春は花咲く野辺に、秋は星降る夜に・・・

ー春秋、徒然なるままに・・・

夜開く月下美人

2010-08-24 13:18:51 | Weblog

夏の満月の夜開く花・・・月下美人!

           今年も庭に咲きました~!一輪・二輪と・・・

    

   

 

   ネムの小さな木にも花が・・・  咲いた!   咲いた!

      

        夜空の花火のように・・・ 咲いた! 咲いた!
    


ボルガ河クルーズ( サンクトペテルブルグ=イサク寺院)

2010-08-17 12:47:05 | Weblog

7月17日(土)
  [停泊 下船━サンクトペテルブルグ市内観光(聖イサク大聖堂


  サンクトペテルブルグ出発15:50 SU846
━モスクワ着17:10
  モスクワ発19:40━成田着10:00(翌18日)

  本日は帰国の日です。
  帰国便は午後、本船を下船して午前中は最期の観光を・・

      車窓から見たサンクトぺテルブルグ駅(汽車)
 

     車窓から見たサンクトぺテブルグルの市電
 

  余り綺麗では無く冷房も無い様でした。
  地下鉄も冷房がなくて大変暑く、死人が出たとか・・ニュースで!

                 聖イサク大聖堂
 
  
 
イサク聖堂は1818年から建設され始められ、1858年に完成しました。
  設計者はフランス人建築家モンフェランで完成まで40年かかりました。
  総重量30万トンの巨大な教会で、圧倒的なスケールと豪華な内部で、
 本当に荘厳な寺院で圧倒されました。

  聖堂の名称の由来はピョートル1世の守護聖人であるイサーク・
 ダルマツキーにあります。

  聖イサク寺院は、円屋根を持つ寺院の内、世界で3番目に大きい。

 
            ニコライ1世の馬上全体像
 

 イサク聖堂の前のイサク広場にはニコライ1世の馬上像がある。
 ニコライ1世(在位1825~1855)はウィーン体制下におけるヨーロッパの
 反動の立て役者だ。
 ニコライ1世像は彼の死後1859年にできたものらしい。

    教会内部は色大理石や孔雀石で飾られている見事なモザイク画の
  イコンがあります。

          ロシア正教には珍しいステンドグラスの作品
                  キリストの復活
       


  

          絶え間ない祈りを捧げる人々
  


  大聖堂のすぐ脇にあるレストラン”Koleso "で最期の中食を・・

  ブルコヴォ国際空港に向かいました。

          これから乗る アイルフロート機
 

         ブルコヴォ国際空港カウンター
 
 
  モスクワまではシャトル便を利用しましたが空港内のエスカレーターの  
  故障、待合室の暑さ、モスクワの荷物受取り、出国手続きなど・・
  スロー・スローでやはりここはロシアである事を納得しました。

  

7月18日(日) 
  [成田着━09:30]
  約9時間半のフライト後トラブルも無く、無事成田空港に到着。

  皆さん元気一杯で家路に付かれました。

  ”終わりよければすべてよし”
         


ボルガ河クルーズ(サンクトペテルブルグ=ロシア美術館)

2010-08-16 16:13:45 | Weblog

7月16日(金) 
 [停泊━サンクトペテルブルグ市内観光━停泊]

               ロシア美術館
  

 ロシアで初めての国立美術館

40万点超のロシア美術のコレクション

1898年、ニコライ2世のとき、サンクトペテルブルクのミハイロフスキー宮殿に
ロシア初の国立美術館として誕生。
当初、エルミタージュからロシア絵画のほとんどの作品とデッサン、水彩、彫刻
の一部が移されたほか、美術アカデミーから多くの作品が寄贈され、現在約40
万点の大コレクションを誇る。

イコンをはじめとする古代ロシア美術から18世紀美術、ロシア・アカデミーの
美術、移動展派などを経て、ロシア・アヴァンギャルドの一大コレクションを築く
など、モスクワのトレチャコフ美術館と並んで、ロシア美術を一望することので
きる世界でも有数の美術館として知られてい
ます。

   写真撮影は禁止でした(有料の所もあったらしいです・・?)

 見学中に今回のツアーで初めての雨!
 夕立があり気温が下がりました。┐(-。ー;)┌ヤレヤレ助かりまし  
 た!!  少し涼しくなりました。

     夕食後      バレエ鑑賞
         
白鳥の湖をパレス劇場で鑑賞する
            白鳥の湖3幕      チャイコフスキー作曲

   

   

  オーケストラの生演奏で指揮者と踊り子の掛け合いが面白く楽しみました。

 

  

 

              控えの間 
  

  三幕で二時間半頬度の長さにもかかわらず、美しい舞台に見とれ
  るうちにあっという間に終宴してしまいました。

  さすはもう下船です。明日て旅も終演の様でーす!


ボルガ河クルーズ(サンクトペテルブルグ=エカテリーナ宮殿)

2010-08-16 10:31:49 | Weblog

7月16日(金)
  [停泊━サンクトペテルブルグ市内観光━停泊]

 本日は埠頭から街とは反対に南に向かいツァールコエーと呼ばれる
 街に付きました。
 琥珀の間で有名なエカテリーナ宮殿の見学です。

           エカテリーナ宮殿全景


 
サンクト・ペテルトブルクの郊外・南に約24km程行ったプーキシン市にある
 皇帝の夏の宮殿で18世紀に活躍した建築家ラストレリによって造られた。

 
ピョートル大帝が、2番目の妻エカテリーナ2世に贈った土地に建てられた。
 娘エリザベータによって
18世紀に活躍した建築家ラストレリによって造られ
 た、ロシアバロック様式の代表的な建造物です。

 建物は南北に全長305メートルの長さがあります。
 
エカテリーナ宮殿は、ツァールスコエ・セロ国立博物館が管轄している広大な
 敷地の中心に位置しています。
 

     
             
エカテリーナ宮殿正面
 

 宮殿と母親であるエカテリーナ1世の名前をとってエカテリーナ宮殿と
 名付けられました。
 後にエカテリーナ2世もこの宮殿を愛し、ロシア史の花ともいえる
 女帝の夢が詰まった宮殿でもありました。

  エカテリーナ宮殿の教会          庭と宮殿 
  

   ラストレリの像
  

   宮殿正面階段               楽隊演奏
  



    
中に入り階段を上がり2階に出ると目を奪われる豪華さ!

         エカテリーナ宮殿の正面階段。
     階段を上ると赤いカーテンのある踊り場
 

       エカテリーナ宮殿 : 大広間(舞踏の間)
 

  
長さ47メートル、幅17メートルとのことです。
  
金箔と鏡で埋め尽くされている。かつて仮面舞踏会などが催されたという。
  
ロシアに漂着した大黒屋光太夫は、エカテリーナ2世にこの部屋で謁見し
  
帰国の許可を願い出た事で知られています。


              テーブルセッティング

  

    女帝の豪華衣裳           豪華家具
  

                琥珀の間
 

  もともとは、1770年に完成した部屋です。2003年5月31日、
  プーチン大統領はこの部屋をサミットに参加の各国首脳にお披露目
  しました。  
  この部屋の琥珀は、第二次世界大戦時にナチス・ドイツに奪われて
  いたのです。(今だにその行方が解らからないそうです)

  サンクトペテルブルク建都300周年に合わせて、24年間の復元作業を
  経て復元されたばかりでした。

  
          
エカテリーナ宮殿「琥珀の間」の琥珀
  

 
     ☆琥珀の間は撮影禁止のため資料からの掲載です。

  宮殿の周りにある庭園を散策

     
      エカテリーナ宮殿~庭園側からの眺め

  
   
幾何学模様の庭は建築家ラストレリの作ともいわれています。

               黄金の門
 

               
                  
 庭園風景
  

        
          エカテリーナ宮殿~大池の眺め
  

               クロっト宮(朝の間)
 

 園内のレストラン”Admiralteistvo“で昼食をしてゆっくり休みました。

  現地の方とのスナップ      添乗員小林さんとMSエレーナさん
  

  午後はバスでサンクトペテルブルグ市内に戻ってロシア美術館を
  訪問しました。
 
 
 




 

 


ボルガ河クルーズ(サンクトペテルブルグ=エルミタージュ美術館)

2010-08-14 10:38:34 | Weblog

7月15日(木)
 サンクトペテルブルグ入港━サンクトペテルブルグ市内観光━停泊

 サンクトペテルブルグ
  人口約500万人、ロシア第2の都市。
  1713~1918年の約200年間、帝政ロシアの首都として栄えた街。
  街の名前はロシア政教の聖人、使徒ペトロにちなんで名付けられました。
  以降918年に首都がモスクワに移されるまで、ロシアの政治、経済、
  文化、芸術の中心として発展して来ました。
  1917年の社会主義革命後、レニングラードとなり、1991年に再び
  サンクト・ペテルブルグとなりました。18世紀の初頭、ピョートル大帝に
  より建設され、栄光と名誉の華やかな歴史と革命、戦争という過去を持ち
  
合わせて現在に至っています。

 エルミタージュ美術館から見学
  
ロシア最大、世界でも屈指の規模を誇る美術館。
  建物は「冬の宮殿」と4つの建物が廊下で結ばれて構成。
  1,050の部屋を持ち、部屋の面積は46000㎡、
  部屋を繋げると全長27㎞になります。

           エルミタージュ美術館全景

            エルミタージュ美術館
 

               美術館入り口
   

 エルミタージュのコレクションはピョ‐トル大帝の娘エリザベータ・ペトロヴナ
 女帝によって始められ、エカテリーナ2世が4,000点以上の絵画を西洋から
 買い集めました。
 美術館として創設された年代はエカテリーナ2世がベルリンの商人
 ドツコフスキーから西洋絵画225点を買いあげた1764ねんとされ、
 現在ののコレクションは絵画、線画、彫刻、工芸品、考古学的遺産、
 硬貨メダルと多岐にわたり所蔵品数は、約300万点に上ります。

       パヴィリオンの間で時を刻む黄金の孔雀仕の掛け時計
 

           眩いばかりのシャンデリア
  

     ラファエロの回廊            大使の階段
  

   ピョートル大帝の間       「陸軍元帥の間」の四輪箱馬車
  

        聖母マリア
  

 

                   彫刻
   

              当時の騎馬隊の姿
  

      宮殿広場・アレクサンドルの円柱が立つ・北側に冬宮
    

            宮殿からの街の眺め
  

 当時の宮殿としての栄華を眺め、その後はラファエロ、レオナルド・
 ダ・ヴィンチ、レンブラント、ルーベンス、エル・グレコなど中世ヨーロッパの
 巨匠たちの作品に足を止め、そしてセザンヌ、モネ、マティスなど印象派の
 作品やルノアール、ゴーギャンなどの近代西洋美術を創り上げた作品を堪能
 しました。
 ピカソの特別展も開催されていました。

 昼食は近くの"19136od"というレストランでしました。
  レストランの雰囲気は素敵でしたが・・・余り口にあいませんでした(-_-#)

 午後の見学
  
スパース・ナ・クラヴィー大聖堂「血の上の救世主教会」

               血の上の救世主教会
  

   農奴解放令(1861年)を出した「解放皇帝」アレクサンドル2世は、
   1881年3月1日、この地で革命家によって爆弾を投げつけられ、
   暗殺されました。そして、この教会はアレクサンドル2世を弔うために、
   その暗殺地点に建てられた教会なのです。
   1883年から建設が始まり、1907年に完成しました。  

    この教会はモスクワの聖ワシーリー聖堂をモデルとしてできました。

 教会の外壁と内装は聖書を題材にした鮮やかなモザイク画によっ
 て装飾されていました。

           内部のフレスコ画とモザイク
  

  


       元老院広場の青銅の騎士(ピョートル大帝) 
  

             ペトロパウロフスク要塞
  

             ワシリー島岬ロストラ柱
  

     
     露店のお土産屋さん
  


 今日の観光は美術館、寺院でしたが当地は冷房がないので、
 暑さは大変でした。
 美術館などは”さうな”そのものでした。例年ならば25℃以上になっ
 た事がないそうです。
 異常気象のニュースが再三流れていました。

 オプショナルツアーで夜分は「ロシア民族舞踊ショー」に出掛ける方
 もありましたが、疲れたので船でユックリ休みました。



 

  
  

  

 

 


 



ボルガ河クルーズ(マンドローガ)

2010-08-10 13:25:19 | Weblog

7月14日(水)
  [マンドローガ入港08:00~出港10:30分

 オネガ湖を抜けると200kmのスヴェール河に入ります。

          スヴェール河の日の出 (4時53)分
 

              清々しい朝でした!      (5時1分)
 

   この川には最期の閘門が二つあります。
   マンとローガは此の閘門の間にある小さな村です。
   もとは船の補給地でしたが現在は観光用のクルーズ船のために造られた
   ロシア風テーマパークといった所です。

              テーマパークの案内板
 

         木造の滑り台(釘なし) (現在は使用出来ません)
 

   ピロシキの美味しいレストラン、可愛い民芸品の工房
   100種類のウオッカが買えるウオッカ博物館
          ピロシキの店
  

                民芸館(工房)
  

  

 他にもプーチン元大統領に寄贈された別荘、
 詩人プーシキンの「ルスランとリュドミラ」を題材にした公園など・・・

  

       船着き場への出口の最後のお土産屋さん
  

 用意された地図を片手に村内を買い物をしたり、ピロシキをつまんだり
 
して楽しく散策しました。(ピロシキ、安くて美味しかったです!)


 マンドローガを出港して午前中にクルーズ中のビデオの上演会。
 タレントショー(百万本のバラを歌う)練習など‥。

 午後はエレーナさんによる「ロマノフ王朝」の講座がありました。
 ロマノフ王朝は私達には解りづらい系譜を持つていますが、
 サンクトペテルブルグの観光には欠かせない知識なので、
 皆さんと一生懸命勉強しました。


    6時からキャプテン主催のフェアウェル・カクテルが
            サンデッキで開かれました。
 
  
     ガイドのエレーナさん他
   
 
       いよいよタレントショーの始まりです。
   

   

               私達日本人グループは4番目でーす!
  
   歌い終わった後に赤いバラの造花を投げたので大きな拍手と歓声を
   受けました!6グループで一番良かったそうでーす?? 


         
   夕暮れの風景 (22時57分)
  

   いよいよ明日は最期の寄港地サンクトぺテルブルグです。  
   クルーズも終わりに近くなりました。

 


ボルガ河クルーズ(キジ島)

2010-08-07 17:24:40 | Weblog

7月13(火)
  キジ島入港14:00~出港18:00

  深夜から朝にかけてコブジャ河にある6つの閘門を抜けロシア第2の
  オネガ湖に入りました。
  前夜から80mもの高低差をクリアしてサンクト・ペテルブルグに向かって
  徐々に下がってゆきます。

    本船のショップスタッフがロシアの民芸品講座を(伝統工芸品)
  

        その中のσ(^_^)アタシが気に入って手にいれた文箱
        
       全部手書きで素晴らしい塗りです(後ろには刻印がありました)
       現在お部屋に大切に飾っていますヨー!

 一等航海士アレキサンダーさんの説明でブリッジ(操舵室)機関室の
           見学
   
 
                  全員記念撮影
 

 昼食後オネガ湖の奥に浮かぶキジ島に入港、上陸!

                キジ島
 
サンクト・ペテルブルグの北東約350km、ヨーロッパで2番目に大きい
 オネガ湖の北方に浮かぶ小さな島、世界遺産に登録されている木造建築で
 有名です。ボルガ河クルーズの人気のポイントです。

 教会など建物のほとんどが、尾根が湖畔の移築されたものですが、特に
 ブラジェーンスカイ教会は、高さ37m、ロシア教会独特のタマネギ型
 ドーム合計22個のドームが折り重なるように建てられており、全て木造、
 釘を一本も使わず、1714年に建てられました。
 現在は構造疲労が激しく内部は見学できません。

 近くのポクロフスカヤ教会や農民の家などは当時の様子が偲ばれます。

                 キジ島 全景
 

               キジ島地図
 

             お金持ちの農家
 

          当時の生活がそのままに保存されて
  
 高さの低い部屋の入り口や
ペチカ、小さなベットなど日本の農家と比較すると
 とても面白いものでした。

       木で創られた笛やチターのような楽器での演奏 
  
    とても素朴な美しい音色を聞かせて戴きました(学芸員の方々)
 

    世界遺産プレオブラジェーンスカヤ教会(木造教会、左)
        とポクロフスカヤ教会(右)。
  

         プレオブラジェーンスカヤ教会 
      
 おとぎ話の世界に登場する城の様な美しい外観を呈しています。
 陽光の加減でバラ色に輝いたり、銀色の鱗のような光沢を見せる微妙な
 変化を生みだし、とても木造だとは思えぬ息をのむばかりの美しさです。

  19世紀に建てられた 鐘楼      ポクロフスカヤ教会
    

        ポクロフスカヤ教会の内部を見学しました
  

 島のさらに南には風車や水車小屋色んな木造建築がありました。
 

 のどかな田園風景は忘れかけた思い出を呼び起こしてくれました。

         船上からのボルガ河のサンセット(K,susumu 撮影)
 

                             (K,susumu 撮影)
 

        今日も静かに暮れて行きます。


ボルガ河クルーズ [ゴりツィ(キリロフ]

2010-08-06 16:38:42 | Weblog

7月 12日
ゴリツィ入港10:00━出港 13:00

 ウグリッチからリビンスク貯水池(人造湖)を抜けシエクスナ河を北上して
 ゴリツィに到着しました。

 ゴリツィとは小さな丘又は山という意味ですが、モスクワから680㌔を
 航行して来ました。

 ゴリツィから7㌔先にキリロフという小さな村がありこの村にある
 ロシア最大級のキリロ・べロゼロスキー修道院を見学しました。

 聖キリルに由来し、その歴史は16世紀に遡、さまざまな礼拝堂や聖堂が
 あり、現在は数人の修道士が暮らしています。

        キリール・べロジョルスキー修道院全景 
   

  ①~16世紀の「聖ヴォロータ」とイオアン・レストヴィサニク教会
  ②~16・17世紀の県税務庁
  ③~17世紀の僧房
  ④~1497年のウスペンスキー寺院
  ⑤~1645年のエピファニヤ教会
  ⑥~17世紀の掌院の僧房
  ⑦~1780年のキリール大天使教会
  ⑧~1534年のガヴリイール主天使の教会
  ⑨~1519年のヴヴェデ二ヤ教会と食事の部屋
  ⑩~16世紀の台所
  ⑪~1653年のエフフィミーエフ教会
  ⑫~17世紀の神学校(僧房)
  ⑬~17世紀の病院の大邸宅
  ⑭~1595年のプレオプラジェニヤ教会
  ⑮~17世紀の司祭の僧房
  ⑯~17世紀の修道院の古文書保管所(僧房)
  ⑰~1534年のイオアン・プレトチェチ教会
  ⑱~1560・1594年のセルギ―・ラドネジュスキー教会と台所

  城砦の様な塀に囲まれ広大な敷地に 之だけの建造物が建てられ
  ています
。 (⌒▽⌒;) オッドロキー!

   

   要塞として使われていた名残でしょう。城壁は二重に、内陣の聖
   堂群を取り巻いていました。
 

   

  

  

 教会を改修して造られた博物館には数多くのイコンや修道士たちの生活を
 偲ばせる品物が展示されていて興味深かったです。

 シェクスナ河に面した堀の外側では子供たちが水遊びを楽しんでいたり、
 綺麗な草花も咲いていてなごやかな雰囲気ですた。
 
 


       修道院にお別れを告げて船の戻る所です。 
  

                  「白い湖」
  
    出港後の午後に水面が独特な白色に輝く湖を航行しました。

    午後の一時をロシアの人たちと懇談会をしました。

            奥様がオペラ歌手のご一家
  
  
セルゲイさんの通訳で日本っとロシアの生活や文化に付いて・・・
  ロシアの方の寿命が平均68歳とのことでオッドロキーでした。
  他にもとても参考になりました。

  ロシアのフォークミュウジックの演奏やウォッカ・ティスティングも
  夕食時にはウェイトレスが民族衣装を着てサービスして下さいまして
  ロシアムードが高まりました。

             ウェイトレスの民族衣装姿
      

   夜は更けてと言いたい所ですが 日が沈むのが11時半ぐらい
  なので、何時までも明るくて<(; ^ ー^) マイッタマイッタ... ! 

  日の出は5時ぐらいです。(眠いヨー!)


ボルガ河クルーズ(ウグリッチ)

2010-08-04 12:18:22 | Weblog

7月11日(日)
  [ウグリッチ入港13:00 ━出港15:00]

 昨夜から今朝にかけモスクワ運河に造られた6つの運河を通り抜けボルガ河
  の本流に入りました。

         

  途中ハリージンの街を通る時、運河を創る際に水没した当時の街の教会
  の鐘楼が水中から突き出している不思議な風景を見ました。

                 水中からの鐘楼
 

  昼食後にはウグリッチに到着、徒歩で観光しました。
 
「ウグ」は曲がり角の意味、この地でボルガ川が90℃に曲がっている

       民族衣装で歓迎のパンを受ける(塩を付けて食べる)
  


   
ヴォルガ川に面してそびえたつ「血の上の聖ドミトリー教会」
 

         16世紀のロシア。イワン雷帝亡き後、
  幼かった長男ドミトリー(雷帝7人目の妃の子)はウグリッチに幽閉され、
  そこで短い生涯を閉じます
  (側近ボリス・ゴドノフの策略によって、暗殺されたという説が多い
  その時、「口封じ」のために多くのウグリッチ住人も処刑されたといいます)
  ドミトリーの変死体が発見された場所に、17世紀に教会が建てられた
  教会内の壁には、これらの悲しい歴史を克明に描いた見事なフレスコ画で
  埋め尽くされていてます。

                  入口の風景
   
 

  聖ドミトリー教会には皇太子を運んだお棺がそのまま展示され、
  当時の生々しさを感じさせられました。

         皇太子のお棺
  

 
           皇子の暗殺を町中に知らせた鐘
      
    そのためにシベリア送りになっていたが、現在は展示されている

         スパソ・プレオブラジェンスキー寺院
  

      壮麗なイコノ・スタス
          (イコンが張りつめられた祭壇)を見学
  


                教会の人々
  

   クレムリンを出た後は自由散策し2時間という短い滞在でしたが、
   世界初の女性宇宙飛行士テレシコワさんが生まれた事にちなんだ
   チャイカの時計や、桟橋まで並んだ沢山の露店でミニショッピングを
   楽しみなした。

     チャイカの時計    1480年の建設され、ドミトリーも住んでい
                        た公館で、現在残っているのはその一部で
                        ある。
 
  
  
     露上で歌う楽士さん            露店の一軒
  

         帰船前のリトビノフ号をバックに・・σ(^_^)アタシ
  

 出港後にはピアノとアコーデオンによるロシア音楽コンサート・ウオッカーが
 半額になるハッピータイム・デナーそしてダンスタイムと続きます。

 此の地では日が沈むのが11時過ぎなので12時すぎテムまだ明るいので、
 (ノ゜⊿゜)ノびっくり!!でーす。

    今日も楽しい晴天の´´(;´ρ`A)アチィ・・・一日でした。

   (T¬T)/~~~サヨナラ・・・オヤスミナサイ・・


ボルガ河クルーズ(モスクワ)

2010-08-02 16:05:36 | Weblog

7月10日(土)
 無事モスクワ到着(7時40分)
  モスクワの通関手続きがロシア式手続きでスロースロー!
  長時間並ばされてウンザリでした((+_+))

 日本語ガイドのMSエレーナさんが首を長くして出迎えてくれました。
 彼女はモスクワ生まれ、十年以上日本に滞在して日本の商社でも
 働いていたモスクワを中心にしたライセンスを持つ日本通の女性ガイドさん
 です(素敵な女性)
 これからのクルーズをご一緒して下さる方です。

先ずはクレムリン(城塞)へGO!

              クレムリン全景

 12世紀に建設されて以来歴代皇帝の宮殿として権力の中枢であり
 またロシア正教の中心でもありました。

                             ポロヴィツカヤ塔
        
 
クレムリンを囲む18個の塔のうち、5個の塔に赤い星が付いていますが、
  そのう ちの一つの塔です。また、2003年8月現在、クレムリンに入城でき
  る門は2つあります(もうひとつは、トロイツカヤ塔
)が、そのうちの一つです。
 
私達はここから入場しました。
 武器庫の見学から始めました。

                   
武器庫
  
 
  武器庫と言っても武器というよりは歴代の皇帝が収集した宝物や衣裳、
  馬車などが展示されおり彼らの権力がいかに大きなものであったかを
  物語っていました。目を見張る様なものばかりでした。

                 展示宝物の一部
  

   

             サポールナヤ広場に移動
  
               

                大クレムリン宮殿
  

 途中土曜日に行われる騎兵の交代式に向かう騎馬の隊列に遭遇して
 珍しい騎馬隊の行進を見る事が出来ました。
         
             騎馬隊の行進
  

  

 広場にはこの式典を見ようとする観光客でごった返しておりました。

              ウスペンスキー大聖堂
 

 ロシア正教の頂点に立つ教会として歴代皇帝の戴冠式が行われたこの教会
 は内部の壁に埋め尽くされた聖人達のイコンに圧倒されました。

          ウスペンスキー聖堂のイコノスタス
  
  

 イコノスタスとは、寺院の内部を一般信者が礼拝する場所と至聖所とを隔てる
 イコンの壁のことです。一列に並べたイコンを何段かに積み上げて一枚の大きな
   壁面を作っているものを指しています。

                   内部の柱
  

 

                 イヴァン大帝の鐘
       
 
イヴァン雷帝の鐘楼の近くに、巨大な鐘が地面に置かれています。
 高さ6メートル、直径6,6メートル、重さ200トン以上。この鐘は1733年
 から1735年にクレムリン内で鋳造されました。この鐘は鋳造された後も、
 製作用の穴に置かれたままになっていました。1737年にモスクワに大火事
 が起こりました。その時、鐘を冷やすために水をかけたところ、
 亀裂が生じて一部が欠けてしまいました。1836年になって穴の中から引き
 上げられ、石の台座の上に置かれました。その作業を行ったのは、
 フランス人建築家モンフェランです。
 
この鐘は一度も鳴らされたことのない鐘です。

 右の女性は日本語ガイドのMSエレーナさんです。

               大砲の皇帝
      
    
 
16世紀末に造られた大砲です。当時としては世界最大の口径をもった大砲でした
 かつては、スパスカヤ塔の門を守るために置かれていたようです。
 幸か不幸か、一度も発砲されることはありませんでした。大砲の前にある弾は
 飾り物で、19世紀に造られました。背後に黄金の5つのドームがある
 ウスペンスキー聖堂も見えています。

              
                
トロイツカヤ塔
     
   
クレムリンで一番高い塔で、高さが80mもある「トロイツカヤ塔」です。

 
☆レーニンとトロイツカヤ塔
  1918年3月2日正午頃、クレムリン近くのホテル・ナツィオナーリから1台
  の車が
やってきた。
  警備員が何者かと問うと車中の男は「人民委員会議議長ウラジミール・
  イリイッチ・レーニン」と答えた。この日からレーニンはクレムリンに移り
  住んだといわれています。

  この門からクレムリンを出ました。

                赤の広場
 

  この広場は、クレムリンの壁(レーニン廟)と国立博物館、百貨店、そして
 ワシリー寺院に囲まれております

  ☆前の赤い建物が国立歴史博物館  ☆右がグム百貨店
 

                   レーニン廟
  


              聖ワシーリー聖堂
  
  聖ワシーリイ寺院は,中央の礼拝堂を囲むように八つの礼拝堂が配置され
  ている。
  これほど美しい寺院が他に造られないように,
  寺院の建築を命じたイワン雷帝は設計者の目をくりぬいてしまった
  との逸話が残っている。

         ミーニンとポジャルスキー像
 

  赤の広場は皆さんご存知のように旧ソ連時代にはメーデーや革命記念日
  パレードや軍事パレードが開催されていました。

   ☆グム百貨店で円をルーブルに両替して船に向かいました。

 

          リトビノフ号に(全景)乗船
 

 本船は遅い昼食を皆さんで戴いてる時に(14:30)出港しました。

 今回のクルーズには6ヶ国(ロシア・アメリカ・イギリス・ドイツ・日本・
 デンマーク)約230名のお客様が乗船しており、日本人は私達15名だけで
 した。

        毎度の救命胴衣の着用方法避難訓練が・・・
          

    6時30分からキャプテン主催のウェルカム・カクテルパーテー
            (5階のさんデッキで)
  
  
オーシャンクルーズとは違って船が小さいので豪華さはありませんが
  皆さん和気あい合いの楽しい時を過ごしました。

  ボルガ河を航行しながら眺める周りの風景は素晴らしいです。
  川風が涼しく心安らぐひと時でーす!

  一昨日からのあわただしい3日間が過ぎ、ようやく落ち着いた夜が迎え
  られほっとしながらの就寝となりました。

   ○Oo。.(T¬T)/~~~オヤスミナサイ!!


ボルガ河クルーズ(ロシア)

2010-08-01 09:53:44 | Weblog

 ロシアの母なる河 ボルガ河クルーズ

 行って来ました! 感動しました!
  しかしトラブルと暑さに(・_・ヾマイッタ旅でした。

7月8日(木)
  成田空港に胸躍らせて集合、アエロフロート・ロシア空港12時
  フライトのモスクワ行きに乗るためゲートに・・・?
  12時になってもカウンターが開きません。
 
  成田空港のオブジェ       みなさんのガッカリ姿 
  

 1時半航空会社から昼食券が出て3時半ぐらいにカウンターにご集合
 
下さいとの事でした。
 私は前にエル・フランスで喫茶券が出てその後食事券が出て8時間
 待たされた経験があるので、今日飛ばないのでは・・?と

 案の定本日の出発がキヤンセルになりました。
 会社側の説明では機材の修理に必要なパーツが日本に無い為明日ロシ
 アから取り寄せ午後出発するとの説明でした。

 私達は出国しているので再度入国の手続きをして荷物を受け取り、
 用意されたバスでANAクラウンブラザホテルに一泊することに
 なりました。

 お疲れ様の一日で成田空港見学デーでした
  ヤレヤレ ┐(○`ε´○)┌ マイッタネ!


7月9日
 朝8時30分の迎えのバスでホテル出発、前日の説明では09:00から
 カウンターをオープンしてチェックインとの説明でしたが、1時30分に
 再度集合してほしいとの事、待てど暮らせどアナウンスはありません
 皆さん14名集合して5・6時までに解決しない時は全員キヤンセルにす
 る事に意見がまとまりました。

      飛ばない掲示板 ウラメシーヤー! 
  

 遂にエイジェントから北京経由、デルタ航空からアエロフロート航空
 に乗り継ぎモスクワに向かう提案が出されそれに賛成いたしました。
 夕方早速デルタ航空にチェクインし搭乗した所今度は成田~北京間の
 上空に、特に北京近郊に雷雲が発生しており2時間遅れるのアナウンス
 全員で顔を見合わせてしまいました。

        デルタ航空のサロンんで一休み
  

 幸い2時間後にフライト無事10日 00:30分(現地時間)に到着。
 北京空港の乗り換えセキュリテーが万博のせいか混んでいて煩くて
 大変でしたが、03:20分発のアエロフロートに乗れました。

  

 ビジネスでしたのと大変空いていましたので、グッスリ休む事だ出来
 ました。目が覚めたらモスクワ空港でした。10日07:40着

  皆さんも元気でモスクワに降り立ちました。
  色々苦労したので全員ヤッターと歓声ものでした!