備後国分寺の風景

とき折々の風情を見せるお寺の風景、そして行事の様子をお知らせします

日本の古寺めぐりシリーズ番外編4

2011-09-18 14:55:58 | Weblog
今月6、7日と、日本の古寺めぐりシリーズ番外編その4として、石川県の妙成寺、富山県の瑞龍寺、瑞泉寺にお参りした。

この度は日蓮宗に浄土真宗というこれまでお参りしてこなかった宗派のお寺にお参りした。共に般若心経をお唱えしない宗旨のため、お勤めのことなど気に掛かることもあったが、いずれも、いつも通り心経を唱え、御本尊の真言を唱えお勤めした。

各寺ではそれぞれ丁寧なご説明を伺った。妙成寺は、能登半島の付け根にひっそりと古色蒼然たる大伽藍が姿を現す。一度も大規模な火災がないというのは奇跡に近い。

瑞龍寺では戦国期の前田家と織田、豊臣、徳川の駆け引きなどを絡め、おもしろおかしく説明下さった。伽藍規模に比べ本尊が小さく、しかしお殿様の位牌は最大を誇る。そのアンバランスがこの寺に秘めた前田家の思惑が隠されているのであろう。

瑞泉寺では、まず山門でその彫刻のすばらしさに目を奪われ、木造建築として4番目に大きい本堂では、瑞泉寺の真宗に占める位置を丁寧にご説明いただいた。

羽咋市の日蓮宗妙成寺山門。



妙成寺書院から五重塔を見る。



高岡市の瑞龍寺仏殿。



南砺市の瑞泉寺本堂。



瑞泉寺太子堂。



瑞泉寺山門の井波彫刻。





ご参加下さった33人の同行と共に和倉温泉に一泊し、行きは仏教の、特にこの震災に絡めた供養について語り、帰りは沢山のご質問にお答えした。

企画添乗とも憎らしきツアーズ金森氏にお世話になった。ここを借りて御礼申し上げます。

お水取りと古寺めぐり

2011-05-04 16:53:52 | Weblog
3月2日と8日、奈良東大寺二月堂で行われた恒例のお水取りに参詣した。朝日新聞愛読者企画で、大勢の同行と共に。午後到着して、ゆっくりフリータイムで、東大寺・戒壇堂、行基堂、俊乘堂など参拝。また奈良国立博物館にてお水取り特別展示も拝観。

お水取りは、午後7時から30分ほど、練行衆が上堂される際の足元を照らす松明を拝見するのだが、その前に二月堂に上がり、観音様に皆さんで読経し参拝した。





このお水取り参詣の後、東日本を大震災が襲った。お水取りの行事中であったこともあり行中の練行衆の皆様はどんなお気持ちで続けられたのであろうか、そんな気持ちになった。あまりに被害が大きく生々しく、津波の被害、さらには原発の事故の終息もままならない状況の中、多くの行事が自粛、取りやめが囁かれた。

しかし、だからこそ立派にお寺の行事も、また参拝はなされるべきではないか、そう考えます。そして、震災の犠牲になられた皆様の供養となることを願って、日々勤めを行っております。

また、4月14日には、同じく朝日新聞愛読者企画として、日本の古寺めぐり新シリーズにて京三千院、寂光院を参拝。

三千院往生極楽院。国宝阿弥陀三尊の御前で常駐のお寺様からありがたい法話をいただいた。ありがとうございました。



寂光院本堂。新しく美しい地蔵菩薩様に参拝。



さらに、4月26日、同企画、日本の古寺めぐりシリーズにて、大覚寺と清涼寺を参詣した。

寝殿から撮った唐門。この唐門の先に心経殿があり、その前に前殿がある。心経殿の中に収められた嵯峨天皇の宸翰・勅封般若心経こそ、大覚寺の中心である。



大覚寺の前身、嵯峨離宮に嵯峨天皇がお作りになった大沢池。



清涼寺。本堂内に有名な国宝・生身のお釈迦様。丁度御開帳に当たっており、拝観できた。普段は秘仏。霊宝館に収められている国宝阿弥陀三尊は、清涼寺の元寺棲霞寺の本尊様で、大覚寺の初代恒寂法親王様が作らせたものと言われる。嵯峨光仏とも言う。





今回も、企画並びに添乗では、倉敷ツアーズ金森氏、並びに添乗員・森さんにも大変お世話になった。改めて御礼申し上げます。なお、これら参詣寺院についての詳細は、「住職のひとりごと」をご参照下さい。

朝日新聞愛読者企画日本の古寺めぐりシリーズ・唐招提寺と新薬師寺参拝

2010-11-18 08:36:16 | Weblog
11月10日、そして、16日に、朝日新聞愛読者企画・備後國分寺住職と巡る「日本の古寺めぐりシリーズ」にて、奈良の唐招提寺と新薬師寺に参拝した。

朝7時頃よりバスに乗り合わせ、それぞれ42人のご参加の皆様と共に一路奈良を目指し、車内では道中安全祈願の後、様々な仏教にまつわる話、そして、二か寺の解説をして現地到着。二か寺では、共に若い僧侶の方に、お話しをうかがた後、お勤めをし、境内を散策した。

10年にも亘る解体修理を終えた唐招提寺金堂。



手前に金堂、奥の建物が講堂、間の小さな建物が国宝金亀舎利塔に納められるお釈迦様の舎利三千粒を祀る鼓楼。



厳かな雰囲気漂う鑑真和上の御廟。



新薬師寺本堂。国宝薬師如来、それに国宝の最大最古の十二神将を祀る。



境内の五重塔。東大寺のお水取りを創始された実忠和上の供養塔。




ゆっくり二か寺を参拝し、帰りのバスの中では、皆様から寄せられた沢山の質問にお答えしたりしながら、帰路についた。この度もツアーの企画実施、添乗に倉敷ツアーズ、金森氏には大変お世話になりました。改めて御礼申し上げます。また、添乗員の森さんにも御礼申し上げます。

最後にはなりますが、それぞれこの日のためにいろいろと調べお話し頂いたお二人のお坊様に、この場をかりて感謝御礼申し上げます。


またこの二か寺に関する詳細は、ブログ「住職のひとりごと」をご参照下さい。

日本の古寺めぐりシリーズ番外編その3

2010-06-22 13:45:34 | Weblog
今月14日15日に、朝日新聞愛読者企画日本の古寺めぐりシリーズ番外編その3として、岡崎市の真福寺、それに名古屋市の興正寺、日泰寺、あま市の甚目寺に参詣した。

真福寺は本堂の中に八角堂があり中に井戸がある。そのお水が本尊様という変わったお寺だった。



こちらは本堂裏の大師堂。元三大師を祀る。



興正寺のシンボル五重塔。



こちらは西山普門院の中のお茶室から見た庭園の風景。向こうに本堂と五重塔が見える。



日泰寺の奉安塔。タイ国王から贈られたお釈迦様の真骨を祀る日本唯一のお寺。



甚目寺本堂。百済から仏教が伝来したときに贈られた三体の仏像の一つを本尊とする。



三谷温泉一泊の番外編。いつもながらにバスの中ではいろいろとお話しをしたりビデオを見たりのくつろいだ参拝旅行であった。往路では、これまでのアンケートに要望の多かった仏事全般の意味などについて話し、復路では、トウキョウソナタという映画を見ていたら、思いの外早く笠岡到着で十分な話が出来ず申し訳ないことであった。

今回も大変意味深い古寺を参詣することが出来た。企画添乗までお世話になった倉敷ツアーズ金森氏には心から御礼申し上げます。なお、各寺に関する詳細は「住職のひとりごと」をご覧下さい。

祝・行基菩薩立像開眼

2010-05-05 12:24:30 | Weblog
奈良時代の高僧にして社会事業家でもあり、また当時の国と日本仏教界をあげて建立せんとされた東大寺大仏の勧進職として活躍し、また全国國分寺の創建にも関わられた行基菩薩の立像造立を、平成20年4月に発願しました。その浄財を檀信徒の皆様からの写経奉納に求めましたところ、お陰様で、二年ほどの間に予定額を大幅に上回り沢山の写経が奉納されました。行基菩薩報恩謝徳の為とした『般若心経』の写経は、237人の功徳主より、そしてその巻数は丁度600巻を数え、その他金一封の奉納も沢山いただきました。ここに、その浄行に深く感謝し御礼を申し上げます。

なお、奉納された写経は、奉納者のご芳名簿と共にすべて軽金属製の箱に収め、菩薩立像の台石下に埋経させていただきました。埋経とは、その昔、寛弘4年(1007)藤原道長が弥勒下生の地と言われた金峯山に、法華経、弥勒経、阿弥陀経、心経を埋経したことが江戸時代に経塚が発見され明らかになっています。

これを先駆として、その時代から埋経と経塚の流行が起こるのですが、これは56億7千万年後に下生すると言われた弥勒仏の法座に立ち会い、またその時に埋経した経巻が自然に湧出すると信じられたからでありました。その場合の埋経された経巻は「法身之舎利」と言われ、まさに仏の悟りの心をそのままに生き写したものと信じる信仰に基づいていました。

ここに皆様からお預かりした写経も、尊い信仰心の現れとして、後世の法座に立ち会う信者の為に湧き出ることを願い、そしてその功徳が皆様に廻らされることを祈願し、なされたものであります。台座南面には、「奉埋経心経六百巻 奉為行基菩薩報恩謝徳 功徳主國分寺檀信徒二百三十七名 平成二十二年四月吉日」と刻まれました。

そして、ご案内の通り、4月4日午前10時半より、50名を超える檀信徒の皆様が参列される中、開眼法会を挙行いたしました。開眼作法の後、理趣経の読誦に続き、心経三巻を大衆唱和、下記の通り願文を読誦して、「家内安全・家運長久・福寿増長・智慧如海」を御祈願しました。



『行基菩薩像造立開眼法会慶讃祈願の文』
「夫れおもんみるに、経典を読み正法を観ずれば即ち自他の仏性を開発し、仏像を造り宝塔を建つれば忽ちに仏菩薩の福徳を荘厳す。凡夫是を学んで安心を得、衆生是を仰いで淨信を増す。かるが故に、福徳を得んと欲すれば、仏像を造り供養するをもって要となす。三世の諸仏十方の薩埵みなこの福智を営んで仏果を円満すと。
今茲に、機縁熟して、行基菩薩の尊像を造立、安置し奉る。行基菩薩と言っ者、大和薬師寺の僧にして、瑜伽唯識論を覚りて、都井を周遊し衆生を教化。諸々の要害に橋を造り堤を築く。聖武皇帝甚だ敬重し給い、東大寺建立の勧進職に任命し、詔して大僧正の位を授け給う。霊異神験類に触れて多し。時の人名付けて行基菩薩という。留まるところ皆道場を建つ。畿内に凡そ四拾九処。殊には、諸国國分寺創建にも努めたりと。夫れ我が備後国國分寺にも巡錫の由あり、福山城主伽藍造営の折行基菩薩像を安置し給えり。
よって今新たに菩薩立像を造立し、國分寺檀信徒二百三十七人六百巻の心経写経を埋経して報恩謝徳の真を捧げ、開眼供養の法席を敷く、請い願わくば、法会功徳主國分寺檀信徒写経奉納の善男善女、家内安全家運長久福壽増長智慧如海ならんことを。乃至法界平等利益
干時平成弐拾弐年四月四日 唐尾山國分寺中興第十四世全雄敬白」

なお、記念の品として、この開眼供養の際に御祈願した『行基菩薩御祈願寶牘』を用意させていただきました。開眼供養の後、近隣の方々には配布授与させていただきましたが、遠方の方など、まだお受け取りでない方には後日ご送付いたしますが、御一報下されば発送させていただきますので、ご連絡下さい。何卒宜しくお願い申し上げます。


『南無行基菩薩』


日本の古寺めぐりシリーズ第8回若狭神宮寺と明通寺参拝

2010-03-15 08:30:39 | Weblog
先週3月11日、福山市神辺町からバスに乗り込み、一路福井県若狭へ。42名の同行の皆様と共に、若狭神宮寺と明通寺に参詣した。思いの外交通事情が良く、思ったよりも早く到着。若狭湾に面した御食事どころ雅で郷土の名産焼き鯖のお膳を食し一同ご満悦。

神宮寺は、本堂のすぐ下にバスが着く。雪解け道を歩いて本堂へ。深閑とした静寂の中、内陣にご住職に導かれ参内。お勤めの後、深遠なる神仏の世界観について御法話があった。私たちは皆とらわれの目を持って様々なものにはまり込んでいる。神仏混淆のこの空間の中で柏手を打ち何ものにもはまらない本来の自分を取り戻して欲しいとのことであった。

本堂前の注連縄がゆるむとそこからお月様が顔を出すとか、ここと熊野は南北の線上にあり、その中間に奈良があるとか、寺紋である菊の中の鈴のお話しなど興味深い御法話であった。

神宮寺本堂



東大寺修二会でお供えされるお水の閼伽井



コンコンと沸いている霊水




次に明通寺へ。明通寺は隣に松永川が流れ、ずっと豊かな水の音が聞こえていた。ご住職に先導して頂き本堂へ。坂上田村麻呂の願意を損なうことなくお寺とこの自然を守っていきたいとの御法話があった。ご住職は原発銀座と言われる若狭湾の状況を憂えて、原発反対運動をなさってその中心としてご活動されてきた。

蝦夷征伐をした坂上田村麻呂がその鎮魂のために建てたこの明通寺のある場所から、今は逆に原発のゴミが青森に向けて毎日大量に送られていく現実は容認し難いものがある。万一の事態が起こる前に何とかこの状況を解消していく必要があるとご自身のご健康を害してまでも奮闘なされているお姿に接し頭の下がる思いがした。是非多くの人に関心を持って欲しいと思う。

明通寺国宝の本堂と三重塔がこの石段の上にある。



仁王門はいってすぐ左側にある立派な鐘楼堂。



この度も、行きには、先頃行われた講演会での保坂俊司先生の教えを皆さんにご披露し、帰りには、末期ガン患者が治療を拒否して最後をどう過ごしていくかを映画にしたDVDを見た後、質疑応答、最近の様々出来事からの話などをさせて頂いた。今回は添乗して頂いた安川さんに大変お世話になりました。また、企画から様々ご配慮下さった倉敷ツアーズ金森氏にはこのような企画によって仏教を語る機会を作って下さって感謝申し上げます。

平成22年元旦 謹賀新年

2010-01-05 17:37:53 | Weblog
大晦日、突風の吹く中、上御領の高橋氏が今年も柴灯のために枯れ松を乾燥させた薪をご用意下さった。除夜の鐘を前に点火する頃風が吹くといけないと例年より低く木を組んで下さった。その心配も不要であったようで風はなくいつも通り、11時20分、心経をご参集いただいた総代世話方の皆様と唱え、点火。

低く組んだはずなのに、瞬く間に大きな火となりご覧のように近くにいたのに心経が終わる頃には遠く後ずさりして読了した。その後、除夜の鐘を撞きだし、昨年新しく改修された新鐘楼堂からの初めての除夜の鐘となった。



午前0時、本堂で元旦護摩に登壇。本尊お薬師様をお招きしてご供養し、93本の御祈願を頂いた護摩札を一枚一枚お加持、更に添え護摩木を供養して、ほぼ一時間で薬師息災護摩を焚き終わった。





寒い中本堂内では15名ほどの篤信の檀信徒の皆様がずっと心経を読誦してくださった。誠にありがたきことと感謝します。

今年のある檀家さんの年賀状に、年頭所感として、「昨年は待ちに待った政権交代が実現し、国民の多くは希望と期待をもって新政府の誕生を迎えた。しかし、その船出は旧政権の負の遺産を背負っての厳しいものでした。国民やマスコミは新政権に結果を性急に求めすぎず、四年間を通しての努力と成果を見守るくらいの度量が必要ではないかと思う」と書いてくださった。

正に私自身の思いを書いて下さったように思えとてもうれしく拝見しました。過激に偏った報道に私たち国民が動揺することなく、我が国ではじめてなった選挙による政権交代、そこには想像を絶する様々な抵抗もあることでしょう。様々な物事の背景を理解しつつ、静かに見守る姿勢が必要ではないかと私も思います。

今年もよい年でありますように。私たちの身近な人たちも、生きとし生けるものたちも、しあわせでありますことを年頭に当たり祈念したいと思います。

日本の古寺めぐりシリーズ第七回観心寺・金剛寺

2009-11-30 16:54:28 | Weblog
先週27日、青空の広がる絶好のお参り日和の中、大型バス一杯の同行を乗せて一路大阪府河内の観心寺と金剛寺にむけ出発した。バスの中では、恒例の道中安全を祈願して心経一巻。それに今日お参りするお寺の金堂の仏様方のご真言もお唱えした。

それから、今回は、予告どおり、日本仏教の歩みということで、インドからの仏教を振り返り、どのような仏教が日本に入ってきたのかを話し、それから各時代ごとに特徴やその時代に求められたものなどを話していたら、思っていたより長時間話しをしてしまい、話半分で、昼休憩に。

名塩パーキングで暑いほどの日差しの中皆さんお弁当を食べられ、そこから一時間ほどで観心寺へ、観心寺金剛寺のお寺の由来などを話している間に到着。観心寺ではご住職がお忙しい中お迎え下さりました。

国宝如意輪観音様の前で読経お勤めの後、観心寺ご住職様からお寺の縁起、特に楠木正成公について詳しく、また現代の私たちにとって必要な心構えについてお話し下さいました。誠に丁寧な有難いお話しでありました。貴重なお時間をいただき感謝に堪えません。ありがとうございました。

その後境内に出て、ゆっくり各お堂、建掛けの塔また正成の首塚、宝物館などを拝観しました。



正成建て掛けの塔と奥に国宝金堂



南朝の功労者・勤皇の士・楠木正成騎馬像


そして、観心寺から金剛寺へ。金剛寺は、南北朝時代に南朝北朝の行在所の置かれたところ。金堂の丈六大日如来様の前でお勤めの後、職員のお坊さんから由来を伺いました。戦国時代お寺で作った天野酒を大きな樽に詰めて四つも武将の所に運ぶ途中で運び人が飲んでしまって少なくなったところに水を入れてごまかしたという話しなど貴重な話を聞くことができました。ありがとうございました。



来年から修繕工事に入るという金堂



何とも優雅な観月亭



北朝の行在所のあった奥殿前の誠に見事な庭園。

皆さんゆっくり拝観の後、天野酒を買ってバスに。帰りのバスでは、午前中お話しできなかった日本仏教の各宗派について話し、その後、ご参加の皆様からいろいろなご質問をお受けしてそれに答え、また、最近手に入れた本『死んだらおしまい、ではなかった』『死ぬ前に後悔する25のこと』という本の紹介とそれに関連して、最近お通夜などでした法話についてお話ししました。

この度も、多くのご参加の皆様と共に、紅葉を愛でつつ、誠に時期を得た貴重な二か寺を参詣し、とても有意義な一日を過ごすことが出来ました。今回も企画から添乗までお世話になった倉敷ツアーズ金森氏のお陰と感謝します。ありがとうございました。

鐘楼堂再建落慶法要

2009-10-24 18:51:53 | Weblog
近郷でもまれに見る重厚な國分寺の鐘楼堂は、境内の建物の中で最も古く、いくつも瓦が落ちるなど老朽化しておりました。が、かなり東南に捻れ傾きだしたのはこの三、四年のことでしょうか。次回お涅槃の平成二十四年にはまだ間があるものの、強い風が吹き新築したばかりの塀に瓦解しては大変なことになると考え、この四月中旬に解体しました。

解体された鐘楼堂は、戦時中に供出した梵鐘を昭和二十四年に再鋳した際に屋根瓦を葺き替えておりましたが、解体時に確認したところ、棟札には「明治十三年三月十八日 奉再建梵鐘堂一宇為二世大願成就祈 大願主当寺阿闍梨良俊、総檀家中」と記されていました。ですから、建物としては百三十年もの風雪に耐え、妙音奏でる梵鐘を支え続けてくれていたのでした。

解体後、用材の手当、加工に四ヶ月ほどを費やし、盆行事万灯会を済まして間もなくの八月二十六日に慌ただしく上棟式を執行。当日は朝八時頃から工事を担当した武村住建関係一同により柱が立てられ作業を開始、予定通り午後四時頃には棟上げが終了。午後五時から棟梁はじめ工事関係者七名と五名の総代各氏参列のもと上棟式を執り行いました。名誉住職とともに仏式の上棟式作法を修し、棟梁が御幣と棟札を棟木に打ち付け四方に御神酒と米、塩を撒いて、簡単な祝いを致しました。早速翌日から、上部の木組から工事に入り、そして瓦が載り、目出度く落成の運びとなりました。

当初、落慶法要は、これまでの例に則り世話方までの案内と考えておりましたが、百年に一度の鐘楼堂落慶祝賀とのことから、全檀家の皆様へ案内をさせていただいた次第であります。

ご案内の通り、鐘楼堂再建落成慶讃法要は、十月二十日火曜日午前十時より五十名もの檀信徒のご参加を得て、國分寺鐘楼堂前にて挙行。はじめに、國分寺御詠歌衆によるご詠歌の奉納があり、続いて、國分寺名誉住職、法類・円照寺副住職を職衆に迎え、本尊薬師如来報恩謝徳の慶讃法要を厳修。この間出席の皆様には焼香をしていただき、般若心経並びに諸真言を一同唱和して法要が終了しました。

住職、総代から挨拶の後、この度の鐘楼堂再建に当たり、設計から施工すべてに亘って尽力され忠実に旧鐘楼堂そのままに復元された武村住建棟梁武村俊治氏に感謝状と記念品が檀信徒一同から授与されました。引き続き、名誉住職による新鐘楼堂からの梵鐘撞き初めがあり、一同乾杯。出席者全員で記念写真を撮り、一人一人鐘を撞いて散会いたしました。

この度の再建事業は、平成二十四年度涅槃会営繕事業の一貫として建設させていただきました。一度の涅槃会寄附積み立てでは不可能な再建予算ではありましたが、長年の御寄附並びに供養料等の積み立てをもって充当することと致しました。これもひとえに檀信徒の皆様の本尊薬師如来様並びに仏教への厚い信心のお陰と深く感謝申し上げます。

梵鐘は、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」と言いますように、その音色にはこの世の真理・無常を悟らせる力があり、聞く人にはそのまま仏法そのもの、つまり仏の言葉そのものとしてありがたき妙音となり、ご加護あるものと信じられています。どうぞ、國分寺にお越しの際には新しき鐘楼堂の鐘を撞いてお詣りし、是非ご加護をお受け下さい。    合掌

 平成二十一年十月二十二日   住職全雄  総代一同

(慶讃法要の様子)


(慶讃法要にて慶讃文を奉読)


(檀信徒の焼香)


(法要後の記念撮影)



善光寺御開帳参拝

2009-05-29 11:12:50 | Weblog
朝日新聞愛読者企画『備後國分寺住職と巡る日本の古寺めぐりシリーズ』特別編として、5月26日から28日、長野善光寺、北向観音、安楽寺、常楽寺、光前寺、元善光寺に参詣した。

平日にもかかわらず、御開帳の前立御本尊から結ばれた回向柱に触れるために並ぶ人々。このあと内拝し、地下の戒壇巡りをしてから、自由散策。



翌日、別所温泉北向観音参拝。手水鉢への水は温泉だった。観音堂隣は不動堂。その前に鐘楼堂があり、その近くに桂の大木。崖に造られた薬師堂は圧巻。



歩いて安楽寺、本堂で経を唱え、国宝八角三重の塔へ。杉の大木の間の石段を登る。



また歩いて北向観音本坊常楽寺。本堂にて内拝し読経の後襖絵などの話を伺い、重文石造多宝塔へ。北向観音出現の地は静寂に包まれていた。



翌日、駒ヶ根市光前寺へ。本堂読経の後、客殿並びに庭園を拝見。ご住職の話を聞く。境内すべてが国の名勝に登録されている苦労話を伺う。



雨の中、飯田市元善光寺参詣。座光の臼、大きな名号掛け軸他寺宝の数々を拝見。



牛に引かれて善光寺参り。一生に一度は遠くても善光寺に参れと言われるように、参拝しなければ分からないことも多い。日本一の霊場と言われる所以が分かったように思えた。参加された皆様とのお話も楽しく、あっという間の三日間。学ぶことの多い意義深い巡拝の旅であった。

この度は遠方でもあり、お二人のドライバーさんのお陰でスムーズな快適な旅となった。くわえて、倉敷ツアーズ金森氏には企画から添乗のすべてにわたり大変お世話になった。この場を借りて御礼申し上げます。