こっぽんおりブログ

朝鮮学校と民族教育の発展をめざす会・京滋(愛称:こっぽんおり)のブログです。

ヘイトスピーチを名誉棄損罪で裁いた意義とわたしたちに残された課題

2021-02-13 16:35:41 | おしらせ
2月は朝鮮学校生徒への高校無償化適用を求める運動月間です。
いまのところ京都では集会や街頭行動の予定はありません。
 
そこで、このブログ記事にある文章をネット上で拡散して欲しく思います。
昨年12月14日に確定した「朝鮮学校名誉棄損事件裁判」判決に寄せた、
こっぽんおりからのメッセージをみなさまに届けます。
 
 
 
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ヘイトスピーチを名誉棄損罪で裁いた意義とわたしたちに残された課題
-京都朝鮮学校名誉棄損事件裁判判決の評価-


2021年2月13日

朝鮮学校と民族教育の発展をめざす会・京滋(こっぽんおり)

 

 2020年12月14日、最高裁第3小法廷(林景一裁判長)は、京都朝鮮第一初級学校跡地前でヘイトスピーチ(2017年4月)をおこない名誉棄損罪に問われていた在特会元幹部の西村斉被告の上告を棄却した。これによりヘイトスピーチを裁く刑事訴訟として初めて名誉棄損罪による有罪判決が確定した。そもそもヘイトスピーチを名誉棄損罪として公判請求(2018年4月20日)したこと自体、本件が初めてのことであった。そのうえ、京都地裁判決(2019年11月29日)と大阪高裁判決(2020年9月14日)がともに有罪判決を下したことの意味は非常に重い。ヘイトスピーチを厳しく処罰する社会に向けて、さらに一歩前進したと評価できる。

 この裁判において、検察官は、①本件演説の動機には公益目的の特例要件が満たされないこと、②被告人の前科に在日朝鮮人への人種差別発言があったこと、③再犯のおそれが大きいことを指摘している。地裁、高裁の各判決も、被告人の発言の重要部分には真実性の証明も、それを真実と信じる相当な理由も認められないと述べ、名誉棄損罪を免れる特例には値しないと断じている。これは、京都朝鮮学園、弁護団、関係者たちが事件を決して看過せず、司法に積極的に働きかけたことで勝ち取った大きな成果である。それと同時に、2016年にヘイトスピーチ解消法が施行され、その後も各自治体で公的施設使用のガイドラインが策定されたり、2019年に川崎市議会がヘイトスピーチ禁止条例を全会一致で可決したりと、全国各地のヘイトスピーチを許さない運動が制度圏において拡大した成果でもある。

 しかし、この刑事裁判で、当事者の傷つけられた尊厳が回復されたとは言い難い。裁判の過程でヘイトスピーチとデマが一方的に繰り返されたほか、裁判官がレイシストの言説戦略にのせられ、朝鮮学校を攻撃するための言説の一部に公益目的を認め刑の確定において「考慮すべき事情」としたからだ。このことは、差別動機に基づく言動に対して処罰の甘い日本司法の課題を浮き彫りにした。

 被告は、前科(2009年京都朝鮮学校襲撃事件)の最終刑の執行後1年も経たないうちに本件違法行為を起こした。朝鮮学校跡地前の公園に立ち、朝鮮学校と日本人拉致問題を無理やり結びつけて学校を貶める主張を拡声器で発言している。有罪判決を受けても反省しないばかりか、同じ場所でヘイトスピーチを平然と繰り返す姿は、司法判断に唾を吐く行為と言えよう。それにも関わらず地裁判決は、「学校の業務を直接的に妨害した前科とは犯行様態が大きく異なるから量刑にあたって前科を過度に重視しない」との旨を述べ、差別犯罪の連続性、悪質性を断罪しなかった。高裁判決は事件の連続性を認めたが地裁判断を追認している。

 また、公判廷において、検察側が提出した証拠数は23と最小限にしぼられていたのに対し、被告弁護人は朝鮮学校に疑いの目を向けるジャーナリストや公安調査庁の資料など158の証拠を提出、被告証言の場では在日朝鮮人への対応を「外来魚駆除」に例える発言が反論も制止もされずにつづけられた。そして、判決は「被告人は、主として、日本人拉致事件に関する事実関係を一般に明らかにするという目的で判示の行為に及んだ」として、そこには「公益を図る目的があった」とみなしている。

 レイシストの言説戦略のひとつに、単なる情報の羅列を因果関係があるようにすり替える手法がある。すなわち、「どこそこの朝鮮学校の元校長と言われている人物が、拉致事件の実行犯だという話がある」という伝聞情報を、「朝鮮学校の関係者は、日本人拉致事件に関わっている」というように、一部の話を一般化させ、あたかも根拠があるかのように語るのだ。レイシストは理由があって差別をするのではなく、差別をするために理屈を探し出してくる。他者への排撃を正当な政治行為として理屈付けるために、悪役が糸を引いているという架空のシナリオをつくり、悪役から「われわれ」と「祖国」を守ると主張する。本件判決は、この種の言説戦略にのせられてしまったのだ。ここにわたしたちが乗り越えるべき課題がある。

 このような誤謬を解く鍵は何か。まず、刑事司法手続きの形式的限界が指摘できる。被告らの提出する権威付けのための資料ばかりを証拠採用する一方、検察が証拠提出しなければ、差別動機に関する証拠は考慮されずに訴訟が進んでいく。この点で限界を超えていく可能性を見たのが、川崎市ふれあい館脅迫ハガキ事件の裁判である。威力業務妨害罪が問われた裁判で、検察を通じて裁判官は被害者の意見陳述を認め、横浜地裁は実刑判決を下した(2020年12月3日)。とはいうものの、差別的言動の断罪は、被害当事者の語りを前提にせずともなされるべきである。本当に変わるべきは、被害者ばかりが心身をすり減らして差別の不当性を訴えなければならない社会の関心度である。それには、差別を禁じる法制度や差別を抑止する社会の仕組みが必要である。人種差別禁止法が制定され、検察官や裁判官がレイシズムは許容できないという反差別の規範意識を兼ね備えるならば、差別動機を量刑過重として判断できるだろう。差別的言動の目撃者が犯行を通報し警察がいち早く取り締まっていれば、裁判にコストを費やすかわりに、被害者の権利回復のためにこそ社会の側がより多くの行動を起こせるはずだ。さらに、拉致問題の言説を用いることで、「朝鮮フォビア(嫌悪)」が容易に煽られる日本社会の意識を転換することが求められている。

 今回の裁判では、検察がヘイトスピーチを名誉棄損で訴え、裁判所が断罪するという成果を勝ちとった。ヘイトスピーチの生まれる背景には、朝鮮半島に対する日本の植民地支配の歴史があり、その歴史的事実を否定する昨今の動きがある。ネット上で事実を歪曲して発信し、確証バイアスを強化することで、差別は扇動されてきた。2009年の京都事件では、検察は被害者(京都朝鮮学園)の評価を貶めたことを理由に加害者(在特会ら)を侮辱罪で立件した。今回は、具体的事実の適示に真実性がないことを見逃さず、より重い犯罪である名誉毀損罪で起訴した。事実の歪曲が問題とされたところに本件判決の意義の重さがある。ようやく検察実務のなかでも、特定の個人や団体に対するヘイトスピーチは現行法で処罰できるという一定の理解がされるようになったと思われる。残された課題は、不特定多数の人々により構成される集団に対するヘイトスピーチへの対応である。特定の属性を理由として十把一からげにまとめて差別し個人の尊厳を傷つける行為をも許さない法制度が必要急務である。差別に法の抜け穴をつくらせてはならない。

 差別禁止法の制定運動と並行して、わたしたちは差別を許さない地域社会をつくり、制度的レイシズムとたたかっていく課題と日々向き合っている。教育課程の無償化から朝鮮学校を排除する日本政府。その違法性を訴えた裁判でまるで国策と一体化したかのような判決を下した司法。法廷闘争に加えて、法廷外から判決の意味を付与し、克服すべき課題を解き明かして、ともに乗り越えていこう。上からのヘイトスピーチを含め、レイシズムを根絶するまで運動を高めていこう。



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