一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

書評&感想

2022年05月31日 | 過去のエッセイ
『いのちの悶え』 富島健夫 著 (扶桑社・九八〇円)

 男の女の愛と性をテーマに人間の心理の微妙な揺れをみごとに描き出しているのが富島文学の特徴だと思う。
 性を決して興味本位に扱っていない。美しいエロティシズムと、叙情性と、文学性が感じられる。主人公が女である作品を読むと、男性である作者が、何故こんなにも女の心理の襞に分け入り、抉り出せるのかと驚いてしまう。会ってみたくなるほど人間性が魅力的な男が登場し、純情な女、可愛い女、エゴイスティックな女が男と関わってドラマを演じる。男も女も本質的には愛を求めるドラマであり、性は美しく描き出され、ヴィヴィッドな会話や、男性的で文学的な文章に、私はいつも陶酔し、一気に読んでしまう。
 本書の主人公は、結婚して一年の若妻。良子は夫とのセックスに真の歓びを得られない。いつも演技をしてしまうのだ。エクスタシーを味わうことができないのは、夫のせいかそれとも自分の肉体に異常があるのかと、焦りを覚える。そんな時、高校時代のクラスメートの安達に誘惑される。夫を愛している良子は、不倫する勇気がない。そのくせ肉体は、夫以外の男に対する好奇心に熱くなる。ついに安達に肌を許してしまう。本物の歓びを、良子は初めて体験する。
 人妻が初めて不倫した時の、心と肉体の動揺が鮮やかに描き出されている。主人公は決して、夫に不満があって不倫に走ったのではない。一年たっても性の最高の歓喜を味わえない悩みは、夫をより深く愛したいためのもどかしさだったのである。安達に求められ、彼の愛撫で身体を熱くしながらも頑なに拒んだ時、未知の感覚を知ってしまう不安と、夫との性生活が変わる予感に心が揺れる。不倫しても、夫を愛している良子は、安達と別れる。安達に愛を感じ始めながらである。
 人妻が夫以外の男に惹かれる危うさ、そして夫をより深く愛したいために性を渇望する心理が、とても興味深く読める作品である。

――産経新聞 1988年7月4日――

※後日メモ
 富島健夫先生と親しくしていた時期の掲載。パーティーの後など大勢で一緒に飲んだことが何度かある知人の産経新聞編集者から原稿依頼された時、書評なんて書けるかしらと自信がなかった。新刊の著書が郵送されて来て、最初は2度読むつもりだったが時間がなくなってしまい、1度読んで、すぐ書いた。後日、富島先生とその話をした時、「あれでいい」の一言で、褒めてくれなかったことが不満だった。けれど、何事にも誰に対しても批判や叱咤の多い富島先生のことだから、駄目と言われるよりマシかもと思った。長年経って読み返してみたら、生意気で稚拙な文章で気恥ずかしいというより、もっと宣伝するような書き方をすれば良かったと小さく後悔した。

                  ✩

『赤い闇』 川田弥一郎 著 (祥伝社・一六〇〇円)

 本書は、時代医学ミステリーである。時代小説プラス医学ミステリーというのは新鮮だ。主人公の「おげん」は、闇の産科医。江戸の町娘や女中に堕胎術を施す。腕ききの女医である。
 殺人事件の謎を「おげん」が解いてゆくのだが、現代にも通じるような男女のドラマが展開され、そのストーリーの面白さにぐいぐい引き込まれる。時代小説を読み慣れない私でも、実に読みやすかったし、その時代の風俗や犯罪にも触れ、興味をそそられた。
 堕胎術、梅毒治療、助産のシーンも出てくる。女体への施術や治療の様子がとてもなまなましく描かれている。麻酔もなかった時代の、女の悲鳴が聞こえてきそうな気がした。読み進めながら、私は怖くなり、けれど“怖い物見たさ”の好奇心を満たされたといっていい。
 殺人、強姦、自殺、浮気のほかに男性機能回復の話まで出てくる。「おげん」の活躍ぶりや謎解きに、わくわくさせられる。
 主人公や登場人物たちの、それぞれのキャラクターが個性的で面白い。
 また、男と女の性の問題や当時の医療事情も、とても興味深く読んだ。
 ハラハラドキドキするような、サスペンスフルなムードも堪能できて、いつの時代も変わらない男女のドラマに感動した。一気に読んでしまうのが惜しいほど、夢中でその世界に浸ることができた。

――日刊現代 1994年12月12日号――

※後日メモ
 さまざまな店へよく飲みに連れて行かれた日刊現代の知人の編集者から、最近読んだ新刊本を取り上げて欲しいと依頼されて、本棚から選んだ本。
 川田弥一郎さんは、パーティーで編集者から紹介されて初めて会い、いろいろなお喋りをして以降、新刊本が出版されるたび贈呈して下さったが、その中の1冊である。読んだばかりだったから、すぐ書けた。
 読み返してみると、多少は宣伝になっているような文章に感じられた。宣伝が目的の原稿依頼ではなかったけれど。
 地方に住んでいる川田弥一郎さんとは手紙のやり取りをしていたが、この感想文に喜んでくれたようなことが書いてあったと記憶している。

                 ✩

(最近、夥しい紙類の断捨離をしていて、掲載文その他の紙を捨てる前に、保存しておきたい内容の紙だけスキャナーでパソコンに取り込んだりスマホ撮影したりしては、パソコンにデータ保存している。書評や感想文は記憶違いでなければ、この2本だけ。私にとっては古い拙(つたな)い文章でも、貴重極まりないと言いたい感じである。





日付けのないダイアリー

2006年12月16日 | 過去のエッセイ
※『作家的日常』雑誌掲載・加筆修正

○月×日
 午前9時起床。歯磨きと洗面後、コーヒーを飲みながら、今日の予定を頭に浮かべる。いつもの習慣。
 朝食後、洗濯、掃除、朝刊を読む。
 コーヒーをいれて、机の前に座る。原稿8枚書く。1章から読み返し、続きの1章ぶん書くと執筆終了。締切日以外は、
(明日があるもンね)
 と呟くのが、習慣。 
 昼食。ソファに寝転んで読書。電話。洗濯物を取り込み、畳んでしまう。
 郵便物と夕刊を読んで、夕食の用意。
 食後、ビデオの映画を2本観て、入浴。
 テレビを見ながら美容体操。午前1時就寝。

○月×日
 午前9時起床。朝食後、家事をしないで、コーヒーを濃いめにいれて机に向かう。
 今日渡す原稿、残りの10枚書いて、昼食。今日の約束の電話がかかる。
 原稿を読み直し、タイトルを書いて、浮きうきと外出の用意。
 新宿で、編集者のAさんと会う。
 久しぶりだが、「お互いに変わってませんネ」
 という感じ。
 喫茶店を出て、ビアホールに入り、話が弾んだ。
 団塊世代のAさんは、博識で、考え方がユニークで、話題豊富で、ジョークやユーモラスな話し方に、私はクスクス笑いっ放し。
 病院の検査のこと、インターネットのこと、小説の話など。
 Aさんはあまり食べず、ビールのお替わりばかり。
 私はフランクフルトソーセージとか鶏の唐揚げとかピザとか、カロリーを気にせずに食べてしまう。中ジョッキ3杯のビール。お酒に強くない私には多過ぎる量だが、話が弾むと、ついグラスを重ねてしまう。いつものことだけれど。

○月×日
 午前10時起床。今日は執筆なし。うれしいナうれしいナと、ピョンピョン飛び跳ねたい気分。
 家事をして、スーパーへ買い物。
 夜、友人が遊びに来る。
 ウナギの蒲焼き、肉じゃが、ささみのチーズはさみ揚げ、まぐろの山かけ、冷や奴、厚焼き卵、イカのバター焼き、タラコのおにぎり、なめこの味噌汁。ウナギ以外は手作りだが、ほとんど酒の肴ばかり。タラコのおにぎりと、なめこの味噌汁は友人が好きなため。
 ビール、ウィスキーの水割り、ブランデー飲んで、お喋りしながら夜更かし。

○月×日
 午後1時起床。原稿7枚書く。
 夕方、三軒茶屋のエステティック・サロンヘ。部分痩せとか全身スリムのコースではなくて、アロマオイルを使った、ボディとフェイスのトリートメント・コース。
 フランス式垢すりというのも試す。布やタオルを使わず、粒子の細かい海藻スクラブ剤を使ってのソフト・マッサージ。サウナに入ったり、アロマテラピーのマッサージになると、もう、ウットリした心地。
 担当の30代半ばのエステティシャンとのお喋りも楽しい。美容のアドバイスや、彼女の年下の恋人の話なども聞く。
 最後に簡単な指圧もしてくれるのだが、私は肩こりも腰痛も経験したことがなくて、そう言うと、彼女に驚かれる。
 終了後、ラウンジでハーブ・ティーを飲みながら、次回の予約。来月はフィットネス・クラブの後に来ることに決めたが、運動後のエステは効果的とエステティシャンに言われた。

○月×日
 午前9時起床。原稿8枚書く。
 昼食後は読書。
 電話をかけたり、かかってきたり。
 その後、浴室と洗面所磨き。キッチンの掃除と食器棚の整理。
 外出しない日は、美容体操だけでは不足な運動効果を期待して、身体を動かす家事をたくさんする。
 こんな日は疲れてしまい、夕食は手抜き料理で、30分でパパッと作ったチャーハンとわかめスープだけ。

○月×日
 午前9時半起床。原稿7枚書く。
 昼食後、読書。浮きうきワクワク、外出の用意。
 午後6時半に、青山一丁目駅ツインタワービル内の喫茶店で友人と待ち合わせて、タクシーで六本木交差点近くへ。
 焼き肉店でビールと食事。六本木はサビれたなどと言われるが、店内は満席だった。
 友人が注文した冷酒も飲んで、食欲旺盛で食べ過ぎてしまう。
 店を出て、ライブハウス『CAVERN CLUB』へ。ビートルズ・ナンバーだけ演奏する店。友人ほどビートルズ・ファンではないが、感化されて、好きになった曲もある。ライブは、とてもいい。迫力があって、どこか官能的なムードが漂ったり。ウィスキーの水割りと、カクテルを飲みながら。

○月×日
 正午過ぎに起床。食後、洗濯と掃除。執筆は明日にして、フィットネス・クラブへ行く。
 マシン・エクササイズ、エアロビクス、最後にストレッチ・ルームへ。
 フィットネス通いは3年半になるが、最初のころは週に3日か4日、今は週1日が多く、せいぜい2日。標準体重になったため。
 それと、インストラクターから、現在の体重と体力維持のためには、最低週1日と言われている。
 約2時間半過ごして、シャワーを浴び、クラブを出ると、エステティック・サロンヘ。
 その後、近くの書店で本と雑誌を買って、遅くなったので、スパゲティとコーヒーの外食。
 スーパーで日用品と食料品を買って、帰宅。
 入浴し、読書と、ビデオの映画を観てから、午前1時就寝。

○月×日
 東京都美術館の展覧会に作品を展示している洋画家の友人から、今年も招待状が届く。
 絵の好きな友人のIさんから電話がかかってきたので誘う。
 上野公園は来るたびに、何かなつかしいような、しみじみとした気持ちと新鮮な気分に包まれる。
 友人のグループ展は館内の2フロア・8部屋に展示してあった。文部大臣賞や都知事賞の絵も。友人の絵も、他の賞を受賞。
 すべての作品を鑑賞してから、事務局へ行くと、友人がなつかしい笑顔で歓迎してくれる。
 展示のフロアに戻って、絵にこめた想いを友人が熱く語る。
 作品の説明。談笑。自分の作品の横に、私を立たせて、彼がカメラで写真を撮る。
 彼は知り合ったころと少しも変わらない、個性的な画家であり芸術家だと思った。
 美術館を出て、上野でIさんと久しぶりに飲む。
 電話とメールだけより、やはり会って話すほうが楽しい。
 時間のたつのを忘れるほど話が弾んで、名残惜しい別れの夜。

○月×日
 母が大腸ポリープの内視鏡手術で入院し、手術に立ち会ったり、退院後に実家へ行ったりで、外出の日が多かったため、執筆の予定が大幅に遅れてしまう。
 気が小さい私は、締切を延ばすことを担当編集者に伝えておかないと、安心して書き始められない。
 電話で理由を話して、締切を数日延ばしてもらった後、
「あのう、母の入院ていうのが、締切延ばすための作り話なんて疑ってませんよね」
 と、何故か後ろめたいような口調になってしまう。
 すると、担当編集者のSさんは、
「とんでもない! お母さんが入院なんて、そんな嘘つくわけないって思ってますから」
 そう言った後、小さく呟くように、
「ま、少しは疑うけど」
 だって。
 締切延期の理由は、ホントのこと言ってる時って嘘っぽく聞こえて、作り話の時のほうが真に迫ってるのかも……。(ン?)       

○月×日
 最近、1週間のうち、3日か4日は寝つきが悪い。2時間から3時間は眠れないのだ。不眠症の始まりかと、最初は喜んだ。私もとうとう物書きらしく繊細な神経による不眠症を、経験することになるのだと。
 その眠れない時間に、父の死を想い、敬愛していた先輩作家たちが亡くなったことを想い、死について考えるほど、夢まぼろしのような人生のはかなさを感じたりする。
 そして、この世で同時代にめぐり会えた人たちの存在を、大事にしたくなる。
 そんな寝つきの悪い夜も、いったん寝ついたら、1度も目覚めることなく8時間は眠る。
 すると、ベッドに横になっているのが、眠れない時間を含めて10時間か11時間。
 友人にそう話すと、寝過ぎだと呆れられる。
 でも、睡眠不足は美容の敵。寝つきが悪くても、美容のために、たっぷりと眠ることにする。

○月×日
 新宿で、親しい編集者と飲み会。会といっても2人きり。電話でお喋りするたびに、新年会とか励ます会とか何々会という言い方を楽しんでいる。
 たまにパーティで会うこともあるが、個人的に飲むのは数年に1度。仕事のことを忘れて飲んだり歌ったりして、ストレス発散。
 こんな夜は、バタン・キューと寝つきが良過ぎて、しかも10時間も眠ってしまう。長時間、アルコールを飲んだ日は、いつもそうだ。ベッドに横になっている時間ではなく、熟睡時間がである。
 そして、こんな日の夜は、寝過ぎによる体重増加が心配で、入浴中とお風呂上がりのストレッチ&美容体操を、いつもの倍の時間かけてやる、この涙ぐましい(!)努力。

○月×日
 夜、友人が遊びに来る。
 テレビ・ショッピングで買ったカラオケを歌う。
 採点つきホームカラオケ。
 私は滅多に出ない高得点に大はしゃぎ。
 カラオケに自信のある友人は高得点が出て当然という感じで、不満な点数だと、同じ歌を高得点が出るまでキーの高低を調節しながら歌うのである。感心させられたり、クスクス笑ったり。
 そうして夜は更けて行き……。

○月×日
 スポーツ新聞のエッセイを4本書く。
(小説じゃないから、すぐ書けちゃうもンね)
 と甘く考えて書き始めるものの、4本ぶんのテーマを考えつくのに四苦八苦。
 夕方までに、何とか書き上げる。
 夜はグッタリとした疲労感と解放感に包まれ、テレビと読書の時間。
 録画したビデオで、デヴィ夫人が出演する番組を見たら、面白くて元気が出た。

○月×日
 新宿の焼肉レストランで友人と食事。
 時代小説やテレビの時代ドラマの話が弾む。
 それから、10か月前に禁煙したこと。それが原因なのか、何となく精神的に不安定な感じになること。
 精神状態は別として、健康状態は良好。原稿の締切が守れない時に腹痛が起こること以外には、筋肉痛などとは無縁の生活。
 美容と健康についての話を延々と。けれど、私は決して健康オタクではなく、(その証拠に、空腹時にコーヒー飲んだり、昼食の時に、栄養不足になるカップ・メンやインスタント食品を、時々食べてしまう。)美容に気を遣ってばかりというわけでもなく、(その証拠に、美容に悪いはずの夜更かしもするし、夜食をとる時も。)
 ただ、情報だけは、いろいろ知っているにすぎない。
 それなのに友人は私が、
「美容と健康のためなら死んでもいい」
 という主義だなんて冷やかすので、笑い転げてしまう。

○月×日
 長編連載の最終回の原稿を書き上げ、
「わーい、終わったア」
 の一人言。飛び跳ねたくなるくらいの解放感に包まれ、どこかへ出かけたい、誰かとデートしたい!――と浮き浮き考える。
 けれど、男性から電話が1本もかかってこない。デートに誘ってくれる相手がいない! かといって内気な私が、誘う電話なんてかけられない。こんなイイ女を(??)、世の男性たちは放っとくなんて、誰もデートに誘ってくれないなんて――ああ!
(こんな日もあるわよ)
 と自分に言い聞かせ(こんな日のほうが多い!)、読みたかった数冊の本の中から、ワクワクしながら1冊を選ぶ。軽い読み物ふうのノンフィクション。それを手にして寝室へ。ベッドで本を読むのは、私にとって至福のひととき。本を読む時は、身体を起こしてより寝転んで読んでこそ、読書の醍醐味を味わえるというもの。
 夜はビデオでフランス映画を見ながら現実を忘れ、夢のような世界に浸る。

魚の味オンチ

2001年09月21日 | 過去のエッセイ
 味オンチ、という言葉を初めて聞いた。味覚が鈍い、料理の味がわからない、ということだろうか。
 以前、知人が、自分で釣った魚を、その日に自宅で刺身にして食べた話をした。
「その美味しさと言ったら、もう、たまんないですよ」
と言うのだが、私には想像つかない。捕れたての新鮮な魚を料理して食べる美味しさを、観念的には理解できる。けれど私には、海から釣り上げたばかりの魚を、もちろん洗って、さばいて、ナマで口に入れることに生理的拒絶感が起きてしまう。捕れたてのナマだからこそ、美味しいということを彼が強調することが、まるで皮肉のようにである。
 その話は、私が魚の刺身を好きではないということに彼が驚き、呆れ、信じられないような顔つきをした後に語ったのだった。
「魚の刺身の美味しさが、わからないなんて」
 そう言いたげな彼にとっては、私は魚に関して〈味オンチ〉ということになるだろうか。
 といっても、アレルギーというわけではなく、全く食べないということもない。パーティや会合や法事の時など、大勢が集う席で、寿司や刺身を少な目にだが食べる。会食とか食事が目的ではないから、人と話しながら、つられたように食べるという感じである。
 けれど、思い起こしてみると、二十代までは、寿司を好きだった。家に親戚が来て出前を取ると決まって寿司であり、大きな桶に盛りつけられたさまざまな具の彩りは食欲をそそったし、皆ではしゃいで食べる楽しさがあった。また、OLをしていた時、上司が夕食をごちそうしてくれるのは寿司が多かった。結婚していたころも、土産の折り詰め寿司や、来客にふるまう出前の寿司など、美味しく食べられた。
 若いころは肉と同じぐらい好きだった寿司や刺身を、三十代から苦手になったのは、体質が変わったのかもしれないし、海の汚染とか考えて神経質になったせいかもしれない。汚染は肉だって野菜だって同じだけれど。
 加熱してあれば食べる気になるが、煮魚も焼き魚も、ほとんど食べることがない。天ぷらは食べる。イカの炒め物やタコの酢の物は作るし、好きである。イクラや白子など魚の卵は好き。
 たまにだが、フグ料理店に案内されることがあり、
「こんな高級料理の味がわからないなんて」
 と、私が少量しか食べないフグ刺しを、相手は美味しそうに食べながら言ったりするのだ。まさか、そんな場所で、
「毒に当たらないでしょうね」
 なんて言わないけれど、決してフグの毒を心配して箸をあまりつけないわけではない。
 概して魚好きの人は、フグとか寿司とかは最高の食べ物で、それらを嫌いな人間など、この世にいるわけがない──と、固く信じ込んでいるふうなのが、面白い。
 最近は魚の栄養成分のDHなんとかが、テレビの健康番組などで強調されている。
 親しい知人からも、
「肉料理や揚げ物ばかり食べてると、コレステロールや中性脂肪が高くなって病気に……」
 と、脅されて不安になり、健康診断を受けると、コレステロールも中性脂肪も正常値の結果が出て、魚好きの知人のほうが要注意の数値だったりするのは何故だろう。
 美味しいとか、不味(まず)いとか、味がわかるとか、わからないとかいうのは、その人の好みであり、万人に通じる絶対の味覚なんてないと思う。だから、
「この料理の味が、わからないなんて」
 と言わんばかりの、自分の好みを押しつけるというか、グルメや食通を自慢するような人とは、一緒に食事をしたくないものである。そうではなく、
「これ、美味しいよ、ちょっと食べてごらん」
 と、思いやりから、すすめられると、本当に美味しいと味わって食べてしまう時が多い。

※ミニコミ誌『あじくりげ』 2001年9月21日掲載

     

ダイエット

1999年12月01日 | 過去のエッセイ
    
 私がダイエットを始めたきっかけは、パーティの席上で久しぶりに会う人たちから、
「少しふくよかになりましたね」
 とか、
「ますます肉感的になりましたね」
 などと、ニヤリとしながら言われたことだった。
 30代後半で、バストとヒップが大きければ、腰のくびれが深く見えるわと、鏡の前ではふくよか体型に自信があったのである。
 けれども、パーティでの知人男性たちの感想が、気になるようになった。
 その上、親しい男性から、私の身体を眼にして、
「少し太ってきたぞ」
 の、ショッキングな言葉。
 私は、一大決心した。本や雑誌でダイエットに関する情報を集め、研究し、それにハマッた。
 まず、フィットネスクラブに通い始めた。
 さらに、自宅でのストレッチ体操を習慣にする。
 食生活にも気をつかう。容易にウェイト・ダウンできる減食は、美容と健康のために、しなかった。
 毎日ワープロに向かって執筆するのが仕事の、運動不足はたちまち解消され、約3か月間で標準体重になった。
 以前よりスリムになってパーティや飲み会で、知人たちを驚かせる楽しみができた。
 過激なダイエットは駄目だが、健康に配慮しての美容ダイエットは、良いことだと思う。
 ダイエットは、一種の自己管理だからである。
 目標に向かって、自制、抑制し、強い意志も必要である。
 女性に限らない。二十代から三十代にかけての肥満気味体型の男性は、若さも強さも放棄した、自己管理能力に欠けた人のような気がする。
 美容のために女性はダイエットする。
 男性はたくましく生きるためにダイエットする。
 ダイエットは、自分自身を磨き、自己管理能力を高めるための素晴らしいことだと私は思う。

※NOMAプレスサービス (社)日本経営協会 1999年12月 NO.580 掲載 

     



赤坂地ビールを飲んだ夜

1996年08月01日 | 過去のエッセイ
 アルコールは、飲むけれど、弱いほうである。ビールなら中瓶一本、水割りウイスキーならシングル二杯ぐらいで、酔ってしまう。顔も身体も火照ってきて、ふわふわっとした心地になる。
 誰かと一緒に飲む雰囲気が好きで、一人ではあまり飲まない。アルコールを口にするのは週に2日か3日ぐらいだから、全然強くなれない。
 それでもビールやワインは料理が美味しいと、いつの間にか杯を重ねてしまう。喉が乾いている時のビールは、ひときわ美味しい。一番ふわふわっと快感を伴った酔い心地にさせられるのは、ブランデーである。
 先日、初めて地ビールを飲んだ。赤坂駅のすぐ傍にあるレストランヘ、編集者のKさんに連れて行ってもらった。Kさんはアルコール通で、いろいろな店をよく知っている人である。
 その店で飲んだのは『赤坂地ビール』。首都圏限定で販売される地ビールだった。
『赤坂地ビール』には、黒ハーフとピルスナーの2種類のタイプがあって、その両方を飲んでみた。
 黒ハーフは、思ったよりあっさりした味をしている。黒ビールとラガービールの中間ということで、副原料は一切使わない麦芽百パーセントだそうである。そして、この黒ハーフは、黒ビールの地ビールとしては国産第一号ということらしい。
 黒ビールを飲んだ経験は、人につられて、という感じで、数えるほどしかない。黒と普通のビールを半分ずつ入れたのを、私の友人が好きで、時々、一緒に飲む。それから、『スタミナ・ドリンク』というのを飲んだことがある。その名から、いかにも男性向き! という感じがするが、ゴルフ場のクラブハウスで注文する飲み物らしい。これは黒ビールと卵の黄身にハチミツを垂らして混ぜる。作って飲んでみたけれど、少し甘味もあって、あまり美味しいと思わなかった。スタミナ・ドリンクという名のイメージで、卵とハチミツという栄養価を含めて自己暗示しながら飲む飲み物のような気がした。
『赤坂地ビール』のもう一種頬のピルスナーは、酸味があって、こちらのほうが美味しかった。色の濃い麦芽を使用することで、深いコクを出して、炭酸も強めになっているのが特徴だということである。
 黒ハーフもピルスナーも、中ジョッキで飲んだのだが、料理が運ばれてきたのは途中からだった。私には中ジョッキ二杯は、多い感じ。アルコールに強いKさんは平気な顔。
 ところが、料理を食べながら、お喋りが弾むと、もっとビールを飲みたくなってくるから不思議である。注文した料理は、ソーセージの網焼き、ソフトシェルクラブの唐揚げ、スモークサーモン、きのことベーコンのサラダ、牛舌の網焼き。どれも美味しかったので、ビールもそれだけで飲むより美味しくて、さらに杯を重ねてしまった。
 その店を出て、渋谷の道玄坂へ。Kさんの行きつけの焼き鳥店に入る。カウンターだけの店だが、この店の主人は焼き鳥一筋三十年という人。肉の締まった岩手の南部鶏。火力の強い備長炭に、団扇で風を送りながら、肉汁を逃がさないように焼き上げるところを、カウンター越しに見られる。
 特に、つくねが美味しかった。玉ねぎとゆずを加えた挽き肉を生からじっくりと焼いたつくねは、常連客のお目当てと言えるらしい。
 ここではもうビールは飲めなくて、梅入り焼酎をチビリチビリと飲んだ。Kさんは杯を重ねるにつれ、陽気になって、学生時代の話などを楽しそうに、なつかし気に語ってくれた。
 家に帰って、ちょっと太るような気がしたので、時間をかけて入浴し、テレビを見ながら美容体操して、まだ酔いが残るふわふわ気分に包まれて就寝した。 

※ミニコミ誌『あじくりげ』1996年8月1日掲載 

        

男のままごと遊び

1993年06月01日 | 過去のエッセイ
〈男子厨房に入らず〉という言葉は死語になってしまったくらい、男の料理が流行している。
 流行と言っても、好きで作る人だけでなく、必要に迫られてという人もいるだろう。老後のことを考えて、勤めをしながら料理教室に通う中年熟年男性も、けっこういるらしい。
 知り合いの編集者たちに聞いても、酒の肴は自分で作るという人が多い。
 私が子供のころ、家族は祖父母、父母、兄と姉の7人家族だった。料理は女が作るもの、という封建的な家である。明治生まれの祖父は、とても怖い人で、傍へ近寄るのも口をきくのもできないほどだった。誰もが祖父にビクビクしているような時もある感じだった。食事の時、口に合わない料理や出来ばえの物があったりすると、その皿を引っくり返しかねない人だった。実際には、そうしたことは1度もなかったけれど。時々、祖父は外泊したが、いかにも明治生まれ男性ということを、ずっと後日に知った。
 それに比べて大正生まれの父は、もの静かで、おっとりした温厚な性格で、感情の起伏の激しい母のお喋りを「うん、うん」と言葉少なに聞くやさしいタイプの人。料理に好き嫌いはあまりなかったが、カレーライスは嫌いだった。祖父も好まなかった。
 子供たちはカレーライスが大好きである。だからカレーの他に煮魚とか、揚げ物とかも母は作る。家族が7人もいると、好みも作り方も違う物が多く、何種頼も作らなければならなかったようだ。
 祖父は、まさに「男子厨房に入らず」の人で、台所へ足を踏み入れるのを一度も見たことがないが、父はそうでもなかった。
 年に数回という感じだが、父は好物の天ぷらを作った。とても楽しそうに、材料の下ごしらえからするのである。男が料理をするのは珍しいから、私は傍で眺めていたが、何だか「男のままごと遊び」みたいで、おかしくてたまらなかった。
 そのころ私は天ぷらは、あまり好きではなかった。子供時代は誰でもそうかもしれないが、好き嫌いが激しいものだ。けれども、身体が弱かったので、両隣に座る母と祖母から、これを食べると「身体が丈夫になる」「病気をしない」などと、嫌いな魚や野菜など少しでも食べるように言われる。
 天ぷらも嫌いで、二口か三口食べると、もう食べられない。けれども父の作った天ぷらは、母たちが作ったのより具が大きめで、食べにくく美味しくもなかったのだが、いつもより私は無理して食べた。
 正確に言えば、客観的に美味しくない出来ばえだったが、美味しく感じられた。それは、父が楽しそうに「男のままごと遊び」みたいにして作った天ぷらだからである。
 それと、「美味しい」と言えば、父が喜ぶからだ。私は末っ子なので、子供のころは、家族も親戚も近所の人たちも、さらに言えば世界中の人間が、大事にしてくれチヤホヤしてくれ可愛いがってくれるのが当然、みたいに思っていた。
 ところが父は3人の子供に公平で、全然私を、えこひいきしてくれない。だから父へのおもねりで、父の作った天ぷらを無理して食べたのかもしれない。母も同じように3人の子供に公平だった、と思う。祖父は子供嫌いの性格に感じられた。祖母は、末っ子の私を溺愛した。まるでそのことが生きがいのようにだった。人間の性格や人格形成は幼少期に影響されるとか定まってしまうとか読んだことがあるが、自己分析してみると確かに末っ子の私への祖母の溺愛が、大人になってからも私の性格や人間性に影響していると思うことがある。多くの家で、祖母は末っ子を溺愛するものと聞いたことがあり、他人と話していて末っ子と知ると、私と同じ一面があるかもと思ったりする。
 私が短大一年の時、兄が結婚した。その挙式の日、私は初めて振り袖を着た。祖母は私の振り袖姿を、姉のそれより似合うと何度も褒めてくれた。
 兄夫婦は敷地内の離れの家に住んだが、食事は母屋(おもや)で家族と一緒にとる。台所には、祖母、母、義姉、料理学校に通っていた姉、の合計四人がペチャクチャとお喋りしながら料理に励んでいる。たまに、私が部屋へ入って行くと、「邪魔、邪魔」なんて追い出されたりすることもあった。料理は作るより味見のほうが好きだった。
 そのころはもう父も気まぐれに天ぷらを作ることもなくなっていた。それでもお茶ぐらいは、自分でいれられる。兄はお茶ひとつ、いれられない人だ。私がかつて結婚していた相手は、時々、料理を作ってくれた。当然だが、男性にもいろいろなタイプがいる。
 男の料理流行は、世の奥さんたちにとっては喜ばしいことでも、独身の私には賞味するチャンスのないことが、残念である。 

※ミニコミ誌『あじくりげ』445号 1993年6月1日掲載

       

おすすめ粕鍋

1992年12月01日 | 過去のエッセイ
 一人で食事する時は、本を読みながらかテレビを見ながら食べる習慣だが、たいてい本やテレビのほうに気を取られて、食事は空腹を満たせばいいという感じになってしまうことが多い。やはり食事は、誰かと一緒に楽しくお喋りしながらのほうが、美味しく食べられる。
 鍋物は、料理の美味しさを味わうだけでなく、何人かで時間をかけてお喋りしたりお酒を飲んだりの楽しさがある。
 寄せ鍋、スキヤキ、しゃぶしゃぶ、湯どうふ、カキ鍋など、どれも好きだが、自分で作る時は、好きな春菊や椎茸を多めに用意する。
 珍しかった鍋物では、粕鍋というのがある。塩鮭や塩鰤(ぶり)と野菜を入れて、魚の塩けで味を取り、酒粕の香りを添えたコクのある鍋物だ。寒い冬向きの料理で、身体がとても暖まる。この粕鍋を食べたのは、北海道でだった。
 北海道は、何を食べても美味しい。お寿司、ラーメン、とうもろこし、じゃが芋、魚はもちろん、牛乳もコクがあって一味違う。
 北海道へは、十数回、行っている。短大時代の友達の結婚式で函館へ行ったのが最初で、親友との北海道一周旅行、さらに結婚していた時の夫の実家が北海道で、毎年、義母が特産物を送ってくれた。好物の筋子やタラコやアスパラ、新じゃが芋は茹でてバターをつけて食べるのが好きだった。カニやホッケや生ウニは、こんなに美味しかったのと驚くほどだった。
 けれど、送って貰った中で、粕漬けの漬け物だけは、あまり好きになれなかった。ウリや大根を粕で漬けてあるのだが、やはり漬け物は、母が作ってくれて食べ慣れた、ぬか漬けが好きだからだった。
 ところが、同じ粕を使う、その鍋物は美味しかった。塩鮭、椎茸、ニンジン、里芋、大根、油揚げ、ネギなどを、やわらかくした酒粕の半分の量を煮汁で溶いて加え、弱火で煮る。野菜がやわらかくなったら、残りの酒粕を加え、ネギの薄切り、七味唐辛子を少し振る。酒粕を最初から全部入れないのは、香りを引き立たせるためである。
 しゃぶしゃぶは、温かいのもいいが、氷しゃぶしゃぶは、もっと好き。細かく砕(くだ)いた氷の上に載せた薄切り牛肉を、タレにつけて食べながら、ワインを飲んだことがある。赤ワインだが、これがとても合っていて美味しいのだった。
 ワインというのは、気づかないうちに飲み過ぎてしまい、アルコールに弱い私はすぐ酔ってしまうのだが、その時は氷しゃぶしゃぶがあまり美味しかったので、酔うのを覚悟でグラスを重ねてしまった。お酒に弱い弱いと言いながら、よくあることだけれど。
 洋風の鍋物では、ボルシチが好きである。これは、私の得意料理の一つで、評判がいい。牛肉、キャベツ、セロリ、玉ネギ、じゃが芋、ニンジンなどを、みじん切りのニンニクとトマトピューレで煮込むのだが、塩、コショウは薄味にする。最後に赤かぶを、色が消えない程度に煮る。
 鍋物というのは、何品かの料理を食卓に並べるのと違った楽しいムードになる。テーブルの中央に鍋を置いて、そのボリュームと豪華な彩りを眺めながら、皿に分けて食べる時の子供っぽい愉しさもあったりする。
 感傷的な秋に寂しくなったら、誰かと一緒に鍋物料理を食べると、幸福な気分に包まれると思う。

※ミニコミ誌『あじくりげ』1992年12月1日掲載

     

料理の取り合わせ

1991年01月01日 | 過去のエッセイ
 学生時代やOL時代の外食といえば、ピザやスパゲティやピラフが多かった。飲み物はコーヒーか紅茶かミルクティー。
 OLをしていたころ、親しくしていた先輩OLと、行きつけの店でよく昼食を共にしたが、2人とも注文するのはサラダ付きのピザ・トーストだった。その店のピザ・トーストはチーズと具がたっぷり乗っていて、美味しくてボリュームがあった。サラダも小皿ではなく大きめの中皿に、たっぷり盛りつけてある。食事をすませると、同じビル内の喫茶店でコーヒーを飲む習慣だった。コーヒーは、いつも先輩OLが奢ってくれた。その先輩OLは総務部で、私は企画制作部。
 時々、企画制作部の先輩社員や上司たちと昼食を共にすると、和食店に入り、焼肉定食や焼魚定食を付き合うことになる。ご飯、味噌汁、焼肉か焼魚、煮物、漬け物といった定食の料理だが、家庭料理と同じメニューを、よく昼食に食べられると不思議だった。それに野菜サラダがほんの少ししか付いていないのが不満だった。
 そのころはサラダが美容に良いと信じていたので、どんな料理の取り合わせにも欠かさなかった。
 退社して1年足らず、結婚と同時に妊娠したので、酸味のある食べ物を欲したため、サラダにはドレッシングの他にレモン1個を絞ってかけたり、柑橘類の果物も好きで、毎食後に食べた。妊娠していたころは、私の食事の栄養を、夫だった彼がいつも考えてくれたり買って来てくれたりした。カルシウム、ビタミン、鉄分、たんぱく質を摂取するために、野菜、豆類、海藻、それに配達の牛乳を毎日500ml飲んだ。牛乳は子供のころから好きだから美味しく飲めた。また、それまで肉か魚のメイン料理の取り合わせといえば、サラダしか食べなかった私が、煮物や酢の物や和え物も食べるようになった。
 ところが、30歳ぐらいの時、何かの本を読んで、サラダ信仰がくずれた。野菜サラダを摂るなら、料理用ボールの大サイズぶんぐらい食べなければ効果はないと書かれていたのである。
 そんな記事をあちこちで読んで、それまで中皿に盛りつけていたサラダを、肉料理の時に付け合わせにするくらいになった。
 代わりに、3、4種類のフルーツを中皿いっぱいに盛りつけて食べる習慣がついた。それは、食後にフルーツの皮をむいたり切ったりするのが面倒だからでもあった。
 フルーツ・ヨーグルトも、よく作って食べた。
 30代になると、美容のためだけでなく健康のことも考えて食事するようになる。私は胃がデリケートな体質なので、いろいろな本を読むと、乳製品や緑黄色野菜がいいことがわかった。乳製品は、もともと大好きである。緑黄色野菜の摂り方が、問題だった。生では、たくさん食べられない。そこで、ゆでたり煮たり炒めたりすることにした。
 ほうれん草や春菊のおひたし。ニラの卵とじ。キャベツとにんじんとシイタケとピーマンの炒めなど。
 こうすると、野菜が残って腐ったりすることもないし、簡単に作れる。
 おひたしは、たっぷり作っておいて、3回ぐらいに分けて食べる。2回目か3回目のほうれん草のおひたしは、バターで軽く炒めて食べるのが好きだった。
 煮物や酢の物も、よく作るようになった。そこで、メイン料理が焼魚であってもハンバーグであっても、その取り合わせはおひたしや煮物、酢の物がつくようになった。
 食べ物の好みは年齢と共に変わるというけれど、野菜といえばサラダしか食べなかったような20代のころと、大きな変化である。美容と健康のためだけではなく、実際におひたしや煮物が好きになったのだから。
 それから、カレーライスの時に、ワンタン・スープを作る。スープの中にはワンタンの他にニラとモヤシを入れる。
 カレーを煮込む長い時間に、何か作ろうと思って考えたのだが、妙な取り合わせだけれど、美味しくて気に入っている。
 そんなふうに、自分であれこれ考えて工夫した時の食事が美味しいと、料理の楽しさをつくづく感じる。

※ミニコミ誌『あじくりげ』 1991年1月1日掲載

     

健康で幸せな食事

1990年11月30日 | 過去のエッセイ
 料理は得意なほうではない。けれど下手で嫌いかというと、そうでもない。キッチンでエプロンをつけながら時計を見る習慣がある。
 考えた料理を、できるだけ短時間でパッパッと作ってしまうことに、小さな楽しみを感じる。
 作り終わって時計を見て、
「一時間でこれだけ作った、ヤッタ~!」
 と、一人で喜んでいる。献立によっては、三十分か四十五分の予定を立てたりする。
 料理に時間と手間を、あまりかけたくない。
 よく作るメインの料理は、豚肉しょうが焼き、野菜妙め、天ぷら、ハンバーグ、唐揚げ、鶏モモ酒蒸し焼き、お好み焼きなど。
 料理を作る時、塩、しょうゆ、コショウなどの調味料は、なるべく少なめに入れ、ニンニクやショウガはたっぷりと。理想は、材料を生かす味付けということになる。
 作る時だけでなく、食べる前に使う調味料も、少量が好き。漬物には、おしょうゆをかけない。ラーメンは滅多に食べないけれど、コショウは二ふり程度。サラダのドレッシングも、少量のほうが美味しい。
 以前、初めて一緒に食事した人が、レストランでハンバーグが見えなくなるくらいソースをたっぷりかけたのを見た時、
(それじゃ、まるで、おソース食べるみたい!)
 と驚いたが、食べ方は好きずきだからと思い直して、何も言わなかった。
 デパートやスーパーで、たまにお惣菜を買って来る。その味付けに、買ってしまったことを後悔することが、よくある。砂糖をたっぷり使った甘辛い味付けになっている時だ。しかも、その味は濃過ぎて不味いのである。調味料が強調されてるみたいな料理は嫌い。
 私は料理に砂糖を使わない。好きなカボチャの煮付けを作る時は、ダシと、ほんの少しのしょうゆと、砂糖が買ってなければハチミツを、ほんの少々、隠し味に入れる。砂糖やしょうゆ味のしない、カボチャの甘味の美味しさを感じられる味付けが好きだからだ。
 料理の本を見て時々作るが、指示どおり大さじ小さじの計量スプーンで量って調味料を入れて、ちょうどいい味付けになることが、ほとんどない。スプーンで量るより、このくらいかと勘で調味料を入れたほうが上手にできる。
 ただし作り慣れた料理でも、考え事をしながらだと、塩やしょうゆの加減を間違って失敗したりする。調味料を入れる時は、ひたすら美味しく作ろうと念じる気持ちと、勘と集中力が必要なようである。
 人と一緒に食事をすると、その人の好みがよくわかる。好きな料理はもちろん、味付け食べ方など、お酒を飲む人は、概して塩辛い味付けが好きなような気がする。
 そしてアルコール好きな人は、高血圧の人が多いのではないだろうか。高血圧の人は塩分を取りすぎてはいけないというのが定説らしい。
 私はアルコールは飲めるけれど少量で酔ってしまい、体質は低血圧である。低血圧は逆に塩分を多めに取ったほうがいいと何かで読んだことがあるが、本当だろうか。
 そうだとしたら、お酒をもっと飲めるようになって、塩辛いおつまみや料理を食べると、ちょうどいいということになる。
 もっとも、日常生活に支障はない低血圧だけれど、原稿を書く時に根気がないのは、やはり低血圧のせいかもと、自分で自分に言い訳している。
 それとも、単なる怠け心だろうか――。
 以前、親しい知人から聞いた話だが、友人の家で食事をしたら、ほとんど何も味のしない料理ばかりで驚いたという。食事に招かれたわけではなく、ふだんと同じ家庭料理を友人のお母さんが作ったのを夕食時にご馳走になったらしいが、肥満気味体型の友人は四十代で高血圧と糖尿病で、そのためのバランスを考えた調理法だったらしい。
 高血圧や糖尿病に限らず、病気になると食事制限をしたり、好きな味付けも変えさせられて、食べる楽しみが半減するかもしれない。
 料理をする時も食事をする時も、調味料を使って好みの味付けができるということは、食べることを楽しめる、健康で幸せなことだと思う。
                 
※ミニコミ誌『あじくりげ』 1990年掲載

入浴

1989年12月10日 | 過去のエッセイ
 9月中旬に風邪をひいてしまった。朝、目が覚めた時、喉が痛くて、寒気がした。家人にすすめられて近所の内科医院へ行き、看護師に熱を測られたら、平熱だった。医師の問診と聴診器の診察で、薬が処方された。
 帰宅して、すぐ、お風呂に入った。午前中は寝ていようと思い、薬を飲んで、ぐっすり眠った。午後1時に目が覚めた時、全身に汗をかいていたので、またお風呂に入り、食事して、午後は原稿を書こうと思っていたが、薬のせいで眠くなり、夕方近くまで眠ってしまう。夜、就寝前に、その日3度目の入浴をした。
 風邪の時、入浴はいけないと聞くが、私は、ふだんでも外出したり汗をかいたりすると入浴せずにいられない性分である。
 どんなに遅く帰宅し、どんなに酔っている時でも、お風呂に入らずには寝られない。たとえ歯の治療でも医院に行ったら、帰宅して全身洗わなくてはいられない。
 きれい好きというか潔癖症気味だからだけではなく、もともと、お風呂大好き人間なのである。単なる身体を洗うという楽しさだけではなく、浴室で裸になると、心が安らぎ、伸び伸びとし、この上なく爽やかな気分で、とても気持ちがいい。湯や水が肌に触れるここち良さ。シャワーを浴びる時の爽快感とくすぐったさ。浴槽に沈んだ時、何もかも忘れて無心になれるのである。
 また、精神と肉体の小さな疲労感も、湯の中に溶けて消えてしまうような気がする。
 疲れていてお風呂に入るのが面倒と思ったことは、一度もない。疲れている時、神経が昂ぶっている時、気分転換したい時、お風呂に入りたくなる。入浴が趣味と言ってもいいくらいである。
 そんな私だから、引っ越す時は真っ先に浴室を見る。マンションにしては広くて清潔な浴室でなければ、その部屋には住めないと思う。ユニット・バスは好きではない。旅行をしたりして、ホテルに泊まる時も、ゆったりした清潔なバスルームならホッとする。
 ところが、いくら広くてゆったりしていても、温泉風呂は苦手である。自分の裸を見られることより、何人もの他人の裸が眼に入るのが、好きではないからかもしれない。
 やっぱりお風呂は、一人でのびのびと、じっくりと、楽しんで入るほうがいい。
 肌にやさしいボディ・シャンプーで全身を泡だらけにして、いい香りに包まれながら、すべすべの肌をタオルと手で撫で、シャワーを強く出して丹念に浴びる心地良さ。
 浴槽に入って暖まる時、仕事のことも何もかも忘れて、楽しいこと幸せなことだけが次々浮かんでくる。
 最後に、冷水シャワーを浴びるのが、たまらなく気持ちいい。湯上がりの肌はピンクがかった白さに輝き、いつもナルシスティックな気分に包まれてしまう。
 誰かと一緒に入るお風呂も、心浮きうき楽しくなってしまうけれど──。

 ※掲載誌『随筆手帖』1989年12月10日号 (加筆)