
推古天皇元年(約1400年前)に創建されたといわれる厳島神社。
海を境内として建てられた朱塗りに社殿は美しい寝殿造りで、満潮時にはまるで海に浮かんでいる様で、干潮時には境内を歩いて鳥居まで行く事が出来る。

木造の鳥居としては日本一の高さ、大きさを誇り、海底に基礎を打ち込むことなく、土台だけである石の上に自重で立っています。現在の鳥居は平安時代から数えて8代目で、明治8年(1875)に建立されました。

和洋と唐様の2様式を組み合わせによる独創的な特徴を持つ五重塔で、高さ27mの朱色の塔。内部の壁には極彩色の仏画が描かれています。
建立は応永14年(1407年)で重要文化財です。

厳島神社と五重塔の間に入母屋造りの大経堂がある。この経堂は豊臣秀吉が戦で亡くなった兵士の霊を慰める為の経堂であり、その広さは床に畳を敷くと857畳にもなることからこの様に千畳閣と名付けられているが、その後豊臣秀吉の死により内部が未完成の状態で現在に至ってます。

姫路城は播磨の守護職赤松則村が元弘3年(1333年)ここに砦を築き、その子貞範が正平元年(1346年)城を構えたことに始まる。
その後羽柴秀吉が天正8年(1580年)西国攻略の根拠地として入城、3層の天守閣を完成させた。
関原の役後、徳川家康の女婿である池田輝政(52万石)が入封し3代の間に拡張されて、その後に入封した本多忠政は長男忠刻とその室千姫(徳川秀忠の長女)の為に西の丸を整備して、元和4年(1618年)今日に見る姫路城の全容を整えました。明治に入り不幸な時期も有りましたが、現在は大天守と三つの小天守を結ぶ
渡り櫓(以上国宝)で、平成5年(1993年)姫路城は法隆寺の仏教建造物とともにユネスコの世界文化遺産に登録されました。

城内の入り口である「菱の門」から千姫の居住地の西の丸に入る。

天守閣は千鳥破風と唐破風の組み合わせが見事な様です。
これだけの大城郭となった姫路城は江戸時代にも何度か修理や補強工事が行なわれています。この度平成の大修理が平成22年4月下旬より行なわれ、5年間はこの美しい城の姿を見られないとの事での此度の訪れにもなった訳ですが、兎に角重い城を支える部分の色々な部分が修理をしなくては、後世の日本のみならず、世界の宝が更に美しさでの5年後の出現を心待ちさせて頂きます。