何気ない風景とひとり言

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談山神社-(3) (桜井)

2017年03月09日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・桜井市】安土桃山時代の天正十三年(1585)、豊臣秀吉の命により破却して郡山城下に遷座したが、天正十八年(1590)に帰山が許された。 江戸時代に入って徳川家康の庇護を受けて復興した。
明治維新の神仏分離令により僧徒が還俗し、多武峯妙楽寺が廃されて神社のみとされ談山神社に改称された。

十三重塔の東の先の石段の上に鮮やかな朱塗りの校倉造りの西宝庫と室町時代建立の楼門が見える。 楼門から中を覗くと、桧皮葺の本殿、拝殿そして透廊で囲まれた厳かな空間が広がり、いまにも左側の本殿から平安貴族衣装の藤原鎌足が現れそうな雰囲気が漂う。
絢爛豪華な様式とされる本殿....拝殿から見る正面は極彩色の模様や彫刻など装飾で彩られていて、日光東照宮造営の際の手本になったとされるのも頷ける。
右側は拝殿で舞台造りになっていて、擬宝珠高欄の周縁にたくさんの釣灯籠が下がっている。 大広間の拝殿内には談山神社の歴史を示す遺構などが展示され、数点ある神仏画の掛け軸の前には御賽銭が置かれていた。
境内の東のエリアには、江戸初期の元和五年(1619)建立の東宝庫、元和五年造替で元の談山神社本殿を移築した東殿、更には春日神社や観音堂、そして樹林の山中には屋根の造りが珍しい三天稲荷神社が鎮座している。

十三重塔境内から眺めた本殿の楼門と校倉造りの西宝庫
 
元和五年(1619)造営の入母屋造桧皮葺で校倉造りの西宝庫(重文)/切妻造桧皮葺の手水舎

室町時代永正十七年(1520)造営の入母屋造桧皮葺の楼門(重文)

楼門から眺めた本殿(左)と拝殿(右)..奥は東西透廊の東側

東西透廊は折れ曲がるように本殿を囲む特異な形態

嘉永三年(1850)造替の三間社隅木入春日造の談山神社本殿(重文)..聖霊院・大織冠社・多武峯社とも号す
 
拝殿の本殿側回廊に下がる吊り灯籠/東透廊近くから眺めた本殿(右)と楼門(右奥)..本殿に藤原鎌足公像を祀る

本殿は大宝元年(701)創建で、朱塗極彩色の豪華絢爛たる様式

永正十七年(1520)造営の桧皮葺屋根の拝殿と東西透廊
 
拝殿の軒先に整然と並ぶ吊り灯籠..扉は桟唐戸

拝殿の内部
 
ガラスケースに収められている神仏画の掛け軸

石段下から眺めた楼門と拝殿..拝殿は朱塗舞台造り
 
荘厳な舞台造りの檜皮葺の拝殿
 
元和五年(1619)造営で西宝庫と同じ形式の東宝庫(重文)/覆屋で護られた春日神社

元和五年(1619)造替の入母屋造桧皮葺の摂社・東殿(重文)..寛文八年(1668)、談山神社本殿を移築
 
鏡女王・定慧和尚・藤原不比等を祀り、若宮とも称す/鏡女王像
 
白鳳八年(679)の妙楽寺講堂建立時以来鎮座する「むずびの岩座」..古来より神が宿る磐座として信仰されてきた/露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺の観音堂
 
観音堂                        三天稲荷神社への参道に立つ朱塗りの鹿島鳥居

樹林の中に佇む拝殿と奥に三天稲荷神社が見える

三天稲荷神社の祭神は宇賀魂命・菅原道真・市杵島姫命..古来、商売繁盛、学業成就の霊験あらたかな社として知られる

珍しい造りの社殿の屋根
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