real SR

引越しいたします。

ウズベキスタン、アンディジャン情勢関連

2005-05-16 10:07:02 | ニュース
臨時エントリーです。
どういうわけだか、この数日ウズベキスタン、アンディジャンの検索ワードで当ブログを訪れていただいている方が多い。アンディジャンを検索するとなぜか上位でうちがでてくるのである。
テレビなどの既製メディアでは、ウズベキスタン情報はおさびしいのが現実。
何だ、あの昨日のNHKの7時のニュースは!
NHKは小林和夫(世界的指揮者ゲルギエフのマブダチ)という、ロシア通で中央アジアにも詳しい解説者を持っているのに、どうして出さないのか?

そこで今知っている、ウズベキスタン情勢に詳しいブログを紹介しておこう。

まずmedia@phrancophone
日刊ベリタさんのリンクで知ったが、ルモンドなどフランス語圏の報道をタイムリーに翻訳している。大変詳しい。ちなみにタメルランとはチムールのことである。日本のメディアもフランスの報道のつめの垢をせんじて飲んでほしいものだ。

次いでサポーター通信
ボランティア団体リシタン・ジャパンセンターの事務局長、寺尾さんのブログである。
日本、ウズベキスタンの民間友好支援に尽力されている。ここが真の日本ウズベク友好協会であろう。

追記
media@francophoneさんのルモンドの記事に面白いのがある。

16年間の在任期間中、イスラム・カリモフはソヴィエト主義・部族主義の折衷である自ら固有の権力システムを開発した。不正な国民投票と選挙で、カリモフは2007年まで自分の任期を延長した。タシケント南部、「シルク・ロード」上のオアシスの古都サマルカンド出身であるカリモフは、自分の気分に従って飴と鞭を使い分けつつ部族同士の対立をもてあそぶ技術を知悉している。各部族間のバランスという他に、基本的に「カリモフ・システム」は国内に張り巡らせた監視の上に成り立っている。それぞれの街区は「白髭」によって統括されている。「白髭」は各地区の責任者をつとめる名誉ある老人たちの職だ。それぞれの街区は権力の中継地点で、また情報の宝庫でもある。

ここにでている、「街区」というのは単なる街区ではなく、マハッラのことであろう。マハッラとはなにか?ウズベク人の説明を引こう

マハッラ
この話を他の人は、特に外国人は信じないかもしれません。なぜなら他の国ではマハッラという場所がないので、このことの本当の意味がわかりません。他の人にとってマハッラはただの「ごきんじょさん」なのです。でもあることわざによると、ウズベク人にとってマハッラは両親だそうです。私はウズベクのマハッラという学校のようなところについて書きたいと思います。マハッラは昔10人ぐらいの家族が住んでいる場所でしたが、だんだん増えてきて、今20人とか30人の家族のマハッラも作られています。マハッラの人々はひとつの家族に似ています。ここに自分のお父さんも、お母さんも、色々な性格を持っている子どもたちもいます。マハッラのお父さんは「アクサカル」と言います。私のおじいさんは亡くなるまでずっとアクサカルになって、マハッラの色々な行事に参加したり、人々を助けたり、問題があったら解決したりしました。今でもマハッラの人々はおじいさんのことを思い出して、「いい人だった」と言います。私はそのことにほこりを持って、「私もおじいさんのようにマハッラに対して何かいいことをしなければならない」と思います。マハッラに住んでいたら、すべての人の性格と生活について色々な情報を知ることができます。マハッラの女の人はまるでジャーナリストのようです。いいニュースも悪いニュースもすぐみんなに広まります。だからいつも何かひどいことをしないように頑張ります。とくに近所の人と仲良くしています。ことわざの言っている通り、「家を買わなくても近所の人を買ってください」。結婚式のときも、葬式のときも近所の人はいつもいっしょです。例えば人々は結婚式をする前にマハッラの年をとった人々を招待したり、助言をもらったりして、準備をはじめます。式のときお客様の半分は近所の人の家に入ります。その上親戚以上に、マハッラの人は最初から最後まで色々助けてくれます
http://www.ujc.uz/jlc/essaycontest/worldlang.htm#2
ルモンドの言う「白髭」がアクサカルのことだというのがわかる。
どうだろうか、第二次世界大戦中の日本の「隣組」を連想させるかもしれない。しかし、これがウズベクの行政自治機構として成功しているのもまた事実なのである。
マハッラについては樋渡雅人さんが論文を書いているので興味があれば読んでいただきたい。カリモフ、恐るべし。
http://www.jaas.or.jp/pdf/50-4/p79-97.pdf
このマハッラ、新疆ウイグル自治区にもあるらしい。どのような形で残っているのかはよくわからないが。