私は純潔の会津人ではない。
クオーターである。親がハーフで、その私はさらに÷2なのだ。
でも、子供の頃からよく会津の話、戊辰の戦やその後の苦労話を聞かされたものである。
何年か前には、飯盛山で腹を切った一人の血縁の方と会ったことがある。
もっとも向うは上級士族。
こちらは藩祖保科正之が会津に報じられるのに伴い他所から移り住み名字帯刀を許されて会津侯の禄を食んできたとはいえ、士族ではなく、白虎隊の別働隊に参加した先祖も、所属部隊は「寄合」であった。 会津の戦いには参加せず、他の佐幕諸藩を応援すべく遠隔に派遣されていたのである。戊辰の戦に敗れた後は、自ら謹慎し「帰農」したというが、元々「農」ではなく、家産は十分にあったので、それをてこに維新後は商売に成功し、更に財をなしたとのこと。皮肉にも薩長藩閥政府が進めた「文明開化」のおかげで会津に移ってきた以前からの先祖代々の家業が大いに役立ったのである。
会津の人にとって、秩父宮妃が会津松平家から選ばれたことは、大いなる名誉回復だったそうな。
「獅子の時代」。本放送時にはまだ小学生だった。会津とのつながりは既に知っていたが、自分自身の体に「朝敵」の血が流れているとは思いもよらず。個人として期せずして着せられた汚名をそそがねばとの思いがいまだに自分の心のかたすみにあるのかもしれない。
歴史をひもといて、幕末維新のドラマには惹かれるし、薩長のなかにも好きな人物がいる。
なかでも西郷はやはり別格。というか、自分のなかでいまだ評価の定まらない人なのだ。私の小さくひ弱な「手」ではつかみきれない御仁なのだ。
それ以外では大久保の冷徹断固とした姿勢には、大久保が登庁するやいなや静まり返ったという内務省の職員ならずとも気押されたような気持ちになる。内国博覧会の際に撮影された集合写真の多くのには、曰く言い難い畏敬の感情を禁じ得ない。
維新後些か生彩を欠いた木戸だが、新政府にあって彼の先見にはやはり伊藤も認めた「頭の良さ」を感じざるを得ない。
個人的に敬してやまない乃木大将も長州人なのだ。
一方、井上馨だけはどうしても好きにはなれない。
だが、会津を取り上げたドラマには、どうしても涙を禁じ得ないのだ。
ということで、ここ数日録画した「獅子の時代」を深夜に一人で見ている。家族と一緒では見られないのだ。涙、涙の姿を子供たちに見られたくはならいからである。
ただ、毎回観終わって思うのは、自分のなかに会津人の気骨がそのかけらほども残っていないことである。会津の血を受け継いだとはいえば、育ったところは戦国以来弱兵の地で、戦前もそこ出身の舞台の弱さは国民の間に広く語られるところであった。そんな土地柄に生まれ育ったせいか、私は生来ヘタレなのである。