雲子雲

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ほぼ月いち更新

2019年03月22日 00時39分56秒 | 日記
ご無沙汰しています。クモコです。
やっと少し落ち着いたので更新。
最初にあえて書いておきますが、私は元気です。


先月頭に母が他界しました。
死因は脳出血で、転倒による緊急入院から四日後のことでした。
心肺停止状態だから急いできてくれと連絡を受け病院に向かいました。
到着して先生の顔見て「あっ」っと察する事ができました。
だって先生がとても落ち着いているから。
経緯の説明を受ける中で母は諸々の理由で転倒リスクが高い人だいうことを知りました。
過去に何度も倒れてはあちこち打って、それでもケロっとしていたから正直なところそんなに深刻だとは気付いていませんでした。

10代後半の頃から俺は、早く家庭を築き孫を見せてあげることが俺なりの親孝行だ、と思って生きていました。
小さいころから心配ばかりかけていた母にもう大丈夫だよと言いたかったんです。
幸いにも願いが叶うことが出来た時、母から「これからは一国一城の主なんだからそこでしっかり頑張れ。私のことは思い出したときに便りをくれればいい」と激励されたことを鮮明に覚えています。
小さい頃からその気はあったんですが、それからというもの母は俺に格好悪いところを見せようとしませんでした。
そしてそれを最後まで貫きました。
寂しがり屋な所は晩年少し見せてくれたので年に数回会う時には母を立てつつも甘えさせてあげられる部分は察してきたつもりです。
ですが姉には本音をさらけ出していたらしく、そこには俺の知らない弱い母がいつもいたようです。
遅れて到着した姉から死の二日前に交わした会話や死後についてあれこれ話をしていたことを聞きました。
母は、とても弱い人だった。寂しさや辛さをシニカルに姉へぶつけていました。
それでも弱さを俺だけには見せない強い一面を持っていました。
意地なんでしょうかね。まだまだ立派ではない俺を心配する親心かなと思っています。
こういう形で立派な大人になったと思っていたのは俺だけだったんだと自覚しました。
何時ぞやに母が俺に言っていました。
「幾つになってもね、三歳の時に姉ちゃんの服を着て〝ワタシサビシイノ〟って言っていたあんたのままなんだよ」
当時は笑って聞き流していましたが、いまではこの言葉が頭から離れません。
いつまで経っても子は子なんでしょう。敵わないなぁ。
生きている間に立派な独り立ちを見せてあげられなかった事が俺の新たな生きる意味になっています。
いつか母のもとへ行くその時に認めてもらえるよう、立派な人生を歩みたい。
明るく朗らかに後悔のないよう笑って過ごします。

改めますが、私は元気です。
元気に生きていきます。

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