庄助さん

浮いた瓢箪流れのままに‥、日々流転。

大晦日

2007-12-31 22:01:08 | 評論、感想
 大晦日。この日を迎えると無性に書きたいことが頭を駆け巡る。あれやこれやと思いをめぐらし書こうとするが頭も心も定まらず結局のところ白紙に。しかし、すべてを超越しても沸々と気持ちを押し上げるものがある。それは「感謝」ということ。今年一年、無事に過ごすことができたことに対して素直な気持ちで感謝したい。その背景には家族をはじめ多くの人との関わりがあったことを忘れてはならないだろう。
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帰省

2007-12-31 13:37:42 | 評論、感想
 年も押し詰まる頃の年末の帰省、毎年繰り返される似たような帰省の様子が報じられる。混雑する電車、渋滞する自動車、子どもを連れ、大きな荷物をもって故郷へと向かう多くの人々。時間と費用と労力をかけ、親のいる古里へと…。
 こんな光景を見聞きする度に感じるものがある。「人が求め、人が帰る先は此処に…」。難しい理屈も、過度な情感も、すべてなにもない白紙の状態で自分が思うがままの気持ちに素直に従い、感じ、行動する。そして、その最後の落ち着き先が…。
 この一年も広義に捉えれば国の内外を問わず、また、個人的な出来事として捉えれば極々私的な出来事においても、人それぞれに考え、感じ、思うところはまさに千差万別多種多様であり、とても一括りにできるものではない。しかし、なぜか人が行き着く先は同じような…。すべてを超越しての帰巣本能、人間の真理とそれを追い求める人の心。その姿が帰省の姿に折り重なって見える。
 一年の締めくくり、暮れ、年の瀬、大晦日。暦の設定は、単に季節の遷り変りを捉えたものだけではなく、人の心を捉えた自然の摂理をも表現している。
                                   「諸行無常、よいお年を」 合掌
 
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年末の大掃除

2007-12-30 00:09:26 | 評論、感想
 日頃からたいした家事をしているわけでもないが、さすがに年末になると家事を分担してやらざるを得ない。毎日少しずつ作業をしているが夕方になると疲労困憊。普段使わない筋肉が悲鳴を上げている。スポーツなど、自分の好きなことをしているときはそれ程苦痛を感じないが、たまにしかしない家事は重労働。でも、この家事を毎日こなしている人のことを思えば頭が下がる。せめて、やる時にはせいぜい気持ちを込めて一生懸命頑張ろう。 
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年の瀬

2007-12-28 22:41:04 | 評論、感想
 クリスマスが終ると年の瀬。商店の店頭に並ぶ商品もクリスマス関連商品から正月用の商品へ。一夜ににしての模様替え、見事な変身振り。師走は、人の動きの変化が激しい。今日の動きが明日の変化に…、暮れの忙しさは初冬の風物詩
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我が家のクリスマス(6)

2007-12-27 22:48:58 | 写真
 静かな雰囲気に浸ってゆっくりとコーヒーを楽しみたいときはウエッジウッドかな…、コペンハーゲンやマイセンもいいね。
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我が家のクリスマス(5)

2007-12-27 22:47:19 | 写真
 ケーキにコーヒーは自然の成り行き。ケーキの甘さが強いときはビターで、控えめの時はマイルドが合うような気がする。そして、コーヒーカップとソーサーは雰囲気に合わせて。 気軽な楽しさを感じるときはミントンかな…。
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我が家のクリスマス(4)

2007-12-26 22:14:44 | 写真
 クリスマスにケーキは欠かせない。子どもの頃の思い出があり、クリスマスのケーキは子どもの好むようなものがいい。我が家では、ここ数年、どういうわけかサーティーワン 31 (バスキン ロビンス)のアイスクリームケーキが好きで、毎年注文している。
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我が家のクリスマス(3)

2007-12-25 23:28:55 | 写真
 ワインはスパークリングワインで楽しむ。オーストラリアでよく飲んだJaycob's Creek。葡萄はシャルドネとピノノワール。アデレード近郊バロッサバレー産、オーストラリア有数のワインの産地。現在日本でも多くの種類を輸入、リーゾナブルで誰もが飲みやすいスパークリングワインの一つ。勿論、モエ・シャンドン、ポメリー、ヴォーヴォクリコ、さらにはドン・ペリニョンなどというシャンパンには及ばないが、肩肘張らず気軽に飲めるのが嬉しい。
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我が家のクリスマス(2)

2007-12-25 23:11:06 | 写真
 たいした料理はないが、ワインに合うと思われる食材でクリスマスを楽しむ。この年になると、こってりとした肉料理よりも、さらっとした魚介料理のほうがいい。食材も高価なものよりリーゾナブルで庶民的なものがいい。
 テーブルクロスは、何年も前から使っているお気に入りのもの。
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我が家のクリスマス(1)

2007-12-24 21:22:05 | 評論、感想
 いつの頃からかは定かではないが、子どもの頃からクリスマスは楽しみにしていた行事の一つだった。その頃はまだ終戦の後遺症も残っていて、貧しい家計の中からやり繰りして母親が枕元に僅かばかりのクリスマスプレゼントを置いてくれたのをよく覚えている。クリスマス前夜は気持ちがわくわくと高揚してなかなか寝付けなかったこともある。そして、翌朝、枕元にそっと手をやる。なにやら手に触るものが…、その途端、もう例えようもない嬉しさがこみ上げてきたものだった。時には、プレゼントが枕元から少し離れたところにおいてあり、いくら手で探ってもプレゼントらしきものに行き当たらない。そんなときは布団の中で焦る気持ちと不安でいっぱいだった。心配のあまり布団から跳ね起き、きょろきょろとあたりを見回すと、枕よりちょっと離れたところにプレゼントが置いてあった。その時のほっとした気持ちは今でも忘れられない。ほんとうにあの頃のクリスマスは子どもの頃のいい思い出の一つになっている。

 それから何十年かが経ち、自分にも子どもができると、クリスマスの楽しみが変わった。クリスマスの料理を食べることでも、ワインを飲むことでもない。家の庭木にクリスマスの飾りを付け、子どもたち家族とともにクリスマスの雰囲気を何日も前から楽しむのが嬉しかった。そして子供たちに贈るクリスマスプレゼントをあれこれ考え、それを買いに、そして、子どもが寝静まった頃プレゼントを枕元に置く…、こんな一連の動きそのものが楽しみの一つであった。そして、喜びは頂点に…。それは、子どもが翌朝プレゼントを見つけて喜ぶその姿、その笑顔を見ることだった。

 さらに、年月を重ね、今では子どもへのプレゼントはないが、窓辺に小さな飾りを付け、ちょっとした料理とワインでゆっくりとクリスマスを楽しむようになってきた。
 形は変わってきたが、何十年も昔の子どもの頃の楽しみ、思い出が、今も引き継がれ至福の時を与えてくれている。幾つになってもクリスマスは楽しい。 ほんとうにありがたいことだ。  
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