日本三景の一つ松島は260余りの島からなっておる。高所からみた松島湾が絵になるが案内板のある位置(五大堂脇)からの写真は平凡である。「朝よさを 誰まつしまで片思い」芭蕉作、「松島やああ松島や松島や」狂歌師 田原坊作、「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」芭蕉奥の細道に同行した弟子の河合曾良の句
日本三景の一つ松島は260余りの島からなっておる。高所からみた松島湾が絵になるが案内板のある位置(五大堂脇)からの写真は平凡である。「朝よさを 誰まつしまで片思い」芭蕉作、「松島やああ松島や松島や」狂歌師 田原坊作、「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」芭蕉奥の細道に同行した弟子の河合曾良の句
奈良町は、今は世界遺産に登録されている元興寺境内に江戸・明治・昭和前期の町屋が立ち並ぶ伝統建築群地域で、奈良市都市景観条例に基づき「奈良町都市景観形成地区」(面積約48.1ha)の指定を受け観光スポットとして賑わっている。<o:p></o:p>
町屋の原型を保ちつつ現代風に改装された飲食店や雑貨店、公共文化施設、社寺が町内各地に点在するようになり、奈良の新たな観光スポットとして、各方面から注目を集める。細かく入り組んだ路地を歩きながら歴史的風情を楽しむ観光客で賑わっている。
江戸時代から続く築180年の米問屋で年商十数億円を売る豆腐屋さん、平成12年に念願の奈良町に豆腐料理のコースが楽しめる店を開店した。大阪からも食べに来るフアンがいる。
粋な和モダンの演出を施したお店。国産大豆100%の豆腐料理は絶品。おぼろ豆腐や生湯葉の刺身など、大豆を使った多彩な料理を楽しめる。中でも豆乳で煮る豆乳湯豆腐は珍しさとおいしさが人気。店内で販売されている豆腐はお土産にも。天然にがりを使用した絹や木綿豆富や、おぼろ豆腐がおすすめとか・・・
奈良県は全国の「蚊帳(かや)」の8割のシェアを占める一大生産地なのだそうです。大正10年の創業以来、蚊帳の製造を行ってきた奈良町の老舗の一つ、現在は3代目の吉田さん。店中には赤や青、緑のカラフルなのれん。テーブルクロスやふきんなど色とりどりだ。どれもみな蚊帳生地。若い女性グループやカップルが多い
奈良では江戸中期、柳生で特産の麻を使って生産が始まり、明治初期には県内の業者が特産の綿の蚊帳づくりに成功、一気に全国制覇を果たした。一九六〇年代前半には年に約二百万張(はり)が生産されたという。しかしクラーなどの普及で斜陽産業になった。2000年ごろからネット販売し、年間100張以上も売れているとか・・・・
150年の歴史を誇る砂糖専門店の老舗、米から麦芽を糖化した琥珀色の水飴「御門米飴」がこの店の看板商品、奈良町の代表的なお土産品になっている。
砂糖傳は創業150年の砂糖屋さん。安政元年、増尾傳次郎が奈良町に大和茶と炭店を開き、大阪や神戸にお茶を運んだ、帰りの船を砂糖で満たしました。需要の多かった砂糖は評判を呼び、いつしか砂糖屋の傳次郎で「砂糖傳」と呼ばれるようになった。
また米飴は元東大寺長老の故清水公照師の希望で作られ、大変気にいり「御門米飴」と銘銘し書いてくださったという。飴の容器は「空になっても使いやすい壷を選びや。」とアドバイスを頂いて佃煮や梅干を入れとして使えるような壷になったそうである。
うなぎの寝床のように作られた家の主屋の直ぐ裏(奥)は庭になっていて、増築する場合には庭を挟んで離れを建て廊下でつないでいる。この庭は中庭・坪庭となり、庭に面した廊下ぞいには風呂や便所を配置。更に離れの裏(奥)には蔵を建てていた。
格子の家の急な階段を昇って二階へ行く、風通し、採光を目的に格子窓が多い。主に物置に使ったのか・・・、先人の生活の知恵があちこちにみる事が出来る。
それぞれの家が間口いっぱいに母屋を建てています。これは切妻造平ら入り形式で一階建てか2階建で、それぞれの家が隣と接して建てられ、隣との間隔ほとんどありません、背の高い方の家が屋根をさしかけ、家と家の間に雨水が落ちないようにしている。
現在の奈良町独特の景観を作っている建物は江戸時代末以降の町屋であるが、税金が奥行きに関係なく間口の広さに応じてかけられたため、うなぎの寝床のように作られている。一番表の接客などに使われた「ミセノ間」から通路を通る人が良く見えるが、家の中は見ない、防犯、適度な採光と風通しの機能を持つ特徴的な格子。
町屋に入ると表から「ミセノマ」「ナカノマ」「オクノマ」の順で一列に奥に並んでいる。「ナカノマ」、「オクノマは」、食事の為の居間或いは寝室などの利用部屋の仕切りは襖だけで開ければ一つの大きな部屋として使う。
奈良町は現市街地南に広がる江戸・明治・昭和前期の町屋が立ち並ぶ伝統建築群地域で、近鉄奈良駅から歩いて約15分程度。町のほぼ真ん中に庚申堂(青面金剛像を).がある。青面金剛の使いの猿を型どったお守りは、魔除けとして、町内の家々の軒先に吊るされている。
庚申縁起に見える伝承によれば、文武天皇代に疫病が流行した時に、元興寺(国宝)の護命僧正が祈祷していると、1月7日になって、青面金剛が現われ、「汝の至誠に感じいったので、悪病を祓おう」と言って消え去った。その後、間もなく悪病がおさまった。その感得の日が「庚申の年」の「庚申の月」の「庚申の日」であったとされる。それ以来、この地に青面金剛を祀り、三尸の虫を退治し、息災に暮らすことを念じて人々が講を作って供養したと伝えられている。(Wikipedia)
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毎年3月の第2日曜と11月23日に、「庚申まつり」が行なわれ、参拝者に大根とこんにゃくの田楽がふるまわれる。<o:p></o:p>
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