「囲碁」と「将棋」の比較というのは、
ありそうで、意外に論議しているサイトにお目にかかりません。
多分、両方を好んでいる年配の方は多いと思うのですが、
遠い親戚のようである意味、全然違うゲームなので、
比較しようがないところもありますか。
でも共通点もいっぱいありますよね?
上っ面だけで申し訳ないですが、
私なりに気がついた相違をちょっとだけ。
どちらにも大量の棋書が発行され、
わたしも結構買ったり読んだりしていますが、
両方を比較すると、真っ先に気づくのは
囲碁は「問題集」的な本がやたら多いということです。
半分以上がまず最初の1ページを割いて、問題の局面図を提示し、
「次の一手は?」と問い、
様々な候補を比較考察することで、解説が進行していきます。
それは時々、受験生に戻ったような錯覚すら覚えます。
翻って将棋は、特に最近は「次の一手」的な本は激減。
「詰め将棋」の本以外で、
ちょっと思いついたのでは「四間飛車を指しこなす本」(河出書房)系列と
「読みの技法」「絶対感覚」(河出書房)系列、
「ラクラク次の一手」(日本将棋連盟)でしょうか。
あるとしても定跡書の理解を確認するために、
本の一部を「次の一手」に割いた程度の本が多いですね。
そして主流を占めるのは序盤の隅の隅までの変化まで解説した定跡書です。
「学術書」というのがピッタリ。
しかしプロの序盤研究を惜しみなくさらけ出したこれらの定跡書が、
プロとアマの差を確実に埋めた一因であると思います。
私はどちらかというと、この学術書的な将棋の本の方が
(読みにくくなければ)好きで、
囲碁を覚えたての頃、「囲碁の本って手抜きだなぁ」と感じていたものです。
問題集はあまり買う気がしませんでした。
その思いは今も変わりませんが、
反面、囲碁はあまりにも変化が広すぎて「学術書」的な本が成立しにくい、
図を多く載せると、どうしても図で紙面が埋まってしまい、
内容が薄くなりがちになってしまうというジレンマも見えてきました。
全局的に局面を眺めれば尚更ですね。
その点、将棋は「▲7六歩△3四歩…」と表記すれば良いから楽です。
しかし、そういったジレンマを承知の上で、
もうちょっと囲碁の方にも「学術的」な本が増えてくれないかなと感じます。
問題集にしても、どこかで見たような問題が複数の本に載っていたりして、
ちょっと苛立ちを感じます。
私が初級者だから、こうなってしまうのは承知の上ですが、
中にはこういった学術的な手法のアプローチを成立させている本があるので、
「出来ないことはないでしょ」と感じますし、
「読ませる本」や囲碁の本質的なところをわかりやすく解説している本、
「着眼点に個性を感じさせる本」があまりないなというのが実感です。
いろいろなサイトを見ると「最近の囲碁の棋書はダメだ」という評を聞きますが、
それは上に述べたようなところも関係するのでしょうか?
ありそうで、意外に論議しているサイトにお目にかかりません。
多分、両方を好んでいる年配の方は多いと思うのですが、
遠い親戚のようである意味、全然違うゲームなので、
比較しようがないところもありますか。
でも共通点もいっぱいありますよね?
上っ面だけで申し訳ないですが、
私なりに気がついた相違をちょっとだけ。
どちらにも大量の棋書が発行され、
わたしも結構買ったり読んだりしていますが、
両方を比較すると、真っ先に気づくのは
囲碁は「問題集」的な本がやたら多いということです。
半分以上がまず最初の1ページを割いて、問題の局面図を提示し、
「次の一手は?」と問い、
様々な候補を比較考察することで、解説が進行していきます。
それは時々、受験生に戻ったような錯覚すら覚えます。
翻って将棋は、特に最近は「次の一手」的な本は激減。
「詰め将棋」の本以外で、
ちょっと思いついたのでは「四間飛車を指しこなす本」(河出書房)系列と
「読みの技法」「絶対感覚」(河出書房)系列、
「ラクラク次の一手」(日本将棋連盟)でしょうか。
あるとしても定跡書の理解を確認するために、
本の一部を「次の一手」に割いた程度の本が多いですね。
そして主流を占めるのは序盤の隅の隅までの変化まで解説した定跡書です。
「学術書」というのがピッタリ。
しかしプロの序盤研究を惜しみなくさらけ出したこれらの定跡書が、
プロとアマの差を確実に埋めた一因であると思います。
私はどちらかというと、この学術書的な将棋の本の方が
(読みにくくなければ)好きで、
囲碁を覚えたての頃、「囲碁の本って手抜きだなぁ」と感じていたものです。
問題集はあまり買う気がしませんでした。
その思いは今も変わりませんが、
反面、囲碁はあまりにも変化が広すぎて「学術書」的な本が成立しにくい、
図を多く載せると、どうしても図で紙面が埋まってしまい、
内容が薄くなりがちになってしまうというジレンマも見えてきました。
全局的に局面を眺めれば尚更ですね。
その点、将棋は「▲7六歩△3四歩…」と表記すれば良いから楽です。
しかし、そういったジレンマを承知の上で、
もうちょっと囲碁の方にも「学術的」な本が増えてくれないかなと感じます。
問題集にしても、どこかで見たような問題が複数の本に載っていたりして、
ちょっと苛立ちを感じます。
私が初級者だから、こうなってしまうのは承知の上ですが、
中にはこういった学術的な手法のアプローチを成立させている本があるので、
「出来ないことはないでしょ」と感じますし、
「読ませる本」や囲碁の本質的なところをわかりやすく解説している本、
「着眼点に個性を感じさせる本」があまりないなというのが実感です。
いろいろなサイトを見ると「最近の囲碁の棋書はダメだ」という評を聞きますが、
それは上に述べたようなところも関係するのでしょうか?
でももっと、他の形式の本が出ないかなと思います。
ここでいう他の形式とは、
「依田ノート」や河出書房の最強囲碁塾、
「ゾーンプレスパーク」などを念頭においています。
例えば、電車で「読む」本。辞書的に使う本など、
用途に応じて、ちょっと探せばいろいろな書き方がありそうなのに、
あまり変化を感じない。そこが不思議ですね。
将棋もヴァリエーションが十分とは思いませんが、
MYCOMが昔から「個性的」な本を出してはいるので、
囲碁よりは多面的ではないかと思っています。
囲碁の場合、「勢力」の価値判断などおもに序盤、中盤に説明の難しい事項が多いと思います。主旨からずれてしまいますが、難しいことは急いで解かろうとせず、解るときがくるまでこういうものだと「ブラックボックス」扱いするのも一手かと思います。「手抜き」も最善手の候補の一つだと思います。
(「はじめての人によくわかる囲碁」書評参照のこと)を、
今読み返すと「こういうことが言いたかったのか」
「なるほど、この話は役に立つ」と思うことしきりです。
だからちょっと高度かなという本も、
面白そうだなと思ったら買ってきて積読しています。
読める日がくればいいですが(笑)。