辻まことについて

2020-06-29 21:29:52 | 日記
 お暑うございます。梅雨末期の大雨にお気を付けください。うちのダメ娘に、勉強しろ!と課題図書を与えましたが、全然興味を示しません、、、。

 辻一つじ・まこと)って、どういう人?って、難しくて、、、。検索すれば、ある程度、わかるでしょうから、爺さんとしては、それ以上の解説ができるわけではない。 こうやって文章を書こうとすると、とてもしらふでは書く勇気はないし、で、晩酌ほろ酔いの景気付けでpcに向かっている。 あらためて考えると、結局、爺さんが、なぜ「つじまことの本に惹かれて、いたのか」ということしか、書けないのであります。もっとも、爺さんより若い世代の人には、ほとんど面白くもない話です。

 つじまことは、どういう人か、この写真を見てください。
 かっこいいですねぇ。いろいろと受け売りの解説するより、この写真が物語っています。爺さんも、こんな壮年になりたかったなぁ! それはどだい無理ですね。持ってうまれたモノが違います。 登山家にして、、が、「アルピニスト」「登山家」「岳人」と言うイメージではありませんね。音楽家にして、、が、「作曲家」「演奏家」「声楽家」「フォークソンガー」、、とかでもないようですね。画家にして、、が、「芸大卒」「日展作家」ではありませんねぇ。思想家にして、、父上、母上にはそういうレッテルがはられてるようですが、、。作家、、、小説は書いていないようですね。

 辻まこと、1913(大正2年)~1975(昭和50年)だから、爺さんより36歳年上だから、父親世代というほうが分かりやすい。晩年、山岳雑誌『岳人』の表紙画を描いていたとのことなので、その頃の山屋さんにはなじみのある方でしょう。爺さんは、山登りと言ってもせいぜいミヤマキリシマの久住に行ったくらい。でもなぜかこんな絵に惹かれて、
昭和50年代、ほぼつじまことの本は買いそろえて、

ひそかに楽しんでおりました。爺さんは、生活上の切羽詰まった事情で何度も転居しましたので、そのたびに大切にすべきものを失い、小学校はおろか、中学、高校の卒業アルバム、写真さえのこっておりません。が、40年ほど前のこの本は、なぜか手元にあり埃をかぶっておりました。
 まぁ、寅さんの映画のようなものでしょうか。理不尽とも言える激務にしがみつきながら、酔眼に紐解いて、生きることの糧にしていたのでしょう。
 辻まことが、どういう人か、興味があれば、瀬戸内晴美(寂聴)さんの出世作『美は乱調にあり』(岩波現代文庫)をお勧めします。

 もう、6月も終わりですが、なかなか家事世事に多忙で、念願の唐比のハスを見に行けそうにもありません。
橘湾岸秋が、開催されれば今年も是非走りたいと思います。言い訳探さんで、トレーニングしないとね、すぐ、よぼよぼ爺さんです。おお、、、。 
 

、、、ん、だよ、ジジイ、うぜぇんだよ!

2020-06-21 19:27:45 | 日記
 お疲れ様でございます。今日は、日曜日。リフレッシュはできましたでしょうか。ダメ娘は、相変わらずの昼寝です。
起こすと、こうなります。目が少し怒っております。
年金生活なのに私を扶養家族にしてくれてありがとう』なんて、ぜったいに言ワンです。犬との愛は、言葉が通じないことにより成立しております。爺さんは、昨日は町内会役員会、今日は、校区での公園の清掃作業と、危惧していたように走るタイミングを失しております。

 前回、高村薫さんからみで、空海弘法大師)のことを書きましたが、”犬と空海”って、いつか何かで読んだなぁ、と探してみましたら、ありました。
辻一つじ・まこと)さんの画文集『山で一泊』のあとがきにある話。

 「まだ1歳半というのに溌溂たるところがなく、知らぬ人間をみるとウルサク吠えるくせに、表情は鈍くて、すぐゴロリと横になる。無芸大食の甘ったれペット」(うちのダメ娘!)を知人から託されて、飼ってくれるであろう甲州の山小屋の若夫婦のところへ連れていく。
 「温泉で一晩泊まって翌朝山を登るのが順だが、秋の夜道も悪くないからトミ(犬の名前)二人で歩き始めた。尾根を一本越して次の尾根にかかる途中に池がある。そこで焚火をして夜食をしたためた。風がすこしでてきてススキなんぞがゆれるとそのたびにトミは”キューキュー”というような変な声をだす。火勢が弱まるとだんだん私にすり寄ってくる。首筋をなでてやると、寒くもないのに細かく震えている。生まれてはじめて山へ来て、この夜の自然が、どうやら怖い様子だった。」
「、、、、思わず眠りこけて、はっと目をさましたら、焚火は消えかかり、、、月は池の向こうの森に沈みかけ、蒼い影が風景を先刻よりは沈鬱にしていた。私のまわりにトミの姿がなかった。」
「枯れ枝をくべて火を調え、もう一ぺんコーヒーを温めた。ビスケットをだして、トミ、トミと呼んでみた。すぐに枯草を鳴らして池の方からトミが戻ってきた。ビスケットを私の手からたべるトミはもう震えてはいなかった。ちょっと私が居眠りをしている間に一体何があったか知らないが、トミは今までとは違って引き締まった様子にみえた。」

 「その後、トミは兎狩りくらいならけっこう役に立つほどになったそうだ。」

 「私はそれから弘法大師のことを知りたくなった。、、、真言秘密の法もなにもちっとも知らないけれど、いろいろと想像するところ、どうもこの空海という人はトミのめざめのようなものをよく知っていたのじゃないかと思うのである。四国八十八箇所を歩いてくると人間だってトミのような経験を一度ぐらいするかも知れない。、、、ペット暮らしを抜けてみて、はじめて野良犬本来の生活のうちに本性を見たトミの経験は無意識ながら私にもおもいあたるところがないわけでもない。今の四国八十八箇所はもはや弘法大師の奨めたコースのようなチャンスを含んではいないだろう。」

 爺さんだって、萩往還の山道や、橘湾の海沿いを、星を見上げながらふ~っとため息をつくとき、野性の証明に触れたような気がするのですよ。うちのダメ娘は、もう手遅れでしょうが。
なお、この辻まことさんの本は、昭和53年に(爺さん29歳)に買ったもので、たぶん、読もうと思っても難しいと思われますので、長々と引用しました。辻まことさんについては、次回に少し書きます。
 では、暑さとコロナにお気を付けください。

果たして犬は本を読むのか

2020-06-16 17:06:11 | 日記
 お暑うございます。うちのダメ娘は、今日もお昼寝です。爺さんも、飼い主として申し訳ありません。寝てばかりじゃなくて、少しは勉強しろ!と言いたいとこです。

 果たして犬は本を読むのか? まず無理です。ただし、咬むことはあります。ダメ娘が、生後6月ころ、爺さんは、高村薫さんの小説新刊を寝っ転がって読んでいたところ、ちょっと油断の隙に、噛まれてしまいました。BOOKOFFに持っていけません。爺さんにとっては読みごたえのある高村薫さんも、ダメ娘にとっては噛みごたえの問題でした。高校生の頃、『赤尾の豆単』で単語を覚えてその端からそのページを破って食べる、、と言う話を聞いたことがありますが、まぁ、そのくらい受験勉強に励んで居れば、爺さんのその後の人生にも違った展開がありえたかもしれません。犬は、いくら食べてもダメでしょう。

 その、高村薫さん。爺さんよりは4っつ下。『黄金を抱いて翔べ』から、『マークスの山』、『照柿』『リヴィエラを撃て』と魅了されて、これまで読み続けてきた。
もっとも彼女の代表作とされる『晴子情話』3部作は文庫化されて読むことにしてるので『晴子』しか読んでない。作中、一つの舞台となる青森県津軽七里長浜は「みちのく津軽ジャーニーラン」で走りながら、この辺だなぁ、と想いを馳せたし、晴子さんの恋人らしき登場人物の名に”谷川雁”が出てきたり、ちょっとビックリ。高村さん、相当に”谷川雁”を読み込んでいらっしゃるようだし、ほぼ同世代の感覚を覚えるのです。

 2015年に、空海1200年を”追体験”し、『空海』が出版された。
 爺さん、高野山にはまだ行ったこともなく、山伏修行や四国の巡礼、真言密教の祈禱を映像で見るたびに、空海その人とその時代と現代はどうつながっているのだろう、、、との疑問を、薫さんが追いかけてくれた。その解説をできるわけでは当然ないのだが、ウルトラで夜を徹して走るとき夜空の星を仰ぎつつ、ふ~っとため息をつくのは、少しは空海さんが室戸岬の山中を駆け巡っていた時の境地を味わっているのではなかろうか。、、、と、薫さんの探索を読んで思うのであります。な、わけなかろうもん

 長崎のuさんが一人で島原半島一周ランをやったって、羨ましいなぁ! 唐比のハスも咲いてるようで、行きたいなぁ。まだ、動けません。涙!

梅雨入り前の夏日

2020-06-09 14:05:54 | 日記
 皆さん、お疲れ様です。福岡も、いよいよ明日は梅雨入りの気配。今日は、猛暑です。ダメ爺とダメ娘は、今日もお昼寝です。
申し訳ないワン。お昼寝話の続きです。

 9/27の「村岡ダブルフルウルトラランニング」が中止となりました。いよいよ、年内のマラソン大会は総崩れ模様で、望みを託すのは10/31「橘湾岸スーパーマラニック」秋と、jogtripの再開くらいかな。さて、「村岡ダブルフル」。爺さんは、2012第15回記念で66kmの部が開催されたときに、初めて42,195㎞を超える距離、すなわちウルトラマラソンを体験した。標高1000mの蘇武峠を登って、ウルトラってこんなに楽しいのか、とはまってしまった。

 村岡へは、マイカーで神戸へ新門司からフェリー、福知山城を見学して、国道9号線を走っていると、「山田風太郎記念館」の道標が見えた。ふ~ん、こんなとこになんで? と通り過ぎた。後で知ることになるが、山田風太郎は、兵庫県養父市の出身なのであった。 爺さんが高校生のころ、『くノ一』忍法シリーズの大流行で、風太郎さんはてっきりエロ大衆小説作家と思い込んでいた。ある時、(いつごろか思い出せないが)NHK特集で『山田風太郎の戦中派不戦日記』(これまた題名不正確)をたまたま観て、ふ~ん、こんなまじめな人なの、、、。

 爺さんが、お昼寝生活に入って、まずこれを読み始めた。『警視庁草紙』に始まる『山田風太郎明治小説全集』  明治維新の激流に運命を翻弄され、敗者の道を歩く人々、
 そして、極めつけは、これ。『人間臨終図鑑
17歳で死んだ八百屋お七から、121歳で死んだ泉重千代(鹿児島県徳之島のじいちゃん)まで、900人程か、その臨終の様を書き連ねる。明治物も、臨終図鑑も、昼寝で読み始め、晩酌してはまた読み、ついには明け方まで、読み続けたのであった。もちろん、布団に寝転がって。 人が死ぬ、、イヤ、他人が死ぬのは、どうしてこんなにも面白いのか! 

 不謹慎極まりないが。 さて、爺さん71歳、ここで死んだ方々は全4巻のうち第3巻の中頃。爺さん、まだまだ第1巻の終わりではないと、安心するのだが、これをすぎるとどなたも長いこと病に臥せっておられるようで、う~ん、これも困るなぁ! そうだ、やっぱり、『三途の川を走って渡ろう』と山西哲郎さんの教えに従い、明日は走ろうとあくびをするのです。

 ダメ爺娘のお昼寝話は続きます。すみません。

別れと出会いと、さまざまに

2020-06-04 15:09:10 | 日記
お仕事に励まれてある皆様、お疲れ様です。爺さんは、今日もお昼寝です。ダメ爺とダメ娘。
 4月の走行距離は245km、5月は、202kmと低迷しております。3月末から、身辺いろいろとありまして、さらにコロナ禍で身動きなりません。

 4月から住んでいる町内会(186世帯)の役を務めることになりました。何年も前から頼まれていたのですが、マラソン大会で出かけるのに支障があるので固く断っておりましたが、三女夫婦が同じ町内に入居し、孫がウロウロ遊んでいると、無碍にも断れず、というとこです。毎月10、25日には回覧配布物を、公民館からもらってきて19の隣組長さんに届けるほか、出事もあります。これで、マラソン大会参加は何回かは確実に無理です。

 4月末に、次兄嫁がガンのため亡くなりました。78歳。年明けから緩和ケア病棟に入り、兄はず~っと泊まり込んでいたようですが、コロナ禍のため面会禁止でした。兄も風邪で発熱し一時退出させられ、PCR検査陰性を確認して戻れました。義姉からは亡くなる4日前に電話をくれました。コロナで世間が緊迫していた時期でしたから、葬儀火葬は、兄が一人で行い、義姉の兄弟も参列させず、私にも来るなと。兄夫婦には子供がおらず、貧しいながら勤勉にふたり寄り添って生きてきたので、一人で最後まで送りたいという気持ちもあったのでしょう。

 5月26日、その三女に第二子誕生。やはりコロナを最大限に警戒して、と直ぐ帰れるように、爺さんも、ジョギングは自宅からせいぜい2kmのところをグルグル。ロング走には全く行けませんでした。

 走り始めてから友達になった方々と繋がっていたFBフェイスブックを、止めることにしました。きっかけは、元職場の男性先輩から友達申請があったことです。爺さんは、62歳で完全に元職業におさらばして、71歳のここまで、全く自分の為にだけの人生を生きようと決めてやってきました。その一つがランニングであり、そこで友達になった大事な仲間とのFBでしたが、たいして親しいわけではなかった先輩が、メッセージもなしに覆いかぶさるように入ってくるとは、、、即座に不承認にして、FBを閉じることにしました。同じ仕事で苦労をし懐かしいだけで,悪気は当然お持ちでないことは承知していますが、爺さんにとってはもはや敬して遠ざける世界であり、その世界の方からFBで覗かれるのもイヤなのであります。ワガママ、偏屈な爺さんではありますがお許しください。(もっともランニング情報は必要なので時々は開いてみることにしております。)

 というわけで、夏のように暑くなった日々、昼寝は続きます。