くろちゃんの甲府城つづりⅡ

やまなしの甲府城跡や文化財のようすや活動を、
くろちゃんと仲間たちがなんとなく紹介するため再登場!

柳沢家ゆかりの寺・その伍「続・月桂寺」~吉保さんパート⑬

2016年12月16日 | 甲府城日記
こんにちは
一段と厳しい寒気がやってまいりました 今朝の我が家は-4℃…色々凍ってます…

さて。
柳沢ゆかりの寺シリーズの続きです。先日3日に月桂寺の門前の様子などをご紹介しました。
で、こちらのお寺には、我らが柳沢吉保の息子の吉里さんが眠っています。
郡山藩の柳沢家初代藩主(城主としては19代目)ですから、てっきり奈良の菩提寺・永慶寺にいらっしゃるかと
思い込んでおりましたら、東京にお墓があるとのことで……
甲府藩主として15年、大和郡山藩主として22年藩政を全うした吉里さんは、延享2年(1745)に桜田の幸橋屋敷(江戸上屋敷)で
59年の生涯を閉じました。参勤交代で参府中だったんですかねぇ…?
戒名は「乾徳院瑞龍全刹大居士」。
ちなみに、吉保パパや尊敬する信玄のお墓がある恵林寺の山号が「乾徳山」なのですが、偶然…ではないですよね、きっと…。
吉里さんの治世ぶりの一端は以前ご紹介した通りです。(10月22日11月5日) 
(奈良での治世については、大和郡山市のホームページに紹介されていますよ

そうそう、吉里が甲府から大和郡山に移る際の有名なエピソードに、「年貢米完納」というのがあります。
当時、藩主が国替えになると、それまでの年貢未納分はそのままにして良いという
(いいんだか悪いんだかわからない)慣例があったのだとか
でも、甲府領内の民は、年貢米の未納分すべてを柳沢家の新任地へ送り納め、
「年貢米滞納分なし」で柳沢家は甲斐国を幕府へ明け渡したとのこと
吉保パパが甲斐国主になって減税したなんてお話を以前書きましたが、
これこそが、吉保・吉里親子よる約20年間の仁政への応えではなかったかと思います。
この領主さんで良かったなぁと思っていなければ、きっと年貢なんて踏み倒しちゃいますよ~
    
こちらが、吉里公のお墓です。(柳沢家の花菱の家紋が見えます



「甲斐の民を慈しんでくださって、ありがとうございました。」
コメント
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