Blue Heaven

ただ、漠然と。

犬の体内時計 他

2006-03-30 21:57:00 | Weblog
最近、我が家の愛犬の体内時計が正確に機能するようです。

毎日、俺の目覚ましが鳴る約1分前に遠吠えをするんです。
毎日ちゃんと同じ時間に。5時25分くらいに。
つまりは、時間だから起きろってこと。
そんなこと言われなくても、ちゃんとおきますよ!!

でも、俺は目覚ましを一回無視して、5分後に起きてくるんだけど、それまでずっと鳴いている・・・。
遠吠えが止むのは、ヤツの息が切れたときくらい。
そして、一度息を吸ってからまた遠吠えをする。

俺が起きてきたらひとまずは泣きやむ。

BUT、しかしです。

朝食を取り始めると、再び鳴き始める。
今度は朝食を分けろって言ってるんです。
ヤツらが我が家に来てから、ほぼ毎日、魚の骨や、目玉焼きの白身、お肉の一切れ、みそ汁の残り、ご飯などなど、
ヤツらの誕生日にはちょっと豪華にしてあげて、ご飯をあげているのをちゃんと覚えていて、朝食と夕飯の時には、しかもちゃんと俺らが食べ終わる頃に鳴き始める。

次に鳴き始めるのは、夕食後、人間がリビングにいるとき。
今度はリビングに来させろと言うんです。
そして、何かくれと。

そして、なにか食べ物をもらうと満足げに帰って、次の日の朝、俺の目覚ましが鳴る1分前まで静かに寝ているのです。

でも、時々、一晩中鳴いているときがある。最初のウチはトイレかなと思い、少し散歩に行くがどうもトイレではないらしい。
どうも最近分かってきました。
季節の変わり目になると、変わり目の2.3日程度ちょっと騒がしくなる。
で、この間騒々しいので散歩に連れて行ったら、あちこちの家でいぬが泣きわめいている。まるでホラー映画の仲に入ってしまったかのように。

犬の本能なのでしょうか、季節の変わり目になるとこっちとて緊張します。
でも複雑な気分ですね。犬の一騒ぎで季節の変わり目をみるとは。

最近もありました、2.3日ほど。それが一週間くらい前。

で収まりました。春が来たんです。
端からこの話を聞いていると、俺の頭がおかしいみたいに見えますが、実際、犬を飼うと分かりますよ。

でも、それが本来動物の本能的行動なのでしょうね。
(1日4回の遠吠えは別にして。)


都心散歩② さくら編

2006-03-29 09:14:25 | Weblog
新橋から六本木、青山、渋谷と歩いてみました。
スペイン坂の桜が満開で、一番良いときに行くことができました。
写真は、スペイン坂の桜。ARKタワーの横です。
ARKってAkasakaのA、RoppongiのRとの二つの地点の継ぎ目Knobの頭文字をとってARKアークっていうらしいです。初めて知りました。
先日、御茶ノ水から新宿まで歩いたときには、桜の蕾も固く閉ざされていましたが、もう満開ですね。

今年は梅の開花が遅かったのに、桜の開花は驚くほどに早い。場所によっては梅の花が咲いている横で、桜の花が満開なんていう場所もあります。

桜見頃の唐人坂で巡る思いはひとつひとつ
咲けば花散る一輪挿しの艶な姿は春の宵

SOUTHERN ALL STARS アルバム『さくら』唐人物語~ラシャメンのうた~より

桜という花は色々には思いを感じます。その思いはあの薄い花びらのように儚いものばかり。
桜が満開のころ、本当は4月。ひとつ年度を重ねることでまたひとつ新しい出会いがある季節。

反面、桜が咲き始めた頃は別れの季節でもある。

出会いと別れという2つの節目を象徴する花。

第二次世界大戦当時、日本海軍は若い将校たちの乗り込んだ零戦が敵の艦隊に特攻していき、海の藻屑と散っていく姿を桜吹雪の如く表現したと言います。実際、日本の桜の元来の象徴的意味は、将校たちの散っていく姿なのです。

反面、花咲じいさんが殺された愛犬の灰をまいたときに咲いた花も桜。一つの別れがくれた新しい出会い。

桜という花には色々な感情が込められています。

薫陶

2006-03-26 22:45:56 | Weblog
昨日、更新しようと原稿を書いてアップしようと思ったら、トラブってしまい全て消えてしまいました。
昨日書いた内容とほぼ同じ内容で行きます。

ところで、その前に。最近、日本の将来を憂う幾人かの学者がメディアに出ています。遅いと言えば遅いだろうし、しかし、やっと出てきてくれたとも思う。
反面、資本市場至上主義こそ物事の本質であると唱えて国民を愚弄しようとした人もいます。

色々な人がいて当然だと思う。そういう人々の利害があるからこそ、必然的に人々の利権のために争い血を流す人もいる。
なぜ、争いが起こるのか。やはり目の前のことしか見ていないからだろうと思う。
確かに、重要なことは、今自分の生きている、この現在をどう生きるかということであって、過去や将来に感嘆することではない。
人間は未来について想像するという能力を持っているので、その能力を駆使して将来を憂い、将来のために学び、将来のために稼ぎ、将来のために貯蓄し、そして将来に向けてひた走り気が付いたときには老いを迎えている。

でも、一方で、歴史を学び、過去という時間的教養によって戦争を学び、平和を学ぶ。その中から様々な教訓をくみ取り未来を変えていく。

そういうプロセスのなかで、最も重要なことは、そういう過去を人から学ぶと言うこと。言い換えれば、薫陶を受けるというか、学ぶというか。
例えば、司馬遼太郎。
かれは彼の小説のなかで、様々な歴史を披露し、多くの支持を得ました。特に司馬遼太郎の場合は幕末が多い。村田蔵六、板垣退助、西郷隆盛、坂本竜馬、等々、、

また、明治という時代にも司馬遼太郎は敏感であったように思います。司馬遼太郎は、歴史小説を通じて、彼独特の「司馬史観」と呼ばれるようになる考えまたを展開し、多くの支持を得ました。
司馬遼太郎と同門で、陳舜臣さんがいます。近現代の中国史では世界的な権威ですね。

司馬遼太郎や陳舜臣は思想家ではないけれども、小説を通じて多くの人々に支持を受けています。
そういう観点から、司馬遼太郎さんが10年前に72歳という若さで無くなってしまったのは、日本にとっては国宝をなくすことと同じくらい衝撃的だと思うし、この日本にあって惜しい人を亡くしてしまったという思いもあります。
それは、小説を通じて、またはエッセイを通じて日本という国を憂うこのから始まっていると思います。
そういう国を憂う心を強く有していた人間に坂本竜馬がいます。

竜馬がいなかったら今日の日本はなかったとおもう。薩長同盟が成立しなければ、曲がりなりにも幕府軍は戦に勝利し、少なくとも明治という時代区分もなかったと思う。日清戦争や日露戦争の勝利もなく、第二次世界大戦の荒廃も無かったと思う。荒廃もなかったとしたら、今日の豊かさも無いと思う。
竜馬暗殺後に竜馬の手帳に書いてあった言葉。

『本朝の国風、天子を除くほか、君主といふものは、その世の名目なり。………猶物の数ともなす勿かれ。』

『世に活物(いきたる)もの、皆衆生なれば、いづれ上下とも定め難し。今世の活物にては、唯だ誰を以て最上とすべし。』

竜馬ってすごい!どこかの国の憲法の前文に書いてある言葉にそっくり。

そういうことを司馬遼太郎は教えてくれる。
まさに薫陶を受けるという言葉に尽きると思います。


88円で買ってきた酎ハイに酔いながら、支離滅裂な内容で、内容も無いようで、申し訳ないですねぇ。
昨日書いた内容とは全く違います。
昨日の内容がアップできなかったのは、惜しいと言うほかに言葉はありません。

雷の功罪

2006-03-24 23:15:10 | Weblog
先日、ちょうど家を留守にしているとき、ホント家の近所に雷が落ちたらしい。近所の人の話によると、隣の家が爆発したかのような、すごい衝撃だったらしい・・・。
そんの雷に、小学生の頃にあった記憶がある。書道の教室で。
その時の雷は、その教室のある家の裏山に落ちたらしく、後日その裏山の気が折れているのを見た記憶があります。

その時の雷はすごかった。
建物が地震にあったような揺れ方をして、停電になったようにも思う。

その時の大きさに近い雷が家の近くに落ちたらしい。

その雷のせいで、家の給湯器が壊れお湯が出なくなり、炊飯器が壊れ、お米が炊けなくなってしまった。。。

つまり、ふっくらご飯が食べられなくなり、ゆっくりとお湯に浸かることができなくなったということ。

でも、それが我が家の現実だと悟れるような生活を送ったのは、実はトータルで2日間程度。

故障した日には千葉にいて、前日に温泉に浸かり汗は流していたし、
家に帰って1日過ごして、その後また1泊の旅行へ行ったので、家の風呂どころか、温泉で汗を流せていたことになる。

で、旅行から帰ってきたときには、つまり昨日は給湯器の一部が応急処置で何とか回りくどく湯船にお湯をはることはできていたので、何とか汗は流すことはできました。

でも、まさか炊飯器まで壊れるとは。
昨日の夜、寝る前にご飯を翌朝にセットしようと思ったらセットできない。直接炊飯ボタンを押してもセットできない。
どうしよう。ドレミファソの音が出ないクラリネットのような気分。

結局朝のご飯はレンジでチンするご飯を使い、夕飯は、何とかガスコンロで炊きました。

なんか、曲がりなりにも電気製品がそろっている原始人の生活みたい。

雷の犯す罪は、我が愛犬シンタロウを叫ばせるばかりでなく、電気製品を破壊して回り、人間までも叫ばせるとんでもないヤツだと言うことですね。

雷に愚痴っても仕方がない。
給湯器と炊飯器の両方が同時に寿命を全うしたと考える以外、雷からの逃げ道はありませんね。

はい。

慰安旅行

2006-03-23 23:28:21 | Weblog
昨日今日とサークルの仲間で慰安旅行に行ってきました。楽しかったな~。
久しぶりにはじけました。

普段話さないような話題もざっくばらんに話すことができたし、みんなでうち解けた旅行にも成りました。

やっぱりあの仲間だなぁ、とつくづく感じました。これからみんな大学も忙しくなって、去年ほどみんなと(で)会う機会は少なくなると思うけど、やっぱりあの仲間は最高です。

お疲れ様でした。

特殊効果

2006-03-20 22:18:21 | Weblog
昨日、横浜ベイブリッジからすごい風景を目にしました。横浜の街が砂塵に包まれて、まるで風景写真にスモークの加工を施したかのようでした。
横浜港の岸壁から山下公園、みなとみらい21にかけて、風景に砂塵の囲おうが施されて、世にも奇妙な物語に出てきそうな風景でした。風も強かった。ベイブリッジから鶴見つばさ橋にかけて、風速が20メートル近く。何度もハンドルがとられそうになり、速度も100㎞/hがせいぜい。バスの陰に隠れて走れば何とか風をよけられるだろうと思ってバスに近づくと、そのバスが風で横転しそう。。。

ガラスがきりきり言って窓を閉め切っていても風が漏れて入ってきてるみたい。

とにかくすごかったです。その風に乗って、WBCの日本対韓国戦、日本が圧勝。悲願の圧勝。

昨日は千葉にいました。千葉は風が強いだけだったみたい。
神奈川では、雷が落ちたらしい。
近所の人は口をそろえて爆弾が爆発したような雷だったというのに、家で当時の状況を聞いてみると、雷には気づかなかったらしい。

何か変だ。
この現実世界が世にも奇妙な物語の世界みたい。

再出発

2006-03-19 00:08:08 | Weblog
今日まで3日間大学のゼミ合宿でした。
合宿地が伊豆と我が町から近いところだったので、色々な意味で楽でした。

今日も色々なことがありました。久しぶりに、新渡戸稲造先生の名著、「武士道」のことを思い出したこと、バラエティーにも関わらず、ケニアのマータイ先生が出演し、「MOTTAINAI」と話していたこと、部屋に戻ったらゾルゲの余韻我の追っていたこと、等々。


合宿の前日、久しぶりにスパイ・ゾルゲを見ました。始めは、紹興酒と共に、そして中盤からウィスキーの水割りに変えて。
途中で睡魔に負け、結局最後まで見られなかったんだけども。

スパイ・ゾルゲ、
何回見ても感銘を受けます。コミュニズムに感銘を受けるのではなく、ナチズムに感動したわけでもありません。
大陸を股に掛け、ドイツ人になりすましてスパイ活動を行ったその結果、祖国ソビエトは日本の陸軍の中国本土における行動を知り、また、ゾルゲのもたらした情報によって祖国ソビエトはドイツの攻略も成功する。
これは、ゾルゲの功績という一言に尽きます。

映画、スパイ・ゾルゲはシアターで観ました。上映中は、ここが神奈川県のとあるシネプレックスであることを忘れ、映画が終わった後も、しばらくゾルゲの余韻が体内で滞留していました。特に、最後のシーン。ゾルゲが絞首台に立ち、死刑が執行された直後に流れる、ジョン・レノンのイマジン、そしてその後の回想シーンに一番心打たれました。

スパイ・ゾルゲを急に観たくなったのは、映画、シリアナを観てからです。

祖国を守るために、米国という石油による巨大な利益追求主体に立ち向かう一人のアラブの豪族。
ゾルゲは、先の大戦のなかで、人間同士が殺し合い、資本主義の甘い蜜を吸う巨大国家の世界征服に嫌気がさし、ナチからコミュニストとなる。
そしてスパイとして中国や日本で活動をする。

尾崎秀美やアグネス・スメドレーからも、同じような感情を読み取れます。日本を愛する心、支那を愛する心、ソ連を愛する心。彼らは、愛国心を信じて戦った人間たちであったと思います。
第二次世界大戦が終わり、日本は荒廃した国土で一から復興していった日本にあって、愛国心は太平洋戦争の代名詞のような教育を受けてきたような気がします。

日本が復興に成功し、世界第2位の経済大国となり、、大量生産、大量消費、大量投棄の時代を先導するような国家になって、スポーツの祭典の時にはにわか愛国心で自国を応援している。
そう外国からは思われているようにも思える。

これから2年間(もしかしたらそれ以上・・・)勉強していこうと思っているのは、経済学。特に開発経済学方面を中心に国際経済政策の勉強をしていくことになると思います。

開発経済学に携わるためには、世界に対してパトリオティズムを持たなければならないかもしれない。
でも、世界で様々なイデオロギーが飛び交い、それが紛争の原因となり、人々が殺し合いの応酬を続けている以上、世界に対してパトリオティズムを抱いたり、コスモポリタニズムに陶酔するようなことは、精神分裂症を引き起こさない限り不可能かと。

書くネタがなくて、何を書くかを指とキーボードに任せていると、こうなるんですね。

でも、愛国心でなくとも、新渡戸稲造の武士道や、サイードのオリエンタリズム何かはナショナリズムの根拠とはなり得ると思います。
愛国心なんて束縛的な感情は持たなくても、せめてナショナリズムは必要ですね。

映画はしごの2本立て

2006-03-14 22:38:50 | Weblog
今日は映画館をはしごして2本映画を見ました。一つはサイレン。ホラー映画。
もう一つはシリアナ。
ホラーは久しぶりでした。映画の進行が支離滅裂で、どういう内容かを理解できたのが最後の最後でした。面白かったです。
結局は主人公の幻聴、幻覚、幻想の進行が映画の進行でした。内容は、日本のとある島での話。小笠原とか奄美大島とかのような、本州から気が遠くなるほど離れた島での話。サイレンが鳴ると、外に出ていた島民は全員消失してしまうというもの。

もう一つのシリアナは、アメリカ合衆国の石油企業がたくらむ石油利権の絡んだもの。ある石油会社2社が合併することで莫大な利益がアメリカ合衆国に流入するんだけど、その合併は違法な手段での合併で、これを遂行しようとするアメリカ政府と石油資本とこれを阻止しようとするアラブの資本家とその仲間との駆け引きを描いた作品。

前者は完全娯楽で後者は現代政治かな??しかし、久しぶりに映画を見ました。
映画の予告で、ジェット・リー主演のSPIRITって言う作品が近日公開されるらしく、そいつにも興味が出てきました。見に行こうかな~。

でも、今日は歩くのが辛かった。昨日の都心徒歩旅行のツケが今日になって・・・。足の関節を痛めたみたい・・・。

都会散歩

2006-03-14 00:37:29 | Weblog
う~ん、今日は久しぶりにサークルの仲間と飲みました。やっぱ飲んでいて楽しいですね。みんなお疲れさまっす。
話も珍しくサークル以外の話題で盛り上がったし、みんなで楽しくたのしく飲めました。

それもそうだけど、今日はもう一つ。
歩けば歩けるもの。
御茶の水から新宿まで徒歩で移動しました。最初はそんなつもりなかったんだけど。まず最初は、銀行を探して靖国通りを新宿方面へ。銀行が見つかり振り込みをすませると、そこは竹橋ジャンクションの下。ここが竹橋か。いつも運転していると下の風景はわからないからね。
その近くに大きな鳥居と建物が。
靖国神社と武道館です。そう、ここは九段下。
ついでだからと靖国神社を参拝し上を見上げるとH大学の大きな建物が。そうかここは市ヶ谷に近いのか。
市ヶ谷に近ければ、ついでに四ッ谷まで歩こう。四ッ谷はサークルの本拠地。S大学のある駅。
目指すは新宿。中央線各駅停車で新宿までは、信濃町、千駄ヶ谷、代々木、新宿。
快速では次の駅。

良い機会だからもう少し歩いてみよう。

四ッ谷の交差点から、赤坂迎賓館の分かれ道を右へ。左へ行けば新橋、溜池。永田町方面です。右へ行けば外苑、信濃町。
右方向へ歩き、公園の横の道を入って信濃町の方向へ。
歩いていくと中央線の線路と、首都高4号線の道へ。さらに裏道を歩き、信濃町へ。K大学病院が目の前に。
ここまできて電車もあっけないな。

歩こう。

首都高沿いを歩いてガード下へ。標識は右へ行けば代々木。左へ行けば原宿(!?)そういう地理になっているのか。
右へ曲がり、代々木方面へ。道を歩いて行くと、千駄ヶ谷の駅。
上を見上げると大きなタワーが。Dタワーです。代々木に近い証。
Dタワーを目指して、外苑の外側を歩くこと約10分。漸くDタワーのふもとへ。
Dタワーは代々木駅前。
代々木に着けば、新宿なんてもうすぐそこ。電車に乗る方がばかばかしい。
K書店の前を通り、南口前を突っ切り東口へ。

都心を突っ切るコースは、所要時間2時間ですね。

雑談詰め合わせ

2006-03-12 00:19:14 | Weblog
今日は昼間、大学でTOEICの試験を受け、夕方、新宿でサークルの仲間と夕飯を食べた。その後親しい数人でファーストフード店に入り、軽食を挟みながら、少し話をした。
この仲間で話をするとき、お酒が入っていないと話題は国際政治や国内政治の話になってしまう。でも、お互いに話をしていて勉強になるし、そういう話ができる友人を大切に思う。

そんな堅い話はここまでにして、今日は自分をほめてやりたい。
いつもの仲間で集まったのに、一滴もアルコールを接種しませんでした。極めて健康的な行動をとりました。

それでも堅い話は続くらしい。

今日、帰りの電車のなかで携帯でニュースを見ていたら、大きなニュースを目にしました。旧ユーゴのミロシェビッチ氏が死去しました。ミロシェビッチ氏はコソボ紛争の際に、セルビア人の悲劇を訴えながらボスニア人やアルバニア人の人々を大量虐殺した罪が問われています。彼は自分の行動を否定しながらハーグの国際司法裁判所で裁判の途中でした。ミロシェビッチ氏はコソヴォ紛争の際のキーパーソンであり、戦後のヨーロッパにおける民族紛争では大きな影響を与えた人物であり、その罪は大きいと考えています。
コソヴォ紛争では、多くの難民の他に多くの国内避難民も出しました。紛争が行われている国から逃れることができず、国内でも居場所を失った国内における難民を出し、UNHCR(国連高騰難民弁務官事務所)の活動を困難にさせました。当時、UNHCRは、(今もそうですが、)難民救済が目的であるので、決して人に武器を向けることはなかった。しかしユーゴスラビアでは、武器を持たずに活動することは不可能に近かった。そこでUNHCRは、当時ユーゴで活動していたUNPROFOR(国連保護隊)の援護によって難民や国内避難民の人に対して救済の手を差し伸べました。しかし、このときのUNHCRの行動は、一部の人に「難民救済に際して武力を伴った」と非難されました。この解釈は根本的に間違っている。当時、UNHCRは、彼らが単体で活動することは、彼ら自身の生命の危険が伴い、とても活動できる状態ではない。そこで、当時ユーゴに駐留していたUNPROFORに安全な物資調達ルートを確保してもらった。その物資調達のための手段として協力を求める相手として、戦闘能力のある組織に頼らざるを得なかったという事情があったのです。

ミロシェビッチ氏の死去は、戦後の民族対立の歴史に一つのピリオドを打つ事柄だと思います。それは良い意味でもなく、悪い意味で見もなく。むしろ、暗い影は歴史として語り継がれることでしょう。その意味で、ミロシェビッチという人物がこの世界で生きていたという事実は、歴史の上で残しておかなければ成りません。二度とこのような悲劇を起こさないために。

Gene 遺伝子

2006-03-10 22:35:30 | Weblog
題名ほどにはお堅くはないけど。

リサーチ、論文検索、そして執筆。
去年の今頃は、国連大学図書館、国会図書館、明治大学図書館、などなどに砂漠化の資料を求めて駆け回っていました。

今年は、もっぱら経済学の勉強。去年とは裏腹にテキストの内容を勉強、時々経済ニュースを自分なりに考えてみたりと。
日銀の量的緩和政策の解除なんかもホットトピックですが。
そもそも利子率に依存しない形での貨幣供給なんてマネタリーポリシーでは一番やってはいけないことだと思っていますが。貨幣を増刷してインフレを起こすことはその国の貨幣の国際的信用を失墜させるだけです。

まぁそれはおいといて、
今日、久しぶりに燃えました。
久しぶりに大学の図書館で論文検索をしましたね。去年の秋ぶりですかね。まぁアジア通貨危機に関する論文と通貨危機に伴うロシア経済についての論文を探しました。本当は国会図書館で探したかったんだけど、移動が面倒くさかったし、大学図書館で事足りたので大学の図書館で論文検索をしていました。まぁ、知る人ぞ知る、国際問題や外交フォーラム、ちょっとマニアックなところでユーラシア研究なんか。

大学のOPACだと分からないんで、わざわざインターネットから日本国際問題研究所のページへ行き、そこのアーカイブスでキーワード検索。そこで内容の近い論文を探して、その論文を図書館で探す。

そんなことをしているウチに、1冊、アジア経済学のBGを書いている気分になってきました。


一年前が走馬燈のように思い出されました。
まるで、眠っていたリサーチ遺伝子が冬眠からさめたように。

そういうきっかけがあると、忘れていた一年前の思い出をふと思い出して、あれから一年。一年前は忙しくリサーチをしていたのに、それからの一年の刹那的な生活が罪に思えてきます。

はい、以上。

ジーンズ

2006-03-08 22:44:25 | Weblog
リーバイス。かつてこのブログでリーバイスについて語りかけたことがありました。
正式名称:リーバイ・ストラウス(Levi Strauss)通称Levi's。
ジーンズのフロンティアです。ジーンズは、ゴールドラッシュで沸く金鉱で金を発掘する作業員の作業服としてその歴史は出発しました。
元々デニムの生地は、主にテントに使用する素材でした。その素材となるデニム生地を製造していた人と、炭坑や工場で働く作業服のデザインをしていた人同士との共同開発で誕生したのが元祖ジーンズだと言われています。
そのジーンズが誕生したのは、18世紀後半から19世紀中葉と考えられています。
そのジーンズがファッションとしての地位を築くようになったのは、1950年代、ジェームズ・ディーンが名作「理由無き反抗」でブルージーンズを穿いていたことで一躍ジーンズは時のファッションとなり、それが約半世紀を経てファッションとしての普遍的地位を築いてきました。

ジーンズが労働者の服として受け入れられたのは、その耐久性が第一の理由に挙げられると思います。今日でもジーンズの耐久性は他のどの布製の服よりも勝り、かつそれを身につける人によって、形状や色落ち具合も変わって来るという点で多くの人に支持を受けているのだと思います。

自分もそのようなジーンズが好きな一人です。それも、ジーンズならばリーバイスしか穿かないという頑固者です。
何でだろう、ジーンズの生地が好きになると、それだけにこだわりを感じるのでしょう。
自分はEDWINでもLeeでもない。Big Johnでもない。Evisでもない。Levi'sなんですね。それは色落ち具合、履き潰してきたときに生まれるフィット感、歩きかた、足の形によって様々に出てくる立て落ちやヒゲ。
ジーンズには無くてはならない要素です。

ここまで表面的にジーンズを語っている自分がアホみたいですが、

でも、最近許せない流行が市井でみられます。ユーズド加工。出来上がったジーンズにヤスリを掛けたり、小石と一緒にウォッシュすることで、履き潰したような味を予めジーンズに施しておくというモノ。これは許せない。ジーンズの良いところは、そのユーザーが履き潰していく段階で色を落としていくもの。始めからユーズド加工なんて反則です。

一昔前は、ノンウォッシュ、リジッド加工が主流で、それこそ自分で1から色を落としていくのが普通でした。なので、ジーンズによっては色落ちまで数年かかるモノもあれば、逆に数ヶ月から一年で履き潰せるモノもありました。リーバイスなどは、膝の部分を本当に色を落とそうとすれば、ヴィンテージの場合は数年かかります。

逆に、Evisやハリウッドランチマーケットというブランドでは色が落ち始めるまでに数年かかるというモノもあります。

今はユーズド加工が主流らしい。リーバイスのショップへ行っても、たとえヴィンテージモデルの501XXであっても、ユーズド加工されている。これは、宝石にヤスリを掛けてその価値を落とすことと同じです。ヴィンテージモデルはリジッド加工で市場に出すべきだと思います。でも、ヴィンテージモデルでさえも、ノンウォッシュを探すのは難しい。

今日、久しぶりにリーバイスショップへ行ってきました。リーバイスの直売店のような店。アウトレットなので、セカンド品や廃盤になったアイテムが主な商品なのですが。そこにおいても、リジッド加工はほぼ皆無。

ほぼ全てが何らかの加工が施されている。
今日、そのショップで手に入れたのは、501XX。ヴィンテージモデルでいわゆる、Big E、赤ミミと呼ばれるモデルです。 恐らく1950年代のモデルだと思います。
定価で買うとリジッドだと20000円前後。それがユーズ後加工を施すと、2万が3万にも4万にもなる。
普通、宝石にヤスリを掛けて値段が上がるでしょうか??
今日買ったモデルも、ストーンウォッシュとまでは行かないけど、リジッドモデルにサンドペーパーで表面を多少こすっているモデルですが、ヤスリがかかっがだけでも2万が3万になる。
定価で買う気にはとてもなれません。でも、そこがアウトレットの強み。このモデルが6000円そこそこ。大体80%Offでしょうか。破格です。それも2nd品じゃなくて廃盤品。一度は一級品として市場に出た商品です。
経済学的に考えれば、在庫として十分に企業価値に付加価値を上乗せするだけの力はあります。

これを手に入れる気になれたのは、多少ヤスリがかっていても、ベースがノンウォッシュだからでした。

これからはこいつを履き潰していくことになるのでしょう。

オイル交換

2006-03-08 17:16:32 | Weblog
今日、車のオイル交換をしてきました。
走行距離、実に20000㎞ぶり!!

先日、ガソリンスタンドでオイル交換を勧められ、一応オイルの状態を調べてもらうも、交換は断りました。
その時、お金も持ってなかったし、オイルを交換している時間もなかったし。

でも、確かにエンジンの音が少しうるさかった。エンジンの音が先代のビートルのよう。
こりゃ、オイルを交換しなければ焼き付きを起こすな。

で、春休みに入って、バイト、バイト、肉体労働に世論調査を経て、なんとかオイル交換が現実的になって来ました。

オイルを交換する時には、オイルだけではなく、オイルフィルターも交換しなければならないし、違う銘柄のオイルが入ったときには、一度エンジンの内部をきれいにしなければならないらしい。でも、流石にエンジンをオーバーホールするわけにも行かないので、純粋に近い油をエンジンに通し、少々エンジンを回しておく。

そうすることで、純粋な油がエンジン内を循環し、前のオイルや、エンジンに溜まった不純物を取り除いてくれるらしい。

そんなこんなで、オイル交換は面倒くさいし、お金もかかる。
で、横浜は幸浦に近いスーパーオートバックスで、オイル交換を遂行!
新しいオイルを交換する前に純粋なオイルでエンジン内を洗浄するのだが、我が家の愛車のエンジン内の汚いこと!!
1回の洗浄では不純物が撮りきれないらしい。循環されて出てくる油は注入前の透明な色彩を失い、不純物と劣化したオイルが混じりとんでもない状態!!
これじゃぁまだ新しいオイルを入れるわけにはいかず、再び洗浄、三度洗浄・・・。結局、3回もエンジン内を洗浄・・・。

そしてようやく新しいオイルの注入。。。

交換作業は小一時間で終了。作業のあいだ、ピットの見えるカフェで一休み。

オイル交換後の車の調子といったら、スムーズ、スムーズ。

音も静かになりました。
燃費も良くなった。今までは、何でこんなに燃費が悪いんだろう、と思うくらいガソリンの減りが早かったのに、オイルを交換してからは、燃料ゲージも全く動かない!
悪燃費の原因は劣化しすぎたオイルのせいだったんですね。
確かに、
本当は、オイル交換は3000キロに一回するみたい。
3000キロなんかすぐだよな・・・。

夕暮れ

2006-03-06 23:18:04 | Weblog

話は前後しますが・・・。
まさか、新宿の副都心で世論調査をするとは思わなかった。
実際世論調査をしてみると、新宿の奥の深さに驚きました。
夕暮れの副都心。

週末の夕暮れ時。

この大きな街で世論調査。

はっきり言って、こんな街で世論調査なんか成り立たないと思った。
それは、本当の意味で、人の顔が見えなかったから。巨大な人工物が割拠し、その濁中に、人はまるでのみこまれているよう。

それでも世論調査をしました。
始めからあきらめてはいけない。

諦めませんでした。それは、成果として現れました。
実際、回収率は平均値に達したのです。
これは、対象者の方次第での結果だけではなく、調査員の調査経験とも比例すると思う。世論調査の大切さを相手に説明するためには、過去に、説明が下手で何度もチャンスを逃していないと、うまい説明はできない。

失敗が、成功という結果を導く。

世論調査の意味。それは、世論と政治との橋渡し役。
世論調査の結果が新聞に掲載されることで政治を動かす。その原動力を作り出すはずの世論調査。
調査対象者の人が今、何を考えて政治を観ているのか、それを裸眼で目にすることができるのは、調査員しかいないんです。

孤独のなかで世論調査を続けられるのは、これがあるからです。
これがなかったら、世論調査何かやっていません。