ、アプリケーションソフトの一部(アウトルック)が消えてしまい、再インストールしなくてはならなくなり、その代金がなかったので、女房からの9月の月給2万円を待ちました。電気屋さんでoffice365を購入。そのカードの指示通りにしてもインターネット調べてしても、アカウントを受け付けてくれないので進めない。とうとう、サポートへ電話を入れました。なかなかでてこない電話を2,3回してやっとのこと出来たのが今日です。
 
 私のパソコンとの出会いは、30年ぐらい前のことです。突然、職場(小学校)へ2台のノートパソコンがきました。時はバブル期。アメリカから内需拡大(輸出を抑えて、国内で)を強く言われた時代でした。やっとワープロがどうにか使いこなせるようになった頃でした。もちろんパソコン時代が来ることはわかっていましたが、それが現実となったわけです。教育委員会主催の使用講習会に出かけましたが、すぐに落ちこぼれ。用語が英語、それもパソコンの仕組が全くのブラックボックス。隣の若い同僚に聞きながらついていくのがやっとでした。
 「習うより慣れろ」と安い給料から2,30万円の最新式の機械を購入し、ワード、エクセルから始めました。打ち込んだ文章が完成まじかでストップ(氷)にっちもさっちもいかなくなり、ぱー!となったことが何回かありました。操作が行き詰まったときは、若い同僚に聞いてきました。退職して10数年、聞くものはおらず、マニヤル本が頼りですが、それもなかなか理解できずに今日を迎えています。(加齢による物忘れのせいにしようと)
 女房は「パソコン落ちこぼれ世代。お金と時間の無駄!はよ、やめ!」と。確かに買い替えた機械代だけでも100万円は使っているでしょう。

帰省は夫の実家でなくホテルに

2015-12-17 21:25:47 | 高齢化社会
12月17日(木)

 昨日、夜10時のNHKテレビを見て、びっくり。何やかや言いながら、日本は豊かになったんですね。50年前は考えられない。狭い実家に蚊帳をつり、雑魚寝ですよ。なつかしい!「マザコン」と72になっても言われる私だけかなあ。
 確かに、夫、女房の実家に泊まるのは「気遣い」が大変でしょう。しかし、それがいいんです。「おもてなし日本」。最愛の連れ合いの実家。連れ合いの人格が作られた故郷の家。人格が作られた、というのは言い過ぎでしょうが、ルーツの一端を知り連れ合いの理解につながります。狭い広いは、問題ではありません。布団を借りてまで、とは言いませんがね。
 「金を使って、思いっきり気を使って、これ。ああ、2度と行きたくない」と。残念。2.3日の辛抱ではないですか。新しい与えられた絆ですよ。
 
 
 (小さくなって)実際は・・・・・・・。
 私は、よく(年に1回程度)400km先の実家に帰っていました。無理やり女房を連れて。いやいやの女房をしっかりホローせず、母親のいじめに加担する始末。(詳しくは後日)。悔いばかりです。
 女房の20km先の実家にもよくいきました。近いし、義父が脳梗塞ということもありましたが。日帰りがほとんどでした。農作業や家の片づけ等で、特別これという記憶はありません。今、残念なことは、義母とほとんどお話していないことです。いろいろ聞いておけばよかったと。夫婦喧嘩をしても言われっぱなしになることはなかた。と。
 老婆心ですが、新婚(結婚10年)の皆さん、実家に行って、連れ合いの子供のころの話を聞いてください。
 

熟年消防隊

2015-12-05 21:34:11 | 高齢化社会
2015年12月5日(土)

 午後、自由が丘公民館前の運動場に隊員十数名が集まり、1回目の放水訓練がありました。
 来る1月17日の「地区防災訓練」の出し物の一つとなっています。
 齢70前後の男子が消防署員や先輩の指示のもと、集合、配置、放水までの訓練をしました。
 私は、第2ホースをつなぎ、筒持ちの補助です。ホース保管箱からホースを背負い、駆け足で所定の場所へ。ホースをおろし端を右足で踏み、巻いたホースを右手で思い切り、広げます。ところが、力足らずで、3,4mしか伸びません。また、元のようオッチラエッチラ巻き戻し。中腰でしなきゃあならんので、苦しい。また、右足で踏んで投げのばす。少しは伸びたか。伸び残しは手で伸ばして、やっと、筒先持ちの方へ。筒先係が筒先をつないで、私は、その後ろでホースを握り、足を踏ん張り、かまえました。やれやれ。
 久しぶり(10年)の集団行動。懐かしく、気持ちよかった。「きおつけえ!」「ばんごう!」腰が伸びました。今回は水が出ませんでしたが、次回は、消防署で水を出しての訓練。
楽しみです。

叫んで、起こす!

2015-07-07 21:59:43 | 高齢化社会
2015.7.7(火)

 夜、7時から公民館での「自由が丘消防隊」の研修に出席しました。71歳の私はその隊員の一人として名簿に登録されています。
 三木市は人口8万人。私が住む自由ケ丘地区は16000人。30人余の隊員が集まりました。私のような高齢者がほとんど。女性もおられました。
 昔から、地域防災は、地域の力で!でした。5,60年前は青年団の連中がやっていたのですが、それがいません。「おるもんでやらんにゃあ」と手おあげて、登録した私です。
 今回の研修の講師は三木消防署から、担当が1名来られました。三木市の消防、救急の現況、消防隊の意義と役割がその内容でした。
 災害時における活動等、具体的に聞きました。が、できそうにありません。パニクってしまって、適切な判断行動ができない。機敏な動作ができない。・・・まあ、私にできることは、「火事だあ!」と叫ぶことぐらいでしょう。
 そういえば、昔、夜中に、下宿近所の家から出火しました。火事の音に目が覚め、出火した隣の家に「かじです!」と叫び、雨戸をたたき、つい力が入り、打ち破ってしまったことがありました。水がかかる中を荷物出しを手伝いました。