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きっぷる写真記『生きてる頃』

2016-02-21 19:16:03 | きっぷる写真屋敷

きっぷる写真記 『生きてる頃』


[着物暮らし地獄篇]
小生は着物生活者である。毎日、着物で暮らしている。西洋服の類は殆ど着た事も無い。履き物も下駄や雪駄以外は履いた記憶が無い。西洋衣装や西洋履き物はどうしても肌に合わない。どうして日本人が自ら日本人の衣服を捨て、欧米の衣服文化の猿真似をし悦に入ってるのか、子供の頃から理解できない。分からない。骨の髄まで染み込んだ欧米(白人)文化にたいする劣等感、敗戦により日本的なものは悪しきもの野蛮で未開で醜悪なものと洗脳され転倒した自虐精神によるものなのか、それが植民地根性奴隷根性と言うモノなのか、未だにさっぱり分からない。
日本人なんだから日本人の服(着物)を普通に着て暮らせば良いのにと単純に思うのみ。そんな小生の着物写真記である。


着物写真記(肆:白日陽炎夢地獄 ~2016年二月二十一日 から ~



着物写真記(参:虚空地獄 ~2015年七月六日 から 2016年二月十八日まで 生きていた~



着物写真記(弐:鏡地獄 ~2015年三月二十八日 から 2015年七月五日まで 生きていた~



着物写真記(壱:針の山地獄 ~2013年七月十七日 から 2015年三月二十七日まで 生きていた~



生きているのか、死んでいるのか、小生はどうも生きていない様な気がするのだが、どうやら生きているらしい

死んでいるのか、いないのか、そもそも小生なんぞ端から いない気もするが、たぶん死んでも分からな



空地:人を呼ぶ空地篇〕

その空地が何故人を呼び寄せるのかは分からない。陽が暮れる頃、其の空地の前を通ると一応、其の空地と道路を隔てている陳腐なパイプの柵の、途中で途切れた箇所に、ぼ~っと佇みんでいる人がいる。そして虚ろな目で微動だもせず、ジィ~っと其の空地を見つめている。ここ数年、其の空地は私の通り道になっている。どれだけそういう人間を見た事か。週に四人か伍人は必ず見かける。
彼らは其の空地に何を見ているのか。其の空地の何が彼らを呼び寄せるのか。其の空地はいったい何なのか。過去にそこで何かあったのか。そして呼び寄せられる人々はいったい何者なのか。
もしかしたら空地自体がイタコの様な存在なのではないか。其の空地を訪れた人間が今までの人生の中で最も幸福だった頃、最も幸福だと思えた頃、又は、一度たりとも幸福だった事など無いが「存在しなかった幸福だった頃」が「ハッキリと存在する」異世界の幸福だった頃に、肉体を置き去りにしたまま戻っていけるのではないのか。

ある日の夕刻、意を決して私は「空地に呼び寄せられる人」を写真に収めようとデジカメ片手に出掛けた。
これは其の戦慄のドキュメント・フォトチャンネルである。


 


[空地:蜃気楼の出る空地篇〕 (予告写真)

“あったんだ!此処に!つい一週間前まであったんだ!あの空地が!夕暮れ時に小さな蜃気楼の出るあの空地が!ここだ!”


(フォトチャンネル化しようかな、と思ったがなかなか暇がない。やるかやらぬか分からぬが忘れぬために予告めいた事だけやっておこう。)
 その空地には夕暮れ時になると小さな蜃気楼が現れた。五十年程前、其処には私の友人の家があった。その小さな蜃気楼が映し出していたのは五十年程前の其の友人一家の賑やかで笑顔に満ち溢れた余りにも懐かしい「幸福だった過去」の情景の数々であった………


[人間煙突:再訪篇〕 (予告写真)

“私は五十年ぶりに、お前に会いに来た。お前も其れなりに老朽化してる様だが本当はちっとも変っちゃいない。私が生れる以前から存在し、私に気づいていた事は分かっている。私も生まれる以前からお前の事に気づいていたし、決別してからこの五十年間の私の全てをお前は知っている。煙突よ、私ももう薄々分かっているんだよ、ここらで全てを明らかにしようじゃないか。私は恐怖に耐えられないかも知れないが、もう構わない………”


(これもフォトチャンネル化しようかな、と思ってはいる…思っては…いたんだが、実に面倒だし、かったるく、時ばかりが過ぎてゆき、なかなか出来ぬ。ので一応忘れぬ様に記憶に留めておくために、やはり予告めいた事をやっておこう。自分に向けた予告として留めておくか)




結局、今のところ空地:人を呼ぶ空地篇〕だけ何とか作った。思うに思う様に全然いかん!
他の予告に留めているのは、どーしよーかなぁ~~~ま、生きてる頃に。


ちなみに〔着物暮し〕以外はフィクション。



 



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