Kom’s 気まぐれフォト散歩

デジカメ持って街中散歩

堺旧港

2011-08-31 11:20:18 | 泉州

堺旧港南波止場に明治10年築造された高さ11.3mの六角錘形の灯台。埋め立てが進み役割を終えた後、堺のシンボルの一つとして保存、現地に現存する日本最古の木造洋式灯台として国指定史跡になっています

 室町時代から安土桃山時代にかけて、天然の良港であった堺港は海外貿易港としても発展しました。後に大和川の付け替えにより衰退しましたが、江戸の商人と堺の人々により築港・修理されたのが現在の堺旧港の原型です。 今はその役割を堺泉北港(泉大津)移った。平成13~18年度に保存修理工事が行われ往時の姿が甦りました。周辺は龍女神像とともに新たな親水ゾーンとして親しまれています。


花火(岸和田港祭り)

2011-08-14 10:16:47 | 泉州

今年は7月30日土曜日20時~21時頃にかけ地蔵浜で最大8号球スターマインを含む1500発の花火大会があった。花火の軌跡を移すためにS:5秒間掛け、ISOオート、連写で撮った。そして作品を花として表現した。

岸和田港祭りの一つとして昭和28年ごろから花火が上がっていたそうである。日本では幕府の御金改役の後藤庄三郎光次の著作(幕府の儒学者の林羅山とする説もあり)とされる『駿府政事録』という日記・政事録によると、1613年(慶長18年)に徳川家康が駿府城内で外国人の行った花火を見物したというのが、花火という語で確実に花火が使われたと分かる最も古い記録とか・・・・・

ついでに世界では、紀元前3世紀の中国で爆竹が使用されたのが起源だという説もあるが、最初期の花火は6世紀、中国で火薬が使われるようになるのとほぼ同時期に作られはじめたと考えられている。ただし、10世紀まで花火は存在しなかったという主張もあるが、いずれにしても発明の地は中国であったとされる。

ヨーロッパに伝わったのは13世紀以降で、初期のものは祝砲の音を大きくしたり、煙に色などがつくようにしたものだったと考えられる。ヨーロッパでの主な生産地はイタリアで、火薬と花火製造がさかんに行われた。この時代、ヨーロッパの花火は主に王侯貴族のものであり、王の権力を誇示するため王が催すイベントなどで揚げられた。ロケットを除く打上花火はイタリアで開発されたという説もある。
日本で花火が製造されるようになったのは16世紀の鉄砲伝来以降である