コーマーのコンシャス的ライフ

意識することによって、見えなかったものが見えてくることがあります。

「地球交響曲」に見る宗教性

2007年06月17日 03時39分19秒 | ガイアシンフォニー
昨日の朝日新聞に「地球交響曲」に見る宗教性という見出しで、ガイアシンフォニーのことが書かれていました。

一部転載

近年、教団に帰属しない多くの人の宗教意識について研究がすすみつつある。
「地球交響曲」はその格好の素材とみられている。
 浮かび上がっているのは「スピリチュアリティ」という概念。「見えない何かと繋がる感覚」などと定義され、霊性と訳されることもある。宗教の教えを必ずしも介せずに、何か人間を超えた存在に触れた感覚だ。
 龍村仁監督はそれを「大いなるものに生かされている実感」と表現し、自分のなかに閉じ込めているスピリチュアリティに、映画を通じて目覚めてもらえればと語る。「生かされているという実感がないことが、教育問題や少年犯罪など時代のゆがみの背景にあると思う。映画に登場する人たちは、その感覚があるから謙虚でいられる。大きな自然の一部であるような。。。。それぞれ個別のことを語っているのに、普遍的なものを言葉の奥に感じる」
 慶応大学の樫尾直樹・准教授(宗教社会学)は、スピリチュアリティを喚起する作品が受け入れられた背景をこうみる。
 「日本では80年代から近代的スタイルとは別の生き方を模索する人たちが増え、エコロジーへの関心が高まっていた。バブル経済がはじけたころに公開された地球交響曲は時代の心象に呼応し、ゆるやかなネットワークによる運動を生んだ。既成の宗教団体がそうした受け皿になりにくいなか。この映画は宗教の機能を代賛している面がある」


 バブル経済が崩壊したことで目に見える世界・・・物的繁栄が強調された価値観・・・だけが全てではない。それだけでは十分ではないということが、スピリチュアリティへ目を向けるきっかけとなり、その恰好の素材としてガイアシンフォニーが注目されたということがいえるのではないかとおもいます。
日本には特定の宗教が信仰される素地・習慣がなく、既成の宗教がもつ枠が敬遠されるなか、繋がりがあって生かされているのに、個としての自由・開放感が感じられることからスピリチュアリティ、ガイアシンフォニーが受け入れられたんじゃないかとおもいます。


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3 コメント

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こんにちは (memaido)
2007-06-17 08:01:28
はじめまして、楽しく拝見させていただきました。
またちょくちょく拝見させていただきます。
はじめまして (コーマー)
2007-06-18 19:31:56
memaidoさん、初めまして。
よかったら、またいらしてください。
ガイアシンフォニー (ミーヤ)
2007-06-20 10:46:25
ガイアシンフォニー六番のテーマは「全ての存在は響きあっている」でしたね。全ての存在は響きあう壮大なシンフォニー!ということで「ガイアシンフォニー」なんですね~。シンフォニーといっても「見えない何かと繋がる感覚」のことで、龍村仁監督は「大いなるものに生かされている実感」と表現しているんでしょうか。自然界の中で生かされていることは理屈では解っていても「実感」となると、なかなかです。人工的な社会の中にいても、意識することで、そういう「実感」が持てたら素晴らしいですね