風薫る5月8日(土)
行ってきました、体験学習。
昇ってきました、春日山。
奈良検定1級の受験資格である体験学習プログラム。
「世界遺産春日山原始林 ~神々の社をめぐる」です。
前評判では「苦行」「修行」と名高かったですが、
それを知った上で行くんだから、マゾよね~(笑)
当日はそんな物好きな人々が総勢18名ほど集いました。
集合が9時半だったので、まずは本殿を拝みに行って、
名物砂ずりの藤を見学。
この時期に来るのは実は初めてです。
年々藤の長さは短くなっているようですが、
やっぱ名物らしく早朝にも関わらず結構人が来ていました。
9時前から一般の方も参加しての朝拝(ちょうはい)が開始。
参拝所横の直会殿にあげていただいて、祝詞奏上。
その後、若宮神社などの各神社にお参りしてまわるというもの。
わたしも参加したかったけど、集合時間のこともあるし、
若宮社はその後の本線(?)ではおまいりするしな~ということで
今回は後ろからの見学となりました。
神様の前で祝詞奏上ってのもいいな~とは思ったものの、
まあ、大祓詞はその後何度も唱えることになるとは、
まだこの時は思いもしなかったのである…。
さて時間もそろそろということで集合場所の共生の館へ。
受付で本日の資料とお弁当を受け取り、いざ集合開場へ入ると
物好きな皆様がすでに集まっておられました。
いただいた資料袋の中には、今回のしおりや、行程地図、
春日関係の万葉うた、神拝詞などが入っており、
それらを眺めている間にお時間となりました。
まずは春日大社や原生林に関するビデオを見て、ご説明を聞き、
会場の神前にてこうべを垂れてお祓いを受けていざ出陣です。
会館を出る際には杖を一本ずつ受けて持ちました。
先達の方は、そこに鈴をつけてました。
(鈴は獣よけの役割を果たします)
まずは水谷神社(みずやじんじゃ)に参拝。
ご祭神は、スサノオノミコト、オオナムチノミコト、クシイナダヒメノミコト。
創建については明確ではないらしいけど、京都の八坂神社さんは当神社の御分霊
という記録もあるらしい。神仏習合の時代には、祇園精舎の守護神で医薬の神と
されていた「牛頭天王(ごずてんのう)」とされていたとのこと。
ゆえに古くから霊験あらたかな神様として拝まれ、
病気平癒のためにお参りにこられる方も多数。
近年では新型インフルエンザや、SARS(サーズ)が流行した時、
春日大社の神職さんたちがそれらの退散のためにお祈りをした場所でもあるとか。
その由緒正しい神社さんに、これから入る山での無事を祈るためにお参りです。
まずは、大祓詞(おおはらへのことば)を先達さんが発声し、その後を受けて
ワレワレも習わぬ大祓を奏上します。
「かしこみかしこみもぉ~すううう~」ですよ。
坊主はお経がうまくないとやってられないですが、
神職も祝詞を朗々と発せられないといかんようです。
ワタクシのお隣でしんがりを勤められている神職さんのお声のよさにホレボレ。
その後、人形(ひとがた)を取り出し、左~右~左と体の穢れをそこになすりつけ、
汚れた息を三回吹きかけて、それを橋の上から川へと流します。
「水に流す」というのは日本人の体にしみこんでいる行為なのですね。
その後、本日二度目の本殿へ。
神職の通用門となっている「清浄門」から入れていただき、
大杉わきの階段を下りて、「林檎の庭」へ。
中の白砂を踏まないように周囲の石の上を歩きながらも、
「舞殿」の前へどかどかと集うわたしたち。
ワレワレの後ろではここからお参りをしておられる方も多いのに、
白衣を着た異様な集団(笑)が現れ、いきなり大祓詞ですから、
驚かれたことでしょう。(背中に目はないので確認はしてないが)
こちらの本殿の神様は、東から
第一殿 タケミカヅチノミコトさま(鹿島大神)
第二殿 フツヌシノミコトさま(香取大神)
第三殿 アメノコヤネノミコトさま(枚岡大神)
第四殿 ヒメガミさま(枚岡大神)
大祓詞を唱えたあと、御祭神のかたがたにお参り。
無事に帰ってこれますようにとお願いしました。
本日はお日柄もよく、本殿前にはお宮参りの方が何組もいらっしゃいました。
それなのに、こちとらこれから山登りですよ(謎)
行ってきますゼ!
次は若宮社へ。
御祭神は天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)さま。
この神様に楽しんでいただくために催すのが「春日若宮おん祭」。
そして、なぜ若宮さまというお名前かといえば、
アメノコヤネノミコトさまとヒメガミさまのご子息でいらっしゃるから。
本殿の方は一般の人々は目にすることはできませんが、
こちらの若宮さんは御本殿とほぼ同じ造りなので、
神殿の研究にこられる方は、こちらを丹念に調べておられるそうです。
ここでも大祓詞とお参り。
そして本殿から若宮社に来るときには素通りした鳥居の前へ。
普通の人は山へ入ることができないため、山の中にある本宮神社に
お参りするには、ここから拝む遥拝所となっているのでした。
しかしワレワレは今回ここから入山します。
先達さんが特別な祝詞を奏上し、鳥居前にて一礼していざ入山。
いよいよここからが神域です。
最初はなだらかな坂道状態ですが、昨日雨が降ったこともあって
かなり足元がずるずるします。
なおかつ人通りがないので、自然にできた道というものもなく、
先達さんの振り鳴らす鈴だけが遠くでこだまする中を黙々と登る一行。
で、出ました。
「かけ声をしましょう。散華散華(さーんげさんげ)と云ったら続けて下さい」
「さーんげ・さんげ~」
「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」
「ロッコンショージョー」
延々これが続きます。
実はこれ、ひそかな楽しみでした。
「おお、来たぜ~」とか思いながら、ご唱和。
息が切れてきたので、あんまりデカイ声が出せないのだけど。
申し訳程度につぶやきつつ、ガシガシ斜面を登り続けます。
15分ほど歩いてしばし休憩。
途中写真でもと思う気力もないので周辺の写真は取れてないのですが、
周囲を見回すと結構いい勾配ですよ。
これ、登れって云われたら登れますが、降りるのは怖い。
山は登りよりも、くだりの方が危ないですから。
あんまり休むと余計しんどいので、ほんの少しの休憩でまたまた登ります。
ここで大活躍なのが、例の杖。
斜面につきたてて、テコの原理で体を引き寄せます。
結構年配の方も多かったのですが、みんなすごいよな~って感心します。
私も負けてらんないです。
もう一度の小休止を経て、「本宮神社」に到着です。
やったー!!
タケミカヅチさまが鹿島からやってこられた時、標高295mの
三蓋山の浮雲峰に初めてご鎮座されたのがこの場所。
その後、現在のお社にお引越しされたけど、まずはここから。
その場所に自分がいるんだという不思議さ。
これも何かのご縁、ですな。
祭神は、春日大社の三神さまタケミカヅチノミコト、フツヌシノミコト、
アメノコヤネノミコト)で、ヒメカミさまは麓にておつかえしているから
ここにはいないんだとか。ヒメサマすらいない場所に、女のワタクシが入って
いいもんだろうか。(今回の参加者で女性は二名のみでした)
お社は近世のものだけど、社前に約10m四方に自然石で囲んだ場所を、
神様のおられる場所としてそこでお祭が営まれてきたとのこと。
はずんだ息を整えて、周囲をきょろきょろしたのち、奉告祭。
先達さんのとなえる祝詞を聞いていたら、参加者の名前が読み上げられ、
ここに来たのは誰ですよ~ってのをお知らせしているのでした。
そして参加者による大祓詞とお参り。
その後はしばらく休憩です。
ようやくここで写真を撮る余裕が出てきて、あちこちぱちぱち。
少し切れている森の間からは下界がぼんやりと見えておりました。
お社の向かって左側には天然の藤がキレイに下がっており、
「ふじわら」だなやと(笑)
その後、せっかく登ってきたにもかかわらず、くだりの道を通って柳生街道へと。
途中南部看守詰所なる交番を発見。
警察の人ではなく、奈良公園の人がここに詰めるそうで。
どんどんくだっていったら、舗装されている柳生街道に出ました。
そこからは少々のどかな田舎の風景だったのですが、いつの間にか山道へ。
街道というか、山登りじゃんこれ、と気がつくころにはすでに山の中でした。
(遅いよ)
上り坂の右側に水の流れがあって、木々が日差しをさえぎって
本日は徒歩日和でした。かなり運動してて体が熱をもってるんだけど、
山の中で、水のそばってことで、かなりすがすがしい。
「寝仏」「夕日観音」「朝日観音」とくれば柳生街道って感じが漂う雰囲気。
「首切り地蔵」まで来たところで昼食となりました。
東屋があるのでそこで腰掛けて、朝いただいたおにぎり弁当をぱくつき。
ここから柳生方面に歩くにはまだまだ先は遠いよなあ。
一度は柳生を歩いてみようかと思ったことがあるけど、
途中でしんどくなってもタクシーも通らないし、無理だな。
とりあえず雰囲気のある場所を途中まででも歩けただけでも良しとします。
昼食をとった後、再び歩き始めます。
ここらへんは道幅も広く快適に歩けます。
5分ほど歩いて「高山神社(こうせんじんじゃ)」に到着。
ここのお社はコンパクトサイズながらも、
御祭神は春日四座&若宮&祓戸&水谷の神々さま。
きっと窮屈な思いをされているのではないかと…。
しかしここは元々、七つの社がこの地にはあったそうです。
この地は能登川の水源地。
今では山の斜面にぼこっとへこんだすり鉢状の土地に「高山神社」という
木のプレートがおかれているだけですが、よくよく見てみると、
地面からは水がポコポコと湧き出しているのが見えます。
その水源地を護るように七つのお社がぐるっと周りを囲むように立っていたそうです。
水源地には興福寺の東金堂衆が施入した石舟がありました。
石舟の脇には縦書きで文字が書かれて(彫られて)あったので、
もともとは立てて奉納されたものなのかも…。
さらに次をめざします。
ここらへんは一般の方も入れる区域なので、ハイカーの方々にも会います。
道を歩いてこられる方々を尻目に、崖にしか見えない壁面にたっていた
「山林立ち入り禁止」の看板も無視して「ここから鳴雷神社へ向かいます」。
先達さんがいるので、この地に足を踏み入れてもいいのだけど、
その上り口ってのがほとんど崖状態の斜面なんだが…。
ここ、登るのはいいけど、降りるのは怖いよね~。
まあ降りるときは別ルートだろうからいいか~と思ったが、
帰りもその坂道を下ってくるというのはまだ知らないことであった。
いきなり崖のぼりなので先が思いやられたけど、目的地は割とすぐでした。
途中、みどろみどろ~した池があり、いかにも怪しげ。
その池からすぐの場所に「鳴雷神社(なるいかずちじんじゃ)」です。
ここのご祭神は「天水分神(あめのみくまりのかみ)」さま。
ここが佐保川と能登川の源流となる春日山の分水嶺。
明治8年までは、「香山龍王社(こうぜんりゅうおうしゃ)」と呼ばれてました。
そういえば、「高山」と書いて「こうぜん」だったし、
ここも「香山」と書いて「こうぜん」なのか。
コウゼンって響きが好まれてたのか?
で。
例の池は、龍王池というそうな。
あんな小さな池に龍がいるのかといわれればそれまでだが。
もともと龍は猿沢の池にいたのが、例の采女が入水自殺を図ったことで
池が汚されたとして龍がそれを嫌い、お引越しして来たのがここなんだとか。
しかし、ここもその後、死体が投げ込まれまたまた住めなくなり、
現在はどこにお引越ししたかというと、室生の龍穴神社の池なんだとか。
おお、そのエピソード、どれも知ってたけど、
現地でそれを聞くとまさに結びついた気がします。
今度室生行くときに、是非とも龍穴神社にも行ってみたいわ~。
そんな鳴雷神社でも峰中祈願祭。
階段を登った上のお社前にて先達さんが大祓詞を唱和し、我々も参拝。
その後、階段を登って、各自お社見学をしました。
社は銅葺きの屋根がかかっていて現代的なのですが、
平成10年の台風の際に、周囲の木が屋根にもたれかかるという事件が。
前々から屋根直さないとねえとは云っていたものの、なかなか着手してくれない人間たち。
それにしびれを切らした神様が「はよしてくれ」と催促したのが、
台風の際に屋根に一撃を加えるってことだったんじゃないかという先達さんの弁。
その後、しんがりの神職さんが
「それではみなさんにアンケートとりま~す。
この先、特別に神野神社や上水谷神社にも行くこともできるんですが、
どうしますか?でもそちらに行くと行程上、神苑や飛火野方面には
いけなくなるんですが」
多数決をとることになったんだけど、神苑での藤見学の方が魅力的、っていうか、
これ以上山道を歩くのがそろそろしんどくなってきたってのが本音というか。
せっかくここまで来たんだから、(ここまで登ってくるのですら大変だったのだから)
ここから先にいけるなら行きたいって方、スミマセンでした。
この先の神社を山道で行きたいって方は1/3くらいで、
来た道を引き返すことになりました。
しかし神職さんも負けじと「春日山練成会ではまた入山していただける機会もあるかと
思いますので、今日が最後じゃないですから。また登る機会もあるかと思います」
なんでも、もう季節は夏なので、この5月の末には「夏の練成会」も実施されるとか。
夏と冬は季節が過酷なので、初めての方は登れませんが、ワレワレはすでに春の会で
登山済みの実績があるので、夏の会も参加できるとのこと。
それに、本番の夏にはマムシだのヒルだのが多くて山なんて登ってられない
状態になるため、少々早い気はするけど、5月を夏として登るんだとか。
ぜひともそちらで登ってくださいってアドバイスもありました。
で。
さっき登ってきた道を下るのですが、例の坂道もとい崖、を降りる羽目に。
きゃー、ひざが笑い始めてきたのに、あの坂をそのまま下るのか。
結構怖い思いをしつつ、崩れやすい斜面を滑らないように
そろりそろりと何とか降り切りました。
えがったえがった。
帰りの道は好調でした。
山の高いところを歩く割には道幅が広く、平らなので舗装してなくてもテクテク歩けます。
春日山周遊道路というそうな。なーんだこんないい道があるなら教えてよ(笑)
しかし、こことて山道には変わりなく、帰り道に歩いているわれわれにとっては下りですが、
この道を登って来る方もいるわけでして。道幅が広いとはいえ登りの山道です。
それでもくねくね道をきつくない勾配で降りてくるので
結構な距離歩いてきたと思います。時間にしても一時間以上歩いたかと。
行きの時にも見かけた、交番を見つけて、帰ってきたことを実感。
フツーの舗装道路から林の中に入るとそこは上の禰宜道。
小川が流れていて、これが率川なんだそうな。
率川といえば猿沢池の脇を流れている細い川ですが、
ここから流れていくのだそうな。
ここらへんはイチイガシの巨樹がわらわら立っています。
ここはなぎの木も群生していて、ここに植林したらなぎは
何故か木があった(もとい気があった)のか、
どんどんはびこっているんだとか。
途中道の脇にはロープが張ってあって「ここから先は入っちゃダメよ
ということでロープが張ってあるわけですが、このロープは見なかった
ことにします」と先達さんが藪の中へ。
ようやく平地に戻ってきたかと思ったのに、またまた足元の悪い中を探検隊です。
その道の中、ここらへんで一番古いといわれるイチイガシを見学。
なんでも植物学者でもあった昭和天皇がそのウワサを聞きつけて、
わざわざここまで分け入って見にこられたのだそうな。
(まさか赤じゅうたんはここには引けないよな)
その後中、下の禰宜道を抜けて飛火野へ。
そこで、今日登ってきた御蓋山と春日山をのぞみ、無事に帰ってこれたことを感謝。
ここは今では目に見える範囲でしか春日野って呼ばれる地域はないけど、
昔は天理に達するくらいの土地がすべて春日野と呼ばれる土地であったとのこと。
ここは昔、遣唐使の航行の無事を祈っての行事が執り行われた場所でもある。
その歴史を知ってここを眺めれば、この景色を見ると、
御蓋山を思って異国の地で没した阿倍仲麻呂のことも身近に感じられるし、
この場所の重みも知ることができると。
知らずに見ればただの原っぱ。
その後は神苑の中を見学。
今年はこの時期に藤が見ごろです~と入り口で連呼していました。
「例年この時期にこられてもこんなにキレイには咲いていません」
リキ入ってましたなあ(笑)
藤や花をのんきに眺めていたら、先発隊とははぐれてしまったようで。
しんがりの神官さんがおられたので、その方について神苑を抜けました。
その後スタート地点の共生の館を素通りし、神楽の奉納へ。
(あそこなんて名前の館なんだろ?)
巫女さんによる神楽の奉納と、鈴によるお祓いを受けて無事本日の予定は修了です。
出口では今日一日あちこちを一緒に回って、各神殿でお祓いを受けてきた
ありがたいお守りを受けて、共生の館で直会です。
へとへとになって帰り着くと、本日の夕餉の支度がすでに整っていました。
わーい。食事が出るとは聞いていたけど、こんなに立派なものだとは。
楽しい夕食の前に、忘れちゃいけないのがプログラム修了書の授与式。
いただきましたっ!
そして、おいしいご飯もいただきました!
素焼きの壺の中には濁り酒。わー、疲れているから酔いが回りそうだ~。
ってことで乾杯の際にはちょこっとだけ口をつけて終了。
壺と杯は記念に持ち帰って可ってことだったので、残りはもらって帰ることに。
その後、参加者はみんな奈良検定受験予定者ってことですので、
みんなで一言ずつマイクまわしてお話をしながら、お食事を頂きました。
たけのこの入ったおかゆのほんのりした塩気がうま~い。
体が疲れている証拠なのか、すいーっと染み渡るような滋味です。
春日山練成会で歩くなら朝8時半から午後6時までの
みっちりな行程みたいなので、ワレワレの体験したコースは初心者向け
ってことなんでしょうが。これでも結構足に来ましたので、夏はしんどいかな。
でもとってもよい体験ができました。
直会の最後には「奈良検定の受検の前には、ぜひとも春日大社に
合格祈願に来てください」と神職さんがおっしゃったので大爆笑。
本日の予定はすべて終了しました。お疲れ様でした。
今日一日支えてくれた杖は記念に持って帰るのは可能でしたが、
明日も一日歩き詰めの予定なので、
邪魔になるかと思い断腸の思いで置いて帰ることに。
でもみなさん手に手に杖もって帰ってましたので、いいな~。
奈良に住んでいたらもって帰るんだろうけど。
帰りの高速バスでも難儀しそうだし。
ちょっと残念でしたが置いてきちゃいました。
時刻は六時も近かったけど、本殿からの駅行きの直行バスはないとのことで、
テクテク歩いて下界へ。国立博物館前からバスも乗れますが、
山から下りてきた実績もあるし、ハイカーズハイ(?)状態になっていたのか
結局近鉄奈良駅まで歩いてしまいましたよ。
おーほほほほほ。
一日中山の中と山の麓でしたが、十分英気を養ってきました。
これで奈良検定1級の勉強もはかどることでしょう(マジ?)
奈良はいいねえ奈良は。
行ってきました、体験学習。
昇ってきました、春日山。
奈良検定1級の受験資格である体験学習プログラム。
「世界遺産春日山原始林 ~神々の社をめぐる」です。
前評判では「苦行」「修行」と名高かったですが、
それを知った上で行くんだから、マゾよね~(笑)
当日はそんな物好きな人々が総勢18名ほど集いました。
集合が9時半だったので、まずは本殿を拝みに行って、
名物砂ずりの藤を見学。
この時期に来るのは実は初めてです。
年々藤の長さは短くなっているようですが、
やっぱ名物らしく早朝にも関わらず結構人が来ていました。
9時前から一般の方も参加しての朝拝(ちょうはい)が開始。
参拝所横の直会殿にあげていただいて、祝詞奏上。
その後、若宮神社などの各神社にお参りしてまわるというもの。
わたしも参加したかったけど、集合時間のこともあるし、
若宮社はその後の本線(?)ではおまいりするしな~ということで
今回は後ろからの見学となりました。
神様の前で祝詞奏上ってのもいいな~とは思ったものの、
まあ、大祓詞はその後何度も唱えることになるとは、
まだこの時は思いもしなかったのである…。
さて時間もそろそろということで集合場所の共生の館へ。
受付で本日の資料とお弁当を受け取り、いざ集合開場へ入ると
物好きな皆様がすでに集まっておられました。
いただいた資料袋の中には、今回のしおりや、行程地図、
春日関係の万葉うた、神拝詞などが入っており、
それらを眺めている間にお時間となりました。
まずは春日大社や原生林に関するビデオを見て、ご説明を聞き、
会場の神前にてこうべを垂れてお祓いを受けていざ出陣です。
会館を出る際には杖を一本ずつ受けて持ちました。
先達の方は、そこに鈴をつけてました。
(鈴は獣よけの役割を果たします)
まずは水谷神社(みずやじんじゃ)に参拝。
ご祭神は、スサノオノミコト、オオナムチノミコト、クシイナダヒメノミコト。
創建については明確ではないらしいけど、京都の八坂神社さんは当神社の御分霊
という記録もあるらしい。神仏習合の時代には、祇園精舎の守護神で医薬の神と
されていた「牛頭天王(ごずてんのう)」とされていたとのこと。
ゆえに古くから霊験あらたかな神様として拝まれ、
病気平癒のためにお参りにこられる方も多数。
近年では新型インフルエンザや、SARS(サーズ)が流行した時、
春日大社の神職さんたちがそれらの退散のためにお祈りをした場所でもあるとか。
その由緒正しい神社さんに、これから入る山での無事を祈るためにお参りです。
まずは、大祓詞(おおはらへのことば)を先達さんが発声し、その後を受けて
ワレワレも習わぬ大祓を奏上します。
「かしこみかしこみもぉ~すううう~」ですよ。
坊主はお経がうまくないとやってられないですが、
神職も祝詞を朗々と発せられないといかんようです。
ワタクシのお隣でしんがりを勤められている神職さんのお声のよさにホレボレ。
その後、人形(ひとがた)を取り出し、左~右~左と体の穢れをそこになすりつけ、
汚れた息を三回吹きかけて、それを橋の上から川へと流します。
「水に流す」というのは日本人の体にしみこんでいる行為なのですね。
その後、本日二度目の本殿へ。
神職の通用門となっている「清浄門」から入れていただき、
大杉わきの階段を下りて、「林檎の庭」へ。
中の白砂を踏まないように周囲の石の上を歩きながらも、
「舞殿」の前へどかどかと集うわたしたち。
ワレワレの後ろではここからお参りをしておられる方も多いのに、
白衣を着た異様な集団(笑)が現れ、いきなり大祓詞ですから、
驚かれたことでしょう。(背中に目はないので確認はしてないが)
こちらの本殿の神様は、東から
第一殿 タケミカヅチノミコトさま(鹿島大神)
第二殿 フツヌシノミコトさま(香取大神)
第三殿 アメノコヤネノミコトさま(枚岡大神)
第四殿 ヒメガミさま(枚岡大神)
大祓詞を唱えたあと、御祭神のかたがたにお参り。
無事に帰ってこれますようにとお願いしました。
本日はお日柄もよく、本殿前にはお宮参りの方が何組もいらっしゃいました。
それなのに、こちとらこれから山登りですよ(謎)
行ってきますゼ!
次は若宮社へ。
御祭神は天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)さま。
この神様に楽しんでいただくために催すのが「春日若宮おん祭」。
そして、なぜ若宮さまというお名前かといえば、
アメノコヤネノミコトさまとヒメガミさまのご子息でいらっしゃるから。
本殿の方は一般の人々は目にすることはできませんが、
こちらの若宮さんは御本殿とほぼ同じ造りなので、
神殿の研究にこられる方は、こちらを丹念に調べておられるそうです。
ここでも大祓詞とお参り。
そして本殿から若宮社に来るときには素通りした鳥居の前へ。
普通の人は山へ入ることができないため、山の中にある本宮神社に
お参りするには、ここから拝む遥拝所となっているのでした。
しかしワレワレは今回ここから入山します。
先達さんが特別な祝詞を奏上し、鳥居前にて一礼していざ入山。
いよいよここからが神域です。
最初はなだらかな坂道状態ですが、昨日雨が降ったこともあって
かなり足元がずるずるします。
なおかつ人通りがないので、自然にできた道というものもなく、
先達さんの振り鳴らす鈴だけが遠くでこだまする中を黙々と登る一行。
で、出ました。
「かけ声をしましょう。散華散華(さーんげさんげ)と云ったら続けて下さい」
「さーんげ・さんげ~」
「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」
「ロッコンショージョー」
延々これが続きます。
実はこれ、ひそかな楽しみでした。
「おお、来たぜ~」とか思いながら、ご唱和。
息が切れてきたので、あんまりデカイ声が出せないのだけど。
申し訳程度につぶやきつつ、ガシガシ斜面を登り続けます。
15分ほど歩いてしばし休憩。
途中写真でもと思う気力もないので周辺の写真は取れてないのですが、
周囲を見回すと結構いい勾配ですよ。
これ、登れって云われたら登れますが、降りるのは怖い。
山は登りよりも、くだりの方が危ないですから。
あんまり休むと余計しんどいので、ほんの少しの休憩でまたまた登ります。
ここで大活躍なのが、例の杖。
斜面につきたてて、テコの原理で体を引き寄せます。
結構年配の方も多かったのですが、みんなすごいよな~って感心します。
私も負けてらんないです。
もう一度の小休止を経て、「本宮神社」に到着です。
やったー!!
タケミカヅチさまが鹿島からやってこられた時、標高295mの
三蓋山の浮雲峰に初めてご鎮座されたのがこの場所。
その後、現在のお社にお引越しされたけど、まずはここから。
その場所に自分がいるんだという不思議さ。
これも何かのご縁、ですな。
祭神は、春日大社の三神さまタケミカヅチノミコト、フツヌシノミコト、
アメノコヤネノミコト)で、ヒメカミさまは麓にておつかえしているから
ここにはいないんだとか。ヒメサマすらいない場所に、女のワタクシが入って
いいもんだろうか。(今回の参加者で女性は二名のみでした)
お社は近世のものだけど、社前に約10m四方に自然石で囲んだ場所を、
神様のおられる場所としてそこでお祭が営まれてきたとのこと。
はずんだ息を整えて、周囲をきょろきょろしたのち、奉告祭。
先達さんのとなえる祝詞を聞いていたら、参加者の名前が読み上げられ、
ここに来たのは誰ですよ~ってのをお知らせしているのでした。
そして参加者による大祓詞とお参り。
その後はしばらく休憩です。
ようやくここで写真を撮る余裕が出てきて、あちこちぱちぱち。
少し切れている森の間からは下界がぼんやりと見えておりました。
お社の向かって左側には天然の藤がキレイに下がっており、
「ふじわら」だなやと(笑)
その後、せっかく登ってきたにもかかわらず、くだりの道を通って柳生街道へと。
途中南部看守詰所なる交番を発見。
警察の人ではなく、奈良公園の人がここに詰めるそうで。
どんどんくだっていったら、舗装されている柳生街道に出ました。
そこからは少々のどかな田舎の風景だったのですが、いつの間にか山道へ。
街道というか、山登りじゃんこれ、と気がつくころにはすでに山の中でした。
(遅いよ)
上り坂の右側に水の流れがあって、木々が日差しをさえぎって
本日は徒歩日和でした。かなり運動してて体が熱をもってるんだけど、
山の中で、水のそばってことで、かなりすがすがしい。
「寝仏」「夕日観音」「朝日観音」とくれば柳生街道って感じが漂う雰囲気。
「首切り地蔵」まで来たところで昼食となりました。
東屋があるのでそこで腰掛けて、朝いただいたおにぎり弁当をぱくつき。
ここから柳生方面に歩くにはまだまだ先は遠いよなあ。
一度は柳生を歩いてみようかと思ったことがあるけど、
途中でしんどくなってもタクシーも通らないし、無理だな。
とりあえず雰囲気のある場所を途中まででも歩けただけでも良しとします。
昼食をとった後、再び歩き始めます。
ここらへんは道幅も広く快適に歩けます。
5分ほど歩いて「高山神社(こうせんじんじゃ)」に到着。
ここのお社はコンパクトサイズながらも、
御祭神は春日四座&若宮&祓戸&水谷の神々さま。
きっと窮屈な思いをされているのではないかと…。
しかしここは元々、七つの社がこの地にはあったそうです。
この地は能登川の水源地。
今では山の斜面にぼこっとへこんだすり鉢状の土地に「高山神社」という
木のプレートがおかれているだけですが、よくよく見てみると、
地面からは水がポコポコと湧き出しているのが見えます。
その水源地を護るように七つのお社がぐるっと周りを囲むように立っていたそうです。
水源地には興福寺の東金堂衆が施入した石舟がありました。
石舟の脇には縦書きで文字が書かれて(彫られて)あったので、
もともとは立てて奉納されたものなのかも…。
さらに次をめざします。
ここらへんは一般の方も入れる区域なので、ハイカーの方々にも会います。
道を歩いてこられる方々を尻目に、崖にしか見えない壁面にたっていた
「山林立ち入り禁止」の看板も無視して「ここから鳴雷神社へ向かいます」。
先達さんがいるので、この地に足を踏み入れてもいいのだけど、
その上り口ってのがほとんど崖状態の斜面なんだが…。
ここ、登るのはいいけど、降りるのは怖いよね~。
まあ降りるときは別ルートだろうからいいか~と思ったが、
帰りもその坂道を下ってくるというのはまだ知らないことであった。
いきなり崖のぼりなので先が思いやられたけど、目的地は割とすぐでした。
途中、みどろみどろ~した池があり、いかにも怪しげ。
その池からすぐの場所に「鳴雷神社(なるいかずちじんじゃ)」です。
ここのご祭神は「天水分神(あめのみくまりのかみ)」さま。
ここが佐保川と能登川の源流となる春日山の分水嶺。
明治8年までは、「香山龍王社(こうぜんりゅうおうしゃ)」と呼ばれてました。
そういえば、「高山」と書いて「こうぜん」だったし、
ここも「香山」と書いて「こうぜん」なのか。
コウゼンって響きが好まれてたのか?
で。
例の池は、龍王池というそうな。
あんな小さな池に龍がいるのかといわれればそれまでだが。
もともと龍は猿沢の池にいたのが、例の采女が入水自殺を図ったことで
池が汚されたとして龍がそれを嫌い、お引越しして来たのがここなんだとか。
しかし、ここもその後、死体が投げ込まれまたまた住めなくなり、
現在はどこにお引越ししたかというと、室生の龍穴神社の池なんだとか。
おお、そのエピソード、どれも知ってたけど、
現地でそれを聞くとまさに結びついた気がします。
今度室生行くときに、是非とも龍穴神社にも行ってみたいわ~。
そんな鳴雷神社でも峰中祈願祭。
階段を登った上のお社前にて先達さんが大祓詞を唱和し、我々も参拝。
その後、階段を登って、各自お社見学をしました。
社は銅葺きの屋根がかかっていて現代的なのですが、
平成10年の台風の際に、周囲の木が屋根にもたれかかるという事件が。
前々から屋根直さないとねえとは云っていたものの、なかなか着手してくれない人間たち。
それにしびれを切らした神様が「はよしてくれ」と催促したのが、
台風の際に屋根に一撃を加えるってことだったんじゃないかという先達さんの弁。
その後、しんがりの神職さんが
「それではみなさんにアンケートとりま~す。
この先、特別に神野神社や上水谷神社にも行くこともできるんですが、
どうしますか?でもそちらに行くと行程上、神苑や飛火野方面には
いけなくなるんですが」
多数決をとることになったんだけど、神苑での藤見学の方が魅力的、っていうか、
これ以上山道を歩くのがそろそろしんどくなってきたってのが本音というか。
せっかくここまで来たんだから、(ここまで登ってくるのですら大変だったのだから)
ここから先にいけるなら行きたいって方、スミマセンでした。
この先の神社を山道で行きたいって方は1/3くらいで、
来た道を引き返すことになりました。
しかし神職さんも負けじと「春日山練成会ではまた入山していただける機会もあるかと
思いますので、今日が最後じゃないですから。また登る機会もあるかと思います」
なんでも、もう季節は夏なので、この5月の末には「夏の練成会」も実施されるとか。
夏と冬は季節が過酷なので、初めての方は登れませんが、ワレワレはすでに春の会で
登山済みの実績があるので、夏の会も参加できるとのこと。
それに、本番の夏にはマムシだのヒルだのが多くて山なんて登ってられない
状態になるため、少々早い気はするけど、5月を夏として登るんだとか。
ぜひともそちらで登ってくださいってアドバイスもありました。
で。
さっき登ってきた道を下るのですが、例の坂道もとい崖、を降りる羽目に。
きゃー、ひざが笑い始めてきたのに、あの坂をそのまま下るのか。
結構怖い思いをしつつ、崩れやすい斜面を滑らないように
そろりそろりと何とか降り切りました。
えがったえがった。
帰りの道は好調でした。
山の高いところを歩く割には道幅が広く、平らなので舗装してなくてもテクテク歩けます。
春日山周遊道路というそうな。なーんだこんないい道があるなら教えてよ(笑)
しかし、こことて山道には変わりなく、帰り道に歩いているわれわれにとっては下りですが、
この道を登って来る方もいるわけでして。道幅が広いとはいえ登りの山道です。
それでもくねくね道をきつくない勾配で降りてくるので
結構な距離歩いてきたと思います。時間にしても一時間以上歩いたかと。
行きの時にも見かけた、交番を見つけて、帰ってきたことを実感。
フツーの舗装道路から林の中に入るとそこは上の禰宜道。
小川が流れていて、これが率川なんだそうな。
率川といえば猿沢池の脇を流れている細い川ですが、
ここから流れていくのだそうな。
ここらへんはイチイガシの巨樹がわらわら立っています。
ここはなぎの木も群生していて、ここに植林したらなぎは
何故か木があった(もとい気があった)のか、
どんどんはびこっているんだとか。
途中道の脇にはロープが張ってあって「ここから先は入っちゃダメよ
ということでロープが張ってあるわけですが、このロープは見なかった
ことにします」と先達さんが藪の中へ。
ようやく平地に戻ってきたかと思ったのに、またまた足元の悪い中を探検隊です。
その道の中、ここらへんで一番古いといわれるイチイガシを見学。
なんでも植物学者でもあった昭和天皇がそのウワサを聞きつけて、
わざわざここまで分け入って見にこられたのだそうな。
(まさか赤じゅうたんはここには引けないよな)
その後中、下の禰宜道を抜けて飛火野へ。
そこで、今日登ってきた御蓋山と春日山をのぞみ、無事に帰ってこれたことを感謝。
ここは今では目に見える範囲でしか春日野って呼ばれる地域はないけど、
昔は天理に達するくらいの土地がすべて春日野と呼ばれる土地であったとのこと。
ここは昔、遣唐使の航行の無事を祈っての行事が執り行われた場所でもある。
その歴史を知ってここを眺めれば、この景色を見ると、
御蓋山を思って異国の地で没した阿倍仲麻呂のことも身近に感じられるし、
この場所の重みも知ることができると。
知らずに見ればただの原っぱ。
その後は神苑の中を見学。
今年はこの時期に藤が見ごろです~と入り口で連呼していました。
「例年この時期にこられてもこんなにキレイには咲いていません」
リキ入ってましたなあ(笑)
藤や花をのんきに眺めていたら、先発隊とははぐれてしまったようで。
しんがりの神官さんがおられたので、その方について神苑を抜けました。
その後スタート地点の共生の館を素通りし、神楽の奉納へ。
(あそこなんて名前の館なんだろ?)
巫女さんによる神楽の奉納と、鈴によるお祓いを受けて無事本日の予定は修了です。
出口では今日一日あちこちを一緒に回って、各神殿でお祓いを受けてきた
ありがたいお守りを受けて、共生の館で直会です。
へとへとになって帰り着くと、本日の夕餉の支度がすでに整っていました。
わーい。食事が出るとは聞いていたけど、こんなに立派なものだとは。
楽しい夕食の前に、忘れちゃいけないのがプログラム修了書の授与式。
いただきましたっ!
そして、おいしいご飯もいただきました!
素焼きの壺の中には濁り酒。わー、疲れているから酔いが回りそうだ~。
ってことで乾杯の際にはちょこっとだけ口をつけて終了。
壺と杯は記念に持ち帰って可ってことだったので、残りはもらって帰ることに。
その後、参加者はみんな奈良検定受験予定者ってことですので、
みんなで一言ずつマイクまわしてお話をしながら、お食事を頂きました。
たけのこの入ったおかゆのほんのりした塩気がうま~い。
体が疲れている証拠なのか、すいーっと染み渡るような滋味です。
春日山練成会で歩くなら朝8時半から午後6時までの
みっちりな行程みたいなので、ワレワレの体験したコースは初心者向け
ってことなんでしょうが。これでも結構足に来ましたので、夏はしんどいかな。
でもとってもよい体験ができました。
直会の最後には「奈良検定の受検の前には、ぜひとも春日大社に
合格祈願に来てください」と神職さんがおっしゃったので大爆笑。
本日の予定はすべて終了しました。お疲れ様でした。
今日一日支えてくれた杖は記念に持って帰るのは可能でしたが、
明日も一日歩き詰めの予定なので、
邪魔になるかと思い断腸の思いで置いて帰ることに。
でもみなさん手に手に杖もって帰ってましたので、いいな~。
奈良に住んでいたらもって帰るんだろうけど。
帰りの高速バスでも難儀しそうだし。
ちょっと残念でしたが置いてきちゃいました。
時刻は六時も近かったけど、本殿からの駅行きの直行バスはないとのことで、
テクテク歩いて下界へ。国立博物館前からバスも乗れますが、
山から下りてきた実績もあるし、ハイカーズハイ(?)状態になっていたのか
結局近鉄奈良駅まで歩いてしまいましたよ。
おーほほほほほ。
一日中山の中と山の麓でしたが、十分英気を養ってきました。
これで奈良検定1級の勉強もはかどることでしょう(マジ?)
奈良はいいねえ奈良は。
超満足された様子ですね。
でもなかなか参加してみる勇気は出ません。
翌日岡寺に行ったのですが、上り坂がきつかったです(笑)
山登りは苦手なんですが、降りてくるのは楽しいです。
もうこりごりという感じでもないし・・。
わたしはあの緑のすがすがしさは素晴らしいと思いつつもう一度行こうとは絶対思いません。
もう一度行けといわれたら行くかも>春日山練成会で(笑)
もらった資料では5つの山中神社があったので、
せっかく登るんだから一度で全部回りたいよな~って思いましたが。
さすがに午後にはしんどくなったのと、植物園見に行きたかったので
手を上げることができませんでした。
いつかリベンジあるかも~★