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欧州雑派

欧州に関する気になった情報の備忘録

■「存在の耐えられない軽さ」 新読書メモ(1)

2013-08-10 | 欧州文学

僕は(これまで、本ブログで)多くの「読書メモ」を書いてきた。ロシアドイツの文豪たち、村上春樹などの読書メモだ。

優れた小説を読んでいると多くの想念が浮かんで来くる。しかし、いつの間にか消えていく。それらを忘れないために、読書メモを始めた。

当初は、備忘録としての役割を期待していた。が、しかし、意外にも、難解な小説に対しては、挫折防止ツールとして役立っている。特に文豪の大作に挑戦するとき、強力な武器となっている。従って、メモは読書中の手段でしかないな、と考えていた。だから、読了後には「読書メモ」を書き続ける必要はなかったのである。これまでは、、、、。


しかし、「存在の耐えられない軽さ」を読了したとき違和感を覚えた。これまでと感覚が違うのだ。読了したにも関わらず、湧き上がってくる想念が多いのだ。書かれている言葉が気になって気になってショウガナイのである。たぶん、この小説が怪物的に奇妙な思索で溢れているからだろう。

このようなタイプの小説こそ、読了後の「読書メモ」を書く必要がある。そんな風に考え直した。

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)
千野 栄一
集英社

■ 「存在の耐えられない軽さ」 ・・・新読書メモ(1)・・・

一昨日から、「アンナ・カレーニナ」を読んでいるのだが、驚いた!アンナ・カレーニナの夫の名前が、アレクセイ・カレーニンということを知った。「存在の耐えられない軽さ」において、トマーシュが元気のないテレザのために手に入れた子犬(バーナード犬の雌犬)の名前が”カレーニン”なのだ!

アンナ・カレーニナ〈上〉 (新潮文庫)
木村 浩
新潮社

トマーシュは最初に(この子犬の名前を)トルストイと命名しようとしていた。しかし、テレザに反対された。そこでトマーシュは、アンナ・カレーニナという名を付けようと考えたが、子犬があまりにもブサイクな顔をしていた。そこで、アンナ・カレーニナという命名はやめて、「そうだ、カレーニンがいい!」と決めたのであった。

僕は何故、カレーニン?、、と(当初から)不可解に思っていたのである。だから、「アンナ・カレーニナ」を読みながら、大いに感動したのだった。アンナ・カレーニナの夫の名前だったのだな!ヤルナ。クンデラは「存在の耐えられない軽さ」の第Ⅶ章を、”カレーニンの微笑” として綴っている。カレーニンはこの小説で重要な存在なのだ。


この第Ⅶ章”カレーニンの微笑”も面白く読んだ。例えば、次の文章に唸ってしまった。

テレザは、、、人間というものは、サナダムシが人に寄生するように、牛に寄生して、ヒルのようにその乳房に吸いつくのだとひとりごとをいう。人間は牛の寄生虫であると、人間の動物誌の中で間はそう定義するであろう。

なるほど。牛が絶滅したら人間はどうするのだろう?ステーキもチーズもバターもアイスクリームもヨーグルトも食べられなくなる。牛乳も飲めなくなる。まさに、人間は牛の寄生虫ではないか!

僕は牛乳アレルギーなので牛乳を飲めないけど、牛肉は大好きだ。牛肉を食べないと、活力を奪われたようになる。牛さんが絶滅したら、どうしょう?このテレザのひとりごとを読みながら、不安になった。

そう言えば、最近、パペットマペットを見ていないなぁー、など、どーでも良いことまでも考えていた。

或いは別のことも考えた。例えば、金融のこと。

牛が存在していなかったら、ブルベア・ファンドも存在していなかったことになるなぁ。「ブル」とは雄牛のことを言う。角で下から上に突き上げ攻撃する。「買い」をイメージでき、「相場の上昇」を意味している。相場が強いとき、レバレッジの効いた(2倍とか3倍のブル型を選べばパフォーマンスが良くなるが、思惑と逆に動くと悲惨なことになる。

ベアとはクマを意味していて、熊が爪を振り下ろして攻撃する姿から、「売り」をイメージして「相場の下落」を意味している。同じように思惑通りに行けばよいが、、、逆に動くと悲惨なことになる。

まあ、保有している投資信託(或いは株)のヘッジ用として持つのが無難ということになる。「リスクを取らないことがリスク!」なんて馬鹿なことをいう評論家や業者たちの言葉を鵜呑みにしないことだ。

とまあ、何故か投資の話になってしまったが、やはり、人間と牛のつながりは強いものなんだな、と改めて考えてしまった。



こんなこと(人間は牛の寄生虫である..)を書く、ミラン・クンデラはやはり凄い。でも、「プラハの春」についての思索を巡らせながら、何故、トルストイに関することを物語のなかで挿入させていくのだろうか?アレクセイ・カレーニンがどんな人物で、どんな夫であるのか、未だ全くの正体不明だが、とにかく、「アンナ・カレーニナ」を読むことで、少しずつ謎が氷解していくことだろう。


僕は、この糞暑い夏を乗り越えるため、「存在の耐えられない軽さ」の読書メモを書きながら、「アンナ・カレーニナ」の読書メモを同列で書いていこうと企んでいる。

「アンナ・カレーニナ」の物語の展開を深く知ることで、「存在の耐えられない軽さ」の複雑さを解読したいのだ。複雑な小説には複雑な方法で対処できると考えている。だから、皆様、どうぞ、「存在の耐えられない軽さ」 新読書メモ にお付き合いください。本日、「アンナ・カレーニナ」p62まで通過。丁寧に読んでいきたい。


 

 


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