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暇人の戯言

40有余年の俸給生活を終えて、サンデー毎日の生活ですが、思いつきの侭の記録です!

世界文化遺産の厳島神社と姫路城を訪ねる~

2009-12-27 08:41:51 | 旅行

推古天皇元年(約1400年前)に創建されたといわれる厳島神社。
海を境内として建てられた朱塗りに社殿は美しい寝殿造りで、満潮時にはまるで海に浮かんでいる様で、干潮時には境内を歩いて鳥居まで行く事が出来る。

木造の鳥居としては日本一の高さ、大きさを誇り、海底に基礎を打ち込むことなく、土台だけである石の上に自重で立っています。現在の鳥居は平安時代から数えて8代目で、明治8年(1875)に建立されました。

和洋と唐様の2様式を組み合わせによる独創的な特徴を持つ五重塔で、高さ27mの朱色の塔。内部の壁には極彩色の仏画が描かれています。
建立は応永14年(1407年)で重要文化財です。

厳島神社と五重塔の間に入母屋造りの大経堂がある。この経堂は豊臣秀吉が戦で亡くなった兵士の霊を慰める為の経堂であり、その広さは床に畳を敷くと857畳にもなることからこの様に千畳閣と名付けられているが、その後豊臣秀吉の死により内部が未完成の状態で現在に至ってます。


姫路城は播磨の守護職赤松則村が元弘3年(1333年)ここに砦を築き、その子貞範が正平元年(1346年)城を構えたことに始まる。
その後羽柴秀吉が天正8年(1580年)西国攻略の根拠地として入城、3層の天守閣を完成させた。
関原の役後、徳川家康の女婿である池田輝政(52万石)が入封し3代の間に拡張されて、その後に入封した本多忠政は長男忠刻とその室千姫(徳川秀忠の長女)の為に西の丸を整備して、元和4年(1618年)今日に見る姫路城の全容を整えました。明治に入り不幸な時期も有りましたが、現在は大天守と三つの小天守を結ぶ
渡り櫓(以上国宝)で、平成5年(1993年)姫路城は法隆寺の仏教建造物とともにユネスコの世界文化遺産に登録されました。

城内の入り口である「菱の門」から千姫の居住地の西の丸に入る。


天守閣は千鳥破風と唐破風の組み合わせが見事な様です。

これだけの大城郭となった姫路城は江戸時代にも何度か修理や補強工事が行なわれています。この度平成の大修理が平成22年4月下旬より行なわれ、5年間はこの美しい城の姿を見られないとの事での此度の訪れにもなった訳ですが、兎に角重い城を支える部分の色々な部分が修理をしなくては、後世の日本のみならず、世界の宝が更に美しさでの5年後の出現を心待ちさせて頂きます。




亀山湖(亀山ダム)紅葉狩りウーオキング

2009-12-04 10:03:17 | 行事
紅葉狩りでは関東で一番遅いスポットである此処亀山湖(亀山ダム)は千葉県内で大型河川では利根川に次ぐ小櫃川と笹川の合流地点に位置する多目的ダムの人造湖である。
この地点の旧亀山村では昭和33、36、45年大水害と旱魃に悩まされていたが、昭和40年から調査に入り、水没予定農家が37軒で総工費117億円で昭和50年に着工し、6年後の昭和56年に完成した。
完成したダムの総貯水量は1,475万立方メートル(東京ドーム12杯分)は県内1位で、房総半島南部の治水、水道水と農業用水に利用されている。
亀山湖の周りは一周約4.8キロで春には桜、秋には紅葉等と近くの温泉施設等により観光客も年間72万人と最近のアクアラインの通行料の値下げにより増える傾向である。
この地の湖畔と渓谷巡りでの約13キロのウオーキングを楽しんだ一日であった。


小月橋よりの景観


黒滝のトンネルより




黒滝付近の紅葉で、雨上がりの所為猪ノ川の水量が多い様である。


東京大学演習林の入り口であるが、生憎本日は一般公開日でなかったが、数年前に一般公開日に探鳥会の仲間と訪れた際に演習林内部の紅葉の美しさは忘れられない。是非来年の公開日に来たいと思う。











千葉県立青葉の森公園の10月桜

2009-10-30 15:50:49 | 
千葉県立青葉の森公園は広さ53.7ヘクタールと千葉市中央にある自然が残る広大な面積の公園で、春先には梅や桜が豊富に咲き誇る場所としても人気のスポットでもあります。
この地は過ってわが国畜産技術研究の発祥の地で、大正6年からの農林水産省畜産試験場としての跡地を利用して、昭和62年のスポーツゾーンを皮切りに、その後平成元年に中央博物館等自然環境の中にネイチャー、カルチャ-,レジャーゾーンの三位一体公園で、特に春の桜は楽しませて頂く花であるが、公園の一角に植えられてる10月桜は特に楽しませて頂いている。
*10月桜は資料に因りますと「お会式桜」とも云う様で、10月に開花し、冬の間も
 小さい花が断続的に咲き、春(4月上旬)にもかなり咲き、春の花はやや大きく、
 小花柄が長いとの事です。(山渓セレクシヨン 日本の桜より)






中世の在銘仏を訪ねる

2009-10-16 09:52:42 | 歴史探索
地元の市の主催である歴史セミナーに参加して、鎌倉時代の後期に千葉県下での活躍が知うられてる仏師で、仏像内部に「賢光」の名が記された作例が、現在県内に5件確認されています。その内市原市内の南部にある「長栄寺」と北総地域の印西市の2箇所を所有者・檀家の皆さんと印西市教育委員会のご協力により、特別に拝観させて頂き、又その作例の発見にご尽力された慶応義塾大学名誉教授紺野敏文先生のその作風や変遷の解説を頂き、貴重な仏像彫刻が大切に受け継がれ、今もなお信仰され続けていることを知ることが出来た一日でした。




今回訪問の寺院は何れも「天台宗」の寺院であるが、先ず地元の「長栄寺」小高い丘の上の寺院で山門の長い階段を登った処に本堂がある古刹である。



長栄寺蔵の在銘仏は「木造十一面観音立像」像高は158.8cmで制作年代は文永元年(1264年)と内部に墨書銘があり、髻(モトドリ)上に仏面を、地髪部には頭上面を等に計十一面を表し、現在市原市有形文化財指定になっている




北総の地である印西市にある多聞院(奈良市・興福寺の塔頭の一つ)には鎌倉時代の三尊形式の毘沙門天像が特別拝観させて頂く事ができた。




毘沙門天像は、本来は彩色されていたものと思われるが、現在は素地像で、像高は
139cmで、中尊の毘沙門天は、髻を三束に結び、宝冠台を着け、眉をつり上げ、怒りの目で、口を真一文字結んでます。
毘沙門天と吉祥天の像内の銘文に、正応2年(1289年)仏師賢光によって造像されたことが記されています。
この像全ては千葉県有形文化財指定になってます。



   


同じ印西市で多聞院からさほど遠くない所にある「西福寺蔵の「木造不動明王立像
及び毘沙門天立像」も拝観させて頂く事が出来た。


「木造不動明王立像」で、像高は他の仏像より低く62cmで、光背は火焔光背とし、框座付き岩座となっている。

「木造毘沙門天立像で、像高は65.5cmで光背は火炎付き輪光、台座は框付き岩座の上に邪鬼を載せる。
両仏像共に印西市有形文化財指定である。

今回のセミナーのテーマは今まで地元では余り参加してない分野でもあったので、先ず地元にこの様な素晴らしい作家と作品があり親しく作品に接し出来る事は大変恵まれた環境に居る事を実感させて頂きました。
尚本文中の仏像用語は全て市原市教育委員会が今回のセミナー用に用意して頂いたレジメより引用させて頂きました事をお断りさせて頂きます。








平成20年度「吉田の火祭り」参加して

2008-09-01 11:41:01 | 行事



<恒例の8月26~27日に行われる「鎮火大祭」は、「吉田の火祭り」と呼ばれ、北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社の秋の大祭である。先ず吉田口五合目に鎮座いたします「小御嶽神社を生憎の小雨の中を参拝するが、参拝客と登山客で混雑していたが、例年になく登山客の増えたのも、最近外国人の多さにもその一因も有ると思うが、世界遺産として登録されるのは、山全体の清掃も各人が胆に銘じなければと思います。


北口本宮冨士浅間神社の参道口には、高さ3メートルの筍型に結い上げられた大松明と全ての松明に午後6時に点火されるのを待っている。


午後6時氏子衆により大松明70余本と各個人宅前に井桁に積まれた松明にも一斉に点火されると、街中は火の海と化し、祭りは深夜まで賑わう。

家毎の松明の前では氏子によりお焚き上げは「家内安全」「無病息災」等を願うお祈り風景。


諏訪高島城は武田信玄の側室である「由布姫」の生誕の城である。

信濃国一ノ宮である諏訪大社は上社と下社が諏訪湖をはさんで鎮座されてます。お祭神は父神を大国主神の男神と兄神が鎮座されてます神社である。

全国的に有名な御柱祭りの神事は6年毎の寅・申年におこなわれ、社殿の建て替えと四隅に御柱を曳建てます。2004年の御柱が境内に建てられてます。

武田神社は過っての武田氏の館跡で別名を「躑躅ケ崎館跡」で平城形式の城跡である。

境内にある「奇木三葉の松」は高野山にある松でその松の葉が落葉の際に金色になり金運と松は延命長寿の守りとして肌身に付ける方々の多いとの事であるが~









飯香岡八幡宮の露地植え君子蘭群

2008-05-11 16:47:01 | Weblog

 

 

市原の飯香八幡宮の創建は奈良時代と謂れその時代の一国一社の神社である。境内にある「夫婦イチョウ」は創建に際しての勅使である桜町中納言季満卿が西暦675年にお手植えされた「イチョウ」がその後の変遷を経て現在の「巨樹」「巨木」の「夫婦イチョウ」としての樹齢は約500年で、地上より2.8m高さで相対的に分かれてのイチョウから安産・子育ての守り神の象徴として現在も大切に保存されています。

 

   

 現在は千葉県の指定記念物として、樹高は約17mで幹周は約11mで、後方の本殿は室町時代の建造物として国指定文化財として、拝殿は県の指定文化財である。

本殿の裏手の境内には氏子によって露地植えされて毎年この時期になりますと、余り他では見られない露地植え「君子蘭」年々その見事さで楽しませてくれている

 シャガも君子蘭も木陰に同時進行で咲いている

ベージュと紅も一緒に咲いている。

 

 


富士山麓一周ウオーク2月コース(丸火自然公園~富士山本宮浅間大社)

2008-02-25 11:04:02 | 行事


2006年7月よりスタートのウオークも今回で12回と漸く今回で完全踏破となるが、途中行事等の事情で約19ケ月もかかってしまったが、内富士山のご機嫌の良い姿にお会い出来たのは、今回を含めて5回とは添乗員の方に聞いても効率の良い方らしい。自然相手の行事なるが故に天候は時の運と云う事で仕方ないが、無事に踏破出来た事は大変に幸運であった。

午前中は南風で、途中の東名高速「足柄パーキング」よりの富士山は姿は見えたが、余りハッキリとした姿ではない様である。」

 この度のウオーク地点は富士山南麓の富士市の「丸火自然公園」から富士宮市にある「富士山本宮浅間大社」までの約13キロの途中美しい茶畑の中の平坦道路を行くウオークで右に富士山が見えるロケーシヨンであるが、スタート時点天候とゴール時点の天候温度が、イッキに春から冬と又当日は「春一番」が吹き荒れてる天候の中での富士山の大変珍しい山頂にかかる雲の姿を見られた。

 

 ゴール地点の「富士山本宮浅間大社」であるが、この地点は作年3月のスタートした地点でもあるが、昨年の3月頃は桜も咲き始めていたのが印象的であったが、当日は富士山の姿は見られなかった。
美しい拝殿と本殿の姿はさすが、全国浅間神社の大社らしい偉容さに富士山
同様にしばし見とれる。富士山頂には大社の奥宮が鎮座されています

 

ゴール後名物の「焼き蕎麦」を堪能した後の境内よりの山頂付近の雲(かさ雲)の姿にも暫し見とれて、帰りの車中なる。
楽しい12回のウオークの締めくくりに相応しい「霊峰富士山」の姿を拝ませて頂き健康に感謝させて頂き、又遠く東京湾越しの「ダイヤモンド富士山」を楽しませて頂ける事を念じつつ・・・
・・


 

 

 


鎌倉の古刹「長寿禅寺」を訪ねて。

2007-12-01 14:32:24 | 歴史探索
初代鎌倉公方(鎌倉府長官で、関東を支配)の足利基氏(1340~1367年)が父尊氏の菩提のため開創したと伝えられる臨済宗建長寺塔頭のお寺で、一般公開はされていないが、寺域は元足利尊氏の住居跡と云われ、谷の自然に溶け込み、露盤・宝珠を屋頂に載せた仏殿の茅葺き屋根が印象的である。山門は江戸時代からの伝統の藁葺屋根、苔の庭はご住職様のお手入れで春先の芽吹きが今から楽しみである。



境内の一郭の窟(ヤグラ)には足利尊氏のお墓がある。

書院の前の石庭の美しさ又格別な趣で、苔庭ともども季節毎に楽しませてくれる事と思う。



草津白根山と草津温泉

2007-11-10 15:32:57 | 旅行
草津白根山系は、白根山(標高2,160m),本白根山(2,171m),逢の峰(2,110m)などの火山の集合体である。

白根山頂の火山湖を目指す登山道。

白根山の山頂付近には、エメラルドグリーンの湖水をたたえた火口湖湯釜が好天の青空の下で一段と美しい。

赤城山連邦

草津温泉は、草津白根山から東へ流れる地下水に火山ガスが出会って生じていると考えられている。源泉の場所である『西の河原には今も多くの場所に水蒸気が上がっている。





草津温泉街の紅葉は盛りを過ぎているが、湯畑と付近最後の盛り紅葉である。






会津に紅葉を愛でる旅

2007-11-01 17:40:38 | 旅行

最近の温暖化傾向で自然界も慌て気味で、晩秋にも関わらず春先に芽を出す桜等の花芽も顔を出す始末で、期待も半ば気味での紅葉狩を会津の「塔のへつり」と「大内宿」に訪れる。

「塔のへつり」は大川ライン最大の景勝地で、100万年もの時間が刻んだ自然の芸術です。垂直に切り立った絶壁と回廊に紅葉が一層と自然の彫刻を引き立たせてくれる。

 

 

 

大内宿は会津と奥州街道を結ぶ会津西街道の拠点のひとつとして江戸時代の初期に会津藩の初代藩主・保科正之、二代目正経等が江戸参勤の際にこの街道を利用した際にここで昼食をとった本陣跡の復元である。

 

 この会津西街道が宿として整えられたのは十七世紀の中頃と推定されているが、昭和56年に国指定で伝統的建造物群保存地区指定を受けた。