
【大分・臼杵市】江戸時代初期の寛永五年(1628)、藩主稲葉一通公により現在地(森嶋)を賜って移転した。 昔、森島は臼杵湾に浮かんでいて、臼杵城の出城としての役割を果たていた。
大友宗麟の妻・悟真院殿の墓があり、また西南戦争の際に大分県警視隊が本陣を置いた場所。
中門のすぐ右隣に建つ重厚な造りの鐘楼....屋根や虹梁部の装飾彫刻が素晴らしく、趣がある。
堂宇境内は意外に狭く、正面に広い向拝の本堂が鎮座し、連なって右に大きな唐破風の玄関、その奥に庫裏が横一列に並んでいる。
境内には、石造龕に窮屈そうに鎮座する石碑、大きな請花に乗る基礎に鎮座する寸胴な容姿の五輪塔、寛永銘のある手水鉢、梵字が刻まれた石碑など興味深い石造物がある。 また、白壁塀の傍には、堂宇建て替え時のものと思われる古びた鬼瓦や宝珠などの屋根の装飾瓦が整然と置かれていて、古を忍ばせる。

歴史を感じさせる重厚な鐘楼と四脚門の中門


入母屋造本瓦葺の鐘楼 虹梁の上に蟇股等の装飾彫刻が施されている

入母屋造本瓦葺の本堂..向拝の屋根に獅子像が鎮座


幅広い向拝の本堂..擬宝珠高欄を設けた回縁を設けている/昇擬宝珠高欄


「南無阿弥陀仏」の扁額が掛る質素な本堂正面

虹梁上や木鼻など見事な彫刻がある..木鼻は大仏様のようだ

本堂右手に設けられた大きな唐破風の玄関

静かで落ち着いた雰囲気が漂う境内

入母屋造本瓦葺で裳腰を設けたような造りの庫裏兼寺務所

路盤宝珠を乗せた宝形造桟瓦葺の経蔵かな?


境内の隅に佇む寄棟造石屋根の石造龕..左の石碑(墓石か?)には寛永十年(1633)の銘/寸胴な容姿の五輪塔..大きな請花に乗る基礎に大きな格狭間が彫られている


境内に置かれた手水鉢..宝永二年(1705)銘で「水器」の刻/風化が激しいが月輪の中に梵字が刻まれた石碑

塀脇の並べられた瓦造物..本堂等堂宇建て替え時のものと思う

歴史を感じさせる鬼瓦群
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