くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

大津いじめ自殺事件と学校評価制度の”危機”?

2012年07月17日 | Weblog
一部メディアが、いじめ隠ぺいと学校評価制度の関連性を指摘している、繰り返し。

そこで尾木ママが繰り返し登場する。

私は、尾木氏に足しては、批判的な意味あいで言いたいことはある。あのオネーキャラは、姑息なやり方だと思うし、彼の思想的な背景についても疑念を抱くべき点があると思っている。

が、尾木氏は今回学校評価制度そのものを批判、否定しようとしているわけではないと、解釈する。

改善すべき点があると指摘しているのであって、全面否定ではない。

とすれば、私も尾木氏の立場を支持したい。

今回の一件をもって、マスコミ報道の仕方をもって、学校評価制度そのものが存廃の危機にさらされることを危惧する。

学校評価は絶対的に必要である。

学校は無謬でも完璧でもないのだから、評価されてしかるべき。他人の子供の「命」を預かる場であれば、学校、教員も評価を恐れてはならない。そうであるならば、教育現場を去るべきである。

だが、評価の仕方にはやはり問題があるのだろうし、評価する相手は果たして適切なのかと疑問点も残る。

だから廃止ではなく、改善すべきなのだ。

ただ、世論のなかに廃止の声が高まりはしないか、杞憂であればよいが。

また、そうした世論の「芽」が出た場合、それを利用して自らを評価制度から解放しようとする連中も出てくるのではないだろうか。それも、学校関係者、教員のなかに。

学校評価制度は維持されねばならない。評価のないところに進歩も改善もあり得ない。評価を恐れるものは、「社会」から我が身を隔離し、引きこもりか、遁世者にでもなればいいのだ。あるいはそれこそ「自殺」という逃避の仕方もあるかもしれない。

人が人の中で生きていく以上、評価、批評からは免れることはない。この現実を受け入れられない者に生きる余地はこの世にはそれほどない、ということではないのか。
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