kasaiさんの江戸甲府物語

江戸時代の甲府の様子を庶民の生活を中心につづる。

第142回 甲府へ帰る

2017-05-09 08:29:44 | 説明
甲府へ帰る

◎5月20日 京都を出発して甲府へ帰ります。この日は大降りです。5月20日は新暦の6月22日で梅雨の時期に当たり、この帰途では雨に逢うことが多くなっています。帰途は中仙道を通っています。帰りを急いでいたせいか,途中の名所の記述はほとんどありません。


 京都三条橋まで次郎左衛門と藤七が見送りに来ています。次郎左衛門は甲州の国府村から来た者で、藤七は日野屋の手代です。次郎左衛門と一緒に京都に来ていた国府村の「与左衛門を供につれ」とあります。朝五つ時に出立です。途中の守山宿,武佐宿で「この辺大雨にて難儀」とあります。
途中の野洲川を渡るのに32文,横関川を渡るのに50文かかっています。野洲川は守山宿の東側にある川です。横関川は現在の日野川で,当時横関川渡しがありました。東路記(新日本古典文学体系、岩波書店)には船渡しとあります。横関川を越えたあたりで江州長浜の利平という人と連れになっています。
この日は愛知川で泊まり,宿はあふさ屋弥左衛門です。宿よしとあります。

◎5月21日は晴れです。利平と別れて高宮川(現在の犬上川)まで行きます。高宮川は高宮宿の西の入口にある川で、川上へ二三町(200~300m)回って超しています。ここから東山道を外れ,彦根を通って鳥居本宿へ進んでいます。彦根は「井伊掃部守様御城下なり。御城天守立派なり」とあります。鳥居本宿(彦根市鳥居本町)の東側、次の宿場の間にある摺鉢峠の山上に望湖堂という茶屋があり、ここで昼食をしています。東路記には「湖水眼下に見えて好景なり。竹生嶋は是よりいぬいのほうに見ゆる」とあります。また,木曽路名所図会には摺鉢峠の絵がありますが,この絵にも茶屋が描かれています。
この日は赤坂(岐阜県大垣市赤坂)で泊まりです。東海道にも赤坂宿がありますが,この赤坂は東山道の赤坂宿です。赤坂の宿は孫兵衛です。

◎5月22日は雨です。雨なので出立遅し。この日は伏見宿(岐阜県可児郡)まで進んでいます。途中の呂久川の渡しの船賃6文,太田川では6文とあります。呂久川は現在の杭瀬川で,「水深くして,川の流れはやし」とあります(東路記)。木曽路名所図会には呂久川の絵が掲載されていますが,渡し船が描かれています。また,杭瀬川ともいうと説明があります。
東路記には「太田の宿の東のきわに太田川あり。船渡しなり。木曽川の下なり。船にてわたる。大河なり。水急なり。早き瀬多し」とあります。
伏見の宿は気に入らなかったようで,宿の名前も聞かずとあります。

◎5月23日も雨です。途中で越前の商人勘助と連れになっています。大雨のため大井宿の橋が落ちたので途中の大久手(大湫)宿で昼過ぎに大こく屋市右衛門で宿泊。ここで江州日野の井筒屋惣兵衛と知り合って連になっています。井筒屋惣兵衛は甲府へ赴く途中とあります。

◎5月24日は晴天です。案内を頼み,岩村城下へ迂回して中津川へ向かいました。この日は中津川の十一屋で泊まり。井筒屋惣兵衛,岩村城下の茂右衛門,越前の商人勘助,供の与右衛門,著者の五郎右衛門の5人連れです。茂右衛門は「武州熊谷へ出店被致候仁也」とありますので,熊谷に行く途中のようです。

◎5月25日も晴天です。須原宿まで進んでいます。中津川を朝六ツ時に出立,須原宿の加らじ屋後家で宿泊。途中の馬籠で蕎麦を食べています。馬籠峠を越えると信州に入ります。

◎5月26日は雨です。出立遅し。上松宿付近では「この辺の景ことにすぐれたり・・・それより先寝覚め茶屋あり・・・茶屋よりわき2町程西へ行きて臨川寺という禅寺あり。その後ろに寝覚めの床有」とあります(東路記)。寝覚めの床、臨川寺、浦島太郎が釣の舩を見学、「茶屋で蕎麦切りたづる」とあります。途中の桜沢という立て場(贄川宿の東)で日が暮れましたが,松明をつけてこの日は勢場(洗馬宿)まで進んでいます。勢場(洗馬宿)の宿は日野屋新右衛門です。

◎5月27日は晴天。下諏訪から甲州街道の蔦木まで進み,蔦木宿の清七に宿泊。下諏訪で
茂右衛門と別れています。
◎5月28日も雨です。雨風のため途中の橋々が落下したという情報を得たので,甲州街道を離れて下蔦木から台地(七里が岩台地)に登り,原,小淵沢,大八田,穴山,新府を通り韮崎まで進んでいます。韮崎から馬に乗り,甲府に帰っています。氏神である山八幡へ参詣してから自宅へ戻っています。
 最後に「千秋万歳叶う」とあります。