あやつっていた棹を止め、渡し守は無言のまま波の下を見るようしめした。船べりに手をかけ、身を乗り出す。船が揺れた。その波紋の最後の余韻がすぎると、鏡のような水面があらわれる。くっきりと自分の姿が見える。こちらへと身を乗り出している。さらに遠くへと目をこらす。夜、列車の窓に映った自分の向こうに町並みを見るように、目をこらす。
すると、噂に聞いていたものが見えてきた。しあわせの光景。何もまざりものの . . . 本文を読む
どんなにゆっくり歩いても足音が高く響きわたる石畳。この町の道はどこも狭く、すべてが古い敷石で覆われている。
低く垂れ込めた空が鈍い光を放つ。霧のためにすべての色は彩度を失い、どの建物もどの建物も特徴を持たず、ただ時間だけをためこんでいるので旅行者は必ず迷ってしまう。見おぼえがあるようで見おぼえのない路地。交差点。横道。あてずっぽうに角をいくつか曲がると、いきなり視界がひらけ小さな広場に出る。こ . . . 本文を読む
ひとりで遠くへ行っちゃだめよ、と母さんはいう。わかってるよ。
めんどうくさげに呟きながら、立ち止まっては空を見上げるナウマンゾウの仔は少しづつ群れから遅れていく。気がつくとひとり、森閑と生い茂るブナに囲まれ、仲間たちの声も足音も聞こえない。
世界がもっと暖かかったころ、この辺りは海だったという。
ブナの森の奥深く、息を潜めてナウマンゾウの仔は空を見上げる。
ぼくは今、海の底にいて、水面を . . . 本文を読む
――じゃあ、ね。先生。
魔法使いの娘はパタンと音を立てて閉めた。
ここまで来るのは、つらかった。荒れ地のまんなか、古い城に住む大魔法使い。弟子になるのも大変だったけど、弟子になってからはもっと大変。毎日毎日、叱られて怒鳴られて。それでもやっと。「力ある者を閉じ込める魔法」を盗み見した。さっそく使ってみたというわけ。魔法使いは娘を見くびっていた。魔法使いに比べればずいぶん年も若かったし、女などに . . . 本文を読む