花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「迎賓館赤坂離宮」を参観(見学)してきました。

2016年09月21日 09時00分00秒 | 風物
「迎賓館赤坂離宮は、昭和50年より毎年夏の10日間だけ一般公開されてきましたが、今年の4月から通年で一般公開されました。これに先立ち、2月5日~18日に試験公開がおこなわれました。「迎賓館赤坂離宮」は、正門(前庭)、本館・主庭、和風別館が参観できます。私は、内閣府のホームページからネットで参観申し込みをし、抽選で参観証を取得できました。 
参観当日は、西門から入り、厳重な荷物検査とボディチェックを受けます。正門(前庭)のみの参観者は正門より入場します。
―参観時間は10:00~17:00 (正門・前庭は入館受付16:30迄。他は入門受付16:00迄)
―正門(前庭)は参観自由(事前申し込み不要)。参観料金無料。
―本館・主庭は事前申し込み & 当日受付(入場整理券)あり。参観料金は、大人1,000円、中高生500円。
 事前申込の個人 12:00・14:00の各750名 (計1,500名)
事前申込の団体 13:00・15:00の各750名 (計1,500名)
当日入場券   10:00・11:00の各500名)(計1,000名)
―和風別館は事前申し込みのみで、ガイドツア形式。和風別館の前後の時間に本館・主庭も参観(見学)できる。参観料金は、大人1,500円、中高生700円。  ツアー時間 10:30、11:30、12:30、13:30、14:30、15:30の6回で各20名。
(合計120名。 所要時間:約45分
 
私は、和風別館の14時30分の参観許可を入手、和風別館に先立ち本館・主庭を見学し、前庭、正門を見学しながら退出しました。まず、正門の姿に西欧の国にいるのではないかと錯覚してしまます。正門から本館までは約220m、西欧の宮殿を思わせる瀟洒な佇まいに時を忘れてしまいます。地震や戦災もあったにもかかわらず、今日までよく保存していただいたと関係者に感謝の念でいっぱいです。多くの方に是非一度は訪れてほしい場所です。

「迎賓館赤坂離宮」のある場所は、かつて紀州徳川家の江戸中屋敷があったところです。明治維新後30年過ぎたころ、結婚を控えた嘉仁皇太子(大正天皇)の新居(東宮御所)を建設するために、明治32年(1899年)に着工、10年を経て明治42年(1909年)に完成した、日本における唯一のネオバロック様式の西洋風宮殿建築です。
総指揮は、片山東熊(工部大学(東京大学工学部の前身、第一期生で。同期に東京駅などを設計した辰野金吾がいる)で、当時の一流建築家や美術工芸家が総力を挙げて建設しました。たとえば、
・室内装飾;黒田清輝(東京美術学校(現・東京芸術大学)教授)
・油絵作成:浅井忠(京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)教授)
・模様図案:今泉雄作(東京帝室博物館(現・東京国立博物館)部長)
・花鳥画製作:今尾景年(帝室技芸員)
・七宝下絵:渡辺省亭(日本画家)
・七宝制作:濤川惣助(七宝家)
・地質調査:巨智部忠承(地質調査所長)
  他

建物の構造は鉄骨補強煉瓦造りで、地上2階、地下1階の耐震、耐火構造となっています。大正12年(1923年)の関東大震災にも耐え、平成23年(2011年)の東日本大震災時にもほとんど影響しなかったということです。総工費は当時の金額で約510万円余り、現在の貨幣価値に換算すると900億円を超えるという試算もあります。

片山東熊が完成した赤坂離宮の写真を持って明治天皇に拝謁すると、明治天皇は顔を曇らせてひと言「贅沢だ」と仰せられたと言われています。 また、当時としては最新鋭の空調設備や自家発電機などが備えられましたが、温度調節が最適に行われず、住居としての住み心地に問題があったことなどもあり、嘉仁皇太子(大正天皇)が住まわれることはありませんでした。

‣ 敷地面積:11万7062㎡ (35,411坪)
・建坪5,170㎡(1,566坪)
・延べ床面積:1万5000㎡
・構造:鉄骨補強煉瓦石造、地上2階(地下1階)

この建物は、裕仁皇太子(昭和天皇)が大正12年・1923年8月~昭和3年・1928年9月に住まわれ、また、昭仁皇太子(今上天皇)が終戦直後の一時期、疎開先から帰京した少年時代に弟の義宮(現・常陸宮)とともにお住まいになった以外、東宮御所としてあまり使用されることはなく、戦後、建物、敷地ともに国に移管され、様々な用途に使用されました
・国立国会図書館(1948年4月~1961年8月)
・法務庁(のち内閣)法制局(1948年4月~1960年9月)
・裁判官弾劾裁判所(1948年7月~1970年6月)
・内閣憲法調査会(1956年6月~1960年9月)
・東京オリンピック組織委員会(1961年9月~1965年1月)
・臨時行政調査会(1961年12月~1964年10月)

その後、国際関係が緊密化してゆくなかで外国の賓客を迎えることが多くなったことと、それまで「迎賓館」として使用していた東京都港区芝白金台の旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)は手狭で随行員が同宿できないといった支障があったため、ここを改修して現在の「迎賓館」とすることになりました。
改修に際しては、ヴェルサイユのグラン・トリアノン宮殿が参考にされ、金箔や塗装、天井絵画なども修復されました。工事は昭和43年(1968年)から5年有余の歳月と108億円経費をかけて行われ、和風別館の建設と合わせて昭和49年(1974年)に現在の迎賓館赤坂離宮が完成しました。本館の改修は村野藤吾が、また、和風別館は谷口吉郎が設計しました。

昭和49年(1974)の開館以来、世界各国の国王、大統領、首相などの国賓、公賓がこの迎賓館に宿泊し、政財学界要人との会談やレセプション、天皇皇后両陛下によるご訪問など華々しい外交活動の舞台となっています。また、先進国首脳会議や日本・東南アジア諸国連合特別首脳会議(平成15年)などの重要な国際会議の会場としても使用されています。平成21年(2009年)には明治以降の建造物としては初の国宝に指定されています。


 さて、一般見学ルートでは、本館に入ると、彩鷺の間、花鳥の間、朝日の間、羽衣の間と順に見学します。国賓などの貴賓は、本館の正面入り口から入り、中央階段を上り、2階の大ホールに案内されますが、一般参観では、中央階段は見学ルートに入っていません。(2階大ホールは見学します)
見学の当日は、どんよりした曇りの日で時々小雨がパラツキましたが、暑くなく、見学にはもってこいの日和りでしたが、写真撮影技術の未熟さもあり、カラーが不鮮明でした。


―正門・前庭
(正門遠景)


(正門)


(本館正面玄関より前庭・正門方向)



―本館の正面の外観








―本館正面玄関の扉







本館の内部は写真撮影禁止ですので、本館内部の写真はすべて内閣府のホームページから借用しています。また、本館内部の説明文はパンフレットより借用。


-中央階段(一般参観の対象外です)と2階大ホール 
中央階段の床にはイタリア製の大理石が張られ、その上に赤じゅうたんが敷き詰められている。階段の左右の壁には、フランス産の大理石が鏡張りされている。中央階段を上がった2階大ホ-ル正面の「朝日の間」の左右の壁面には2枚の大油絵(小磯良平画伯)が飾られている。天井の油絵は、寺田春弌(東京芸大教授)が昭和49年改修時に描いたもの。






―「彩鸞の間」
この部屋は、表敬訪問のために訪れた来客が最初に案内される控えの間として使用されたり、晩餐会の招待客が国・公賓に謁見したり、条約・協定の調印式や国・公賓とのテレビ・インタビュー等に使用されている。
左右の大きな鏡の上と暖炉の両脇に「鸞」と呼ばれる架空の鳥をデザインした金色の浮き彫りがある。白い天井と壁は金箔が施された石膏の浮き彫りで装飾され、10枚の鏡が部屋を広くむせている。室内の装飾は、19世紀初頭ナポレオン1世ノ帝政時代を中心にフランスで流行したアンピール様式となっており、石膏金箔張りが施された鎧、兜、剣など軍体調のモチーフで装飾され、天井は床面から約9mあり、楕円形のアーチ状は天幕を張った見せる意匠となっている。椅子張り裂け地の赤はアンピール様式のトレードマークといえる。







―「花鳥の間」
この部屋は、主に国・公賓主催の公式晩餐会が催される大食堂で、最大訳130名の席が設けられる。また、それ以外にも、首脳会議等の場としても利用される、昭和61年(1986年)の第12回主要国首脳会議(G7)も実施された。
天井に描かれた36枚の絵や欄間に張られたフランス製のゴブラン織風綴織、壁面に張られた30枚の七宝には、花や鳥が描かれている。 部屋の腰壁は茶褐色の木曽産シオジ材で板張りしてあり、その壁の中段を飾るのは七宝で、下絵は日本画家の渡辺省亭が描き、明治期の七宝焼きの天才・涛川惣助が焼いたものである。周囲の装飾はアンリ―2世様式で、天井には、各格子の区画にフランス人画家が描いた花卉鳥獣の油絵24枚と金箔地に模様書きした絵12枚が張り込まれている。シャンデリアはフランス製で、重量は迎賓館の中で最も重く、約1,125㎏ある。






―「朝日の間」
この部屋は、もっとも格式の高い部屋で国・公賓用のサロンとして使われ、ここで表敬訪問や首脳会議等が行われている。
天井に描かれた絵は「朝日を背にして女神が公車を走らせている姿」の絵に由来する。周囲の16本の円柱はノルウエー産の大理石で、壁には、京都西陣の金華山織の美術織物が張られ、床には、紫色を基調とした47種類の糸を使い分けて桜花を織り出した段通が敷かれている。家具、室内様式はフランス18世紀末の古典主義様式。高さ8.6mの天井からのシャンデリアはフランスから輸入したもので、クリスタルガラスを主体に作られている。






-「羽衣の間」
この部屋は、雨天の際に歓迎行事を行ったり、レセプションや会議場等として使用されており、また、晩餐会の招待客に食前酒や食後酒が供されるところでもある。
謡曲の「羽衣」の景趣を描いた300㎡の局面画法による大絵画が、天井に描かれている。室内は、フランス18世紀末の古典主義様式で最も大きな部屋である。3基のシャンデリアは館内で最も豪華なもので、凡そ、7,000個もの部品で組み立てられており、高さは約3m,
重さは約800㎏。壁は楽器、楽譜等をあしらった石膏の浮き彫りで飾られている。正面の中二階は舞踏会用オーケストラ・ボックスがある。







―主庭
南に面した主庭は全面砂利敷きで、中央には噴水池や花壇が設けられており、そのまわりには枝振りのよい松が植えられている。フォード大統領(1974年、ハナミズキ)、エリザベス女王(1975年、ブラウンオーク)、ゴルバチョフ大統領(1991年、フユボダイジュ)の記念植樹がある。









-和風別館
和風別館・游心亭(ゆうしんてい)は、昭和49年(1974年)に迎賓館の大改修時に、建築家の谷口吉郎氏(東宮御所や東京国立近代美術館を設計)が設計、「日本らしいもてなしを行う施設」として、主に国公賓の会食や茶会などに供されてきた。
・延べ床面積は500坪、約1,700㎡
・主和室は、47畳の広間。(可動式の掘り炬燵)
テーブルと可動式の掘り炬燵で賓客を和食でもてなすほか、全面を畳にして着物や生花の観賞、日本舞踊なども催される。
・即席料理室
カウンター席で「天ぷら」や「すし」などを供することができる。
・茶室
4畳半の畳席で、お茶を点てるのを観賞することが出来る。
・和風庭園
手前に池を配置し、その後方に築山がなだらかに起伏する和風庭園で、春先には常緑樹を背景に紅梅や白梅が咲き競う。太陽の光が池に差し込むと、広間から廊下の天井に水の「ゆらぎ」が映し出される。貴賓が池の鯉に餌を捲くことも行われる(英国のサッチャー首相など)。








―前庭内の臨時郵便局
記念切手などを販売していますし、ここから投函できる丸型ポストもうれしいです。





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