何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

朝護孫子寺-(1) (生駒)

2017年11月25日 | 寺社巡り-奈良

【奈良・生駒郡】創建や経緯については判然としない。 一説では、用明天皇二年(587)、聖徳太子が物部守屋討伐のために河内稲村城に向かう途中この山に至り、戦勝祈願をしていると天空から出現した毘沙門天から必勝法を授かり、そのご加護で守屋軍を撃破した。 その後聖徳太子は、四天王像を刻み伽藍を建てて祀り、毘沙門天を勧請して信貴山寺を建立したといわれる。
毘沙門天が初めて出現したのが寅年、寅の日そして寅の刻だったことから寅が信仰されシンボルになったと伝える。 信貴山寺は武人の信仰を集めたが衰退し、中興の命蓮上人が入山した時には毘沙門天を祀る円堂だけと荒廃していた。 信貴山真言宗の総本山、本尊は毘沙門天(多聞天とも称す)。

参道脇に整然と並ぶ前垂をつけた千体地蔵の前を進むと、参道を跨ぐ仁王門に鎮座する迫力ある金剛力士像に出迎えられる。 仁王門をくぐって振り返ると、仁王像の後方に天を仰いで鎮座する獅子像が....天空に出現した毘沙門天王を見ているのかな? 更に参道を進み、「多聞天」の額が掲げられた2つの明神鳥居をくぐると巨大な張り子の寅が現れ、そのデカさに目を奪われる。 正面の山上に朱塗りの高欄を巡らせた本堂が見える。
本来は最初に本堂を参拝するのだが、広大な境内なので順路を考えて後半にした。 まずは、右手の多くの石燈籠と鳥居が立ち並ぶ狭い参道の奥に鎮座する剱鎧護法堂に参拝し、その後、左手にある長い石段を上って開山堂に向かった。
開山堂の受付のおばあさんから教えてもらった順路の通りに次の玉蔵院に向かった。 石段上に塔頭の玉蔵院が建ち、日本一とされる半跏倚坐で露座する地蔵尊像と鮮やかな朱塗りの三重塔が鎮座しているが、特に巨大な地蔵尊像は、狭い境内ということもあって凄い迫力を感じさせる。

仁王門手前の参道脇に鎮座している前掛けをつけた千体地蔵

入母屋造本瓦葺の仁王門..宝暦十年(1760)再建、大正十一年(1922)に現在地に移転..「信貴山」の額

仁王門は楼門形式で上層に組高欄の回縁..門前に立つ石燈籠は享保二年(1717)造立
 
仏敵の侵入を防ぐ阿形吽形の忿怒相の仁王像が睨みを利かせている
 
仁王像の後方で天を仰いで鎮座する獅子の狛犬..天を仰ぐ意味はなんだろう?

参道脇に鎮座する猪上神社..明神鳥居に「猪上神社」の額が掲げられている
 
流造銅板葺の猪上神社..明治維新の神仏分離令により大正十一年(1922)に現地に遷座/天足彦命・国押人命(説に天照大神)を祀る信貴山の総鎮守

参道途中に立つ「多聞天」の額が掲げられた明神鳥居

2つ目の明神鳥居から眺めた崖に張り出した本堂

巨大な張り子の寅越しに眺めた本堂
 
剱鎧護法堂への参道入口付近..石燈籠が並び「剱鎧護法」の額が掲げられた明神鳥居他幾つかの鳥居が立ち並ぶ/剱鎧護法堂への参道途中に立つ明神鳥居と奥にトンネルのように朱塗りの明神鳥居が居並ぶ

入母屋造桟瓦葺の剱鎧護法堂の拝殿、本殿は春日造銅板葺..約千百年前の推古天皇病気平癒祈願に由来..拝殿前に「百度道」と刻まれた道標がある

開山堂参道入口に立つ石造り明神鳥居..「開山堂」の額

基壇の上に建つ大きな露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺の開山堂..享保十七年(1722)建立で、脇間に連子窓と花頭窓
 
桟唐戸の入口の上に「聖徳太子」の扁額があるが、信貴山開祖聖徳太子、宗祖弘法大師、中興開山命蓮上人&歓算上人、四国八十八ヶ所本尊を祀る/開山堂後方にある中興の高僧命蓮上人の墓と伝える塚..塚の周囲に室町末頃造立の一石一尊十三仏板碑が立つ
 
開山堂を下った石段から眺めた玉蔵院の三重塔..玉蔵院は塔頭で、信貴山の宿坊

塔頭・玉蔵院の地蔵尊像、三重塔そして融通堂
 
日本一とされる大地蔵尊像/「霊明殿」の扁額が掲げられた三重塔..阿閦如来像を安置

融通堂
  
「結縁 融通観音」の額が掲げられた明神鳥居/結縁観世音の提灯が下がる御堂に鎮座する観世音菩薩像/舟形光背に半肉彫りされた不動明王像
コメント
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