気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

ありのままにみる

2009-12-27 21:09:18 | Weblog
 一休和尚の逸話(いつわ:エピソード)を一つ。

 あるとき、一休さんが家の前に鉢植えを一つ、出しておきました。それには松の木が一本、植わっていました。その木は曲りくねっていました。
 ところが、一休さんはその植木鉢の横に、「この松の木をまっすぐにみた人には、褒美(ほうび)をあげます」という小さな立札をさげました。

 家の前の通りには、人がきができました。みな、一生懸命、松の木をまっすぐにみようとしました。ある人は上から見おろし、別の人は後ろにまわってみました。またある人は、少し離れたところから、手をかざしてみました。
 しかし、だれの目にも松の木はまっすぐにはみえませんでした。
そのあとも、なん人かの通行人が立ちどまって、腕ぐみをして、松の木をみつづけましたが ・・・ ダメでした。

 夕方近くになってから、ひとりの旅人がやってきました。
松の木をみるなり、「この木はほんとうによく曲がっているなあ」と感心して、いいました。
それをきいた一休さんは、家の中から、とび出してきて、その男の人に褒美を、どっさり、あげた ・・・ とさ。



 一休和尚は、とうとうその目がゆがんでいない人間(ひと)に会えたのです ・・・ ね。

    めでたし、めでたし ・・・




☆ 






時計で貧しくなった ・・・ 

2009-12-27 20:20:24 | Weblog
 朝食は7時、出社は8時、昼食は12時 ・・・ 就寝は ・・・ と、人は時計が教えてくれる時刻によって生活しています。

 朝起きた時から夜寝るまでの生活が規則正しく、つまり予定の時刻通りに、行われている場合は、それはよい生活だといわれています。

 でもなんだか ・・・ 時計が人のふるまい(行動)を監督し、命令しているように思えてなりません。


 いえいえ、じつは時計の発明によって、人は不自由になったというのが本当なのです。


 人は自分なりの生活を豊かにすることができるという理由で、時計をつくったはずなのに ・・・ 時計をつくってみると、その逆に、人の生活は貧しくなってしまったのです。






病み抜く=闇み抜く

2009-12-27 19:50:24 | Weblog
 昔から「病み抜く」という言葉があります。

  「病み」は「暗み=闇み」です。


 病むことは「つらく思う。困って悩む」 ・・・ ことです。


 病んで

   からだをよくするだけでなく、

         心もきよめてくれます。


 病むつらさ、くるしさ、さびしさのなかで、

   だれしもさまざまなことを考え、

     人間が新しく生まれ変わる ・・・ のではないでしょうか。


 病気の暗み=闇みをくぐり抜けることで
 
   自分の力で「病み抜いた」という自信が

                     生きる力を何倍にもします。


 人間は病を乗りこえて、

   しっかり自分というものを感じとれるようになっていく

                     ・・・ のではないでしょうか。





エサなし・当てなし ・・・ 

2009-12-27 19:20:14 | Weblog
 私の三つの生活信条

   「無理をしない」

   「見栄をはらない」

   「今していることを大切にする」


 「無理をしない」とは、

   何ごともマイペースでやるということで、

 これは

   他者との比較をしない

           ・・・ というところから出ています。


 「見栄をはらない」とは、

   人の目を気にしない

   うわべをとりつくろわない 

     という意味ですが ・・・

 もっと積極的に

   自分は自分を生きる以外に道はないから ・・・

     その道を真っすぐ歩もう ・・・ そんな感じです。


 「今していることを大切にする」とは、

   結果を括弧にくくって、

     今していることだけを問う

               ・・・ という姿勢です。

 結果は当てであり、

   結果を目論むことは

     当て推量する ・・・ ことになります。

               ・・・ 当ては外れやすいものです。

 それなのに、

   そんなものを当てにしているのはおかしい ・・・ と思うのです。



 今ここに生きているという事実だけがすべて 

                ・・・ という気概で生きているつもりです。












 

楽をして得(うまいこと)をする味

2009-12-27 18:26:45 | Weblog
 世の中は便利になり、

 人びとは

   楽をして

     得(うまいこと)をする味をおぼえました。


 気がついてみたら、

   しあわせとはほど遠い、

   何かむなしい思いにかられている自分を発見し、

                    ・・・ 愕然としています。


 最近の若い人は、

 いや、子どももおとなも、

 そして老人も

   よく「つまらない」といいます。


 「つまらない」とは

   中味がないことです。

   生きている充実感がない

               ・・・ という意味でもあります。



 世の中が便利になり、

 ものは豊富になり、

 何不自由ない生活を送っているのに、

   「つまらない」(中身がない)というのは

               ・・・ おかしいのではないでしょうか。












 

「鵜(う)のまねするカラス」

2009-12-27 08:20:58 | Weblog
 カラスが木の枝にとまって、カーカーとないていましたが、ひょっと下をみると、川で鵜(う)が泳ぎながら、魚をとっているのがみえました。
カラスは「鵜はいいな、川の中にもぐって魚をとることができる」・・・そううらやましくおもいました。
 そこで、ひとつ自分も鵜になって、川の中にもぐってみようと決心し、枝からとびおりて、川の中にはいっていきました。
 ・・・ しかし、あわれ、カラスはおぼれて死んでしまいました。


 「鵜のまねするカラス」 ・・・
 これは自分のよさを否定し、人のまねをして、失敗することは愚かなことだという意味です。
鵜は鵜で、きっと、カラスはいいな、空を自由にとべるし、いい声でなくこともできると、おもっていたにちがいありません。


   カラスは、カラスでいいのです。

   鵜は、鵜でいいのです。










官僚主義の三つの側面

2009-12-27 07:47:27 | Weblog
官僚主義には三つの側面があります。


上層部に近づくにつれて、

  自分の立身出世だけを考えます。


中層部にいるときは、

  上層部の命令や伝達を下層部へ機械のように流します。


一番下積みの頃は、

  過労のため慢性的にふきげんです。










グループ呆け

2009-12-27 05:46:16 | Weblog
 みな集団をつくって、アタマ数で行こうとする。

 ・・・ ところが

 どこの集団もグループ呆けばかり。

   金が欲しいというのもグループ呆けなら、

   エラクなりたいというのもグループ呆け。


 いわんや

   党派をつくるなど、

     グループ呆けの代表 ・・・ です。