レノを街中で見かけた時、ニナは思わず最後に会ったのはいつだったか思い返していた。
6ケ月。
そう、6ケ月だ。
久しぶりに見るレノは少し痩せていた。
さらさらと舞い落ちる雪の中で、寒そうにコートの襟を寄せている。
しんしんと冷える空気の中で、頬は白く透き徹り。
唇だけが朱を塗ったように赤く鮮やかだった。
「よう。」
ニナは、片手をあげてレノに声をかけた。
レノはニナに気付き、はんなりと微笑んだ。
「久しぶりだな。」
「うん。久しぶり。」
言葉が、白い吐息となって中空に霧散する。
彼を象る線はあまりに細く、このまま溶けて消えてしまうのではないかと思える程に華奢だった。
無理も無い、とニナは心の中で呟く。
今年の夏、レノの妻ミーナが死んだのだ。
生まれ変わったら、きっと比翼の鳥となり。
もしくは連理の枝となって、季節を彩ると思えるような。
そんな仲の睦まじい夫婦だけあって、レノの嘆きようはあまりに激しかった。
ミーナが、泣き叫ぶレノの魂さえも連れて行ってしまうのではないかと思える程だった。
空ろな瞳でただ涙をはらはらと零すレノに、とても葬儀の相談など出来るはずもなく。
ニナが一人で取り仕切ったのだった。
それから6ケ月。
レノは一度も外には出てこなかった。
心配になって何度か家に訪れたのだが、レノはけしてその扉を開こうとはしなかった。
人形師としての職業上、家に籠って製作することはよくあることであったが、時が時だけにやはり心配だった。
でも、どんなに言っても、レノは大丈夫だと扉の向こうで繰り返すばかりだった。
「何してるんだ?」
「忙しくて、クリスマスの準備をしてなくて・・・当日に慌てて準備をしているんだよ。」
「そうか。」
小さく笑うレノに、ニナは少なからずホッとする。
事実、レノが抱える荷物には、クリスマスディナーに使うと思われる食材やら、蝋燭やら、飾りやらで埋め尽くされていた。
「仕事はどうだ?」
「うん、まずまずだよ。」
「まあ、仕事していれば気が紛れることもあるしな。この時期はクリスマスだから、注文も多いだろう。」
「そうでもないさ。」
北風が、彼の前髪を巻き上げる。
レノは小さく目を細めた。
蝶の触角のような細い睫が震えるように揺れて、黒檀の瞳に僅かな陰がかかる。
その瞳に宿る小さな瞳に、ニナはふと違和感を感じた。
熱に浮かされたように潤んだ瞳は、確かにニナの方を向いているのだが。
ニナの後ろ、遥か遠い何かへと焦点を結んでいるように思えたのだ。
彼の眼差しの一切が、その一点へと吸い込まれているように見えた。
「大丈夫か?」
ニナは、思わず声をかけていた。
「何が?」
首をかしげて、微笑むレノ。
ニナは、かける言葉が見つからなかった。
黙り込むニナを見つめながら、笑顔はやがて雪と共に零れ落ちた。
「もう、行かなきゃ。」
「そ、そっか。」
レノは、小さく手を振った。
ニナも釣られて手を上げる。
「家で、ミーナが待っているからさ。」
暖炉で赤々と燃える炎の前で、レノはばっとテーブルクロスを広げた。
入念に洗濯し、沁み一つないクロス。
きちんとアイロンがあてられて、ぴっしりとテーブルを包み込んでいる。
その中央に、銀の燭台を載せる。
燭台には赤い蝋燭が置かれ、火を燈されていた。
レノは、ひとつひとつの料理を運んでくる。
こんがりと焼けた七面鳥。
パースニップと茹でたにんじん。
湯気を立てるマッシュポテト。
林檎を丸ごと入れたパイ。
ラム酒をたっぷりと入れたプラム・プディング。
グレービーソースが、暖炉の火を映して艶々と輝いている。
ワインの栓を抜くと、彼は磨き上げたグラスに注いでいく。
完璧に飾り立てられたこの密やかな食卓に、レノはゆっくりと腰を落ち着ける。
「今年も、二人っきりのクリスマスだね。」
ナプキンを膝に広げながら言った。
「これからも、ずっと、こんな風に二人っきりで過ごして行こう。」
レノは、細い指先でワイングラスを手に取る。
紫の漣に、白いドレスを着た女性が映っていた。
いや、白いドレスを着た人形が映っていた。
「乾杯。」
レノは呟き、幸福そうにワインを飲み干す。
語ることもなく、微笑むこともない彼の妻。
ひっそりとした静けさの中で、ただじっと頭を垂れていた。
それはまるで、二度と戻ることの無い魂に向かって、祈りを捧げているかのように見えた。
思い出の中で彷徨いながら、幸せな夢を見るレノを見守っているようにも見えた。
窓の外にはしんしんと雪が降り積もり。
この世界をどこまでもどこまでも、白く染めてゆく。
雪が深くなればなるほど。
沈黙の密度が色濃くなっていくように思われた―――――。