春は花咲く野辺に、秋は星降る夜に・・・

ー春秋、徒然なるままに・・・

新緑

2010-04-25 11:46:26 | Weblog

五月晴れはすぐそこに!

    目に青葉 一雨ごとに 青さまし          
                  
ー水蓮ー
 

    

  
 
     啼く鳥の声朗らかに青葉かな 
              
   ー星瑠璃子ー
 
  吹く風は冷たいけれどよく晴れ渡って、ふと見たら・・
                 ヒヨドリ君が鳴いていました。

 

 


牡丹の花

2010-04-19 11:10:45 | Weblog

牡丹
   庭の片隅に牡丹が一輪花開きました。

            木陰に凛として静謐
 


      牡丹花は咲き定まりて静かなり
              花の占めたる位置のたしかさ
                        -木下利玄

 

 

 

  花信(花だより)によれば、牡丹の開花は穀雨の一候(4/20~25)
  の頃とか。
  異常気象の中でも、健気に花開く姿・・・愛いなるかな。

 
            


京都桜見物5(元離宮二条城)

2010-04-18 12:00:06 | Weblog



                      ←入場券

                  二条城 前景
 
 
 慶長8年(1603年)、徳川将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛のとき
  の宿泊所として造営し、3代将軍家光により、伏見城の遺構を移すなどし
 て、寛永3年(1626年)に完成したものです。

 豊臣秀吉の残した文禄年間の遺構と家康が建てた慶長年間の建築と家光
 がつくらせた絵画・彫刻な どが総合されて、いわゆる桃山時代様式の全貌
 を垣間見ることができます。

                   唐 門と桜
 
   
切妻造、桧皮葺の四脚門でその前後は唐破風造となっています。
   彫刻がふんだんに使われています。

                    昔の番所
  

                  二の丸庭園
 

    桜・サクラ・・・約400本・50品種以上の桜が咲いていました。)
 

 

  

   内堀南側の「桜の園」や、北側の「清流園」などにサトザクラやベニシダレ
 など、咲き競い、寒いながらも好天に恵まれて、素晴らしい桜見物が出来
 ました。

 



  


京都桜見物4(銀閣寺)

2010-04-14 16:06:08 | Weblog

銀 閣 寺
 
 

 
   
東山文化の代表として知られる銀閣寺の正式名称は、
     
臨済宗相国寺派の禅寺で、正式には東山慈照寺という。
     足利義政が文明14年(1482年)に開いた山荘である。

         銀閣 (国宝):正しくは観音堂
 
  東山山荘の中では、一番最後に建てられた。義政はこの銀閣の完成を待たずして
   逝って
しまった。

          東求堂(国宝):日本最古の書院造り
 

              本堂 襖絵              書院 襖絵
              
与謝 蕪村                  富岡 鉄斎
  


  

    「銀沙灘」(ぎんしゃだん)「向月台」(こうげつだい)越しに銀閣を望む
 
  「銀沙灘」:
灘(だん)とは、大海原を意味し
中国の西湖を模して造られた砂紋。
   


京都桜見物3(仁和寺)(哲学の道)

2010-04-13 11:23:15 | Weblog

 仁和寺 
     見渡せば柳桜をこきまぜて
               都ぞ春のにしきなりける                


  

 仁和寺は仁和2年(886年)に光孝天皇の勅願により
 創建に着手したが、天皇は翌年に死去、宇多天皇が遺志を引き継ぎ
 仁和3年に完工し、仁和4年(888年)に落慶供養が行われたと伝えら
 れている。
 その後、160年以上も経過した江戸時代、寛永11年(1634年)に、
 徳川幕府の援助により覚深法(かくじんほつ)親王が再興に努め、
 現在の仁和寺の基礎を築いたとされている。

                 中門 (重要文化財
 

               五重塔 重要文化財
        

     高さは36m余りで、寛永21年(1644年)の造営とされている。
    各層の屋根の大きさに大差がなく、江戸時代の特徴を示しているという。

                   鐘 楼重要文化財)
  
   
寛永の再興時に建てられたものとされているが朱塗りの鮮やかさから
    改修されてから時間が余り経過していないのであろう。

    哲学の道
  

  
  若王子橋から銀閣寺橋へと続く約1.5kmの散策路。
  
哲学者・西田幾多郎や田辺元が、思索にふけりながら歩いたこと
   からこの名が付けられたという。春には数百本のソメイヨシノが花
   のトンネルを造り、多くの花見客で賑わっている。
  
   銀閣寺参道の近く・・・
   
 
   
 銀閣寺本店・四條御幸町店・先斗町店・ニューヨーク店とある様です。
 味も良くユニークなお店でお客さんが並んで待っています。
 人気のお店の様でした。

 ここで、ランチをしてから銀閣寺の観光に行きます。

 


京都桜見物2「祇園白川」

2010-04-12 10:09:57 | Weblog


                         



  「祇園白川」は京阪四条駅の北方で白川は鴨川と合流する。ここから新橋辺
 りの地域です。
 町並保存地区に指定されており,石畳に格子戸の茶屋が並ぶ花街の風情が
 残っている所です。
 白川沿いに多くのソメイヨシノや枝垂桜が植えられており,
 現在、桜の時期には日没から9時までライトアップされております。

 歌舞練場から人力車で桜を眺めながら祇園白川のお茶屋(望月)へ
      
 
    

           お茶屋(望月)のお部屋からの夜桜
 

                芸技さんと舞妓さん
 

                舞妓さんの立ち姿
         

    三味線とお謡いに合わせて夜桜を背景に芸妓さんと舞妓さんの踊りを
    眺めながら、ご酒と京懐石を戴き、昔ながら古都の雰囲気に浸った
    楽しい
宵でした。

                 
   

       宴の納めにお部屋を暗くして幇間(たいこもち)の鼓で・・・
       幻想的な雰囲気で素晴らしい時を過ごしました。 

  「かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 
                枕の下を 水のながるる」
                  
「祇園歌人」といわれた吉井勇(18861960)

  「木屋町に宿をとりて 川向の御多佳さんに
                    春の川を隔てて男女哉」
 
                                「漱石」
                       などの歌が思い出されます。



京都桜見物1 「都おどり」

2010-04-11 09:36:39 | Weblog

       「ヨーイヤァーサー」の掛け声と共に
           春の到来を華やかに告げる古都の風物詩

                 都おどり入口
 
 
 
明治5年、当時東京遷都によって人出が減り、活気がなくなっていく
 京都の再生策として京都博覧会が開かれ、その時に京都の舞妓・
 芸妓によるイベントがおこなわた。
 これが「都おどり」の始まりとされ、現在に至るまで受け継がれています。
 

                 歌舞練場
 

 明治6年、建仁寺塔頭清住院が、歌舞練場として改造され
 第2回目からここで行われました。
 歌舞練場は、大正2年に現在の場所に移転し、昭和25年から 3年間
 の修理の間、四条南座で上演された以外は、都をどりは現在に至る
 まで毎年この歌舞練場で上演され続けています。

 お茶券付特等観覧券
  

 
お茶席にて芸妓さんによるお点前を楽しんでお茶とお菓子が、
 ふるまわれます。

   また、おみやげ「都をどり特製だんご皿」も付いています。

              そろいのお着物
 

 おどりの開演時間は約一時間 (舞台は撮影禁止)
                下記はパンフレットより
 

   

              歌舞練場の庭の枝垂れ桜
       

 
 


春の庭

2010-04-06 11:21:58 | Weblog

  
        春の庭
 庭の若葉が芽吹いて・・・咲いた!咲いた!
                 チューリップの花が咲いた!
 

       初めて見かける水仙の花が咲いた! 
 


           ☆此の水仙のお名前を教えて下さい