IN THE LIFE

~されど愛しき日々~

亡き祖父の残した教え (仏教から学ぶ) 5

2014-02-12 22:08:18 | メモ
自分でやったことは自分で処理しなければならない。過去(今世においても現在より一秒一分過ぎても)の眞理にはずれた行いを分析すると人に迷惑をかけたことが多い
身 口 意 の三業

・身―・・・殺、盗、淫
・口―・・・悪口、両舌(二枚舌)妄語(うそ)奇語(おせじ)
これらのことはよくわかるが
・意―・・・貪(むさぼり)、瞋恚(いかり)、愚痴
の意(こころ)をおこしただけでも十悪行なのですから、悪いことをしない人間などいなのです。

毎日毎日、悪いことをしているのが人間なのです。こういう行為が全部集合されていろいろな家庭に出ているのですから、かりとらなければいけないのです。
人に迷惑をかけたのですから人に良い事をしなければ消えていかないのです。
日蓮聖人のご本尊の時には、将来滅罪するであろう今は、時期が来ないから戒壇は建立しないと説いたのだそうです。

時期がくれば建立され(今日、孝道山に戒壇が建立されました。)滅罪出来る沸本尊をまつり、滅罪出来る法により滅罪出来るのです。
ですから 善を行うにしても滅罪出来るご本尊にもとづいて教えを聞き教えにもとづいて善(功徳をつめば)を行えば、その善が先祖へゆき その先祖の回向が先祖の喜びとなってはねかえりこちらに来る。

他に方法が無いのです。

ですから、私達はこの教えに基づいて三宝中心に(一つの僧伽に入って)教えを聞き、戒を守るところに成仏があるのです。

これ以外に名前が悪いのだろうだろうか、地所がたたっているのではないか 印が悪いのではないか あれがたたっているとか、そのようなもので自分を変えられるものではないのです。

 自分がやった行為が出ているのだから自分で滅罪していかなければならない。
あなたに出ているのは悪因の結果なのですよ
と、言われ私達は道理ではわかるけれど実際に自分の家庭になると、私はこんなにやっているのにどうしてだろう。ああだろう と云うけれど私達は前の前の世から悪いことを沢山しています。しかし滅罪の法がなかったでその沢山の悪行を生まれ変わり生まれ変わりして背負って来ているのです。

ご先祖もそうです。滅罪の法がなかったのですから成仏などして居りません。
その悪業が子孫について来ているのです。
ずっと昔から一度も滅罪された事がないのですから、話私達の体は人間でも、うしろに悪因縁がいっぱいくっるいているために、いろいろな事が起りそのままにしておくと、まとまって家系の因縁となって伝わってくるのです。

 ところが、この滅罪の法が大統理さまによってはじめて開かれ、ぐっと古いものまで清算されてひとつひとつ崩していくから、お前の所ではああいうのが、こういうのがあるよ、
しっかりしなさい と 子供を病気にしたり怪我をしたり、ご主人や奥さんにいろいろな現象を見せる。それはあなたの所ではこれがあるのですよ。あなたが信仰したが故に教えているのです。
それを信仰してああなった、こうなった とご利益だけ求めてはいけないのです。
 
 仏さまはお功徳をつみなさいと、ご利益をくださり喜ばして下さるところがお功徳をつんだのでこの辺で飴をあげないでたたいてやりましょうと、悪因のあることを教えて下さるのです。
それは仏さまの大慈悲によるもなのです。ですから、それを信仰のさとりに(三宝中心に)よって自分のものにしていくなら自分が向上していくのです。
私達の信仰のまとはご本尊なのです。

 ご本尊さまから出ている戒によって(ご本尊さまがおっしゃってる教えにもとづいていくわけです)先にもあげましたように、日蓮聖人は時代がこないので戒壇はあとにして本尊と題目を知りなさいと言われました。

教団は完全なる法華経なのです。私達がおまもりいただき、悟るためにはご本尊に合掌するしかないのです。
そのご本尊さまの教えを両統理さまがお手伝いして下さるのです。私達をひっぱって下さるのです。その方がいらっしゃらなければ悟ることも出来ないし、成仏は出来ないのです。

 よく統理さまのお言葉に、目に見えない人は救ってくれないのです。私達と同じご飯を食べている人が救ってくださるし、ひっぱっても下さるのです。ですからお釈迦さまは誰でも出来ないのですよ。と四菩薩をお出し下さったのです。
 今、私達をひっぱって下さるのは統理さまです。両統理さまのご法話をよく拝聴し、功徳をつむ。経を聞き己を直し功徳をつまないと因縁(悪)がとれなのです。
それには示教利喜の功徳が一番なのです。なぜならお経は自分ひとりの力より、大勢の人の力のお経の方が良い。

 ひとり(A)の人が三人導き、その人達がお経をあげる。それは(A)の人のご先祖にあげることなのです。
なぜなら、三人の人のご先祖が、あなた(A)のうちの子孫のおかげでうちの娘もお経をあげるようになったと(ありがたいことです)よろこぶ。そのよろこびは導いた(A)の所にくるのです。

ですから、導いてお経をあげさせることは、実は自分のご先祖にあげてもらうことなのです。それは導いた人のご先祖を通して自分のところへくる、五人 十人 二十人の大勢の
力を通して自分のうちのご先祖が成仏出来るのです。

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