SIDEWALK TALK

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悪あがき

2014-02-28 10:11:23 | 桐箱ブログ
Settlement2弊社は2月決算。
そう、きょうが年度最終日ということになる。
売上は、前年比15%プラス以上は超えそうだけど、
これは前年の成績が最悪だったため。
僕の設定した目標値に対しては90%程度の数値でしかない。
ま、びみょうです.....


アベノミクスの効果とは思えないけど、
受注状況はすこぶるいい。
けど、そこは製造業。
しかも手仕事に追うところが多い、しがない桐箱屋稼業。
作業効率は一筋縄じゃ向上しないし、
売上も思ってるほどは伸びていかない。


輸入企業の弊社には、円安も直撃する。
まぁ、円安によって国内景気が浮揚しているのなら、
これは痛し痒しというところだろうか?


ともかく、あと数時間で決算期を迎える。
今さらジタバタしたところで大勢に影響はないだろうけど、
ここは最期の悪あがきをしてみようと
自分に鞭を入れているところです。

衝撃のコロッケそば

2014-02-17 11:40:35 | うんちく・小ネタ
Croquette_soba「コロッケそば」
というメニューを初めて耳にしたときの衝撃は、
今も忘れない。
昭和の終わり頃、目白駅での出来事だった。
大学のサークルの先輩が、事も無げにオーダーした。
その刹那、僕の頭はコンフューズしてしまっていた。


それまで九州の田舎で純粋培養されて育った僕にとって、
温かい麺といえばもっぱら「うどん」で、
「そば」はざるそばに限ると独り合点していた。
温かいそばを食べるというカルチャーにも違和感を覚えていたのに、
あろう事か、あのコロッケを入れるというのだ。


僕は、恐る恐る先輩の丼をのぞき込んだ。
そこには確かにありふれた普通のコロッケが鎮座ましましていた。
先輩は驚く僕を尻目に、何ごともなかったかのように完食した。
そして店のオバチャンに「ごちそうさま」を告げると、
さらに驚くべき言葉がオバチャンから返ってきた。


「いつもありがとうね。コロッケちゃん!」


先輩は、その店で「コロッケちゃん」というニックネームで呼ばれていたのだ。
僕は、食べていたきつねうどんが鼻から噴きだすのを必死の思いでこらえた。
あれから20年以上の年月が流れたが、未だに僕はコロッケそばを食べたことがない。
そもそも関東圏以外で「コロッケそば」は存在しているのだろうか?

住する所なきをまず花と知るべし

2014-02-13 16:10:23 | テレビ番組
KiyotsuneNHKに「100分 de 名著」という番組があり、
先日、4週にわたって、
世阿弥の『風姿花伝』を特集していた。
大学時代、僕は酔狂なことに
能楽サークルに所属していた。
金春流に師事していて、
素人芸ながらお謡とお仕舞を少しかじった。
だから、この『風姿花伝』編は興味深かった。


学習院能楽研究会(能研)には
宝生流と金春流の芸を学ぶと同時に、
流派を超えた「ゼミナール」というカテゴリーもあって、
能の歴史や系譜、思想、美術論などにも触れる機会があった。


もちろん僕は劣等生で、大した知識を得ることはなかった。
それだけに目から鱗が落ちるような発見がたくさんあって、
番組を通して、能の黎明期に現れた
世阿弥という天才の「凄味」を再認識した。


能研ゼミで教わった世阿弥の言葉で、一番好きなのは
「住する所なきをまず花と知るべし」
というフレーズ。
殊更に現在の言葉で英訳すれば、
「I'm rolling」「Let's rock'n'roll」
というニュアンスなのかもしれない。
世阿弥時代、能楽はアヴァンギャルドな存在だったのだ。


風姿花伝論は他の素晴らしい研究者にゆずるとして、
ちょっと前、その能研の見知らぬ大先輩からメールをいただいた。
能研は今年50周年の節目を迎えるらしく、
その記念誌に何か思い出話を寄稿してほしいという。
メンドくさくもあり、面映ゆくもあるのだけど、
僕の青春の酸いも甘いも大部分を占めている
お世話になった大好きなサークルの依頼を断る理由はなく、
快諾した。


さて、問題は内容である。
クソマジメなことを書いたところで、誰も読まないだろう。
とはいえ、関係者だけわかる(ウケる)内輪話もいかがなものか?
締め切りまで1ヶ月ほどになり、
そろそろペンを取らなきゃと焦りはじめた。
とりあえず、寄稿文のタイトルだけ決めた。

「御学友なれなかった俺はしぶしぶ入部を決意しました。」

わかるやつだけわかればいい!

Super Bowl XLVIII

2014-02-07 11:10:20 | スポーツ
Wilsonアメリカなんてろくでもない国だと思ってるんだけど、
反面、アメリカの文化にほのかに憧れていたりもする。
音楽や映画、文学、ファッション、ジャンクフード、スポーツ... etc
戦後の占領政策によって、僕は洗脳されてるのかもしれない。


僕にはアメフトやラグビー経験などないのだけど、
大学時代、なぜだか NFL にはまっていた。
そして2~3年前、ひょんなことから NFL 中継を見るようになった。
細かい戦略は理解できないが、お酒のお供に楽しんでいる。


月曜の朝、スーパーボウルの生中継が放送された。
当然、仕事で見ることができないから、HDD に録画しておいた。
そして昨夜、ようやくゲームを見ることができた。
今年ラッキーだったのは、試合結果を知らずに見れたこと。
アメリカでは大ニュースだろうから、
数日間も結果を知らずに暮らすことはまず不可能にちがいない。


僕は月曜日以降、スポーツニュースやインターネットなどのメディア情報を
できるだけ避けて、ひっそりと過ごしていた。
ソチ五輪直前ということもプラスに作用したのかもしれない。
日本のメディアでは、ほとんど報じられなかったんじゃないだろうか?


一方的な試合内容だったし、出場したのは贔屓チームじゃなかったんだけど、
やはりスーパーボウルは格別!
アメリカに毒された精神が刺激されてエキサイトしたし、
一方でシーズンが終わったという一抹の寂しさも覚えた。
ラッセル・ウィルソン、好きになったかも?


話はガラッと変わって、今朝、入社面接をおこなった。
19歳、男性。
働いてもらうことにした。
好青年だったし、中学の後輩でもあるしね。


機能美

2014-02-01 08:58:43 | スポーツ
Redbull


唐突だが、F1マシンは美しくなければならない。
以下は素人解釈だが、歴代のF1マシンの美しいフォルムは、
もちろんデザイナーによるところが大きいのだけど、
その本質は機能美にあると僕は独り合点している。


年が改まって、
各チームの新しいシーズンのニューマシンが発表された。
驚いたことに、これがことごとく美しくないのである。
その原因はノーズの形状だ。
毎年変わるレギュレーションに合わせて、
ノーズの形は変化せざるを得ない。
僕らは最初のうちは違和感を覚えながらも、
シーズンが進むにつれ、その変化を進化ととらえ、
速さこそが美しさだと得心してきた。


モータージャーナリストは、
今シーズンのマシンをふたつのタイプに大別している。
ひとつはフェラーリに代表される「カモノハシ」型。
そして、もうひとつはマクラーレンに代表される「アリクイ」型だ。
空気力学や細かいレギュレーションのことはわからないが、
「美しくない」を通りこして、
もはや「不格好」なフォルムになってしまっている。


もちろん FIAはパイロットの安全性を考慮して、
ノーズに関するレギュレーションを変更したんだろう。
デザイナーも厳しい制限の中で、
できるだけ美しいフォルムを追求したんだと思う。
しかし、F1マシンが本来もっているはずの機能美が微塵も感じられない。


今シーズンからターボエンジンが復活する。
シーズンが始まり、ニューマシンの速さを目の当たりにすることによって、
僕らはこの奇妙なノーズに納得することができるのだろうか?