映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ありふれた教室(2022年)

2024-05-19 | 【あ】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv85534/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。

 仕事熱心で正義感の強い若手教師カーラは、新たに赴任した中学校で1年生のクラスを受け持つことに。

 そんなある日、校内で相次ぐ盗難事件の犯人として教え子が疑われる。校長らの強引な調査に反発したカーラは、独自の犯人捜しを開始。するとカーラが職員室に仕掛けた隠し撮りの動画には、ある人物が盗みを働く瞬間が記録されていた。

 やがて盗難事件をめぐるカーラや学校側の対応は噂となって広まり、保護者の猛烈な批判、生徒の反乱、同僚教師との対立を招いてしまう。カーラは後戻りできない孤立無援の窮地に陥っていくのだった……。

=====ここまで。

 ドイツ映画。


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 予告編を何度か見て、何となく見てみようかな、、、と思い、劇場まで行ってまいりました。久々のシネスイッチ銀座。


◆カーラ先生、初動を誤る。

 学校などの閉鎖空間で盗難事件が起きたら、やっぱし監視カメラ設置したら?って考えるわね。イマドキ、教師によるわいせつ、生徒同士のいじめ、盗撮、学級崩壊、、、と、学校を舞台にした問題は枚挙にいとまがないわけで、監視カメラが人権侵害って、どっちが人権侵害だよ??という気がする。監視カメラなんぞ必要ない、というのは、最早ファンタジーなのでは?

 ただ、カーラ先生は、こっそり独断でパソコンの動画撮影をオンにしてしまったのが、まあ、、、勇み足といえば勇み足だったかな。でも、彼女が動画撮影しようとしたのは、生徒が疑われたこともあるけど、その直前に、同僚がコーヒー代を入れる瓶だか缶だかから小銭をくすねるのを目撃してしまったからだ。私がカーラ先生でも同じことしたかも。だって、単純に気持ち悪いし、証拠を押さえようと思うのは普通の感覚ではないか?

 学校に警察権力の介入を嫌う傾向はいずこも同じだけど、こんだけ頻発していたら、警察に届出しても良かったのかも知れん。警察も何ができたか分からんけど、犯人へのプレッシャーにはなるでしょ。

 ただ、カーラ先生、盗難現場が撮影された後の行動が、ちょっと(というか、かなり)マズかったと思う。要は、初動を誤ったということ。

 特徴的なシャツの柄だから、間違いないだろう、、、けど、顔は映っていないし、財布を確実に盗ったかどうかもイマイチあの動画では判別できなかったように見えた。私がカーラ先生だったら、あれだけで本人に問いただすことは絶対しない。人を疑うには、それ相応の確実性のある根拠がなければ、危険過ぎる。あの段階で本人に問いただして良いのは、もっとバッチリ犯行状況が分かり、犯人の顔も判別できる程度の映像である場合に限られるのではないか。

 疑われた女性クーンさんは学校の事務員で、その息子オスカーの担任はカーラ先生だ。クーンさんはものすごい勢いで否定し、自身の子を使ってまで盛大に無実を訴える。私的には、クーンさんは犯人だろうと感じたけれどね。あの激高の仕方とか、あそこまで執拗にカーラ先生を攻撃するとか、我が子をダシにして巻き込むなど、常軌を逸している。誰でも疑われれば怒りを覚えるし、濡れ衣ならなおのことだが、それが濡れ衣でない場合で罪から逃れようとするならば“攻撃は最大の防御”の手段一択だ。

 とはいえ、あそこまで無実を派手に主張されたら、疑った方は圧倒的に不利だよね。ましてや、相手は生徒の保護者。……だからこそ、確実性の高い証拠が必要なわけで、、、。カーラ先生はやはり短慮だったとしか言いようがない。

 けど、対応のまずさは彼女だけでなく、学校も相当マズい。特にあの校長。不寛容方式(ゼロ・トレランス方式)を掲げているんだが、その割に自身の責任は巧妙に回避するという、典型的な“ズルい大人”を体現してしまっている感じである。結果的に、事態は思わぬ方へ転がっていくことになる。


◆追い詰められるカーラ先生だが、、、

 カーラ先生は確かに初動を誤ったけど、その後は、予期せぬ事態の連続にもかかわらず、私はカーラ先生の対処は結構冷静で良かったんではないかと思っている。

 感情的に叫び出す保護者たちにも下手に反論せず、その後、子供たちとギクシャクしても頭ごなしに子供を従わせようとせず、良くないことは良くないと言う一方で、子供たちをなるべく追い込まないようにするなど、彼女の行動原理は生徒目線で割と一貫していたように思う。自分を正当化するために我が子をダシに使うクーンさんより、よほど人格的には信用に足りる人に見えた。

 オスカーはある事件を起こして、10日間の停学処分となるのだが、なぜか平然と登校してきて自分の席に座っている。カーラ先生が「学校に来ちゃダメなの。このまま帰らないと警察を呼ばなければならなくなる」と説得しても、無言のまま頑として席から立とうとしないオスカー。他の生徒たちを別の教室に移して、校長始め他の先生たちと説得するものの、オスカーは動かない。外が大雨の中、母親のクーンさんが迎えに来ても、ハンストよろしく動かない。

 ……という緊迫した終盤の描写で、幕切れは、警察による強制排除である。ただ、その描写がある種喜劇にさえ見えるラストシーンになっている。

 あそこで警察が介入してきたら、結局、校内で起きた一連の窃盗事件にも捜査が及ばざるを得なくなり、クーンさんは息子の行動により窮地に立たされることになるのではないか、、、などと勝手に後日談を想像してしまった。


◆口答え、上等!!

 カーラ先生はポーランド系で、他のポーランド系の同僚にポーランド語で話しかけられると「職場ではドイツ語でお願い」と言う。また、イランだったか、ムスリムの両親が教師たちの前で母国語で会話していると「ここではドイツ語で話してください」と教師に言われる。……という具合に、学校ではドイツ語で話すことを求められる。

 このことを、ネットの感想で「多様性と言いながらおかしい」と書いている人がいたけど、そうなのかね?? ドイツ語がデフォルトの空間で、他にも大勢人がいる場所で、一部の人たちにしか分からない言葉で喋るってのは、逆に不信感を招くだけじゃないかという気がするのだが、、、。
 
 外国の学校が舞台の映画やドラマを見ると、日本の学校との違いに驚かされることが多い。本作でも、カーラ先生の担当は7年生(日本では中学1年生)だが、生徒たちはビックリするくらいに自律性に富み、批判精神が育っており、またそんな生徒たちに教師も手を焼いてはおらず、しっかり対峙している。

 何方かのTwitterに、本作の学校はドイツでも標準的なレベル(つまり特別ハイレベルではないということ)らしいのだが、これこそが“思考力の育っている子供たち”なのでは? 文科省のお役人さんたちに見てもらった方が良いと思うわ。

 正直、同調圧力の強い日本の同年代が、将来、彼らと互角に渡り合えるとは到底思えない。相手が教師だろうが先輩だろうが、おかしいと思うことをおかしいと指摘できることは、ものすごく大事だと思う。日本語には「口答えする」という言葉があるが、大抵は、子が親にとか、生徒が先生にとか、酷い場合は、妻が夫にとかである。これって、つまり、おかしいと思っても、親の言うこと、先生の言うこと、夫の言うことには黙って従え、の裏返しである。「口答えするな」という言葉が発せられる言語体系ってことは、日本語を使う日本人の思考体系でもあり、そういう言語からはなかなか批判的精神は養われにくいだろうな、、、などと絶望的な気持ちにもなった。

 本作は、サスペンス・スリラーとか、ある人はサスペンス・ホラーとか言っているみたいだが、私にはサスペンス要素よりも、教育現場の彼我の差に愕然とさせられた方が大きかった。教育は大事だよ、、、本当に。

 

 

 

 

 


終始、舞台は学校。

 

 

 

 

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コメント
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