花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「シシユズ(獅子柚子)」

2014年11月30日 12時33分19秒 | 自然
民家の庭先にシシユズ(獅子柚子)がたわわに実をつけています。実が大きく、独特の形をしているので、目が向きます。このお宅では本柚子の木もあり、毎年実がなります。季節になると、門のところで販売していますが、今年も良い匂いのする本柚子を販売していたので、早速買い求めました。

“ミカン科ミカン属の常緑低木。ブンタン(文旦)の仲間。中国原産。奈良時代に日本に渡来。姿かたちはまさに「獅子」のような顔をしている。ユズのような強い香りは無く、ほのかに柑橘類の香りがする。花期:5月~6月。芳香のある白色の花。果実:直径20㎝超、重さ1㎏位。果肉は酸味が強く、生食にはむかない。ジャムやマーマレード、ゆず酒などに利用される。主に関東以西で栽培。商業生産はほとんどされていない。別名:「おにゆず(鬼柚)」、「ジャガタラユ(ジャガタラ柚)」。“










【2014年11月30日 花熟里】
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ナンテンの実(南天の実)」

2014年11月27日 11時46分05秒 | 自然
民家の生垣や公園でナンテン(南天)の赤い実を見かけます。
“メギ科ナンテン属の常緑低木。中国原産。日本には古くに渡来し、野生化し西日本、四国、九州に自生。高さは2m~5m。 幹の先端にだけ葉が集まって付く。花期:初夏。 花色:白。実:晩秋から初冬にかけて赤色の小さな果実をつける。白い実を付けるシロミナンテン、葉が糸の様に細くなるキンシナンテン、樹高が低くやや丸みのある葉を付けるオタフクナンテンなどがある。 かつて、厠の外にナンテンが植えられていたが、「南天手水」といわれ、南天の葉で手を清めていた。他の理由は、丈夫であったために、杖代わりに、「南天の木につかまる」(難を転ずる)こと。“











(2014年11月27日 花熟里)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「道端の神様・仏様(8)」

2014年11月25日 12時00分00秒 | 風物
民家の庭先に稲荷神社が安置されています。以前から気になっていたのですが、今回やっと、家の方にお会いでき撮影させていただきました。













(2014年11月25日  花熟里)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「富岡製糸場を見学しました」

2014年11月23日 12時26分16秒 | ちょっと気になること
富岡製糸場見学の日帰りバスツアーに参加しました。半身まひで足が不自由な私でも参加できるので、バスツアーは便利です。 富岡製糸場は全国の製糸場の指導者を育てる目的で、フランスの技術を導入して建設され官営の製糸場であることは広く知られています。
横浜フランス商館勤務の生糸検査人のポール・ブリューナが「首長」(グランドデザインを描き、建設・操業運営の管理する総合プロデューサー)、横須賀製鉄所を建設したオーギュスト・バスティアンが建物の設計を担当、明治政府役人の尾高惇忠が建設実務を指揮(初代の「場長(所長)」)して、建設作業が進められました。

バスディアンの設計図はメートル法で表示されていましたが、日本で使われている尺貫法に読み替える必要があり、このために、横須賀製鉄所建設工事に携わった経験のある、大工の棟梁を招いて大工を指導させています。建物は、西洋建築と日本の伝統技術を組み合わせて建設されました。即ち、伝統的な日本建築の技術である木造の骨格に西洋の技術であるレンガを壁としてはめ込んだ「木骨レンガ造」構造で、屋根は日本の伝統的な瓦葺を採用しています。建物は西洋建築のキングポストトラスト構造、即ち、三角形の組み合わせで強度を保つ構造を採用していますが、寺院や城などの建築の経験のある日本人大工は、すぐに習得しました。レンガは当時の日本にはなく、フランス人技術者から指導を受けた瓦職人が、試行錯誤を繰り返しレンガ造りの技術を完璧に習得します。製造されたレンガは150万個に上るそうです。
このように、日本人による建設作業が突貫工事で行われ、着工からわずか1年6か月で竣工・操業にこぎつけました。
フランス人技術者の指導で建設・運営された国営富岡製糸場は、製糸の女工指導者を育成することを目的にしており、労働条件も、労働時間も一日が7時間45分、週休日や祝祭日の休日化、診療所の設置と無料診療、寄宿舎の食費などの無料化、など最先端の制度を取り入れています。

<労働条件:富岡製糸場のガイドブックより>
勤務:朝の7時~夕方の4時半まで、実働7時間45分(ただし、季節によっては勤務時間は異なる。
休日:年間76日 
  (内訳)日曜日:50日、諸御祭日:6日、年末年始:12月29日~1月7日、夏季休日:10日)  
給与:能率給制度を採用。
   一等工女:25円、二等工女:18円、三等工女:12円、等外工女:9円。別に作業服代として、夏冬5円支給。

<富岡製糸場の歴史概略:パンフレットより抜粋>
明治3年10月(1970年)ブリュナと雇用契約締結
明治4年3月(1871年):建設着手(官営富岡製糸場)
明治5年7月(1871年):主要建物完成
明治5年10月(1872年):竣工・操業開始(女工210人、其の後、500人超になる)
明治8年12月(1875年):ブリュナ雇用契約満了。フランス人技術者と医師は全員帰国。
明治9年1月(1876年):日本人のみでの運営になる 
明治26年10月(1893年):三井家に払い下げられる(三井富岡製糸場)
明治35年9月(1902年):原合名記会社に譲渡(原富岡製糸場)
昭和14年7月(1939年):片倉製糸紡績株式会社が経営権取得(片倉富岡製糸場)
昭和62年3月(1987年):操業停止
平成17年9月(2005年):建造物が片倉工業から富岡市に寄贈、富岡市による管理開始
平成18年1月(2006年):土地が片倉工業から富岡市に売却される
平成26年6月(2014年)世界遺産に登録


<正門>
">

<東繭倉庫>(長さ:104m、幅:12m、高さ:14m)
木骨レンガ造りの2階建て。2階部分が繭置き場。
">

<繰糸場>(長さ:140m、幅:12m、高さ:12m)
300釜のフランス式繰糸器が設置。当時の製糸工場の多くで繰糸器は50釜から150釜程度で、富岡製糸場は当時としては世界最大規模。なお、繭から繰糸した後のサナギはタンパク質が豊富なので、地元の人々が“つくだ煮”にして食べたとのこと。

">




<女工館>
フランス人の教婦(女性技術指導者)のために建てられた。木骨レンガ造り。
">

<診療所>
">

<ブリュナ館(首長館)>(面積:1066㎡)
首長であるブリューナ一とその家族の住居。木骨レンガ造り。
">

<寄宿舎>
日本人女工の寄宿舎。
">


<片倉工業記念碑>
">


<製糸場全体図:製糸場HPより借用>
敷地は東西約200 m、南北約300 m。製糸場の動力源は、富岡の付近で大量に産出された石炭を使用した蒸気エンジン「蒸気釜所」が建設された。 蒸気は煮繭にも使われた。1920年に電気が通じまで使用された。石炭燃焼時の排煙用の大煙突(フランス製鉄製、高さ36 m)が建設された。現存の煙突は、1939年に再建されたもので、高さ37.5 m、コンクリート製。
">

<富岡製糸場HP>
http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html

<片倉工業HP>
http://www.katakura.co.jp/tomioka.htm



(花熟里)




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「コウテイダリア(皇帝ダリア)」

2014年11月22日 11時37分23秒 | 自然
コウテイダリア(皇帝ダリア)が満開です。民家の庭、畑の脇、空き地などあちこちで薄紫色の花が咲いています。
“キク科ダリア族の多年草。原産地はメキシコ。別名:木立(こだち)ダリア。 江戸時代後期に渡来。開花期:11月。花色:薄紫、白、赤、黄など。高さ:3m~4m。霜が降りると茎は枯れ、真冬には 地下に球根が残り春に芽吹く。茎挿しでも増える。“















コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする