奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

登ったりくだったり

2010年06月02日 | 奈良大学お勉強日記
してきました
>飛鳥周遊ウォークin多武峯

今年は、9時半談山神社集合!
なんていうハードルの高さゆえか、
参加者は100名程度と若干少なめ。

まあ、私みたいに夜行高速バス乗り付けで、8時12分の定時バスに
乗れちゃうような人ゆえ困難は無かったですが。
遠方から来られるかたにとってはこの時間と早さと、
集合場所のマイナーさ(笑)では
集まりが悪かったものと思われ…。

ま、年々会を重ねるごとに歩いた場所も、ルートも消費されていくので、
次年度はどこになるか今からワクワクなんですけどね。

高速バスで京都へ乗り付けて、即桜井へ。
ついたらすでにのぼりが立っていて、バスも待ってました。
早いけど定時バスに乗ってしまうかと思ったら、
すでに車中にはゆずさんご夫妻とひろこさんが乗っておられました。
どんだけ気合入ってるねん(笑)
私も乗り込みいざ談山神社へ。

今回も奈良大生があちこちに配置されて一生懸命ご案内係してました。
ご苦労様です。
受付をすませると水野センセ発見。
「今日も宜しくお願いします~」
センセは人気者なのであちこちで学生やらファンに囲まれてます。

今回は談山神社スタートですが、神社そのものでの見学は
時間がないっていうので(係の人に聞いた)
慌てて「祈りの回廊」関係のご開帳ものを見てしまうことに。

「特別ご開帳見にいく人~」と募って、何故かわたくしここで本殿方面へ。
石段コースの方へと向かい、一度階段を下り、
さらに本筋の階段を登って本殿前に出て
「特別ご開帳どこですか?」
「この下です」
「え?」
神廟拝所ってところです」
ぎゃー!!
またしてもやってしまいました。
さっき待機していた所のまん前じゃないですか。
すびばぜん…よく調べもせずに、引率してしまいました。
いつも拝殿で「いいもん」見せてくれているからって、
今回もそうだろうとここへ来ちゃって失敗しました。

みなさまに平謝りしつつ、その神廟拝所へと向かうと、特別拝観料も要らず、
入山料のみでここ、あがれました。うぉ~ふとっぱら。
「談峯如意輪観音」さんや、「増賀上人」坐像など見せていただきました。
この如意輪観音さんは足の甲に傷があり、その傷は衆生の身代わりとなって
ついた傷だといい、足腰の悪い人の痛みを和らげるとのこと。
必死に拝ませていただきましたよ
>本日、歩きとおせますようにって。

そうこうしているうちに集合時間。
飛鳥保存財団の方の挨拶と、講師二人のお言葉などが続き、
若干自由時間があるというのでさっきはショックのあまり素通りした
本殿&拝殿に行ってみることに。

するってーと、さっきは一度くだった階段ですが、
よくよく記憶を辿ってみれば、ここ、降りなくても、上に登れる通路あったよな…。
今回は工事現場の資材置き場になっていたため幕がかかっている場所でしたが、
そこを覗いたら通り抜けられそう。
そこから行けば、一度降りなくても、ささっと本殿前に上がれました。
おーまいがっ。さっきの皆様、本当に失礼しました!
楽々上がれましたよ(滝汗)

拝殿で本殿を拝んでから、部屋に配置されているお宝を見て廻り。
「百味の御食(ひゃくみのおんじき)」も元気(?)にしてました。
いや、これ飾りじゃなくて「食べ物」ですから、痛むんですよ。
秋にお供えしているものにはカビ生えているのを見たこともあります。

で。
集合時間になって、いざ出発。
しかし、ここで「山くだり」のみならず「山登り」することも発覚(笑)
今回の地図にはさらりと「談い山」って文字はありますが、まさかホントに登るとは。
最近は上り坂登ってばっかりなので、わたしゃ行く気満々だったのですが。
(一人では上っていきたくはないけど、これだけの人数いたら遭難はしないだろ)
足腰に自信がない人は、登らずに降るだけのルートも可、でした。

さ~て、登りますよ~。
語らい山(談山)は中大兄皇子と藤原鎌足が談合した場所とされます。
「くそー、こんな山奥まで来て語るなー!」
「後世の歴史好きを困らせるようなところで談合するなあ!!」
はい、マジで叫びました。

先日、春日山原始林の道なき道を登ったり、岡寺を自力で登ったりしたので、
山道には抵抗がなくなっている私。結構サクサク登りましたよ。
あっさり談山には到達です。

そこは狭い広場みたいな場所に看板が立っているのみ。
上野センセが「ここが談合の現場です」に笑いが…。
くー、こんな所で談合するなああ!

「某業界もここで入札とかしたらいいんじゃない?」
「それか、一番最初に到達した人が落札とかさ」
「新入社員には『求む!山の神』とかって人集めしたらいいしさ」
「山登ってきて、一番の人が落札とかね。目に見えて簡単でいいぞ」
そんな業界はイヤです。

さて、次です次つぎ。
登った坂を一旦おりて、更なる高みの御破裂山を目指します。
破裂とは穏やかじゃないなあと思っていたら、なんか政変があると
この山がまさに「どっかーん」ってなるらしい。おお、クワバラクワバラ。

結構山道登ってきたけど、登りきると忘れちゃうのか、
道中のひどさは忘れちゃいました。
御破裂山は談山からすぐでした。なので大丈夫大丈夫。

この山頂には「藤原家」のお墓があったのですが…。
お盆、お彼岸、年忌と、ここにお墓参りに来ねばならんのだったら
「実家に帰らせていただきます!!!」だなとか思っちゃったべさ。
(実際にこられてる方、失礼しました。でも私にはムリです。里にかえしてください)

で。
登ったら、降りる。これ基本です。
「せっかく登ってきたのにぃ~」
「じゃあ、ずっとここにおるんか?」
「……」
ゆえに、ナンギして登ってきましたが、おります。

近年飛鳥方面から二車線の実に快適な良い道路が出来て、
桜井方面からではなく、明日香の方から直接談山神社まで
これるようになったそうなのですが。
もともと、徒歩にては談山神社から飛鳥には下りられるのでした。

しかし、素人にはその道は危険。なのでこういう集団での催しでも
なければ歩けない道ってことで楽しみにしていたのですが。

この、くだりってのも、かなり、悲惨でした。
ある意味、登りよりも過酷。

雨上がりに高取城に行って、何も判ってない私が先導した時ほどではないにしろ、
かなりの急勾配を滑らないように気を使って下りてくるような道。
一人がやっと通れるようなぐねぐね道が続きます。

途中何度か、蛇行している車道路を横断するようなポイントがあり、
とんでもない山道をくだってきて、文明の利器のアスファルト道路。
またまた藪道。みたいな行程の繰り返し。

何度かそれを繰り返して、どうやら舗装した歩道に出たようです。
着いたところは、気都和既(きつわき)神社。
またの名を「もうこの森」。

ここで水野センセのお話ポイントです。
変な名前の神社ですが、「きつわき」「けつわけ」などとも云われ、
「けつ」といえば現代では「尻」が連想されますが(をい)、
「みけつ」といえば食べ物の敬称。
「御食国(みけつくに)」は「皇室に御食を貢いだ国」。
志摩ならアワビ。若狭は塩。そういうものがみけつ。
なのでここの神さまは食物の神さまってことらしいです。
ワキ・ワケも「うじのわけいらつこ」とか人名でもあるしね。

また「もうこの森」といういささか変な名前はアレに由来しているらしい。
アレとは、中臣鎌足が蘇我入鹿を首ちょんぱしたとき、首だけになっても
入鹿の首が追いかけてきた(ひょえ~)
そこでゼーハーここまで逃げ込んできて「もーここまではこんやろな」
ということで「もうこ(ない)の森」→「もうこのもり」うーん。

しかし、上野先生の別説では、「もうこ」≒「蒙古」なんだとか。
蒙古ってのは怖いものの象徴。鬼とか、なまはげとかと一緒?
悪い子していると親が「蒙古が来るよ」といって子供を諌めたんだとか。
「悪いゴはいねーがぁ~」ですな。

この先は坂道ながらも舗装されているし、路面を見なくても歩けます。
おお、文明ってステキだ。

棚田と昔ながらの村を見ながらダラダラとおりてきて石舞台古墳に到着。
いや~懐かしい場所に出てほっとしたさ。

昼ごはんを食べて、しばし休憩ののち、水野センセのワンマンショー♪
本日のお題は「藤原鎌足」

鎌足は家臣という立場で天皇家、中でも中大兄皇子を支えた人。
もともとは神官の家に生まれて、中臣氏だったのが、その功績をたたえられて
藤原って名前をもらったと。その藤原って名前を、独占的に受け継いで、
他の中臣が藤原って名前を使えないようにしたのが不比等。
その子孫たちは、いつの間にか、天皇家と同等の権力や地位を求めて
暗躍するようになるのだから、鎌足自身はそのことどー思っているのかなあ。

本日の水野センセの同行はここまで。
去年は「雨が降らんように願かけてきましたで」とおっしゃられたとおり、
センセがお話おわって帰りの車に乗り込んだ途端に「ざばーーーーー」っと
雨が降ってきたというお笑いつきでしたが。今年はその後もお天気はよく。
午前中は山の中なので気になりませんでしたが、うす曇のハイキング日和でした。

今回は山登り&山くだりがメインだったからか、後半戦の歩きは軽め。
石舞台から飛鳥板葺宮の「掘りごたつ」に集って、上野センセのお話を聞きます。

本日のお歌は「吾はもや安見児得たり皆人の得かてにすといふ安見児得たり」
現代語訳では「私はね 安見ちゃんを手に入れたぞ 皆がね 得がたいといっている
あの安見ちゃんを得たぞー」にぶっとび。
まあ、確かに現代ならそんな感じですけど。

皆の憧れの「やすみこちゃん」をゲットできたヨロコビがストレートに出ている
よい歌なわけですが。やすみこちゃんは采女。
采女ということは、すべてが天皇の子を産む可能性のある女性たちであるからして、
大奥の女達みたいなもんです。巷の男にはどうもできない存在。
その采女(天皇の女)にちょっかいだしたら推して知るべし。
親分のオンナに手を出したら、どうなるか…お判りですね?

だからこそ、その采女を天皇からいただくことが出来た!というヨロコビと、
自分だからこそ天皇はその采女をくださったのだ>俺ってスゴイ!というダブルの喜び。

でもさ。鎌足くんって、天智天皇の妃の鏡女王(かがみのおおきみ)ももらってるよね?
不比等の母は鏡女王ってウワサもあるし。
鎌足くんの「ツマ」って、いつも天智天皇からいただく人なの?
それはどーなの?

あと、そーゆーことなんですが。
「この歌を、結婚式で、『好きだった人をゲットできたぞー』って意味で
朗々とご披露する人がいるんだけど、あの歌は『上司の女をお下げ渡しでもらえたぞ』
って歌なので、結婚式で歌うには不適だ」とのこと(あへへ)。
くれぐれも気をつけましょう。

ここから最終ポイント、入鹿の首塚へはものすごく近いのに、時間稼ぎのためか、
大原の里へ。途中ちょっと上り坂もあって、下山してきたわたしとしてはちと疲れたぞ。

大原の里は鎌足の生まれた地とのこと。
産湯につかったという井戸もありました。
(二つあって、どっちがそれか判らんかったけど)

上ってきたので、ちょっとさっきの場所より高い場所になり、
土地の関係上、歴代の飛鳥の宮があるような場所はそこからは見通せません。
しかし、歩いてこれる(10分とか20分とかなもんです)距離にいて、
お付のモノに「ちょっとこれ、ヨメに届けてきて」と歌を出すなんて、
どんだけヒマなんだ>天武天皇。

「おお、雪が降ってきたよ。古びたそちらの里にはこれから降るんだろうね。けけけ」
そういう歌をもらった藤原夫人(藤原五百重娘@鎌足のムスメ)は
「なーにいってんだか、こっちで振った雪の残りがそっちに飛んでいっただけよ!」
って返したとか。
寒い中、役人使ってナニやってんだか(笑)
まあ当時はそれが「風流」だったのかもしれませんが。
現代人としては指一本で「ピッ!」と送信できますので。
昔の役人、ご苦労さまでした。

次はいよいよ最終地点へ。
大原の里をおりていったら万葉文化館への道に出ました。
この敷地内につつーっと入ると、駐車場が満車状態。
ええ?なんでこんなに混んでいるの?
恐るべし、平城遷都1300年記念ってこと?

最後のチェックポイントは、入鹿の首塚。
飛鳥寺の東門から入り、そこを素通りして、西門へ抜けて中は見ず(笑)
首塚をナムナムして、上野センセのワンポイント講習を聞いて終了です。

今日は修学旅行生の自転車集団が多かったのですが、
その集団を率いているボランティアガイドの方が「おお、上野先生!」
ってつぶやいているのがおかしかったです。

メインの行動としての飛鳥周遊ウォークはこれにて終了。
ここで流れ解散となるので、本体よりも先に飛鳥資料館を目指します。
(だってー、集団で入館したら、また待ち行列が長くなるもん)

へろりんと歩いてきたら飛鳥資料館入り口前の看板に「待ち時間0分」の文字が。
えええ?わが目を疑いました。
さっき通ってきた万葉文化館の混雑とは対照的に、
こっちは本当に待ち時間ゼロ?

入ったら、本当に待ち時間ゼロでした。
丹念に見ていったら、サクサク前進組に遅れを取りましたがゆっくり観覧できました。
館内の展示物前でもさほど混雑も無く、本物の壁画に至っても若干の交通整理のみで
目の前に出ることができましたし。ラッキー。

壁画は見て判るものと、見ても「うーん」なものがハッキリしてましたが。
さすがに初公開の朱雀は色がきれいに残っていて見やすかったです。
今年2010年初公開ですからね。これ、奈良検定に出るね(笑)

お宿には「キトラ古墳壁画を見てから行くので、遅くなるかもしれません」
といってあったのに、ナンなんだこの待ち時間ゼロってのは。
まあ文句言う筋合いじゃないけどさ。
あまりに早く終わってしまって、5時過ぎには飲みにいけたじゃん(ははは)

ということで、橿原神宮前までバスで戻って、
明るいうちから反省会を行い、
本日の予定は無事に終了です。

明日の予定はもっと過酷なんですけど…ねむー足だるー予定たててなーい。
ぐーでした。

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