一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

忘れ難い思い出

2009年01月20日 | 最近のできごと
 故・早乙女貢先生のお別れ会の案内状が送られてきた。
 早乙女先生は、私がペンクラブに入会した時に推薦して下さった理事である。入会には、会員1人、理事1人の推薦が必要で、あるパーティで知り合った年配の大学講師で作家の男性から、ペンクラブに入るよう勧められ、早乙女先生に紹介されたのである。
 電話で、呼び出されて、初めて会ったその日、銀座の文壇バーやクラブへ連れて行かれた。着流し姿の早乙女先生は、いかにも大御所作家といった、威風堂々という言葉がぴったりの風貌と雰囲気だったが、決して威張っていたわけではなく、ユーモラスな一面もあった。
 付き合っている作家は誰かと質問され、当時、親しかった男性作家の名前を数人あげると、
「菊村さん(菊村到先生のこと。)の他は、みんな不真面目な作家ばかりだな」
 と、言われ、私が、
「ええっ、不真面目なんですか? でも、そんなふうに見えません」
 そう答えると、冗談とばかり思っていたら、
「ほんとだよ。付き合っちゃ駄目だよ」
 真顔でそんな言葉を口にするので、私は内心、おかしかった。
「先生は、真面目なんですか?」
「ぼくは真面目だよ。真面目に見えるだろう? ぼくは女性を真面目に愛する男なんだ」
 その言葉にも私はクスクス笑ったが、その時の早乙女先生は初印象の威風堂々の大御所作家というイメージと違っていることを発見したような思いだった。
 しばらくして、理事会の後に理事たちが集(つど)うことになっているというレストランへ呼び出された。約束はしたものの、その日は編集者との打ち合わせの後、飲みに誘われたため、そのことを話して断りの電話を入れた。その席に集う錚々(そうそう)たる年輩作家たちに恐れをなしたという気分もあったかもしれない。
 それから数年たって、あるパーティの後、近くでやはりパーティがあるという早乙女先生に誘われたが、2次会に出席のため、断りの電話を入れた。
 以来、呼び出されることはなく、年賀状のやり取りだけになった。
 けれど、出版記念パーティには必ず出席したし、絵画の個展のオープニング・パーティも行った。
 最後の手紙を下さったのが、4年前。いつも達筆の手紙で、なつかしく、うれしかった。その手紙は、文芸家協会に入会する人の推薦者として署名捺印して欲しいという依頼だった。他の団体と同じように、入会するためには、協会の理事1人と会員1人の推薦が必要なためである。私は書類に署名捺印して、文芸家協会の事務局に郵送した。
 その時の手紙に、懇親パーティで久しぶりに会えるのを楽しみにしていると書かれていたので、私は出席の返事をしてあったが、何かの理由で行きそびれてしまった。
 ある作家が早乙女先生のことを、口数少なく、無口な作家であったと語っていて、意外な気がした。人によって印象は違うものだけれど、私にとっては親しみやすく、ユーモラスで、話し好きの人という感じだった。今でも忘れ難い思い出を残していただいたことに、感謝している。
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